憧れた相手
戒斗が現場に辿り着いた時には、事態は全て終着していた。
瓦礫まみれの荒廃した廊下、職員に運ばれる怪我をした生徒、現場で報告と連絡を繰り返す人集り、といった風景はまるで紛争地帯を思わせるほど悲惨なものだった。
「うわぁ、エグい光景ッスねぇ。自分、血とか苦手なんですけど」
後ろで他人事のような声を漏らす愛香を無視して、戒斗は迷い無く奥へと進む。
……引っ張られるような歩みがピタリと止まった先は廊下の突き当たり、とある空き教室のドア付近だ。
そこには、ズタボロの雑巾を思わせる人形が倒れ込んでいた。
手足は千切れているかのように垂れ下がり、背中を壁に寄り掛からせないと今にも倒れそうな粗大ゴミのような人形に、戒斗は
「走也」
と呟いた。
その一言に、全身傷だらけの顔が、弱く震えながら上を向く。
「すまん、負けた」
陽光で明らかになった走也の顔は、頬も腫れ上がって片目は潰れている。
誰が見ても、早急な治療が必要な瀕死状態だ。
しかし戒斗は、まるで何事もなかったような口調で走也に語りかける。
「……優衣さんはどこですか?」
「安心しろ、俺より先に医務室へ運ばれた。俺がここに居るのは、お前と話がしたかったからだよ」
「なんでしょう。走也を、ここまで痛めつけた犯人の居場所でも教えてくれるんですか?」
そう言い放つ戒斗の声は真剣で、表情はクルミのように硬かった。
対して走也は、強ばる戒斗を解すように優しく囁く。
「……いいや。じつはさ、俺はハザード・チルドレンなんだ。それを嫌われるかと思って黙っていた。だから、そんな隠し事を謝りたかったんだ」
「そう、ですか」
「……驚かないんだな」
「えぇ。保護者の居ない強い能力者が、民間の施設で過ごせる訳がありませんから」
つまり、出会った頃から戒斗は知っていたのだ。
知っていたのに、戒斗は走也にとって理想的な態度でいてくれた。
自分の心配事が杞憂に終わった事に、走也は安堵の溜息を吐く。
「あぁ、そうか。初めから、ばれていたか。さすがは風紀院のエリートだな」
「……俺からも質問しても良いですか、走也」
「構わんが、短い内容で頼む。頭の血が足りないから、難しい話は理解できん」
「なんで、風紀院に来たんですか?」
「え?」
「ここに来なければ、貴方は平和だったのに」
ほんの少し、沈黙の間が出来た。
意表を突いてきた質問に、しかし走也は懐かしむような表情で、遠くを見つめながら語り始める。
「憧れていた奴が居たんだ。会ったことはない、噂でしか知らないヤツだけどな。そいつは風紀院の癖に、俺達みたいな犯罪者を時折、助けてくれるらしい。何のメリットもないのに『戦って倒すよりは、見逃す方が平和で良い』みたいな感じでさ。まぁ、軽微な犯罪者に限られていたけどな」
自分の平和主義の原点を口にして、照れくさそうに笑う走也。
その様子を見て、戒斗は無意識に拳を握り込んだ。
「風紀院は軽微な犯罪者でも容赦しません。見逃せる数なんて、大して居なかったでしょう」
「……それでも、何の助けも期待できない俺たちにとっては、ちょっとしたヒーローだったんだ」
「……過去形、ですか」
「あぁ。風紀院のエリートから、犯罪者になったんだと。俺はソレが納得できなくて、風紀院って所は一体、どんな世界なのかと気になってな。色々と調べる内に、風紀院の方から入学してみないかと声が掛かったって訳さ」
「……なるほど。走也は馬鹿ですね」
「そうか。俺は、馬鹿か」
「えぇ、ただの憧れで風紀院に入るなんて、きっと後悔するに決まってます」
「――いいや。それだけは無いんだよ、戒斗」
きっぱりと断言する走也。
身体はボロボロで今にも倒れそうな状態なのに、その一言には、この場に居る誰よりも強い意志が込められていた。
