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勝敗とは

 ――端的に言えば、戒斗の頭蓋骨は陥没していた。 

 どんな強者でも触れれば致命傷を負わせる能力を持つ不山の拳は、ものの見事に戒斗の額に当たり、その効果通りに敵を瀕死の重傷に追いやっている。

 まるで石榴が弾けたよう。

 そのままであれば十秒、あと少し衝撃を加えれば一秒後に死んでも不思議ではない。

 ……なのに。


「往生際が悪いぞ、敗北者」


 興奮する闘牛が擬人化したような憤怒の不山が、死にかけの敵を睨む。

 ……戒斗の頭蓋骨は割れて、湧き水のように溢れ出る流血の量は致命傷だろう。

 まさに虫の息。

 それでも生きていること自体が気に食わないとばかりに、不山は食い込んだ拳を抜き取り、油のようにギトギトの血液を付着させたまま再び攻撃を振るった。

 今度は心臓。

 躊躇いのない接近戦での攻撃は、僅か一秒にも満たず戒斗の胸へと到達する。

 ドゴン、と。

 まるで丸太を打ち付けるような衝撃で、戒斗の身体はくの字に折れ曲がった。

 ……しかし。


「……認めましょう。俺は貴方達を侮っていた」


 カニのようにブクブクと血の泡を出しながら戒斗は語る。

 頭蓋骨乾物、肋骨粉砕、心臓破裂、出血多量。

 死人と言っても過言ではない状態ながら、戒斗は生命活動を維持していた。


「……効果範囲をさらに広げたな。致命傷から回復できる属性など居なかった筈だが、校内に居る能力者の効果を全て上回れば、延命できたか」


 必殺の一撃を無下にされた不快感を我慢して、不山は相手の状態をそう分析する。

 無論、答え合わせなど求めてはいない。

強いて言うなら、ゾンビを見るような顔で戒斗に驚くクラスメイトへ説明したようなものだった。


「はぁ? つまり、どういうことだよ」

「……戒斗くんは比較対象が多ければ多いほど、強くなるって事ッス。ここは学園から離れているけど、遠いわけじゃない。能力者が密集している学園まで効果範囲が伸びるのなら、今の戒斗くんは生徒全ての属性能力値を上回っている訳です」

