属性武器(中編)
――たとえるなら、それは華炎。
火の粉が花弁のように散ってなお、それは見事な炎を咲かせていた。
短剣だった筈の刀身は出現した蒼い炎を纏い、レイピア状の細長い熱エネルギーへと姿を変える。
廊下の温度は明らかに上昇し、陽気な春に火山のような熱気が出現した。
「……それも属性道具ですか」
「うん。そして『風針と雷針』の兄弟なの」
まるで、自慢のおもちゃを見せびらかすような沙夜。
ソレとは対照的に、固められたように安定して燃え続ける剣を見て、愛香は顔を引きつらせながら語った。
「……自分も、それについて知ってるッスよ。この『風針と雷針』の同作者による最高傑作、『炎剣』。手にした人間の効果範囲によっては、辺り一面を火の海にさえ出来ると言われ、風紀院からは封印指定された伝説の属性付加武器ですよね」
「うん、今の私じゃそこまでの威力は出せないけど。貴方を倒すだけなら、この威力でも充分でしょう?」
「……まさか。物足りないにも程があるッ」
吠えるように声を上げながら、愛香は再び雷針の力を顕現させる。
ただし先程の一撃とは違い、今度は十を超える雷球だ。
――一つで失敗したのなら数を増やす。
そんな単純な改善であるが、馬鹿には出来ない。
「く、ごほ、ごほッ」
事実、沙夜は『言葉』を紡げずに喉を押さて咳き込んだ。
それはつまり、ここまでの威力なら言葉では対処できないのだ。
「能力に限界があるようで良かった。おかげで自分にも勝ち目が見えたッスよ」
安堵の溜息を出しながら愛香は『風針と雷針』をクルクルとバトンのように回す。
一回転する度に光玉の数は増え、あっという間に二十を超す紫電が愛香を守護するように浮遊し始める。
「……んじゃ、まぁ。反撃開始ッスよ」
そう言い放つと同時に愛香は地面を力強く踏むと、一気に走り出す。
――ただし。
それは沙夜にではなく、教室のドアに向かって。
ドゴォン、と言う大きな音を立てながら扉を蹴り倒し、廊下に出る愛香。
スカートを揺らして太ももを晒して、一目散に向かう先は教室から十メートル離れた地点である。
その場所に意味は無いが、沙夜と距離を取ったことには目的があった。
……沙夜も慌てて追いかけて廊下へと出ているが、もう遅い。
愛香はクルリと体勢を反転させて沙夜と対面すると、手に持っている『風針と雷針』を銃のように構えて放つ。
「――バァン」
可愛らしい号令は、しかし二十を超える雷撃の砲撃を意味する。
次々と飛来していく紫電は、狭い通路を駆け抜けて目標へと突進する。
その脅威に抵抗できる『言葉』は無い。
沙夜に出来ることなど、手にしている剣を振るうだけだろう。
……まぁ、とはいえ同じ属性武器である。
一つか二つなら対処も可能だろうと、愛香は踏んでいた。
だが、それでも暴力の数には勝てない。
もし沙夜に勝機があるならば、それは炎剣による至近距離からの攻撃のみ。
しかし、その可能性も愛香が距離を取ることで潰えた。
「は、勝ったッス」
勝利を確信して笑う愛香の視界に、剣を握り雷球に挑む沙夜の姿が映る。
……万が一を想定するが、沙夜の口元は結ばれていて言葉など発していない。
そして、炎剣が一つの紫電に触れた瞬間。
――轟音と共に、真昼よりも眩しい閃光の爆発が周囲を覆った。
サンダーボルトによる、ホワイトアウト。
こうなる事を予想していた愛香でさえ、思わず目を瞑るほどの輝きの奔流。
世界が白く染まる中、雷光だけがまるで水飛沫のように飛び散っていく。
……昼間に彩る電気の花火は、本物よりも早く終わりを告げる。
紫電が紫煙に代わり、浮遊する糸屑のような電気がパリパリと音を鳴らして消え去る頃には、愛香の視界も完全に機能を取り戻していた。
――ゆえに。
ソレを認識した瞬間、愛香の目は驚愕で見開く羽目となる。
「え?」
その短い呟きに、愛香の感情の全てが詰め込まれていた。
戸惑いと、動揺と衝撃。
愛香は有り得ないモノを見るように、眉を歪ませる。
「なんで、無事なんッスか」
――天井の蛍光灯や周囲の窓ガラスは弾け飛んで、廊下の床は溶けて壁も焦げているという大惨事にも係わらず、沙夜の身体には何の負傷も無かった。
「……さすがは『風針と雷針』の攻撃。防衛の『言葉』を紡いでいなければ、即死だった」
「馬鹿言うなッ、言葉なんて出していなかったッ」
「うん。私が無事なのは、貴方が来る前に予め呟いていた『言葉』のおかげ」
「――なっ」
「私の『言葉』の効果は、その場限りじゃないわ。条件さえ整えば、過去に呟いた『言葉』が返事をするように『今という時間』に応えてくれる」
「…………」
愛香の足下が、目眩を起こしたようにフラリと揺れた。
……想定以上に『言葉』による応用力が幅広い。
しかも、これでまだ序列二位。
戦っている相手の力量を考えるだけで、愛香の身体からは力が抜けて精神は折れそうになる。