「会いたいヤツには会えたんだ。そんでもって、やっぱりソイツはヒーローだったよ。だから風紀院に入って後悔なんて有り得ないんだ」
そう言って、満足そうに目を瞑る走也。
その表情を見て、戒斗は自分を切り裂いてしまいたいほどの怒りに震える。
きっと、満身創痍の身体は元には戻らない。
なのに憧れた相手に会っただけで、その癒えない傷さえ良しとするのか。
その痛ましい姿に、とうとう戒斗は耐えきれずに声を張り上げた。
「……やっぱり馬鹿ですよ、走也はッ。そいつがヒーローな訳がない、仲間を助けられないヒーローなんて、居て良いはずがないッ」
「違うさ。違うんだ、助けられなかったのは、俺達の方なんだよ、戒斗」
「なんですか、それは。どういう意味なんですか、走也」
「…………」
そこから先の言葉は、続かない。
まるで眠るように、走也は意識を失っていた。
「……愛香さん、走也の傷を治す事は出来ますか?」
静かに呟く戒斗が、背後を振り返る。
そこには、両手をブンブンと振って拒否する愛香が居た。
「うっ。無理ッス。ここまで重傷の人間を元に戻すなんて、一体どれだけの対価が必要だと思っているですか」
「……対価。それは愛香さんの能力に係わるモノですか?」
「企業秘密ッスよ。なんにせよ、ここまで酷いと自分には治療できないので」
「判りました、もう良いです」
そこまで聞くと戒斗は走也を抱き上げて歩き出した。
……と、ちょうど戒斗達に追いついた沙夜が息を切らせながら近付いてくる。
「ちょっと、大丈夫なの走也くんッ。なんで、医療室に連れて行かれてないのッ」
走也の容態に青ざめて慌てる沙夜に対し、戒斗は驚くほど冷静に答える。
ただし、その声には感情はなかった。
「単純にハザード・チルドレンを治療する優先順位が低いんです。けれどまぁ、命に別状はないですよ。沙耶さんの属性能力が回復すれば、何とかなる筈です」
「……待って。ハザード・チルドレンって、走也がそうだって言うの?」
眉をひそめる沙夜。
戒斗は一瞬だけ目を見開き、その後は努めて平静な声で質問をした。
「沙耶さんは、嫌ですか」
「まさか。それだけの理由で、同級生を放置する環境にはイラッときてるのよ」
そう呟いて、走也よりも軽い怪我で手当を受ける人達を睨み付ける。
「……きっと彼らも被害者でしょう。当たるのは酷というモノです」
そう周囲をフォローする戒斗を見て、愛香は内心で呆れてしまった。
ここに来るまで戒斗は沙夜より酷い眼差しで、怪我人や制止する職員を恐怖させていた事を知っているからだ。
「では、このまま走也を医務室に運んで、優衣さんの様子を見に行きましょう」
有言実行。
その足取りは、人を担いでいるとは思えないくらい快活に進む。
なし崩しで着いて来た愛香には、その不安の無さが不思議でしょうがない。
「戒斗さん、この状況を作り出した原因とか知りたくないッスか」
「調べなくても判ります。走也を倒せる相手は、Aクラスを除いて貴方と一人くらいしか居ないので」
「……んじゃ、ソイツの居場所とか気にならないッスか」
「ここは陸の孤島ですから、校内に潜んでいるのは明白です。走也と優衣さんの無事を確立させたら、すぐに捜索します」
「……捜索して、見つけたら、どうするッスか」
ほんの少し怯えの入った愛香の質問に、戒斗の足が止まる。
その瞬間、愛香は自分が虎の尾を踏んでしまった事に気付いた。
だが愛香が後悔してもしなくても、その未来は変わらない。
愛香の前に立つ虎は、ここに来る前から獲物を見定めていたのだ。
「もちろん、敵として倒します」
そう語る戒斗の声には、紛れもない殺意が込められていた。




