決着
「……この結果は、判りきっていただろうに」
枯れた老人のような平坦さで語る不山の視界には、千切れかけた左腕をぶら下げる戒斗の姿があった。
いや、それだけではない。
戒斗の拳が不山の左肩に当たった瞬間、石榴のように破裂した。
ゆえに戒斗は、両手とも機能不全に陥っている。
……しかしそれでも。
攻撃手段を失ってもなお、戒斗は戦闘態勢を崩さない。
「この程度、致命傷ではありません」
「死に損ないが、何を偉そうに」
「だからこそ、です。まだ俺が生きているのは、貴方の属性能力も激減したからだ。一撃で致命傷を与えられる分、ここまでの消耗戦なんて想定外でしょう?」
「それがどうした?」
不山は何の躊躇いも無く、戒斗の頭を狙って二撃目を放つ。
たとえ属性能力が発揮されなくとも、今の戒斗を昏倒させるには充分すぎる威力。
ソレを戒斗は、スッと御辞儀するように躱す。
大振りだった不山の打撃は、目的を見失って虚空を突き刺した。
――その瞬間。
体勢を低くした戒斗が、不山の足元を蹴り飛ばした。
「ぬ」
バランスが崩れ、倒れそうになった不山が思わず唸る。
不山が感じた衝撃は、激痛を伴っていた。
なるほど、たしかに不山は属性能力が衰退している。
だがたとえ銃弾を受けても無傷でいられる堅牢な身体が、ただの蹴りに爆破でもされたような破壊力を感じる筈は無かった。
「貴様、なにをした」
沈みそうな巨体を右手で支え、すぐさま不山は起き上がる。
しかし、戒斗の姿は無い。
「……逃げたか」
「まさか」
冷水のように凍った声は、不山の頭上から聞こえた。
そう認識して、一秒も経たぬ後に不山の顔へ強烈な奇襲が当たる。
「がッ」
目の前で、大砲を撃ち込まれたような感覚が不山の視界を壊す。
ソレも一度では無く、二撃、三撃、脳髄ごと粉砕せよとばかりに全て不山の顔に命中していく。
「嘗めるなっ」
山さえ揺れかねない大声とともに、不山は己の右腕で次の攻撃を防ぐ。
ミシリ、と骨が軋む。
「……脚力は拳の打撃より強い、か。貴様、己の得意分野を隠していたな」
怒りに染まる双眸で、不山は相手の攻撃手段を捉えた。
それは鋼のような肉体に食い込む、刃のように鋭い戒斗の蹴りだった。
「隠していたんじゃない。この状況だからこそ、有効な手段になっただけです」
「白々しいッ」
激高する不山は、熊のような左手で戒斗の攻撃手段に掴み掛かる。
だが潰す予定の足首は、とうに不山から離れて後退していた。
「相手の得意分野で、真正面から衝突する理由がありませんから」
機械のような音声を残して、戒斗は森の中へ消えた。
一見すれば、それこそ逃亡したようにしか思えないだろう。
しかし不山は不敵に笑う。
「それで誘い込んでいるつもりか、馬鹿馬鹿しい」
不山は一瞬で相手の目論見を看破する。
そしてだからこそ、迷い無く森の中へと突き進んだ。
「ちょ、なに、わざと罠にかかろうとかしてるッスか」
万力のように締め付けられる苦しみを味わったまま、それでも愛香は動揺する感情を優先した。
「あと数分で、自分の束縛が解けるッス。ううん、不山くんが残った二人を攻撃してくれたら、それで形勢逆転できるのにッ」
「……言ったはずだ。オレの目的は強者と戦うことだと」
「覚えているッスよ。戒斗くんが、その強者じゃない事もッ」
「そうだ。ヤツは弱者だった、さっきまではな」
「は?」
「先程の攻撃、吼城は自力でオレの腕を軋ませた」
「冗談。それって誰かとの比較無しって事ッスか?」
「そうとも。ならば認めるしかあるまい、やつの実力を」
「え、馬鹿ッスかッ。そんな理由で放置とか、コッチは堪ったもんじゃないってッ」
愛香の罵倒は空しく響く。
すでに不山は、森の中へと消えていた。
「――ほう」
感心した不山の呟きは、夜に溶ける。
しかし暗闇の中、月に照らされる光景は確固たるものとして不山を迎えていた。
まさかの小細工なし。
両手を損傷させたまま、戒斗は仁王立ちして待機している。
「てっきり、小細工くらい仕掛けると思っていたのだがな」
「これから行うことを、できる限り走也達に見られたくなかった。だからここまで誘導しただけです」
「律儀に正々堂々と戦う気か? 足技しかない分際で」
「……その間違った先入観、その身体に教え込んで差し上げます」
戒斗は突進するように駆け、超加速からの接近で不山に迫る。
それは一秒にも満たない早業だ。
しかし右手で待ち構えていた不山にとっては、その刹那でさえ余裕があった。
「ハッ」
こと戦闘において、触れた対象に致命傷を与える属性の力。
度重なる戦いで属性能力は摩耗しているが、それでも短時間ならば支障は無く、己の全力を出し切れば勝てる。
そんな先入観が、不山の右腕に傷を付けた。
「な、に?」
