属性武器(後編)
先程と同様、銃で狙いを定めるように『風針と雷針』を沙夜に向ける。
……一方。
そんな我が身の危険であるにも係わらず、当の本人は相手の持つ武器にばかり執着していた。
「今度は雷針? そんなの、有り得ない。一人の能力者につき、どちらか一つの能力しか使えない。この条件は、覆らない筈なのにッ」
「……実際、覆ってないッス。自分はただ、切り替えてるだけなので」
答えに成っていない答え。
しかしソレが最後のサービスだったのか、愛香は今度こそ遠慮無しに鉄製スティックを振り下ろす。
紫電が大蛇の如く空間を走り、獲物へと食らい付く。
それで、決着は付いた。
――愛香の敗北という形で。
「……貴方の敵は、俺の筈ですが」
廊下に響く、冬の湖面を連想する静かな声。
その言葉を発した戒斗は、何時の間にか飛来した雷を手の平で押さえ込んでいた。
……否。
戒斗が指先の力を込めれば、電子の塊が徐々に縮んでいく。
「あー、そッスよね。属性能力が切れたのなら、効果も無くなるかぁ」
忘れ物を思い出したかのような喋りをする愛香に、戒斗は無反応だ。
そのままグシャッと握り拳を作ると、雷球は圧縮されて完全に無力化した。
……何て理不尽。
余りに酷い結末に我慢ならないのか、おもむろに敗者が口を開く。
「いやはや『最強』の属性って出鱈目ッスね、戒斗くん。防がれるのはまぁ仕方ないにしても、なにが最も強いって理屈で雷の速さに間に合ったのか。その効果範囲を、是非とも教えて貰いたいですよ」
沙夜を庇うように立つ戒斗に、仏頂面で悪態を吐く愛香。
しかし、それが彼女にとっての精一杯の抵抗でもあった。
両者の間は僅か数メートルで、この距離からの対抗手段を愛香は所持していない。
……せめて、誰か一人でも援軍が来てくれたのなら。
そんな希望に縋って絶望する前に、愛香は手にしていた『風針と雷針』を床にポイッと投げ捨て、両手を挙げた。
「いったい、何の真似ですか。愛香さん」
「……さすがに今の状態で、戒斗くんを相手に出来るとは思わないので」
つまり、勝負を放棄した。
三人の周囲が、様々な思惑でビリビリと痺れたように震える。
「うん? 私を散々いたぶった癖に、このまま棄権する気なのかしら」
「そうッスよ。勝ち目が無いのに泥仕合するわけ無いので。ねぇ、戒斗くん?」
そう言って猫なで声を出す愛香には、勝算があった。
……戒斗は極めて合理的な思考をしていて、さらに『自分の損害』は含まない。
的場と戦ったとき、怪我を負ったにも関わらず『チャイムが鳴った』という理由であっさりと見逃したことが何よりの証拠である。
つまるところ、負けを認めてしまえば愛香も見逃して貰えるという算段だ。
しかし。
「――もちろん、駄目に決まっています」
「へ?」
「沙耶さんを傷付けた代償は、必ず払って貰わないと」
それは今までの戒斗には不釣り合いな、報復という概念だ。
動揺する愛香に対し、首を振って拒否を表す戒斗は、静かに、短く、呟いた。
「俺にでも我慢できないことくらい、あるんですよ」
愛香だけでなく、沙夜でさえ目を丸くする。
戒斗は平静のようでいて、じつはキチンと怒っていた。
自分が傷付いても平然としていた癖に、友達を傷付けられて当たり前のように敵意を肯定するほどに。
戸惑う愛香と、氷のような戒斗の視線が絡み合う。
「――――」
瞬間、愛香は自分の腹部を庇うように押さえた。
咄嗟にそうしてしまうほど、相手の狙いが痛いと感じるほどに判ってしまった。
……最強の一撃が、自分を突き破ろうとしている。
ここにきて、愛香はあっさりと武器を放棄したことを後悔した。
実戦は、作戦みたいに理屈や計算じゃないと痛感する。
誰かを傷付ければ、親しい人が怪我をすれば、目の前の相手は全然、合理的じゃなくなるということを今になって理解した。
――コツン、と戒斗は足を前に出す。
沙夜を守るように自分の背中に隠して、迷い無く前に突き進む。
……静かなのに、生々しい怒りが愛香の心を焦がす。
その感情を正面からぶつけられて、愛香は初めて人を怖いと思った。
きっと、目算が甘かったのだ。
人数配置や襲撃という内容ではなく、誰かを倒すという意味の重さを、軽く考えすぎていた事が愛香の敗北だ。
だが今になって後悔しても、もう遅い。
敵は右の拳を握り込んで、今にも殴りかかろうとしている。
「うっ」
思わず呻いてしまった口を閉じたところで、恐怖による震えは止まらない。
それでも命乞いはしなかった。
同情や哀れみで、戒斗は躊躇わないだろう。
……沈黙していても、愛香をジッと見つめる視線がそう語っている。
因果応報。
自分自身が傷付いても、その言葉は意味を為さなかったのに。
なのに、その条件に仲間が入った途端コレだ。
……理不尽。
それは利己主義で計算高い愛香にとって、まさに敵だった。
出会ってたった一週間、それを短いくせにと笑えたら、どれだけ救われただろう。
