初陣Ⅱ
「待ってください」
――と。
それまで反意を見せなかった戒斗の目に、明確な抗議の意志が宿った。
「的場くんの意見や行動は否定しません。いや、そもそも俺に拒否権はないですし。しかし、走也に手を出すというなら話は別です」
「ふぅん、犯罪者のくせに友達ごっこかい。だけど早まるなよ、吼城。僕の邪魔さえしなければ、何もしないさ。だって伊達は犯罪者じゃないんだぜ?」
「だ、そうです。だから手を出さないでくださいね、走也」
「……おい待て戒斗。まさかと思うが」
「これは的場くんと俺の戦闘行為です。なので、ここから先は手助け無用です」
心配する級友をバッサリと突き放す戒斗。
庇われた事を理解した走也は、怒りを抑え込むようにギリッと歯ぎしりをする。
「そうは言うがな、それで納得しろっていうのかよ?」
「……忘れないでください。俺が彼らの敵として戦うことは、この学校に居る為の対価なんです。このまま戦いを受けないというのは、そのまま俺の退学を意味します」
「なっ」
虚を突かれたように固まる走也。
戒斗が語った条件は、走也にとって初めて聞かされる参加への枷だった。
「なんだよそれ、そんな理屈を通されちゃ、俺はただの役立たずじゃねえか」
「そんなことはありませんよ。心配してくれる人が居るというのは、それだけで頼もしいんですから」
「……三日前にお前を守るって格好を付けたんだ、一枚くらい噛ませろ」
「では妥協して、今日だけは全て俺に任せてください。次からは、話し合って方向性を決めましょう。安心してください、走也達の気持ちを蔑ろにする気はありません」
遠回しな拒絶。
しかし走也を見る戒斗の顔には、嘘や偽りがなかった。
まるで走也が邪魔してくるとは思っていない、完全に信用した笑顔を作っている。
その期待を裏切れるほど、走也は喧嘩好きな男ではない。
「ちっ、判ったよ。どうせ戦える時間なんて大して残ってないんだ。この一戦だけは、好きにしたら良い」
「……はい。というわけで、的場くん。せっかく待ち伏せしてくれたようですし、早く仕掛けてください」
「ほぅ、正々堂々と戦うとは感心だ。何より飲み込みが早いのが良い。ソレに免じて、伊達の横やりは見逃しても良いけど?」
パチパチと手を叩いて、邪魔が入らないことを歓迎する的場。
ソレを見て走也は苦い顔を作り、戒斗はにっこりと笑う。
「それは感謝です。ではそのお礼と言いますか、少し忠告しておきます」
「はッ、なんだよ?」
「俺を倒すと言う事は、もちろん俺に倒される覚悟もあると言う事ですね?」
「え?」
ゾクリ、と的場の背筋に怖気が走る。
ほんの一瞬、戒斗の眼が刀のような鈍い光を帯びた気がした。
「やだな。一方的な防衛戦だなんて、言った覚えはありませんよ?」
そんな言葉とともに、戒斗は地面を蹴った。
――そして何の躊躇いもなく、的場の腹部を目掛けて蹴りを入れる。
ドゴォ、と。
的場は自分の内蔵が変形しながら、上へ突き上がるのを自覚した。
「くはっ」
肋骨が軋む音を聞きながら、的場は呼吸を乱して後方に吹き飛ぶ。
そのまま背中を床に打ち付けなかったのは、繰作の能力を使用したからだ。
……それでも、膝を折って腹を押さえるほどのダメージが残る。
「ぐ、クソッ。不意打ちなんて卑怯だぞッ」
「あぁ、すみません。職業柄、そういう暴力に抵抗がないものですから」
「そうかよ。ならやっぱり悪人だよ、お前ッ」
グシャっと眉を歪めながら、戒斗の左手を睨む。
直後、戒斗の左手がガタガタと震える。
目を向ければ、握っているペットボトルが小刻みに暴れていた。
――操作されている。
と戒斗が認識して間もなく、ボトルは勝手に手から抜け出した。
……同時に、戒斗の顔面に向かって襲いかかる。