「ほう。それで?」

「今の戒斗くんは、致命傷を負っても死なないくらい強くなったって事ッスよ」

「おいおいおい。そんな真似が出来るなら、なんで最初からしなかったんだ?」

「おそらく、リスクや代償があるからッスね。単純な話、属性能力は無制限じゃない。強い効果を使うほど、能力は枯渇するですよ」


 そう口にしながら愛香は右手でクルクルと武器を回転させ、左手で的場の肩に触れる。

 ――途端。

 細長い縄跳びのようだった的場の炎が、車一台なら丸呑みできる一本のトンネルかと錯覚するまでに巨大化した。


「……へぇ、そいつは良い。じゃあ今のコイツは、あの時の伊達と同じ状況。つまり奥の手を使ったジリ貧ってやつなのか」


 周囲に気を遣って上空へ炎を移動させつつ、的場の視線は戒斗を射貫いている。

 ……その炎を護衛するように、十以上の雷球がクルクルと浮遊し始めた。


「ポジティブっすねぇ。自分と的場っちの攻撃は無効化されて、不山くん一人じゃ殺しきれない状況なのに」

「でもこれだけのダメージだ。だったら三人同時の最大火力、連係攻撃なら吼城を倒せるだろうが」

「断言できれば苦労しないッス。これは戒斗くんの属性能力が枯渇するか、自分たちの属性能力が尽きるかの勝負なので」

「つまり、どういう事だ?」

「……このまま徹底的な消耗戦。つまり的場っちの意見を採用するッス」


 会話をしている間にも、愛香は雷球の数を二十まで増やして戦況を整えている。

 ……万が一は逃走用に使おうと考えながら、愛香はサンドバッグのように戒斗を殴り始めた不山にチラリと視線を向ける。


「不山くん。貴方にとっては不本意かも知れないッスけど、この状況は協力プレイが重要なので、空気を読んでください」

「……もとより、ゴミの掃除を独り占めする趣味はない。参戦自体に反対する気があったのなら、とっくに貴様達を潰しているだろう?」


 自分を助けようとする仲間に、猛獣は殺意と戦意を添えて微笑む。

 強者を倒す事こそ目的とする男は、目の前に居る戒斗よりも、属性能力を回復させたクラスメイトに貪欲な欲望を向けていた。


「それは結構。利害と目的が一致しているなら、これ以上の信頼はないので。んじゃまぁタイミングは不山くんに合わせるッスよ、的場っち」

「あぁ、良く分からんが。わかった」

「――――」


 彼らのやり取りは、戒斗には壊れたラジオのような雑音にしか聞こえない。

 しかし、それでも。

 生死の境を彷徨っている筈なのに、戒斗は三人の敵に対して羨望を抱いた。

  ……その、仲間と一緒に戦えるという状況。

 一人で全てを解決しようとしていた戒斗からすれば、彼らの戦い方は手に入らない夢のようなモノだった。

 敵のはずなのに、いや敵だからこそ彼らの情景は戒斗にとっては辛い。

 ――今から、それを壊す羽目になるのは。

 ほんの少し、このまま死んでやっても良いかと思える程には、苦痛を伴っている。

 しかし。


「……負けるわけには行きません。俺にも、仲間が待っています」


 炎天下に晒された雪よりも儚いその言葉は、しかし明確な引き金だった。

 全力、全開。

 己の意思を真実に変えるべく、戒斗の属性能力は問答無用の『最強』を示す。


「さぁ、これより制限無し、本気の戦いを始めましょう」


 ――ザワリ、と。

 もはや漆黒となった森の空気が、一瞬にして静寂から狂乱へと変わった。

 まるで、肉と骨で出来た歯車が回転し始めたかのような異音。

 何よりも驚嘆すべき事は、それら全てが戒斗の皮膚や内臓から、次々と響き渡っていることだろう。


「ぬっ」


 不穏な気配を感じて、不山の足は自然に後退する。

 その一秒にも満たない間に、戒斗の身体は変形した。

 肋骨、頭蓋骨、心臓、その他諸々の負傷は急速な機能の回復を完了したのだ。


「は?」


 愛香が、白昼夢を疑うように戒斗の姿を凝視する。

 だがいくら目を擦ってみても、戒斗が完全に無傷の状態で立っていることには変わりなかった。


「笑えん冗談だ、元に戻してやろう」


 殺意しか込めていない不山の殴打が、遠慮無く戒斗の顔を吹き飛ばす。

 不山の能力は健在で、当たり前のように戒斗へ致命傷を与える。

 だが、ある意味でソレは無効化された。

 戒斗の顔にめり込んでいた鉄拳は、肉体を修復する力に押し上げられて、頬を撫でるように滑り落ちたのだ。


「……他力本願め。今度は誰の力にすがりついた。この回復力が貴様自身の能力であったのなら、喜んで迎え討つ。しかし、これだけの奇跡を持つ者は他に居る。貴様は掠め取るだけの簒奪者だ。そんなクズが最強を名乗るなど、恥と知れ」


 不山は親の敵を見るように戒斗を睨む。 

 しかし戒斗は視線を合わせずに、不山の腹部に蹴りを入れた。


「――――」


 不山の呼吸が止まる。

 戒斗の爪先は、ナイフのような鋭さで不山の心臓を突き上げていた。

 その威力は、鋼の鎧に出さえ穴を開けるだろう。

 ゆえに、強化した肉体を持つ不山といえども息が詰まる程度のダメージはあった。

 だが、そこからの二撃目。


「ぐうっ、肉体の強化か。猿まね、をッ」


 呻く不山の背中には、戒斗の肘鉄が杭のように打ち付けられた。

 無論、その程度で不山は倒れ込まない。

 ソレを見越して、戒斗は電光石火で三撃目を実行に移す。

 不山の脇腹を巻き込んでの、回し蹴り。


「ぐ、うおぉぉぉぉ」


 遠心力によって不山はビリヤードの玉のような吹き飛び方で、木に叩き付けられた。

 その間、僅か五秒。


「――――」


 その五秒間で、勝利を夢見る浮かれた空気は完全に凍結している。

 一連の動作を流れるような速さで実行した戒斗に、連続して信じられない光景を見せつけられた愛香と的場は対処できずにいた。

 ……しかしそれも、追撃を仕掛けようと戒斗の足が動けば話は別である。


「ま、待って」


 必死な愛香の声であっても、耳を貸す道理は戒斗にない。

 しかし、カチカチと震えながらも両手を広げて進路を塞がれてしまえば、話は別だ。


「驚きました、こんな献身的な行動に出るなんて。貴方は利己主義だと思っていたのに」


 感心したように足を止める戒斗は、一つ勘違いをしている。

 愛香は別に不山を助けたいのではなく、ただ質問があるから呼び止めただけなのだ。


「どうして。どうして、傷が治るッスか。あの学園には、回復能力を持つ人間なんて居ません。致命傷からの急速な復活とか、どんな能力を上回った結果なんです?」

「回復能力者は居ない。貴方がソレを言いますか」

「ういうい、どうせあの時の言葉が自分の嘘だって知ってるッスよね。そんなことよりも致命傷を負って、何事もないように治癒できる能力なんて、少なくとも自分は一つしか知らない。だから教えてください、貴方はどんな属性能力を上回って、その結果を得たんです?」


