敵として、よろしくお願いします
4月中に完結予定
――血だらけの少年が、空き缶を蹴るような気軽さで吹っ飛ばされる。
満月の光さえ殺す都会の夜、林のように並び立つビルの明かりを背景にして、とある食品工場は泥だまりのような人の血で汚れていた。
「――は、ゴミが。犯罪者の分際で、逃げようとしてんじゃねぇよ」
亀のように身を屈めてうずくまる少年の頭を踏みながら、統一感のある黒服を着た青年は上機嫌で言葉を続ける。
「罪状、缶詰の窃盗。判決、死刑。おいおい、こんなくだらねぇ事で命を捨てるってどんな気分だ、犯罪者? おらおら答えろよッ」
傷付けられた痛みで震える少年に、黒服の青年は脇腹を蹴って『言え』と命じる。
喋ろうにも全身打撲だらけで、そんな余裕がないと知りながら。
それでも黒服の青年はじつに手慣れた動作で、自分の体重と靴底を利用して少年の背中や指先をグリグリと踏みにじって言葉を促す。
少年は激痛で呻きながら、溢れ出る涙で顔を歪めながら、それでも必至に今ある気持ちを訴えた。
「……助けて、ください」
――死にたくない、と。
だが、その言葉が叶えられるとは少年自身も思っていない。
期待なんてしていない、絶望に染まった目で、今ある気持ちを告白したに過ぎない。
少年は、自分に救いは無いと知っている。
今まで誰にも助けて貰えなかった少年にとって、それは真実なのだ。
……だから。
だから、助けてしまったのだろう。
ただ黙って見過ごせず、同僚である青年の責め苦から少年を守ってしまった。
たとえ、それが悪と言われる行為であっても。
このまま犯罪者になってでも、後悔だけはしたくなかったのだ。
「――社会に害を為す悪と戦う為、死の覚悟を持って選ばれた諸君、入学おめでとう。当校で過ごす三年間、日々精進し常に成果を出し続けていくであろう君たちを職員一同、とても歓迎している」
そんな高圧的な台詞が、体育館全体に響き渡った。
時期は四月の入学式である。
入学生と職員、来賓が集められた体育館には紅白の垂れ幕が掲げられ、壇上の右端と左端は国旗と校章を飾り、教卓には花束が備えられている。見た目だけなら、至って平凡な式だ。しかし、その実情は平和的で儀礼的な入学式では断じて、ない。
「君たちも知っての通り、『中部風紀学園』は学業を優先しない。生徒諸君の本分は自身の持つ才能の向上であり、それ以外の要素は求めてもいないし期待もしていないのだ」
とても教育者とは思えない発言ばかりが飛び出てくる。
だが、それを批判する声はない。
校長を初めとした他の教職員達は制止する事もなく、生徒達に至っては胸を張って誇らしそうに聞き入っている者まで居た。
式の進行役である色黒の教師は、入学生達を見渡せる壇上で実験動物でも観察しているかのような冷たい視線で言葉を続ける。
「諸君らに求めるのは治安を守る風紀院の手足となること、それのみである。そして、だからこそ君たちの価値は特別だ。知能でもなく身体能力でもない、ただ己の内に秘めた属性だけで、中部地方全域から選抜されたのだから」
――中部地方全域。
しかし、入学式に参加している生徒は百に満たない、僅か六十四名である。
彼らと同年齢の子供は数万人を超えるというのに、この学校に入学できる資格はたったそれだけの、限られた才覚を持つ者だけなのだ。
「さて、そんな優秀な君達の中で最も才能が高かった生徒を紹介しよう。いわゆる新入生の挨拶というやつだ。立ちたまえ、吼城 戒斗」
「はい」
数十人の視線が一斉に、レーザーポイントのように一点に絞られる。
大衆の前で指名された緊張からか、少年はじわりと滲む手の汗を新品の黒いブレザーで拭い、落ち着きのない態度で辺りを見渡している。
