走也VS的場(前編)
「――ではこれより、合同オリエンテーションを開始を告げる」
念仏を唱えるような傘垣の校内放送による通知を受けて、生徒達の鼓動と気力は水の入ったホースのように勢い良く脈打った。
特に、敗北のリベンジに燃える的場からすれば開始の言葉は、もはや神の啓示のようなものである。
「さぁいくぞ、お前らッ」
声をかけて走る的場と、その後に続くBクラスとCクラスの合同メンバー。
合計にして二十人の大所帯が向かう先は、Aクラス専用校舎だ。
さながら砦に攻め込む軍隊のような気分で進む的場達であったが、目的地の入り口に立ち塞がる影を見つけて足を止める。
「……やっぱり籠城だったね。少数の手勢だから、捜索の手間を考えて三チームに分けたけど、杞憂だったかな?」
「それは早計かも知れないぜ。もしかしたら、お前らを騙す為に俺が陣取っているだけかもな?」
そう語るのは、腕を組みながら的場達を出迎えていた走也だ。
互いの距離は十メートル。
通路とはいえど五人は足並みを揃えられる立地に居る的場達と、狭い入り口を背後に構える走也の状況は、いわゆる背水の陣を連想させた。
「やぁ、伊達。四日ぶりだねぇ、あの時に受けた礼はきっかりさせて貰うよ」
的場は湿気の籠もった声を漏らしながら、制服のポケットに両手を突っ込む。
そこから取り出したのは、透明な液体の入った二本のミニペットボトル。
……中身は、明らかに灯油だ。
そんな目星を溜息混じりに付けながら、走也は腰に手を当てて周囲を見回す。
「……あの不山とかいう奴はどうしたんだ?」
「さぁ知らないね。元々あいつは単独行動が好きだから、僕も把握してないよ。まぁ気にするなよ、伊達。ただでさえ二十対一ていう戦力差なんだ。たった一人に拘ってちゃ、たちまち怪我しちゃうよ?」
「……そうか。あいつが居ないのなら、悪い事は言わんから帰れ。勝てる状態ならまだしも、負けて痛い思いだけさせるのは忍びないからな」
「は?」
的場は自分の耳を疑った。
今、面倒くさそうに頭を掻いている目の前の男は、いったい何と言ったのか。
「……自分の心配じゃなくて、僕達の心配だと? まさかお前はエリートたる僕が、ここにいる精鋭達が、弱いとでも勘違いしているのか?」
「ああ、俺は嘘が苦手だ。だから言うが、お前達だけじゃ、ココは通れんぞ」
「――へえ、面白いね。それ」
クスッ、と口元を歪ませる的場の目は、しかし笑ってなどいなかった。
むしろ怒りで眉を曲げ、今にも飛びかかりたい闘争心を剥き出しにしている。
「なら、これで否定してやるよ、伊達ぇッ」
二つのボトルがロケットのように空中を走り、走也に向かって突き進む。
そして避ける気配のない走也の身体に触れた瞬間、爆散して燃え上がった。
炎は獣の唸り声のような轟音を出しながら空気を喰らい、走也を襲う。
それは肉が爛れ、肺の中まで火傷する超高温の暴力だ。
まともな生物であるならば、これだけで死ぬだろう。
――で、あるにも関わらず走也は無傷どころか、制服までもが燃えずに居る。
「……炎を喰らって平然とする吼城もお前も、人間を止めてるよね。くそくそ、Aクラスの連中は化け物しか居ないのかッ」
忌々しそうに走也を睨む的場。
その視線の先では、走也の影が主人を守るように長方形の板へと変化し、熱波を何処かへ『移動』させていた。
「その影が人型のままなら、僕にも勝機はあったのに。なんだ、それは。そこまで変形するなんて卑怯だぞッ」
「今更、だな。影そのものを移動させてるんだ。その時点で形状なんか固定化されていないに決まってる。ま、諦めろ。俺とお前じゃ相性が悪い」
「……相性が悪い? ふざけるなよ」
「ん、そんな事を言われてもな」
「嘗めるな、たった五文字で僕の実力を知った気になるなよ、この三流がッ」
激高する的場は、上着ポケットから一振りのナイフを取り出して、ダーツのように投げつける。
それを見て、走也はスッと冷めた視線で的場を睨んだ。
「……お前自身、その攻撃は直線しか出来ないって知ってるだろうに」
「は、この僕が何時までも同じレベルであると思うなッ」
「――――」
その的場の言葉を聞いた瞬間、走也の背筋がゾクリと凍る。
と同時に、疾走するナイフは待ち受ける影を避けるように。
軌道を、曲げた。
「なっ」
驚きに目を見開く走也は、慌てて影を移動させた。
だがナイフは再び影から逃げるように、進路を変える。
一回、二回、三回。
蛇を思わせる屈折した動きは四度目を以って、ようやく影に喰われた。
それを見届けて走也は安堵の溜息を吐く。
もし二本以上のナイフでコレをやられていたら、対応は極めて困難だったろう。
「……まさか、この状況で『繰作』の効果範囲が広がったのかよ」
静かに呟く走也だが、その顔からは脂汗が滲んでいた。
なにしろ的場がやって見せたことは、属性能力の成長だ。
つまり格上相手に逆転しえる王道の勝ち方、それを的場は体現して見せた。
……的場の言葉通り、嘗めてかかれば負けを見るのは走也に違いない。
「まったく勘弁して欲しいね、本気で戦うのは平和主義のやる事じゃないんだが」