 まるで、寒波に晒された子犬のように愛香は身体を震わせる。

 だがその震えは、怯えではない。

 恥辱に晒され、それを理性で抑えるような沸騰寸前の怒りだ。


「……そんな疑問を口にしながらも、感付いているからこその殺意でしょう。ですが明確な答えが欲しいというなら対価として応えます。えぇ、貴方の想像の通りです。この結果は、貴方の能力を活用して得たモノだ」

「――――」


 その答えを聞いても、愛香は人形のように反応しない。

 ただ、主人の意志に従う雷撃が戒斗を襲う。

 十を超える紫電は、しかし戒斗に害を為すことなく風船のように次々と破裂した。

 愛香にとっても、それは判りきっていた結果ではある。

 だが納得できない結論に、どうしても反撃してみたくなったのだ。


「……なんて、笑えない冗談。戒斗くんの『最強』って、相手の能力値を上回るだけじゃなくって、繰り上がった状態の能力までを使用できるって事ッスか」

「そうです。そして、こうなった状態の今なら判る。なるほど。これは回復でも強化でもない。貴方の属性は『対価』だ。自分が認めた対価さえ失えば、望む報酬を得られる能力ですか。どちらか一方しか使用できないはずの『風針と雷針』の能力を両方使えていたのは、等価交換していただけなんですね」

「……最低、最悪。偽装工作をして、勘違いさせる為にソレっぽい動作して隠してきた能力が、こんなあっさりと見破られるッスか」


 努力が水の泡となった事を悟り、愛香は消沈しながら両手を下げた。

 だが、その身体は依然として戒斗の進路を妨害している。


「戒斗くん。対価は何を支払ったッスか。ソレだけの傷を治すのに、何を失ったですか」

「自分の寿命です」

「……なるほど。怖い人」


 さらりと語る戒斗に愛香は戦慄した。

 瀕死の重傷を一瞬で治す奇跡の代償は、おそらく戒斗の人生の半分を奪っても足りないはずだ。

 ……逆に言えば。

 今の戒斗を倒すには人生の半分以上を賭けねば、もはや敵わないのと同義だった。

だが。


「だったら、人生の半分以上を費やせば戒斗くんにも届くッスね?」

「――――」


 まるで、難問を解いたような達成感のある声。

 その言葉を聞いた瞬間、戒斗の第六感が告げた。

 愛香を倒せ、と。

 しかし、もう遅い。

 戒斗の攻撃が届くよりも速く、周囲は雷雲でもあるかのように放電する紫の輝きに支配された。


「今なら不山くんの気持ち、理解できるッス。産まれた時から慣れ親しんだ能力が、こうもあっさりと抜かれるって、こんなに不愉快だなんて思わなかったッ」 


 愛香の咆哮によって出現した雷球は収束し合い、もはや人体が痺れる程度の雷撃ではなく、大木さえ消滅させる雷電と化す。

 ソレが、何の躊躇もなく戒斗の身体を貫いた。


「っ」


 至近距離からの、高熱エネルギー被弾。

 普通ならば人体が消し炭になる威力を、戒斗は呻いて蹌踉めく程度で済ませる。

 だが、愛香はその様子を見て勝利を確信した。


「やっぱり最強だからって、何でも攻撃を無効化出来るわけじゃないッスよね。気の遠くなる話だけれど。ゼロに近いダメージでも、何回も重ねていけばラスボスだって倒せるってことなので」


 ほぼ無傷の強敵に対して安堵の溜息を吐きながら、愛香は第二陣を放つ。

 さらには、渦巻く炎が上空から降り注ぎ、雷針ごと戒斗を焼却する。


「一人で突っ走るなよ。僕も手伝うに決まってるだろう?」

「……あぁ、存在を忘れてました」

「おいおい、僕が居ないと勝ち目無いだろうが」

「そうでした。たとえ微力であっても、これは消耗戦。ただし今度こそ採算度外視、ソッチが本気ならコッチは死力を尽くしての大盤振る舞いなので、少しでも可能性を引き上げないとッ」

「――大盤振る舞いか。それはもちろん、俺も参加して良いのだろうな?」

 奮起する愛香の背後から、野獣の唸りより低い声が忍び寄る。

 その全く闘志を失っていない野生に、愛香は振り返らないままコクリと頷く。


「当然、協力プレイッス。力を合わせて、みんなで最強の敵を倒しましょう」


 いかに三人の力を合わせたところで、最強という存在は崩れない。

 ……だが、それも決して長くは持たない。

 そう言う意味では、勝負の行方はグラグラと左右に揺れていた。

 しかし、勝敗という天秤は必ず傾くのだ。

 もちろん、重い方に。

 そしてその重さは、強さではなく。

 戦える仲間の数によって決まるのである。

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