……最優秀生徒であると評された割りに、頼もしさより頼りないイメージ。
それが同級生達による、戒斗の第一印象だった。
「さぁ吼城。君には生徒代表として壇上まで上がってきて欲しい」
「わかりました」
スムーズなやり取りは、あらかじめ予定されていたからだろう。
移動に手間取らないよう最前列に座っていた戒斗は、そのまま流れるように目的地まで駆け上がり、そして。
「――――」
壇上に辿り着くと同時、戒斗はまるで背中をハンマーで叩かれたような、息が詰まるという衝撃を味わった。
ソレの原因は、圧倒的なまでの『嫌悪』と『嫉妬』の感情だ。
中部地方全域から選ばれた入学生の中で、最も評価の高い生徒。
よほど素晴らしい能力に違いない、という妄信的な眼差しと、だからこそ邪魔な存在になるだろうという敵意が、同時に向けられている。
真面目な性格の戒斗にとっては身体を強ばらせる程の重圧だが、なおさら示さなければならない。
何故なら彼は生徒代表だ。
「……すぅ」
戒斗は大きく息を吸い込み、覚悟という気持ちを膨らませる。
今も続いている全校生徒の期待と悪意も、これからぶつけられる絶望と歓喜も、戒斗は全て受け止めると心に決めたのだ。
「初めまして。吼条 戒斗です。属性は『最強』。文字通り勝負ごとや比較では、誰にも負けない能力です。……無論、全ての項目でそうであるという訳ではありませんが。こと個人の能力戦では最強だと自負しています」
その言葉に館内は大きなどよめきで満たされ、決して少なくない数の生徒が、排斥の視線を戒斗に向ける。
……平均より少し優れている程度ならば、受け入れた。
しかし他者と比べて最も強い才能など、その他大勢にとっては邪魔なだけだ。
安定性のある組織ならば、特出した能力も強い個性も不要である。
むしろ『最強』という個性は、風紀を乱しかねない敵に近い。
そんな疑念と憎悪の感情が、遠慮無く戒斗の身体を刺し貫いていく。
選び抜かれた才能の集団だからこそ、最強という単語は善悪問わず彼らの胸を熱く焦がすのだ。
……そんな苛立ちと不快感がグツグツ煮えたぎる最中、壇上にいる教師は語る。
「聞いての通りだ。彼は間違いなく強く、我が校が誇る優秀な生徒だ。なにより吼城は諸君らの将来の職場『中部風紀院』ではなく、その上部組織たる『首都風紀院』の選抜部隊に所属していた経歴の持ち主だ。そう、出世頭の成人であっても配属の栄誉に預かる事は難しい、あの選抜部隊で吼城は最年少ホルダーだった。この意味は、諸君らもよく理解しているだろう?」
――首都風紀院。
それは地方支部の中部風紀院とは違い、国内に点在する全ての支部を直轄する総本部である。
しかも首都風紀院の『選抜部隊』と言えば、国家の有する最高武力集団との呼び声も高い、能力者達の頂点とも言える部署だ。
つまり、彼らの生徒代表は名実共に最強といっても過言ではない。
そんな相手の事情を知り、場内の気温は否応なく上昇していく。
――だが。
「そしてだからこそ我々教師陣は、生徒諸君に彼を『打倒』して欲しいと思っている」
シィン、と。
そんな台詞が放たれた瞬間、空気が氷で覆われたかのように冷たく固まる。
まぁ当然と言えば、当然の話。
普通、生徒の代表として壇上に立つ少年を選出した側が倒せという不可解さを、素直に飲み込めるはずも無い。
仮にもココは、風紀を守る為の学舎である。
最強という存在に内心は歓迎していなくとも、まさか危害を加えようとまでは思うはずも無かったのだ。
しかしそんな常識を教師は崩した。
むしろ、なにを遠慮するとばかりに追い打ちをかける。
「諸君、安心して欲しい。彼に遠慮も、親しみも抱く必要は無いのだ」
今度は動揺のざわめきが、波のように広がる。
