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華麗なる獣の復讐も兼ねた傍観生活  作者: 森坂草葉
10月の復讐は白狼と共に
15/30

vengeance:target orange final

やっとこさ更新!

オレンジ編も終了しましたー。さぁ、次は誰でしょうか。

私も決めてませんすみません!

 



「ちび、そんなとこにいないでこっち来い」


 サンサンの太陽のもとで手を広げる燈下(とうのした)委員長。

 髪はキラキラと輝いて、だけどどこか柔らかな光りだった。手招きをする手に向かって走り出した。

 傍らにいた(つぐ)兄さんは毛並みを風になびかせていて、白く内巻きになった毛並みがふわふわとしている。黒に近い譜兄さんの目が一瞬だけ光った。

 1歩、2歩近づいていくと、ぐっと引き寄せられた。41㎝の身長しかないとどうしても力が足りなくて、こうして簡単に持ち上げられてしまう。

 学園長だってそうだ。まるで重さのない物を持つみたいに、片手で持ち上げられた。

 あまりにも簡単に持ち上げられるから、学園長が怪力なのかと思ってしまった。

 ……ああ、そういえば、最近は学園長に会えてないなぁ。

 どうしてるんだろうな、と考えながら、燈下委員長の膝の上に乗せられた。やっぱり、撫でるのがうまい。さすが動物病院の息子、っていうところかな。

 まあ本人が犬好き、というよりは動物好きだからって言うのが強いからかもしれないけど。負担が無いように抱きかかえられながら、毛並みを梳くように指を入れられた。

 隣の譜兄さんは気にしないとでも言いたげに、大空を見上げている。


「まっさか、お前がこの譜の妹だったなんてなァ」

「わぅ」


 いきなり話始めた燈下委員長に驚いて、反射的に鳴き返してしまった。

 燈下委員長を見上げると、目を丸くして驚いていた。さらに隣にいる譜兄さんは苛立たし気で、尻尾で地面を強くたたいていたい。

 いや、誰だっていきなり話始められたら吃驚するでしょ。特に、こんなに近い距離で離してるんだからさ。


「……ほんと、マジで驚きだぜ。ま、それでも譜の妹ってことに変わりはねェ。よく見りゃあ毛の巻き具合とは同じだしな。っはは、やべェ可愛いわー」


 あ、同じですか? 同じですよねー。

 毛並みとか、長さは違うけど一緒の内巻きだし、色も大きさも違うんだけどね。目の形は亡くなった白狼母(おかあさん)と一緒なんだって。

 譜兄さんはあまり一緒くたにされるのは嫌みたいなんだけど、私はそういわれると嬉しい。だって、なんだかんだで私は譜兄さんが好きだから。

 どこが好きって、叱ってくれるところとかね。こう言うとまるでマゾヒストみたいだけど、別にそっちの趣味はこれっぽちもない。

 まあ好きな人だったら、ちょっとくらいはイイかなー、とは思うよ。まあ恋人なんて一回もできたことないし、結局失恋で終わってただろう恋だったから。


「ほんとーにかわいーなオマエ。譜なんて出逢ったときからデカかったからよ、こんなちっこいのには初めてあったぜ。譜の妹ってわかってても、こう、なんつーか、可愛いなオイ」


 プリケツ触らせろコラ、なんて茶化しながら言う燈下委員長。

 ……あの、その、なんていうか、キャラ違う気がするんですけど、委員長。

 私が知ってる委員長は、硬派で、頼れて、自信に満ちてて、血気盛んだったけど、だけどこんなにデレデレと鼻の下を伸ばしてる姿は初めてみた。

 自信に満ちた表情を浮かべている委員長は、いつもスコップを片手に笑っていた。太陽みたいにキラキラしている人だったから、夏って言う季節がすごく似合うひと。

 特に太陽がまぶしい日は、そのハニーブラウンの髪がキラキラ輝いてはオレンジ色に燃え立っていた。そのオレンジ色があまりにも綺麗で、よく覚えている。

 明るすぎないオレンジ色のオールインワン、ようするにつなぎを着用して、黒にオレンジのラインが入った手袋を身に着けて花畑に立っている。片手には大きなスコップ、うん? ショベル、だったっけな。

