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結末への始まり

 ……三分後。

 戒斗は人気の無い廊下を、一人コツコツと歩いていた。

 夕方近くではあるが、足元は既に闇色に染まりつつある。

 山中の校舎は木々などの遮蔽物に囲まれ、太陽の光は昼での栄華を失っているのだ。

 ……しかも何の意味があるのか、廊下の電灯さえ付いていない。

 そんな視界の悪さに文句一つ言わず、戒斗は周囲を警戒して目的の相手を探す。

 とはいえ今のところ、誰かと接触したことはない。

 それを偶然だと、戒斗は思わなかった。

 故に『誰かの気配』を感じた場合、きっとそれは仕組まれていたに違いないと確信しながら先に進む。

 そして、その瞬間は訪れた。

 室内の電灯が消え、深海のように静かな無人の教室に踏み入れる直前。

 その足が、ゆっくりとブレーキをかけたように止まる。

 ……と同時に、まるで泉が湧いたように白い靄が戒斗の足元から溢れ出た。

 温泉の湯気というよりも、雨が降った後の霧に近いだろう。

 それはあっという間に濃くなって、大気の温度を下げながら戒斗の体温を奪う。


「コレはさすがに予想外です。まさか、貴方が俺の前に出てくるなんて」


 春の陽気を殺されて、白い息を吐く戒斗は室内に潜んでいた相手を見る。

 そこには、白衣を身に纏った冷たい視線を浴びせる男が居た。


「……碓氷先生」


 ――そう、碓氷 涼夏だ。

 一年Bクラスの担任にして、教え子達に戒斗の打倒を強制した男である。

 そんな男が、まるで久しぶりに会った友人に接するように、戒斗に語りかけた。


「おいおい。せっかく育ての親と再会したというのに、随分と辛気くさい顔だな」


 ……育ての親。

 施設で育てられた筈の戒斗は、しかしその言葉を否定しないまま会話を続ける。 


「昔話をする気はありません。重要なのは、貴方がココで待ち伏せていた事だけだ」

「……ふむ。用事があるなら早く済ませろと?」

「はい。俺は不山の行方を探すのに忙しい。養うことはせず、戦い方ばかり教育していた教師の相手をする義理も時間もありません」


 戒斗からすれば嘘偽りのない本音をぶつけたつもり、だった。

 しかし碓氷は、反抗期を迎えた息子を見るような顔で肩をすくめる。


「なるほど、では単刀直入だ。不山の居場所を教える代わりに、ボクの出す交換条件を受け入れろ、戒斗」


 距離があるにも係わらず、握手を求めるように片手を差し出す碓氷。

 そんな歩み寄りの要求を珍しく嫌悪感丸出しで無視しながら、戒斗は吐き捨てるように呟いた。


「……道理で見つからないわけだ。貴方が匿っていたんですか」

「睨むなよ。経緯はともかく、お前は目的が果たせれば問題ないだろう? 誰にも邪魔されず戦える場所も用意したんだから、感謝して欲しいくらいさ」

「まったく準備の良い事だ。教え子を倒される事に抵抗はないんですね」

「何を言ってるんだい。どっちが負けても、ボクの教え子が勝利する事に違いはない」

「――止めろ。あんなのと、一緒にするな」


 刃物の鋭さを持った、絶対的な拒絶。

 戒斗と碓氷の関係性と比例するように、周囲の気温がさらに冷え込む。

 その性で感情まで凍ってしまった戒斗は、機械みたいな無表情さで口を開いた。


「……貴方に人間性を期待する方が馬鹿でした。それで、交換条件とは何ですか?」 

「簡単な話だ。不山の居場所まで、二人ほど道案内を付ける。その同行を許可しろ」

「……その二人とは、俺の後ろにいる人達ですか?」


 ネタを知っているマジックを見るような表情で、戒斗は背中を振り返る。

 薄墨色の廊下には不機嫌そうな的場と、居心地の悪そうな愛香が立っていた。


「ども、よろしくッス」

「お前と一緒に歩くなんて不本意だが、僕も不山に用がある。僕の邪魔をしなければ同行することを我慢してやるよ」

「……不思議ですね、貴方達は不山に何の用事があると言うんですか?」


 戒斗からすれば、的場と愛香は自己中と利己主義に染まった人物である。

 そんな二人がメリットもないのに、不山と係わろうとするのは不可解と思えた。


「――そりゃ、仲間の為に決まってるだろ」

「え?」

「意外そうな顔をするなよ。お前は憎く思ってるようだけど、僕達にとって不山はクラスメイトなんだ。心配して何が悪い?」

「……むっ」


 踏ん反り返って主張する的場に、戒斗は不満そうにしながらも反論しなかった。

 敵対する相手の言葉を共感できてしまう自分に、複雑な気持ちを抱く。

 そんな戒斗の様子を見て、碓氷は愉快そうに喉を鳴らした。


「クックッ、否定できないか。まぁ、そりゃそうだ。メリットがないというなら戒斗の行動こそ無益に過ぎる。だってレクリエーションは中止になって、結果的にはAクラスの勝利でもある。このままいけば、お前の将来も安泰だ。わざわざ危険を冒してまで不山を倒す理由はない。もしあるとすれば、それは的場と同じ理由なんだろう?」

「…………」

「沈黙は肯定と一緒だよ、戒斗」


 もし視線で人が殺せるなら碓氷は死んでいたであろう、と言うほどの憎しみを込めて戒斗は嘲笑う教師を睨み付けた。

 しかし憎悪を受ける当の本人は、室内の温度よりも涼しげに語る。


「くだらんなぁ、戒斗。お前に仲間は必要ない。最強という属性は孤独の力だ。仲間という足枷など要らんだろう? 今からでも遅くない、全てを敵に回せよ戒斗。そうしなければ不山に勝てる見込みは無いぞ?」

