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敗北(後編)

「――――」 


 優衣の意識が真っ白に染まる。

 筋肉と神経がグチャグチャに変形したという激痛に、理性が思考の停止を求めた。

 ……だが。


「負け、るかッ」


 優衣の自尊心は、歯を食いしばって耐える。

 ここで抵抗しなければ、この危険人物が戒斗を襲いに行くだろう。

 自然に溢れていく涙を拭き取ることも出来ず、それでも優衣は潤んだ瞳で不山を睨み付けた。


「この程度の怪我、覚悟の上。なにより、まだわたしには左手があるッ」

「ほう。大した物だ。腕が折れても気力は折れないと? もはや無力であることには明白だというのに、実に無駄な精神力だ。……だが両腕が折れれば、それも潰えるか?」

「ッ」


 その一言に、優衣は怯えた。

 先程与えられた痛みと恐怖は未だに健在で、身体の震えも止まらない。

 あれ程の体験を繰り返されるのは、もはや拷問だ。

 ……しかし、それでも。


「わたしは負けない。たとえ腕が折られても、心は屈しない」

「……コチラに寝返るというなら、助けてやるぞ?」

「嘗めるな。折られた方が、マシ」

「――――」 


 その言葉に、不山の感情は沸騰するように沸き上がる。

 気弱な少女に過ぎない筈なのに、その心は戦士のように強靱だ。

 だからこその、歓喜。


「あぁ、じつに良い言葉だな。思わず、その覚悟を試したくなる」


 貪欲な表情で、優衣の左腕を乱暴に掴む。


「うッ」


 優衣の身体は恐怖で竦むが、口元は悔しげにギュッと結ばれる。

 悲鳴を上げない、降参しない、助けなんか求めない、という覚悟。

 ――バキッ、と。

 その代わりとばかりに、優衣の左腕の骨が軋み、砕けた音がした。


「……あ」


 きっと、痛みで精神がショートしたのだろう。

 糸が切れたように優衣の身体ががくん、と膝を折り、倒れた。

 その数秒間、周囲は無音に包まれる。

 あまりにもあっけない優衣の敗北に、今までそれに苦しんでいた生徒達は夢を見ているかのように呆然としていた。


「惜しいな。両腕の粉砕を耐えきれたのなら、俺も満足できただろうに」


 横たわる優衣を冷めた目で見ながら、おもむろに不山は片足を持ち上げた。

 まるで、象が足元のライオンを踏み潰すかのような仕草。

 そのつま先は、倒れた優衣の足元を向いている。


「まったく物足りんな。起きろ、抗え、でなければ今度は歩けなくなるぞ」


 急かすように語る不山の行動は、しかし猶予など無いし止まらない。

 三秒と経たずに、躊躇いもなく優衣の足を粉砕する。

 ……と、いう寸前で文字通りの横やりが入った。


「何の真似だ、これは」


 不山の足元には、一本の長槍が突き刺さっている。

 不山の、それこそ突き刺すような視線を向ける先には、負けじと不機嫌そうに睨み返す逆埼が居た。


「……ふざけるな。やりすぎだよ、お前。腕を折ったまでは見逃すけどさ、勝負が付いたのに追い打ちするのは、外道だろ」

「随分な口の利き方だな、有象無象。あのままでは負けていたという分際で、功労者たる俺に指図する気か?」

「よく言うよ、あたし達を囮にしてた癖に。功労者じゃなくて、一人で美味しいところをぶんどった簒奪者じゃないか」

「……くだらん。大して役に立たん連中を消費して何が悪い。風紀を保つと言ったところで弱肉強食の社会なのだ、任務の為に犠牲になる事くらい承知しろ」

「黙れよ、筋肉。あたしらを、使い捨ての道具みたいに言ってんじゃねえ」

「ふん、所詮はCクラスだろう。裏方ばかりで、戦いに適さぬ根性無し共め」

「あたしを、仲間を、侮辱するなっ」


 憤怒の顔を宿した逆埼は、左手から長剣を出現させて握りしめた。

 それを見て、不山は興味の無い映画を眺めるような顔で呟く。


「……止してくれ。吐き気がするほど弱い相手など、したくない」

「ハッ」


 よく言った、と笑う逆埼は剣を構えて不山に突撃を開始する。

 対峙する不山は、嫌悪感を露わにしながら優衣に向けていた片足を逆埼に使う。

 加速する鋭利な金属と、生身の足との衝突。

 その勝敗はガキン、という金属の破裂と共に一瞬で決着した。


「笑えねえ。人間じゃねぇのかよ、お前」

「……邪魔をした事は見逃してやる。ただし、次はない」


 そう言い捨てて、不山はあっさりと逆埼に背中を向ける。

 興味の対象は、あくまでも気絶している優衣だと言わんばかりに、近付いて蹴りの体勢を作った。

 だが、再び不山の行動は実行に移される事は無かった。

 ただし、それは逆埼の横やりではなく。


「――てめぇ、なにしてやがる」

「……ほう。的場との戦いを終えて、助勢に駆けつけたか」


 クルリと方向転換した不山の口元は、愉悦で釣り上がっている。

 もはや他の事など眼中にないほど、走也に釘付けだった。


「見たところ、破陣は負けたようだな。まぁそれは仕方ない。けど俺の目の前で、追い打ちみたいな真似するんじゃねぇよ」

「なるほど。このタイミングと位置からでは、ただの追い打ちにしか見えんのか」

「はぁ?」