「まぁ、予想の範囲ですけど」
戒斗は冷静な態度で、ペットボトルの突撃を手の甲で弾いた。
どん、と壁にぶち当たるペットボトルは、力尽きたように床へ転がる。
無力化したボトルをつまらなそうに眺める戒斗を見て、的場は口元を歪めた。
この程度で終わるはずがないだろう、と。
「フフッ、僕が何の為に待ち伏せしていたのか、その身を以て知ると良いッ」
大仰な台詞を投げつけながら、的場は自分の背後に視線を向ける。
……そこには廊下の物陰に潜ませていた、数々の暴力装置が転がっていた。
「ははは、これがお前の卒業記念品だぁ、吼城ッ」
再び発動した的場の属性能力によって背後に控えていた凶器が目を覚ます。
最初に姿を現したのは、飛来する五本の金属バットだった。
質量は鉄球に劣るものの、鉄球よりも上回る速度が一斉に戒斗の胸元へ向かう。
回避できないと悟ったのか、戒斗は手で身体を庇うようにして対応する。
「――馬鹿が、その手ごと突き抜けるに決まってるだろうッ」
的場の嘲笑を証明するように、ゴキンという鈍い音が周囲に広がる。
だがそれは、戒斗の骨が折れた訳では無い。
むしろ戒斗の手の甲に触れた金属バットは、空き缶を潰すようにメリメリと圧縮されていく。
「は?」
的場の間の抜けた声が木霊した。
時速百二十キロを超える速度の金属バットにぶつかって、無事でいられる人体など有り得るはずが無い。
……だが、そんな常識は非情な現実によって折れ曲がる。
五つの金属バットはあっという間にスクラップと化して転がる癖に、戒斗の身体は何の損害も受けていない。
そんな悲劇を、的場はただ呆然と観察するしかなかった。
「……これが『最強』かよ。何が『最も強い』って理屈で、金属より固いんだよ」
「それは秘密です。その代わりという訳ではありませんが、真っ直ぐな攻撃は単調で読みやすくて助かります、という助言を出します」
「ちっ、余計なお世話だ、うるさいよッ」
次に飛び出たのは、弓道部から拝借したであろう無数の矢だった。
鏃こそ潰れているが、至近距離での殺傷能力には支障は無い。
それが数十本、空中に漂いながら獲物を狙う光景は、もはや兵器といっても遜色ない圧倒的な武力であろう。
「今度は拳で全ては防げないぞ、吼城?」
――全弾、発射。
戒斗の身体を優に超える範囲攻撃は、周囲のガラスや壁さえ巻き込んで、破壊の嵐を巻き起こした。
穿つ、穿つ、穿つ。
砕けた壁や粉となったガラスが飛び散って、煙のように的場の視界を塞ぐ。
しかし会心の出来を放った的場にとって、その程度の事で焦りは生まない。
いや、本来であれば結果さえ見る必要は無いのだ。
勝利を確信していた的場は、余裕の笑みさえ浮かべて。
「ふぁ?」
驚愕で、崩れた。
……あれ程の攻撃を以てしても、戒斗に傷はない。
戒斗に降りかかった矢は、まるで鋼鉄の壁にでも当たったかのように、全て折れて地面に落ちていたのだ。
「んだよ、それ。いったい、なにが『最強』って事で弓矢が効かなくなるんだよッ」
不条理に対する的場の咆哮に、無傷の戒斗は困った様子で頬を掻く。
それはまるで、幼い子供の扱いに困る保育士のようだった。
ただ、戒斗の対応は保育士ほど甘くないし、的場の『敵』としての立場もある。
「……じゃあ次は、俺の番ですよね?」
「ひっ」
申し訳なさそうな反撃宣言に、的場は次の一手を忘れて恐怖した。
……残念そうにする戒斗の表情から、これから降りかかる自分の未来を想像してしまったのだ。
未だ余力を残しているにもかかわらず、的場の足の軸はコンパスのようにクルリと回転して、戒斗に背を向けて走り出す。
無論、それを逃すようでは『敵』として失格だ。
