顧問の香田
健治は今度のひまわり苑での公演に向け、喜多川三郎のモノマネの猛特訓と細かい打ち合わせに負われる日々が続いていた。
今日、衣装スタッフ達に初めて衣装を着せてもらうことになった。
初めて着る着物。
お腹のあたりが苦しく、手も足も動きづらい。
これでモノマネするのか…
思うように息が吸えない。
本番、上手に歌えるんだろうか。少し不安になった。
「どう?気持ち入ってきた?」
山村がやってきて訊く。
「思いのほか、動きづらいですね。」
「慣れれば大丈夫よ。」
「そうっすかね…」
するとメイクスタッフが紙袋からパンチパーマのカツラを取り出し健治にかぶせた。
「これで橘君の喜多川三郎は完成したね。」
吉野が近づき、言う。
健治は鏡に映る自分の姿を見て、恥ずかしいくらいパンチパーマのカツラが似合っている自分がおかしくなった。
その姿のまま、健治は視聴覚室のカラオケで喜多川三郎の宴を歌った。
予想以上に気持ちがいい!
なりきって歌える!動きも目線も、イチイチ意識しなくても真似できる。
健治は初めて、衣装の重要さに気づいたのだった。
「おおお!橘君!腕上げたね!」
吉野が自分のことのように嬉しそうな声を出す。
そこへ由里子と池田がやってきた。
「健治君、モノマネ上手~~☆」
「橘ちゃん、すごいじゃん。」
二人は健治のモノマネの上達に感心していた。
すると
「へえ~、新人君、やるじゃんかぁ~」
と、聞き慣れない若い女の声がした。
この部活の顧問、香田だ。
健治はこの教員についてはよく知らなかった。
「香田先生!やっと来てくれたんですね。」
山村が言う。
「うん。料理部と掛け持ちだから、なかなか顔出せずにごめんね。この部は部長も副部長も本当しっかりしてるから任せっきりでさあ。まあでも話に聞いてた通り、順調そうじゃない?先生はこの部の顧問として、キミ達を誇りに思う。」
「先生?」
吉野が訊く。
「今日の先生の本当の目的は、僕たちの様子を見ることじゃないでしょ?」
「あ、バレた?」
「ストレス発散のため、今日はカラオケしたい気分なんでしょ?」
「やーだ吉野、『ストレス発散のため』なんて、なんでそこまで分かってるの~?」
「先生がここに顔出すときは、大概、なにか仕事で嫌なことがあったときですからね。」
「そうそう!今日マジ教頭にイラついてさ~、あ、これよそで言っちゃダメよ?ここだけの話ね。」
この教師はなんだか、ノリが軽い。
「でさ、いい?歌っていい?」
「いいですよ。パフォーマーの練習の邪魔にならない程度で。」
「やった~☆サンキュね~☆」
そう言うと香田は専用のカラオケ曲目本を手に取り、選曲を始めた。
「え~?何?何?先生歌うんですか~?」
「あー、香田ちゃん今日来てるんだねー☆」
「やったー!香田先生のカラオケだー!」
スタッフ部員達がぞくぞくと集まってきた。
なんだ?この人気ぶりは?
教師が一人カラオケで歌うだけで、こんなにも部員達が盛り上がるなんて。
「先生ー、リクエストしていい?あたし先生の『MOOSHIA』の『エブリィデイズ』聴きたいー!」
「あー!それそれ!俺も聞きたいっ!」
「ねー、先生、『エブリィデイズ』歌ってー!」
香田は言う。
「う~~~ん、そこまで言われたらなー。
今正直に言うと、気分的には『チョッカーズ』の『グラグラハートの子守唄』なんだけど。しょうがない。『エブリィデイズ』歌うかー。」
「やったー!」
部員達は嬉しそうだ。
曲が始まる。
静かな、美しい音楽の前奏。
さっきまでのノリの軽い教師はどこへやら。
香田の表情が変わった。安らかで、柔らかい微笑みを浮かべて歌いだす。
「『優しいあなたの~微笑が♪私の心を~♪』」
「!!」
健治は驚いた。香田がさっき喋っていたときの声とは比べものにならないほど、その歌声は天使のように透き通り、美しかった。
「ヒュ~~~~~☆」
「いいぞ~~~香田ちゃん!」
「よ!清楽のMOOSHIA!」
部員達は盛り上がる。
『ユア♪エブリィデイズ~♪マイ♪エブリィデイズ~♪かさねよう~♪』
サビでは圧倒的歌唱力に魅せられ、ここでは部員達は騒がずに、皆、聴き入っている。
「やばい、あたし、涙でそう。」
その歌声に感動した由里子は小さな声で池田に言う。由里子はこの曲が大好きなのだ。
「うん、すげえうまいな。」
池田も納得だ。
香田が歌い終わると、部員達から盛大な拍手が贈られた。
「はぁ~、ありがとう。いやぁ、ありがとう。仕事戻ります。」
香田はスッキリした顔をしている。
「え~、先生、もう行っちゃうの~?」
「もっと歌ってくださいよ~」
部員達は香田を引きとめようとする。
すると香田は
「だめだめ、明日の授業のプリント作らなきゃ。
アンタ達もオーディションとか公演とかの準備しなきゃでしょ?
お遊びはここまで。」
香田は視聴覚室を出て行った。
そうだ。健治は思い出した。
『マニアックすぎて伝わりづらいモノマネ』のオーディションが近いんだった。
まだネタも出来ていない。すっかり忘れていた。
こうしちゃ居られない。
健治は急に焦り始めた。