虚を突かれた表情の不山から、絵の具を潰したような勢いで血が吹き出る。
獅子の爪に咲かれたかのような傷跡は、しかし戒斗の足先によるものだ。
……不山の拳が当たる直前、戒斗の身体は鳥のように飛翔して攻撃を躱した。
さらに不山の腕を踏み台にして、事なきを得たのである。
「やっと、追いつきましたか」
安堵した溜息を吐く戒斗は、不山の背後で着地する。
だが無論、そこで停止する危険は犯さない。
戒斗は反発した磁石のように大地を弾いて、今度は木の枝へと飛び移った。
その姿を憎々しげに見上げながら、不山は右腕を押さえる。
「解せん。オレを上回る分の能力が回復した、という訳ではあるまい。だが身体能力だけで流血するほどオレは脆くない。貴様、いったいどんな魔法を使った?」
「……大袈裟ですね。これでも一人分の属性を超える程度には、回復していますよ」
「――――」
とっさに『対価』か、と考えた不山だが、その可能性はゼロだと自ら否定する。
学年上位の効果範囲を持つ愛香の『対価』は、消費が激しい。
いかに『対価』で『回復』を求めても、能力が枯渇した戒斗には『対価』の能力そのものが発動できない筈だ。
では、なにか。
難問を解くような視線で敵を見る不山の目に、とある異変が映り込む。
……サラサラと。
まるで砂が崩れるように、戒斗の身体が徐々に無くなり始めているのだ。
「まさか、貴様」
不山は息を呑む。
目の前の光景を作り出している原因、その可能性を見出した。
ゆえに不山は猛獣のように走ると、戒斗の居る木を根元から粉砕する。
「あぁ、気付きましたか」
落下しながら戒斗は不山を狙う。
突き刺すような戒斗の蹴りを、不山は負傷した右腕で再戦を決めた。
しかも先程とは違い、己の残った属性能力を右腕に集中させた状態である。
これで致命傷を与える拳以外に触れても、戒斗の身体は耐えられない。
その筈、だった。
「ぐッ、貴様、やはり」
不山の右腕は戒斗の蹴りによって、挽肉のように引き千切られた。
しかし、今の不山にとっては些末なことである。
痛みに耐えながら、不山は犠牲と引き替えに出した答えを口にした。
「自滅する気か、吼城ッ」
戒斗からの返事は無い。
無言のまま左足による回し蹴りで、不山へ追撃する。
それを不山は左腕でガードした。
しかしその一撃が、重い。
「これならば列車と衝突した方が、まだ心地良い」
自虐的に呟きながら、不山は虫を払うように戒斗の蹴りを逸らす。
結果として戒斗は、吹き飛ぶように距離を空けられた。
「惜しいですね。俺が出血していなければ。もしくはあと一秒あれば、その腕も粉砕できたのに」
大袈裟な主張では無く、それは事実だったろう。
その未来を簡単に受け入れてしまうほど、今の戒斗は強いのだ。
……そうなった原因を、不山は苦々しく語る。
「今の貴様の強さは他人と比較してソレを上回るのでは無く、自分と比較してソレを上回り続けているからだ。もはやオレの戦闘能力さえ超え、今も強さの定義を更新していることだろう」
その言葉は推測では無く、確信をもった指摘だった。
ゆえに否定する意味は無いと判断した戒斗は、あっさりと認める。
「えぇ。貴方を上回るより自分を敵として認識した方が、勝率がありましたから。初めて試してみましたが、能力の消費量が皆無に近かったのは自分でも驚きです」
「愚かな。その蛮勇、自傷行為と何が違う。最強という属性を上回る、最強。そんな矛盾に包まれた道理は当然、破綻する」
……いや既に。
戒斗の身体から、まるで切り取ったように右腕と左腕が消失している。
「覚悟の上です。御覧の通り、俺は暴走する属性効果に耐えきれず、消滅する。……それでも、一分ほどの猶予はあるでしょう」
死を目前にして、戒斗は不敵に笑う。
だが自爆攻撃を受ける不山からすれば、堪ったものではない。
「ふざけるな、オレは貴様の自殺を見学に来たのでは無いッ、結果として敵が死ぬのだとしても、自分が勝ち残らなければ無価値だろうッ」
「残念ながら、そちらの都合で生きているわけでは無いので」
「貴様の目的はどうしたッ、このまま死ねば、この学園に来た理由が果たせまいッ」
「別に構いません」
淡々と答えながら、戒斗は開いた距離を詰める為に踏み出す。
その一歩で、四メートルあった距離はゼロと化した。
「二人、いえ三人に助けられて気付きました。俺がそうしなくても、きっと彼ら誰かを救ってくれると」
そう言いながら戒斗は右足を突き出して、ギロチンの如く不山の首を狙う。
無論、不山の左腕は健在だ。
だがその脅威は最早、機能していないと戒斗は判断したのだろう。
――誤算である。
「嘗めるな」
不山は、死神のような左手によって戒斗の攻撃を遮る。
いかに弱体化しても、依然として『戦闘』の属性能力者は健在だったのだ。