その様子に口元を釣り上げながら、教師は言葉を続けた。
「むしろ彼を敵と認識し、倒すべき相手だと理解せよ。――何故なら」
壇上の教師は一度、台詞を切って間を開ける。
この後に口にする言葉が、重要な意味を持つと知っているからだ。
「彼は、能力犯罪者だ」
その声が彼ら生徒に耳に入った瞬間、誰かがヒッと悲鳴を上げた。
能力犯罪者。
……それは属性能力を使用し、この世の風紀を乱した者の名称だ。
「まぁ驚くのも無理はない。彼は間違いなく、能力犯罪者から風紀を守る為に入学してきた諸君にとっての敵だからな」
……そう。
治安を守る組織に入学した彼らにとっての、敵。
そんな敵が、生徒の代表として壇上に上がっているという現実に、生徒達は動揺を隠せない。
……戸惑う生徒を余所に、壇上に居る教師の話は続く。
「それも能力犯罪史においても、類を見ないほどの凶悪性を帯びている。なにしろ吼城は、任務中に同僚を攻撃して負傷させているのだからな」
「――――」
まるで大惨事のニュースを知ったかのように、生徒達の血の気が引いていく。
まだ一言しか語られていない戒斗の過去は、暖かい春の日差しで包まれていた筈の場内に冷たい空気を走らせた。
……風紀院の職員に対しての暴力は、一般的に重罪だ。
この世界において、風紀院に害を為す能力犯罪者に対しての扱いは、たとえ『死』でさえも生温いのである。
ゆえに。
「諸君らの思考は理解できる。なぜ吼城は五体満足のまま入学できたのか、だろう?」
……その言葉は決して大袈裟な表現では無い。
秩序を守る人材を育成する学園に、能力犯罪者が入学するという矛盾。
その矛盾によって生じる生徒達の戸惑いを、壇上の教師は不敵な笑顔で制した。
「単純に言えば、利用価値があった。死刑の代わりに諸君らの成長の為、吼城は生徒代表にして敵対者として諸君らに立ちはだかる。諸君らの生きた教材であることが、吼城の生存理由なのだ」
――そんな言葉、誰も納得する訳が無い。
同年代であるとは言え、百戦錬磨の経験者相手に、学生が挑むという衝撃。
体育館の中が混乱に包まれるのは、もはや必然だった。
しかし騒ぐのは入学生達だけで、来賓客と講師陣は落ち着き払っている。
――この様子を見て、直感の鋭い生徒はすぐさま気付いただろう。
当たり前なのだ。
戒斗を優秀な生徒だと決めたのは、彼ら大人達なのだから。
……つまり学生を除いた関係者にとっては、全てが織り込み済みだと言う事。
ゆえに学生達の間に広がる波紋など一切、考慮もされずに予定通り進行していく。
「さて、では吼城を攻撃する際に注意すべき事を伝えておこう。まず、攻撃しても構わない場所は校内の教室や廊下に限る。そして通常授業の間は、攻撃してはならない」
この言葉に安堵する者は少なかった。
攻撃しろ、と言いながら攻撃するチャンスが余りにも限られている。
「さらに言えば、吼城を打倒する為の猶予は二週間。それ以降の攻撃は認めない」
蓄積されていた混乱と動揺が、とうとう爆発する。
属性戦闘の玄人を学生が二週間で倒せ、というのは無謀を通り越して不可能にしか思えなかったのだ。
しかし噴出する騒音を教師は、まるで無風であるかのようにやり過ごした。
「では諸君。一刻も早く、生徒代表たる彼を倒して欲しい。この要請は決して強制では無いが、それが中部風紀学園の一員となった諸君らの、最初の評価項目だと思いたまえ」
そんな宣言と共に式を締めくくると、教師は壇上から降り、戒斗のみが残った。
徐々に増えてくる恐怖と敵意が視線となって自分に突き刺さるのを感じつつ、戒斗は覚悟を決めて言葉を発した。
「……そういう訳で今後は皆様の敵として、よろしくお願いします」
こうして、主人公は敵としての学園生活を送る事となった。