 言葉の意図を掴めず首を捻る走也だが、不山の指摘は正しい。

 走也の周囲は、優衣との戦闘で倒れた生徒達によって、まともな移動が困難だ。

 ゆえに、走也の視界からでは『倒れた優衣と、それに近付く不山』という状態しか確認できずにいる。

 皮肉なことに、それが走也の理性をギリギリ保たせ、不山に会話の余地を与えてしまったのだ。


「まぁ安心しろ。初めから『拘束』との戦いは前座でしかない。これで、ようやく本命にありつけるのだからな」

「……本命? なんの事だ」

「対戦相手という意味だ、伊達。俺は以前から、倒すなら同類が良いと決めていた」

「……勝手な親近感はよせ。俺は、仲間を攻撃する趣味はねぇ」

「否定するな、匂いで判る。お前もハザード・チルドレンなのだろう?」

「――――」


 不山の台詞に、走也の身体は痺れたように揺れた。

 その瞬間だけは優衣の安否さえ忘れて、砂漠の中にオアシスを見つけたような顔で不山を見つめる。


「嘘だろ。お前も、なのか?」

「あぁ、そうだとも。だが、これ以上の言葉は要らん、続きは拳で語ろう」

「……馬鹿らしい、誰が素直に付き合うかよ」

「いいや。お前は間違いなく、俺を倒したがるはずだ」


 不山は歓迎するように両手を広げて、走也の攻撃に備えた。

 対抗するように、影が不山に向かって走る。

 敵意と怒気を含ませた黒い人型は、しかし不山ではなく優衣へと伸びた。


「ふん、救助を先に取るか」


 つまらなそうに吐き捨てる不山だが、あえてソレを見逃す。

 優衣を抱えて、走也の元に戻る影。

 その容態を確認した方が、きっと走也は全力で戦うと思ったからだ。


「おい、破陣」


 無事か、と聞く声は途切れた。

 優衣の状態を見て、走也の顔はかつて無いほど厳しく歪む。

 ……紺色の制服からでも判るほど、優衣の二つの袖は赤く滲んでいる。

 不山の行った暴力は、骨折どころか裂傷だったのだ。

 しかも間違いなく、一生を費やしても癒やしきれない重傷。

 その惨状を作り出した本人は、反省するどころか満足そうに微笑んだ。


「だから言っただろう? お前は俺と戦わずにいられなくなる、と」


 無言で固まる走也に対し、不山は急かすように踊り場から一階へと飛び降りる。

 ――瞬間、不山の影から十本以上の鉄骨が飛び出した。

 その強度と攻撃速度は人体を突き破るには充分な威力であり、不山にとっても不意打ちで防御など出来ずにいた。

 走也にとってみれば、殺意を乗せた攻撃。

 だが、それらは全て不山の身体を突き抜けることなく、折れ曲がる。


「……俺の影を取り込んだのか? 随分と面白い芸だが、この程度では、な」


 振り返ることもせず、何事もないように走也を見据える不山。

 しかしそれは走也にも言える事で、先程から優衣を見つめたまま動かない。

 影だけが、その意思を示すように空間を駆け巡る。

 刃物、電柱、拳銃、といった致命傷を与える為の凶器が、影から飛び出て絶え間なく不山を襲う。

 それでも不山は沈まない。

 破れた制服から露出する筋肉が、まるで鋼で出来ているかのように全て弾いてしまうのである。


「……イカレてやがる。どっちも、どっちだ」


 逃げ場のない紛争地帯となった廊下の隅で、逆埼は悪態を吐く。

 走也の攻撃は不山を傷付けることは出来なくても、その周囲を粉砕するには充分すぎる程の威力を持っている。

 近場に居た者達は飛び回る走也の影によって運び出されたものの、自力で安全な所まで動ける者はまだ多くないのだ。

 ……もはや、廊下は廃墟と化した。

 なのに走也は動かず、不山は歩かない。

 その理由を思い付いてしまったからこそ、逆埼は悪態を吐いたのだ。


「……つまり二人とも、まだ本気じゃないって訳だ」


 小さく呟く声には、圧倒的な格差の嘆きが含まれている。

 そんな独り言に答えを与えるように、まずは不山が口を開いた。


「伊達、物理的な攻撃は止せ。通常の武器や兵器など、俺の属性である『戦闘』の効果の前には用を成さない。的場の『火炎』の方が、まだ有効だぞ」

「――――」


 走也の反応はない。

 だが不山の言葉を境に、まるで磁石に吸い寄せられるように、影は走也へと収束していった。

 ……否。

 収束と言うよりは、吸収と集合だ。

 蠢く影は走也の身体を包み込み、漆黒で出来た人間を作り出す。

 それは的場の猛攻でさえ防ぎきった、走也の切り札の顕現である。

 あまりにも異質な敵対者の出で立ちを見て、不山は走也との距離を一歩、縮めた。


「ようやく、八つ当たりの気は済んだようだな」

「……八つ当たり?」


 影は静かに呟く。

 繊細なガラス細工を扱うように、ゆっくりと仲間を自分の背後へ移動させた。

 そこが一番、安全なのだと言外に伝えている。

 目線さえない漆黒の人型は、ようやく不山へと一歩、踏み出す。


「――これは復讐だ」


 そう言って、影は敵に向かって一直線に走った。

 平和に憧れた男が、修羅の道へ。

 何の迷いも無く、突き進んだ。

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