 我が国のJIS規格では、足をかけるところがあるのがシャベル、というかショベルで、無いのがスコップらしい。だけど東西では違いがあって、西は大きい方をシャベル、小さい方をスコップって呼んでいる。

 東はその逆だ。だけど一番多いのは、大きいのがショベルで小さいのがスコップなんだそうだ。本当、どっちがどっちなんだろう。

 でも燈下委員長はシャベルと呼んでいたから、たぶんそれだ。これまたオレンジ色のラインが入ったシャベルを片手に、笑顔で土を掘っていく。

 種を上て芽吹いたら、まるで恋人に囁くみたいに喋りかけながら水をやるのだ。ちなみに水やりをさぼった委員や、畑や花壇を荒らしたひとは容赦なく制裁される。もちろん、委員長自ら。

 以前上級生で畑を荒らした人が居たけれど、そのひとは委員長に殴られて1か月間雑用係を命じられていた。可哀想なことに、委員長を見た瞬間真っ青になって土下座しだすほど、委員長がトラウマになっていた。

 その後その上級生の足取りは知らない。なんでも海外に留学したとか。

 そんな風に、顔とか中身とかが厳しそうな委員長だけど、でもやっぱり、その笑顔はいつもキラキラしていたんだ。こうして覚えているくらい、とても輝いていた。

 たとえ、私のお尻をモミモミしてても、ね。

 うん、とってもキラキラした微笑みですね。太陽の光に透けて輝いているよ。


「っはー、マジでプリケツだわオマエ。毛並みもいいなァ、なんだコレどうやって手入れしてんだコレ。パートナーか? お前パートナーいんのかこの浮気者!」


 いやそんな笑顔で浮気者って言われても。

 うりうりー、と頬擦りをされてる私を、どこか呆れたような目つきの譜兄さん。

 その呆れた眼差しはいったい誰に向けられているのか。私なのかな。それとも委員長なのかな。

 こんな時に意思の疎通ができないと本当に大変だ。譜兄さんに縋るような目線を送っても、ふいっと逸らされてしまった。

 つ、譜兄さんの薄情もの! 普段はだらしなくしてたり、縋りつくような仕草したら構ってくれるくせに!

 しかりつけるみたいに構ってくれるのに、なんですかスルーですか。

 しかもなんかちょっぴり嬉しそうじゃない? え、なに、押し付けられてラッキー、みたいな?

 いやー、いやいや助けてよ譜兄さん。もう後でなんでもするからさぁ!

 頭を撫でたり頬擦りを繰り返す燈下委員長をぺしぺしと叩く。かなり強くたたいてるつもりだけど、動物好きの委員長には全然効果がなかったみたいだ。

 諦めてぐったりしているとくつくつとまた笑い出した委員長。膝の上にまた乗せられて、今度は柔らかく背を撫でられた。


「……ちびは柔らかくて、可愛いなァ。譜なんてこんなにデカくてよォ、毛も触らせてくんねェし。あと薄情だし」


 たまにだけ優しいけど、そう呟きながら委員長がくすっと笑った。

 薄情なのは同意しますよ、委員長。あとたまに優しいのも。

 ああ、譜兄さん委員長に毛触らせてないんだ。まあ譜兄さん、なんだかプライド高そうだもんな。

 前に学園長が譜兄さんの毛並みを触ろうとしたら拒絶して、学園長の手を思いっきり噛んでたし。


「俺はよォ、次に生まれ変わったら白狼に、動物になりてェな。悠々自適に、自分の行きたいとこに行って、自分のやりたいことをしてェよ。決められたルートじゃない、俺の道を」


 それはまるで世間話の様な、そんな調子で始まった。

 委員長の声はいつも通りだった。ちょっと茶化したような、明るさと静かさのはざま。

 柔らかな、宇緑書記とはまた違った、オレンジ色の光を纏った声。なんとも無いように、いつも通りのその声は、だけどどこか委員長の願いを感じた。

 今まで静観していた譜兄さんの視線も、自然と委員長の方を向いている。

 まるでやっとか、と思っているかのように、譜兄さんのゆるやかな行動が私の心を揺らしている。


「別に家が嫌いなわけじゃねェ。旧家で華道のお家元っちゃあお家元だけど、数多くある華道の家元のなかでもそこまで目立ってねェし、俺の家よりも大きいところがある。病院の方だって、俺が長男ってわけじゃねぇから継ぐ可能性もない」


