黄昏色の逆夢
……夢を、見た。昔の夢だ。
その中で俺は、スポーツバッグにありったけの荷物を詰め込んで、夜道を走っていた。辺りには名残の雪がちらつき、冷気が分厚いコートの隙間を縫って肌を貫く。
綿密な計画の末の行動であるつもりだが、これからどうなるのか、ちゃんとやっていけるのか、そんなことは俺にだって分からない。ただ、あの家には戻りたくなかった。
すべてを犠牲にしてでも、あいつらの支配下に置かれ続けるのだけは嫌だった。
家から最寄りの駅までは、歩いても十五分くらいだ。しかし肩にくい込む荷物のせいで、足取りは重い。もう何時間も、走った気がする。
それでもほどなくして、見慣れた景観の駅に着いた。……もう、この駅に来ることも、二度とないかもしれないな。
いや、感傷に浸っている場合じゃない。ここですべてを捨てなければ、俺は一生このままなんだぞ。
胸の内に去来する感慨を圧し殺し、切符を買う。
行き先は、じーちゃんばーちゃんのいる、海を挟んだ隣県だ。
階段を経由してホームに入り、そこのベンチに座って電車を待つ。しばらくすると、もう聞き飽きたメロディが聞こえ、遠くに電車の姿が見えてきた。
ベンチから腰を上げ、線路の方に近づいていった、その時。
「兄ちゃん」
どこか懐かしい声が、背後から聞こえた。
振り向くと、そこには学ランに身を包んだ男子が立っていた。そいつは、今まで見たこともないような穏やかな微笑を浮かべている。かえって不気味なくらいだ。
「……瞭、介」
どうしてここに、と言おうとしたが、言葉は次の瞭介の行動に打ち砕かれた。
瞭介は両手を前に出し、ものすごい力で俺を突き飛ばした。
後ろに倒れそうになり、二、三歩たたらを踏むと、左足が空を切った。内臓が浮くような気持ち悪い感触の中、ホームに入ってこようとする電車のライトが目映く光る。
スローモーションのような感覚の中、助けを求めるように、瞭介に手を伸ばす。しかし瞭介は微笑を醜く崩して、口角を裂けたように吊り上げる。
「逃げるなんて、許さないよ」
その言葉が、耳元で囁かれたように脳裏に焼きつく。
次の瞬間、体が引き千切れるような衝撃が走り、視界が赤で埋め尽くされた。
ああ、なんだか、夕焼けの中にいるみたいだな。
薄れゆく意識の中で、どこか他人事のようにそう思った。
◇
突如、子供がおもちゃ箱をひっくり返したような騒音が鼓膜を叩く。喉が引き千切れるような痛みが走る。驚いて目を見開くと、剥がれて宙を漂っていた意識が、無理やり体に押し込められた。
どうやらさっきの音は、自分が上げた悲鳴だったらしい。喉のひりつくような痛みが、それを何よりも物語っていた。
息が、うまく吸えない。酸素を渇望する金魚のように、はくはくと浅い呼吸を繰り返す。それと同時に何度か瞬きをしたが、滲んだ視界を完全に振り払うことはできなかった。
みっともなく震える肩を抱く。きつく、きつく目を閉じる。瞼の裏に、夢で見た白い閃光が、そしてそれに照らされた黄昏色が、浮かんでは消える。再度目を開けると、また視界が潤んだ。
溢れる涙を拭いながら、灼けつくように痛む声帯を震わせ、呟く。もう会うこともないだろう、弟の名前を。
「――――瞭介」
俺はあの日、すべてを捨てて逃げたんだ。いわば、あいつを生贄にして。
あいつの暗く蔑むような目が、今も俺を睨んでいる。
そんな気がした。