知り合いが傷付けば悲しいし、傷付けられれば怒る。
それはとても自然なことで正しいと認める感情は、愛香にだってあるのだ。
――ぴたり、と戒斗の足が止まった距離は、その手が愛香の身体に届くほどに近い。
いや、このまますれば三秒後、きっちりと戒斗の拳が愛香の身体を壊すだろう。
せめて一瞬で終わって欲しいと思いながら、愛香はギュッと目を瞑る。
……だが。
「待って」
その言葉で、戒斗の足が止まる。
属性能力ではない、本来ならば止められる筈も無い一言。
それでも戒斗が振り向いたのは、それが今にも泣きそうな切実な声だったからだ。
「お願い、戒斗くん。邪魔しないで」
そう口にする沙夜の表情は、叱られて反省する子供のように、慚愧で歪んでいる。
だがそれは敗北よりも、戒斗を介入させてしまった恥の気持ちが大きい。
目算を誤ったと後悔した愛香のように、沙夜もまた相手を侮った事に自己嫌悪しているのだ。
だからこその嘆願。
沙夜に取ってみれば、それは名誉の挽回なのである。
「次は必ず勝つわ。だから、あの子に攻撃しないで」
「……万全な状態でも負けたのに、ですか?」
「相手を侮って、怪我をしたのは私の責任ということ。自分の失敗を、貴方に譲るわけには行かないの」
戦いを邪魔した上で負けて、なお譲らないという沙夜の主張は、戒斗にしてみれば我が侭と言える。
――だが、その我が侭は自分にも身に覚えがある物だ。
「……なるほど。今なら、走也の気持ちがわかります」
仲間の為に行動したいのに、その本人から否定される辛さ。
だが愛香にしてみれば、沙夜の言葉はまさに渡りに船であった。
「さっきも言った通り、自分は負けを認めるッスよ。つまりチームとして戦う理由はなくなりますよね。個人的なリベンジだって、受け入れるっていうか、自分が五体満足じゃなきゃ果たせないと思うッスよ、マジでッ」
「…………」
必死に主張する愛香を戒斗は釘を刺すような視線で見るが、拳は動かない。
戒斗の心の天秤が、ユラユラと揺れている。
沙耶の為を思っての行動だからこそ、沙耶に否定されてしまっては動く前提が崩れてしまうのだ。
「戒斗くん、私を信用できないの?」
その言葉を聞いて、戒斗は何かを我慢するように目を瞑る。
四日前に、似たような言葉を走也に言った手前、無碍には出来ない。
……何より。
「――それとも、私を侮っているの?」
これがトドメの一撃だった。
……握り込まれた拳が、下がる。
「ふぅ。コレで、ようやく負けることができるッス」
安堵を吐きながら、愛香は胸元からペンダントを取り出す。
つまりBクラスの敗北と、Aクラスの勝利という幕切れ。
――は、無かった。
「緊急連絡だ。現在進行中のオリエンテーションは中止する。繰り返す、現在行われているオリエンテーションは中止だ。生徒諸君は直ちに全ての行動を中止せよ」
鋼鉄が喋ったような重厚な声の校内放送が、廊下に響き渡る。
青天の霹靂のような内容であったが、だからこそミシンで縫い付けたように耳に残って離れない。
「……うん、何コレ。絶好のタイミングで中止要請? Aクラスの勝利を邪魔する気なのかしら」
「いえ、それは無いと思います。風紀を守る組織である以上、結果には厳格です」
「その仮定が正しいのなら、本当に最悪のタイミングで、不測の事態が起きていると言う事ッスか?」
難しい顔をしたまま、戒斗は答えない。
しかしそんな愛香の疑問を受理したかのように、校内放送は続いた。
「現在、とある生徒の暴走により想定を上回る生徒が負傷する自体が発生した。以上の理由により、当校はこれより救護班及び職員による介入を開始する。生徒諸君は速やかに所属するクラスに帰還せよ。帰還の際は寄り道するな。決して、Aクラス専用校舎の二階エリアには立ち入ってはならない。これは厳命である」
ブチッ、というノイズ混じりの放送が終了した直後。
――戒斗は馬のように駆け走った。
必至な形相で、一目散に二階へと向かう。
「な、放送を聞いてなかったッスか。もしかして、押すなっていうボタンをポチっちゃう性格なんです?」
条件反射のように戒斗の背後を追いながら、愛香は叫ぶ。
その戸惑いに対して、戒斗の真面目な部分が答えた。
「立ち入り禁止の二階エリアという事は、優衣さんが足止めしていた所です。ですが優衣さんの属性能力上、想定外の怪我人が出る筈がありませんッ」
「それって、まさか」
……優衣以外の誰かが暴走して、怪我人を続出させた?
その考えに至った瞬間、沙夜の足も戒斗達と同じように廊下を走っていた。
だが属性能力以外は平均以下の体力しか無い沙夜は、二人の加速について行けない。
早くも息を切らして立ち止まりそうになるが、それでも歩みは止めなかった。
……それはきっと、虫の知らせというやつなのだ。
疾走する疲労以上に、緊張で心臓が締まるように痛くなる。
それでもバクバクと暴れる心音は、まるで悪い予感を知らせる警鐘のようだった。