 そういえば委員長は次男だっけか。

 上に5つ上のお兄さんがいたとか。後輩に対する面倒見がいいから、前に委員長に2番目だって言われるまでは長男だと思ってた。

 ハニーブラウンの前髪をかきあげながら、委員長が小さく笑い出した。だけどそれは、どこか寂しさのある、自分を嘲笑するようななにか。

 譜兄さんの目は閉じられている。吹き荒れる冷たい風をその毛並みを受けながら、譜兄さんはただそこにいた。


「下に妹がいるけど、その妹は華道の跡取り。家族んなかじゃ、俺が一番楽で、俺が一番自由なはずだ。だけど俺は全然自由じゃない。全然、ぜんぜん」


 風が強くなった。

 空は紅葉で赤染になっていて、その紅葉の葉が激しく舞った。


「自分でわかってる。そしてそれに対して俺はあらがってない。知ってるんだ。自分のなかに、本当にわずかでも、好きだっていう気持ちがあったことを。例えそれが過去形で、錯覚で、思わされていたことで、惑わされていたことでも、だけど俺は確かに、そんな気持ちを持ってた。だからこそ、俺は簡単には自由にはなれない」


 好きだった。

 誰を、なんて解り切ってる。

 委員長が大きく息を吸った。


「自由になれない。けどそれは、俺の甘えで俺の弱さだ。だから抜け出す。自由になる。全て過去形の気持ちだったとしても、それは俺にも、アイツにも、きっと失礼なんだろォよ」


 委員長が私を高々と持ち上げた。

 高くなる視界。視界一面には委員長の顔。

 ちょっと視力の低い白狼からすると、ほんの少しだけぼやけているように見えるけど、だけど見える。

 ハニーブラウンの髪がキラキラと輝いて、委員長の目に映った紅葉で目の色が綺麗なオレンジ色に見えてくる。

 私の頬に力いっぱい擦り寄ると、委員長は譜兄さんを近くに寄せて、3人、いや、ひとりと2匹で抱き合う形になった。


「――― それに、自由になれてェ状態の俺は、カッコよくねェみてェじゃねェか。それじゃあ、後輩に顔向けが出来ねぇっての! 泣かした女にも、詫びが出来ねェしな」


 くしゃりと委員長が笑った。

 それは生前、私がよくみた満面の笑顔。

 広い花畑で、シャベル片手に笑う委員長の満面の、太陽のような笑顔が、そこにあった。


「ちび、カッコいい俺を見してやるから、お前も俺のに、ッとぉ!? なにすんだ譜ッ」

「グルルッ」


 その言葉の続きはなんだかわからなかったけど、譜兄さんが燈下委員長に跳びかかったからあんまりよくないことだったのかもしれない。

 怒ったように耳をピンと立てて尻尾を膨らませてる。あ、膨らむんだ尻尾、って思ったことは一生言わない言えない。

 燈下委員長に頭突きを食らわせる譜兄さん。燈下委員長は痛そうだけど、ちょっとだけ嬉しそう。え、まさかマゾ、ごほん、まさか、そんなわけないよね!