「はん、驚くのはまだ早いんじゃないの?」
「なに?」
「おいおい忘れるなよ。今のお前は、多勢に無勢って状態なのを理解した方が良いッ」
――刹那、走也は脊髄を見えない鞭で叩かれた感覚に陥った。
いや、正確には痺れたのだ。
「……電撃、だとッ」
意識がショートして呂律さえ機能不全に陥る威力を浴びながら、走也は思考する。
さすがにこれは、的場ではなく第三者の仕業だ。
「おっと。先に忠告しておくよ、伊達。攻撃相手を詮索するのは良いが、無差別に攻撃するのは良くないぜ? この中には非戦闘員も居るからね。平和を好むなら、無力な奴を倒すなんて真似はしないで欲しい」
「……最低だ、お前」
だが効果は抜群だった。
そう聞いては、走也も無闇に攻撃を仕掛けられない。
平和主義者が無実の人間を傷付けるなど、笑い話にも成らないのだ。
「は、ポリシーに縛られて負けるなんて笑っちゃうよ、お前」
あっさりと思惑通りになった事を嘲りながら、的場は右手をスッと伸ばす。
おそらく、それが合図なのだろう。
走也の心臓に、先程と同じ雷撃が襲った。
「グッ」
と声を出して膝を折りそうになる走也を見て、さらに的場の背後から二人、刀や槍を持った人間が前に出てきて走り出す。
「いけいけ、このまま切り裂けッ」
的場の号令に呼応し、武器を携えた彼らは一斉に走也へと斬り掛かる。
点滅する意識を繋ぎ止め、戦いに集中する走也は、まずは槍を持った男子生徒に狙いを付けて影を伸ばす。
しかし走也の影が触れる前に、槍使いは姿を消した。
「ッ」
――おそらく、『透明』の属性使いが居るのだろう。
肝を冷やす走也だが、それでも槍を掠め取った手応えはあった。
それよりも。
「覚悟ッ」
と言って刀を振り下ろす女子生徒が『分身』してきた事の方が脅威だった。
凶器が二倍になったという危険に、走也の顔から冷や汗が落ちる。
どっちが本物で、どっちが偽物かという見分けなど、走也には判らない。
当たりを引いても槍使いと同様、また透明化でもされたらどう対処するべきか悩む走也の心から、ライターでジリジリと炙られるような焦りが生まれた。
……それでも対応する、するしかないのだ。
そうやって己に言い聞かせ、迎え撃とうとする走也の右足にズキン、という鋭い痛みが走る。
見れば、いつの間にかトゲ付きの鎖が、太ももから足首にかけて絡みついていた。
だがそれだけならば、何の脅威でもない。
走也の影を以てすれば、跡形もなく消え去る代物だ。
……しかし。
「ばかな、影で『移動』できない、だと?」
そう。
走也の足を縛る鎖は単純な物質ではなく、無効化できない『属性能力』なのだ。
……これが低位の属性であっても、高位の属性に対抗できると言う事。
そんな思考に囚われる走也に、再び電撃が襲う。
バチバチ、という弾けた音が脳内に響き、今度こそ意思が飛びかけた。
「……やべぇ。なにしてやがる、的場」
白色に霞む視界から見えるのは何処に隠し持っていたのか、また的場が透明なボトルを操作する情景だった。
それでも踏ん張ろうとした足から力が抜け、グラリと走也の身体が揺れた。
影を使役しようにも意識が保てず、逃げようにも凶悪な鎖が邪魔をする。
そこにザクン、という肉が切れる衝撃と激痛が走也を襲う。
――斬られた。
肩から胸までの袈裟懸け。
吹き出た血が霧吹きのように飛び散り、赤色のペンキを塗ったように壁に張り付く。
「ちッ、くそ」
それでも走也は、咄嗟に肩を手で押さえ付け、刀を影の中に『移動』させる。
しかし、そこまでが走也の限界だった。
「……あっ」
気が付けば、的場の投げたボトルが走也の胸元に触れている。
……すべては、この為の陽動だったのだ。
そうやって自分の失敗に気付いたものの、だからといって走也に出来ることは既になかった。
「ジ・エンドだ」
的場の宣告は影が届くよりも早く執行され、爆発した。
生まれた炎は花のように広がって、走也を包み込むように閉じる。
そこに逃げ場などある筈もなく、火炎は中に入った獲物を貪るように燃え盛る。
「ははは、どうだい伊達ぇ、仲間の連係プレイって奴の味はさぁッ」
勝利を確信した的場の顔は、今にも崩れそうな程に蕩けきっていた。
専用校舎の入り口ドアさえ耐えきれずに歪むほどの、柱状に燃え盛る炎。
……その紅蓮の中、ドサッと地面に倒れる人影がちらつく。
「ふふふ。けどまだまだ。まだまだ安心しないよ。おい、あれを持ってこいッ」
的場の言葉に応じて、サポート役の生徒達が慌てて手に持っている物を渡す。
……集まったのは、十本の包丁だった。
それらを的場の能力で『繰作』して、炎の中に飛び込ませる。
間もなくザクザク、と刃物が肉を刺す音が続く。
急所で無くても、ソレだけの凶器を身体に受ければ致命傷は免れない。
「……これでも、まだ足りないな。今度は予備の燃料を寄越せ」
予備の燃料入りのボトルを、炎の中に投げ込む。
瞬間、火柱の威力は一気に上昇して、人影の姿さえ消し去った。
おそらく、耐えきれなくなって弾け飛んだのだろう。
……その光景を見て、ようやく的場は笑みを浮かべた。