さらにいえば、手の平で受け止められた事は戒斗にとって致命的であった。
「まずは一本」
地響きのような声の後、紙くずを握り潰したように戒斗の足は圧縮する。
つまり機動力にして、最大の武器が一瞬にして灰燼と化した。
そして当然、不山が攻撃の手を緩めるはずも無い。
「これで終わりだ」
ズブリ、と。
ゼロ距離で突き出される不山の左手は、易々と戒斗の身体を貫いた。
それは心臓を穿つ、文字通りの致命傷。
いかに強化を重ねても、弱点そのものを作り出す能力には耐えられない。
「ごふっ」
せり上がってきた血液を撒き散らしながら、戒斗は沈むように地面に落ちた。
かろうじて残った左足など、何の支えにもならない。
もはや動力源である心臓が消失した以上、戒斗の勝利は無いのである。
「……相性が悪かったな。自己犠牲の、自己満足。お前の命運はココに尽きた」
「――はい。そしてこのまま『お前を倒す』。ソレだけで良い」
「?!」
不山が殺気を感じた時には、完全に勝敗が付いていた。
ソレは、血の詰まった袋が破裂する音。
まず最初に自覚したのは、自分の身体が動かなくなっていること。
次に理解できたことは、自分の胸から何かが飛び出てきたということ。
いや、何かという曖昧な言葉は不適切だ。
不山には見えずとも、己に食い込むソレの正体に気付いていた。
「……誰が予想できるものか。まさかオレの、右手を利用するとは」
そう。
不山の背中、その心臓に位置する場所には、戒斗に引き千切られた右手が突き刺さっている。
「我が事ながら本体から離れてもなお『致命傷』を与える効果があったとは驚きだ。しかし、そんな事はどうでも良い」
忌々しげに睨む不山の視界には、相変わらず両手の無い戒斗が映る。
無論、辺り一帯は戒斗と不山以外の気配など無い。
だからこそ問題は、それがどうやって不山の身体を貫いたかと言う事だった。
「ぐっ」
食いしばった不山の口元から、果実が落ちるように赤い滴が地面に染みる。
……その足元を見れば。
「有り得ん。この現象は」
戒斗の影が、異様に長くなっている事に気付いた。
不山は正体と原因に辿り着き、信じられないと呻く。
「貴様、自身の持つ属性能力の制限さえ上回ったというのか」
――制限。
不山の認識では、戒斗は敵対した相手でなくては『最強』という能力は発揮できないはずだった。
だが不山の右手を回収して背後に忍び寄るなど、走也が持つ『移動』の能力以外に出来るはずも無い。
「それとも、あの三人を敵として認識でもしたか」
もし未だに、能力制限がかかっているとするならば。
つまりそれは、戒斗がクラスメイトを敵として認識したのだ。
……しかしその意見を聞いた戒斗は、ゆっくりと微笑んだ。
「それは貴方の勘違いだ。俺に能力の制限なんて、ない。ただ、出来ることなら彼らの能力をこんな事に使いたくなかっただけ」
「――――」
不山の呼吸が止まる。
それは不山の生涯一度だけの、虚を突かれるという感情だった。
「その顔、自分の判断に余程の自信があったようですね。でも、だからこそこの状況が作れた」
「なに?」
「強いからこその油断と慢心。それが貴方にとっての致命傷だった」
「ふざけるなッ」
激高した不山が、叩き付けるように左腕をなぎ払う。
吹き飛ぶ勢いと血という名の潤滑油で、戒斗の身体は滑るように不山の腕から抜け落ちた。
投げ捨てられるようにドサリと地面に倒れ、起き上がることは無い。
自分でさえ制御のままならない、限界を超えた身体を維持できる力は戒斗に残されていない。回復手段があっても、回復する為のエネルギーが尽きている。
身体の中心に出来た空洞は、もう元には戻らない。
だというのに、当の本人は達成感に満ちた顔で満天の夜空を見た。
「あぁ。これはこれで悪くない、満足できる成果でした」
――それが、戒斗にとっての最後の言葉となった。
むしろ、ここまで活動できたことこそが奇跡だった。
致命的な傷を負えば、死に至るのは当然なのだから。
そしてそれは、不山とて例外では無い。
「……こうなって、ようやく悔いるとは。扇川の忠告を聞いておけば良かったか」
乱れる呼吸を抑えながら、壊死寸前の左手で自分の右手を抜き取った。
今更、そんなことをしたところで意味は無い。
自分の能力は不山が一番、理解できている。
ただ、気に食わないモノを取り除きたかったのだ。
「認められるか、こんな敗北など」
文句を吐いたところで、この結果も残りの寿命も変わらない。
死を目前にして、不山は不愉快な顔のまま目を瞑る。
「次こそは必勝を目指す。次こそは」
掠れ声で呟くと、不山は眠るように意識を失った。
そして、音の無い空間が夜を支配する。
勝者の無い、相打ち。
それが二人の戦いにおける結末であり、戒斗の望んだ決着だった。




