守りたい人
――雪原のような純白に染まった医療室。
そこで、優衣は両腕を包帯に包まれてベッドに横たわっていた。
「……戒斗。走也は無事だった?」
病室にやって来た戒斗に対しての第一声が、ソレだった。
静かな言葉には僅かな震えが含まれていて、その顔は曇っている。
だから戒斗は、平気な顔をして嘘を吐いた。
「心配するほどの問題はありません。おそらく、優衣さんより早く退院できるかと」
「……そう。戒斗は嘘が下手だね」
「すみません。ですが死ぬ程の怪我でないのは確かです」
「鈍感。嬉しくない気遣い。だいたい死なれたら、余計に困る。守られた借りが返せないから」
仕方なさそうに苦笑して、優衣は天井を眺める。
それは風景を見ているのではなく、過去の出来事を思い出す行為だ。
「……助言。あの不山とか言う男、わたしや走也よりも属性能力が高い。あいつが手を抜いてなければ、わたしはAクラスじゃなくてBクラスだった」
「――――」
心臓に針を刺されたような苦痛で、戒斗の呼吸が止まる。
優衣ではなく、不山がクラスメイトだったらという想像は、ソレだけで戒斗の心臓が押し潰れそうな不快感を与えた。
「……それは、戦いに負けたからという判断ですか? しかし相手は『戦闘』という属性持ちです。相手の得意分野だっただけ、ですよ」
「じゃあ暴露する。わたしの『束縛』は、わたし以外には認識できない赤い糸で相手を縛る。その糸が不山には熱で溶けるバターみたいに解けた。わたしより低い属性能力者だったら、そんな現象は起きない」
私情を挟まない淡々とした説明をして、天井から戒斗に視線を戻す優衣。
しかし両者の視線は絡まない。
彼女の視界に映る少年は、乾いた布から水を絞り出すような必死さで、暴れ出しそうになる自分に耐えていた。
「……だったら。なんで、その現象が起きた時に負けを認めなかったんですか」
「駄目。戒斗を裏切ることになる」
「なんですか、それ。笑えません。俺の為にこんな怪我をされちゃ、逆に困りますよ。たとえ、貴方達が敵になったとしても俺は恨みませんよッ」
自己嫌悪に押し潰されそうになりながら、ぎりぎりの理性で本心を伝える戒斗。
いつも平然で、マイペースで、取り乱したことがない戒斗の初めて、弱音。
だからこそ、優衣は安心したように微笑んだ。
「そうだね。だって戒斗は全て自分で解決しようとする、ヒーローみたいな生き方をしてるもの。本当は、わたし達が必要ないって、知ってるよ」
「――――」
その言葉に、戒斗の身体は完全に石化した。
必死に隠していた自分の秘密を暴露されたショックに、精神が麻痺する。
そんな呆然とする戒斗を眺めながら、優衣は寂しそうに微笑む。
「でもね。仲良くなっても、守る相手としか見ていない。私達が自分を助けてくれるなんて、期待していない。それが、とても悔しかった」
「…………」
戒斗からの反論はない。
優衣の言い分が、紛れもない図星だからだ。
戒斗は今までの自分の行動や言動を、まるで本を読み直すように思い返す。
……あぁ、やっぱり自分は彼らに頼ったことなど無い。
孤独に慣れていた性で、自分が助けて貰えるという事が理解できないのだ。
野良猫がすぐ人に懐かないように、戒斗の心は優衣達ほど開かれていなかった。
守りたい人達ではある、しかし守って欲しいとは思わない。
期待なんてしていなかった。
戒斗は、自分に救いは無いと知っている。
――今まで誰にも助けて貰えなかった少年にとって、それは真実なのだ。
だから戒斗は、自虐的に笑って呟いた。
「そこまで判っていたなら、なおさら俺なんか見捨てれば良いのに」
「我が侭ね。『クラスメイトとしてよろしくお願いします』って最初に言ったのは戒斗なのに」
それは戒斗でさえ忘れていた言葉だった。