 譜兄さんが構うようにしてるから嬉しいのかも知れない。燈下委員長の顔は晴れやかで、さっきまでの沈んだ顔が嘘みたいにキラキラしてる。

 燈下委員長のなかで決着がついたんだろう。ずっともやもやしてて、離れなくて、苦しかったものが。

 もうちょっと、もうちょっとだね。そう、もうちょっと。


「――― うた? うた、どこ?」


 あの子の声が聞こえた。いつもそばにいる、優しいあの子の。

 くしゃくしゃと譜兄さんと私を頭を撫でる燈下委員長も、その声に気付いたみたいだ。

 声の主に思い当るところがあるのか、あたりを見ている。だけどその場には私たちしかいない。

 燈下委員長は首を傾げたあと、遠くに何かを見つけたようで、目を凝らしていた。


「うたー、 って、あ……」

「……よう」


 滑らかな動きで私たちに近づいてきたのは、優子さんだった。

 学校の制服に身を包んでいて、私を探し回ったのかところどころ汚れていた。よく見ると息もあがっていて、結構な時間を探してくれてたのかもしれない。

 私を見つけてホッとしたように息を吐いた優子さんは、そのすぐ傍に燈下委員長を見つけて息を詰まらせてた。

 何かあった、なんて、きっと聞かなくてもわかる。昨日はあんなに元気だった優子さんの目の下が、ちょっとだけ赤くなっている。なんて解りやすい。

 大きな目に哀しみを過らせた優子さんに、すごく、申し訳ない気持ちになった。


「あ、の―――」

「コイツ」

「え?」

「コイツのパートナーって、お前だったのか?」

「っは、い。わたしが、その仔の、うたのパートナーです」


 ちょっと硬い声で尋ねる燈下委員長に、優子さんも緊張からか声を強張らせた。

 ざわざわと揺れる木。風は冷たく、秋の寒さを運んでいる。

 答えた優子さんに、燈下委員長は一言、そうか、とだけ呟いた。

 いまだに私を膝の上に抱いたままの燈下委員長は、それ以上は何も言わずに黙ってしまった。

 さっきまで燈下委員長に跳び付いていた譜兄さんは、何を思ってか燈下委員長に隣に静かに座っている。どうやらこの話に何かするつもりはないらしい。

 私は燈下委員長の膝から飛び降りて、優子さんのところへと走り出した。


「わんっ」

「……うた。探したんだよ? 中庭言ったらうたがいなくて、ほんとう、心配したんだから」

「わうぅ……」


 ごめんなさい、優子さん。

 心中で謝った。伝わっていないだろうけど、それでも言いたかったんだ。

 だって優子さん、すごく悲しそうな顔してて、すごく疲れた顔してて、すごく、心配した顔してるから。どれだけ心配させてしまったんだろうって思って。

 そういえば、と考える。優子さんとはかれこれ1か月以上暮らしてる。優子さんの辛かった時期から、友達も増えて笑えるようになるまで、ずっと一緒だった。

 優子さんにとっての私は、ペットであり、友達であり、この学園での家族、だったのかもしれない。何処に言ってたの、と言う優子さんの顔が、迷子の子供に見えた。


「わぅーん」


 ありがとう、優子さん。

 今度は感謝の言葉を送った。優子さんはまったく、と仕方なさそうな顔をしてるけど、だけどちょっぴり安心したような、そんな顔もしていた。

 私をグッと持ち上げた優子さんは、私の毛並みに鼻を摺り寄せると、くすりと笑った。


「グルゥ……」

「あ、」

「わぅ?」


 二人、いやひとりと1匹でくすくすと笑っていたら、譜兄さんが咎めるように一鳴きした。

 私はどうしたんだろう、と首を傾げたけど、優子さんは何かに気付いたように小さな声を漏らした。

 そんな優子さんに、私も優子さんが見ている方に視線をうつした。そこにいたのは、呆けたような顔をした燈下委員長だった。


「……アンタ、そんな顔もできたんだな」

「っすみません!」

「なんで謝んだよ」


 通常よりは低い燈下委員長の声。優子さんはビクリと肩を震わせて謝った。

 なんで謝ったかは私もわからなかったけど、たぶん燈下委員長の顔にビビってるとか、あと燈下委員長に何かされたか、だな。

 燈下委員長の台詞は単なる興味からだろうけど、優子さんにはそうは思えなかったのかもしれない。

 っはー、とため息を吐いた燈下委員長に、またビクリと肩を震わせた。


「……そんなに怖がんなよ。まるで俺が苛めてるみてェじゃねェか。ああ、いや、苛めてんだったな」