「うるさい。黙れ」

「かつての同僚でさえ足手まといだと感じていただろう? 大した実力もない学生では、仲間と言うよりペットのような保護対象でしかなかったんじゃないか?」

「――何も知らないくせに。判ったような素振りで喋るなッ」


 碓氷の言葉が挑発に聞こえるほど、戒斗の精神は乱れていた。

 まるで思い出の宝箱を泥で汚されたような気分だ。

 もとより碓氷は、属性能力を発動させている臨戦態勢である。

 あと一言、碓氷が戒斗に話しかければ、きっとハサミで糸を切るより簡単に殺し合いの幕が下りるだろう。

 そんな一触即発の不穏な空気を、誰よりも嫌ったのは愛香であった。


「いやぁ戒斗くん、わりと短気だったッスか。けれどまさか、ここで無意味な喧嘩するほど馬鹿じゃないですよね?」


 さらに、鼻で嗤うような仕草を付け加える。

 馬鹿にした口調で喋る愛香の態度こそ、正真正銘の挑発だった。

 ただしそれは、戒斗の心から尽きかけていた理性に対してのモノ。

 おかげで戒斗の怒りは、碓氷ではなく己を見失いかけた自分へと向かう。


「……そうですね。真冬の中、水をかけられた気分です。指摘されて気付くなんて、我ながら情けない。チャンスとトラップを同時に与えられた性で、どうやら思った以上に混乱していたみたいです」


 具合が悪そうに顔を俯ける戒斗を見て、逆に愛香は安堵した。

 戒斗の弱気な態度に、先程までなかった人間らしさを感じ取れたからだ。


「まぁ、この状況に動揺しているのはお互い様ッスよ。まさか碓氷先生と戒斗くんが昔ながらの知り合いだったとか、初耳ですし? 仲間を巻き込んだ不山くんの大暴れっぷりにも参っている最中の衝撃的事実に、悲鳴を上げずに済んだ自分を褒めたいくらい」

「……ちょっと待ってください。仲間を巻き込んだ? 彼らは走也にやられたわけじゃないんですか?」

「ういうい。怪我人が多かった原因ですよ。不山くんって戦いの最中に興奮しすぎて、CクラスとBクラスの人間にまで危害を加えちゃったもんですから恨まれてるッス。まぁソレの謝罪とかさせる為に自分たちとしては本人の回収をしたいわけです、はい」

「……まさかアレが、素直に頭を下げるタイプだと思っているんですか」

「馬鹿か。思ってるわけ無いだろう。力尽くで説得させるに決まってる」


 愛香に対しての質問を、舌打ちしながら勝手に答える的場。

 戒斗と愛香は、あえて何の反応も示さないまま会話を続けた。


「クラスメイトへの暴力行為とか、最低の裏切りッスからね。でもだからこそ、同じクラスメイトの自分たちがケジメ付けさせる訳なので」

「メリットなんて、何もないのに?」

「メリットがないから見捨てるって合理的ッスけど、それを実行してしまえば今後のBクラスは利益優先、不合理な事は受け入れない無情な集団に成り下がるって事なので。ここから三年間、自分が困った状況に陥っても利益がなければ、助けてくれないクラスメイトと過ごすのは、嫌ですし」

「なるほど」

「いやいや。なるほど、じゃねぇよ。いったい、いつまで喋っていたら気が済むんだ。いい加減、僕達と一緒に不山に会いに行くのかどうか、決めろよな」


 苛立ちながら足踏みする的場は我慢の限界で、戒斗にとっては頃合いだった。


「……もちろん貴方達と一緒に同行しますよ。意図はどうあれ、その動機は尊重すべきモノです」

「――おお素晴らしい、交渉成立だ。いやぁ、良かった。ここまで舞台を整えた甲斐があったよ」


 両手を叩き、まるで他人事のように喝采する碓氷を尻目に、戒斗は肌寒い教室から仄暗い廊下へと足を踏み出した。

 ……そして、まるで忘れ物を思い出したように一言だけ呟く。


「碓氷先生、貴方は何が目的なんですか」

「そんなものは決まっている。裏切り者の粛正だ。優等生だった筈の君が、ボクの期待を捨てて、ゴミの命を拾った。それがじつに許せないんだよ」

「粛正というなら、なんで俺を殺さないんですか」

「命を殺すのは簡単だ。だから、ボクは君の心を壊したいのさ」

「……想像以上につまらない理由でしたね。じゃあ、行きましょうか」


 もはや背後の相手に向ける感情は無かった。

 ……ただ、静かに舞台を整えたと口走った碓氷の言葉を反芻する。

 ここまでの筋書き、配役、その全ての台本を書き上げたのは間違いなく碓氷だ。

 そして一連の流れが全て仕組まれていたのなら、きっとこの先に待つのは不山だけではなく、戒斗の破滅に追いやる罠がある事も理解している。

 それでも戒斗の足は迷うことなく止まらない。

 この原動力が復讐心なのか、正義感なのかは戒斗自身も判らなかった。

 ただ一つ確実なのは、不山と出会うことで戦いが始まるという事だ。

 勝利するか敗北するか。そのどちらにせよ、きっと大切な何かを失うだろう。

 ……そんな予感が、戒斗の胸を焦がすように燻っていた。

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