戒斗の足は追跡ではなく、的場の背中ごと踏み潰しに向かおうと床を蹴った。
しかし、さすがにそれくらいの反撃は的場にも予想できたことだ。
「はん、これがカウンターってやつだよ、ばーかッ」
「……?」
戒斗は首を捻った。
的場の怒号とともに飛び出たのは、灯油を入れたりすることで馴染みの、赤いポリタンクだった。
おそらく燃料入りである事は間違いないが、しかし火種がない限り脅威ではない。
……いや、待て。逆に言って、引火さえしてしまえば。
「まさか」
自らが導き出した予測にゾクリ、と戒斗の心臓が凍る。
ふと気が付けば、戒斗の視界から迫るタンクの中から白色の光が確認された。
「爆ぜろッ」
パチン、という的場のフィンガースナップとともに、ポリタンクは爆発した。
――ただし、それは辺り一面に広がる炎ではない。
まるで蛇が巻き付くように細長く凝縮された熱エネルギーは、戒斗の周囲を螺旋状に覆ったのだ。
それは、炎の卵。
空気を燃焼する音と共に何十にも折り重なる灼熱の縄は、業火で戒斗を包み込む。
「的場てめぇ、戒斗を殺す気かッ」
「言われずとも手加減しているさ。本気だったら、お前ごと丸焦げだ」
煌々と照らし続ける高炉の如き暴力は、戒斗のみならず天井や床さえ浸蝕して急速に劣化させていく。
外周だけでそうなるならば、内部の状況など火を見るより明らかだった。
「待ってろ戒斗、すぐ助けに行くッ」
「まぁ少し落ち着けよ。僕から起因する『火炎』は燃料分しか保たない。灯油を消費したら、延焼する事は有り得ないからね」
「んな事はどうでも言い、つまり中に居た戒斗はどうなるッ」
「はぁ? 無事なわけ無いだろう。つーか、せっかく見逃してやったのに、でかい態度取りやがって。あーあ。まだ燃料さえあればなぁ」
「……なるほど。燃料がある事が前提の発火能力ですか。油断ならない人ですね」
「は?」
的場は自分の耳を疑った。
未だに渦巻く炎から、戒斗の声が聞こえた気がしたからだ。
――いや実際、直後に的場が目にした光景は幻覚に近い悪夢だった。
ドゴン、と。
幾つにも編み上げられた赤色の光源が、蝋燭を吹くよりもアッサリと弾け飛んだ。
破裂した風船でさえゴムの破片を飛び散らせるというのに、あれほど存在感を放っていた紅蓮は跡形もなく消滅してしまった。
……その中から姿を現したのは、髪の一本さえ焦げていない戒斗である。
「戒斗。無事、なのか?」
「かなり怖い思いはしましたが。まぁ、冷凍されるよりは百倍増しです。炎と違って、氷を砕くのは手間ですからね」
「馬鹿な、僕の炎さえ防ぎきった、だとッ」
「……その発言と状況から察するに、やはり的場くんは『繰作』と『火炎』の二重属性ですか。凄いですね、世界でも類を見ないレアタイプです」
――そう。
たしかに的場は『火炎』と『繰作』の二つの属性を操る。
本来、二つ以上の属性持ちの確率は二千万人に一人という割合であり、実戦レベルで使える者は、さらに極少数。
その例外中の例外たる的場にとっても『火炎』は切り札だった。
……だというに。
「何故、無事で居られる。あれだけの惨事に見舞われておきながら、血液が沸騰して肉が焼けていないなんて、おかしいじゃないかッ」
「それについては俺も驚きです。どうやら人類の身体は、燃え盛る炎を克服できる可能性さえ秘めていたようですね」
「ふざけるな、そんな馬鹿な話があるかッ」
「はい、確かに冗談です。何処から調達してきたか知りませんが、正直あと二倍の量で攻められたら、火傷は免れなかったでしょう。それぐらい、今の攻撃は危なかった」
「……ぼ、僕の必殺が、その程度で済むのか」
的場はフルフルと身体を震わせ、怒りに任せて残りの武器を制服から取り出し、廊下に投げつけた。