……それでも倒れ込まなかったのは、未だ勝ち目を諦めていないからだ。
「――打ち壊せ、黄泉の門ッ」
愛香はクルクルと指先で『風針と雷針』を回転させながら、先程と同じように雷球を作り上げる。
……ただし、その数は五つだけだった。
先程より少ない戦力だが、愛香とて好きで無謀を行いたいのでは無い。
「うん、明かな戦力の低下ね。まぁ属性武器の効果は、使用者の能力値を消費するから当然なのだけれど。それにしたって、五つ程度じゃ悪足掻きにしか見えないわ」
「余裕な態度の解説、ご苦労様ッス。是非、このまま油断して欲しいですねぇ」
「嫌よ、こっちも本気だからね。『燃やし尽くせ、炎剣』」
――世界が赤く染まる。
沙夜の呟いた本気はその言葉通り、愛香を燃やし尽くせる火力をを顕現させた。
「――――ッ」
猛烈に上昇する気温とは反比例に、愛香の背筋がゾクゾクと寒気を感じる。
属性武器と『言葉』による二つ重ねの効果。
その威力は凄まじく、剣先から溢れ出る炎は扇のように広がり、使用者である沙夜の手首まで灼いていた。
だからこそ、愛香は本気で恐怖している。
それほどの代償を払ってでも、目の前の敵は自分を屠ろうとしているのだ。
「うん、さすがに長くは持たないかな。悪いけれど、コレを振り落として死んでも恨まないでね?」
自慢の黒髪が煤と化すのも厭わずに、沙夜は初めて愛香に向けて微笑んだ。
……これから死ぬ逝く者への、せめてもの手向けとして。
しかし生きたまま火葬される気など無い愛香からすれば、迷惑この上ない。
とはいえ。
「真正面からぶつかれば、消し炭さえ残りそうに無いッスねぇ、これ」
目の前に広がる脅威に対抗する手段を幾つ考えても、絶望しか湧かない。
せっかく出した五つの雷球も、その程度なら簡単に飲み込まれると確信できるほどに炎の勢いは強い。
何よりも恐ろしいのは、おそらく沙夜はこれでも炎剣の効果範囲を抑えていると言う事だろう。
ココが廊下という狭い戦場で無ければ、とっくに燃やされていたに違いない。
……そんな風に思っていても、愛香の頭の中には『降参』という二文字は浮かんでこなかった。
生死の境目だというのに、勝利を諦めずにチャンスだけを窺っている。
だからこそ。
「じゃあ、さよなら」
そう言って沙夜が炎剣を振り下ろした瞬間、愛香は全身全霊をかけて風船を割るように雷球を弾き飛ばした。
それは閃光の爆発だ。
全てを飲み込む炎には勝てずとも、沙夜の視界を奪うには充分すぎる程の。
「くっ」
目を細めた沙夜の動作がほんの少し鈍るが、ソレは僅かな停滞に過ぎない。
だが愛香に取ってみれば、待ちに待った千載一遇の隙に他ならなかった。
クルリ、と。
愛香は手に持っていた『風針と雷針』を反転させる。
――その瞬間。
「こはッ」
沙夜は吐血した。
と同時に、激痛に苛まれる。
自分の身体を見れば、右の脇腹に縫い針が貫通したような小さい風穴が空いていた。
「……嘘。これ、風針の能力?」
沙夜が信じられないモノを見るように呟く最中、体内に出来た空洞を埋めるように、傷口からドクドクと血が滲む。
……制服に広がる赤色の染みは、沙夜の属性能力の流出でもあった。
出血と比例するように『炎剣』の灯火は見る見るうちに勢いを無くしていく。
足下に血だまりが出来た頃、沙夜はガクッと膝を突いた。
生まれて初めて味わう苦しみに沙夜の顔は青ざめて、息も絶え絶えになっていく。
……その姿だけを見れば、沙夜は敗北者に他ならなかった。
しかしそれでも、愛香は勝利に浮かれるなどと言う油断などしない。
相手の序列二位という肩書きは、決して伊達ではない。
「……『出血の停止』、『損傷した肉体の復元』、『体力の回復』」
それは、まさしく魔法の言葉だった。
まるで録画した映像を逆再生するように、流れ出た沙夜の血液は自動的に体内へと回帰して、傷口は塞がる。
死人のような顔色は払拭され、床に沈んでいた身体も膝を伸ばして立ち上がるほどに回復した。
……ただし、全てが元通りという訳では無い。
沙夜が手にしていた炎剣の勢いは蝋燭のように小さく揺れて、間もなくフッと完全に消え去った。
ソレを意味することを察して、ようやく愛香は笑顔を作る。
「ふぅ、やれやれ。ようやく『属性能力』が枯渇したッスか」
「…………」
沙夜は無言で愛香を睨み付ける。
その瞳の闘志は未だに消えていない、だが反攻には転じなかった。
――そう。
炎剣の種火が消え去ったのは、沙夜の属性能力が限界を迎えたからだ。
手にした武器が短刀に戻ったように、現在の沙夜は無力な少女に過ぎない。
「まぁ自分も、あと一撃ぶつけるのが精々ッスけどね」
自虐的な乾いた声で、愛香は『風針と雷針』をクルリと回して雷球を出現させる。
……今にも消えそうな、たった一つの雷。
それでも、一人の少女を気絶させるくらいの威力はあるだろう。