確かにほんの少し希望が混じっていたけれど、所詮ただの社交辞令の範囲で大した意味なんて、ない。
腕を折られても守るべき価値なんて、無い。
なのに優衣は大事な思い出を語るように、笑った。
「よろしく、なんて人に言われたのは初めてだったから。嬉しかった。だから報いたいと思ったの」
「……そんなの、馬鹿じゃないですか。ろくでもないヤツの言葉に応えても、報われる訳がないのに」
「いいえ。わたしは幸せだわ。だって、ぼっちだったわたしが人を助けたいと思って、それを後悔していないから。結果は散々だったけど、悪くない気分」
「……走也といい、止めてくださいよ。なんで俺なんかに拘るんですか」
「簡単。貴方がわたしの、大切になったから。戒斗を囲んで、みんなで食べた料理は美味しかった。楽しい思い出。この楽しい生活を守りたい。戒斗が学園に居られる可能性を少しでも伸ばしたい」
戦いに負けて、両腕が折れてベッドに横たわる優衣が、優しい未来を夢見る。
その光景が余りにも眩しくて、戒斗は床に目を背けるしかなかった。
不山を倒す事しか考えていなかった自分が、惨めに思えた。
「戒斗。わたしはまだ、戦えるよ。仲間の為に、まだ戦える」
「――――」
その言葉がトドメだった。
ついに戒斗は耐えきれなくなって病室を出る。
優衣の純真な気持ちに、戒斗は報えなかったから。
戦うことしか知らなかった戒斗に、人の心はどんな学問より難しすぎた。
だからせめて、自分の得意分野で報いたかったのだ。
……しかし。
そのまま不山を見つけ出す為に走り出したかったが、ソレは叶わない。
ドアを閉めた先には、沙夜が腕を組んで待機していた。
「随分と苦しそうな顔ね、戒斗くん。保護対象だと侮っていた相手から、致命傷を与えられた感じかしら?」
「……聞いていたんですか」
「聞かなくても判るわ。言葉にやられたのなら、すぐに判る。ちなみに、私だって戦えるわよ?」
健康であることをアピールするように、沙夜は胸を反らして戒斗を見る。
堂々とした振る舞いに怯えはなく、仮に不山と対峙したところで彼女は一歩も引かないだろう。
そして頼もしいからこそ、戒斗は沙夜に頭を下げた。
「……いえ。沙耶さんはここで、優衣さんや走也を守ってください」
「ふぅん、また自分だけで解決する気? 仲間は要らない?」
「違います。置き去りにしたいんじゃない。俺が探している間、隠れている不山が再び二人を襲いかかってきてくる可能性が怖いんです。……お願いします。あの二人にこそ、沙夜さんの協力が必要なんです」
束の間の沈黙。
ソレを破ったのは、仕方なさそうに溜息を吐く沙夜だった。
「うん、嫌。って言いたいけれどね。わかってる、今回は優衣や走也の側に居ることにするわ。戒斗くんも大切だけど、あの二人だって同じくらい大好きだから」
「ありがとうございます」
「うん、任された。だから、そんな安心したような顔しないでよ。ぎりぎりまで悩んでいた私としては、複雑な気持ちなんだから」
照れくさそうに拗ねながら、沙夜は戒斗に道を譲る。
途端、戒斗は様々な視線が自分に集中するのを自覚した。
様子を窺っていた同級生達だ。
怯えた視線、恨むような眼差し、縋るような目付き。
彼らは『まるで言葉を奪われたかのよう』に沈黙するが、その代わり感情だけで訴えているのだ。
――この状況を救って欲しいと。
戒斗は突き刺さる感情に晒されながら、この息苦しい濁流に先程まで耐えていた相手が居ることを思い出す。
「あぁ、そうか」
そこで、ようやく戒斗は自覚した。
三人を守るつもりでいたが、実のところ三人に守られていた事を。
「もう俺は、独りじゃなかったんですね」
全てを敵に回してでも自分の願いを叶えようとしていた少年は、もう居ない。
仲間を信頼し、彼らの為に堂々と前進し続ける姿は、まるでヒーローのようだった。