 まるで自分を嘲笑うかのように、燈下委員長が小さな笑い声を漏らした。だけどその目はちっとも笑ってなくて、ただただ自分を追い込んでいた。

 優子さんは伺うように燈下委員長を見た。燈下委員長は、覚悟を決めるように小さな息を吐くと、その目を優子さんへと向けた。

 そして ―――


「えぇ!? あ、あの、やめっ」

「――― 悪かった。謝って済まされることじゃねェのはわかってる。謝罪を受け取れとも思ってねェ。ただ、これは俺の自己満足だ」


 ざわりと空気が揺れた。いや、それはただの錯覚、というか思い違いかもしれない。

 ただ、その場に静かに頭を下げた燈下委員長のその体勢は、紛れもない土下座だった。

 譜兄さんの耳がピンと立つ。プライドが、というか、白狼としての気持ちが高い譜兄さんは、人間というものにあまりいい気持がしないみたいだ。

 だから、こうして譜兄さんが選んだパートナーが、気に入らない人間に向かって土下座をしているってことが気に食わないんだと思う。

 徐々に膨らんでいく尻尾をみると、譜兄さんが優子さんに何かしてしまうんじゃないかと思った。


「自分の目で見たことでもなく、聞いたことでもなく、確かめたことでもない、そんな偽りを信じて、アンタを蔑ろにしたこと、泣かせたこと、到底許されるものじゃねェってのはわかってる」

「やめ、も、やめ―――」

「だけど! どうか、これだけは許して欲しい。アンタに償うことを、それだけを許してほしい」


 それは真摯な願いだった。嘘偽りのない、ただただまっすぐな、燈下委員長の素直な気持ち。

 躊躇なく土下座をしてみせた姿、いや、躊躇なく、は言い方がアレかな。するまでには、かなり悩んだだろう。

 だってさっきまでかなり考えてたんだから。どうすればいいのか、自分の過ちをどう償えばいいのか、燈下委員長は考えに考え抜いて、そしてこの方法を取った。

 保身に走って土下座したわけじゃあない。ふざけてなら簡単にできるだろう。けど、本当はやるのは凄く難しくて、すごく、勇気がいるんだよね。

 額を地面に強くつけて、横目に見えた燈下委員長は、ぎゅっと目を瞑っていた。


「先輩。わたしは、怒ってないんです。そりゃあたしかに、なんでわたしが怒られなきゃいけないの、とか、どうして、って思いましたけど、だけど今は思ってないです。みんな優しすぎ、とか、それじゃ駄目だ、って言うけれど、だけど先輩」


 息をつめていた優子さんが、ふぅと小さく息を吐いた。

 ぎゅっと目を瞑ると、覚悟を決めた眼で、いまだに土下座をする燈下委員長を見つめた。

 息を吐いたときとは逆に、今度は勢いよく息を吸った。

 そして、その小さな唇をゆっくりと開けた。


「先輩は、立ち去る最後に小さく、私に言いましたよね。『悪い』って。先輩は無意識だったかもしれませんけど、それでもわたし、それを聞いて思ったんです。ああ、先輩、ほんとはしたくなかったんじゃないかなって。わたしの思い込みかも知れません。それでも、自己満足でも、そう思ったら、なんだか良くなっちゃったんです」


 優子さんはあっけらかんと言うけど、でもね、優子さん、それ、かなりすごいよ。

 いろんな意味でだけど、優子さんは心が広すぎるというか、逆に考えると自分に無頓着というか。

 優子さんはあまり自分のことは考えない。彼女に何かされた時も、自分が何をしたんだろう、って、自分が何かをしてしまったことで起こった周りに対することを心配してた。

 思うに、優子さんは自分の事なんんて二の次に生活を送っていたのかもしれない。だってその証拠に、優子さんは自分が汚れていることに関して全く気にしていないんだから。

 私と似ているようで似てない優子さん。でもやっぱり似てないかもしれない。だって私は、いつでも自分のことが一番だ。

 優子さんの腕に毛並みを摺り寄せた。優子さんは一度だけ私の方を向くと、私の頭を撫でてくれる。

 そしてふわりと笑うと、何時の間にか顔をあげていた燈下委員長の方を向いた。

 まるでナニコイツ、とでも言いたげな唖然とした表情だ。


「いきなり怒鳴られたり、軽くと言っても肩を押されれば、誰だって起こりますし、悲しくなります。だけど、ねぇ先輩。わたしはもう十分、先輩に謝ってもらったので、もういいんです」


 だからほら、立ってください。

 優子さんは今度は困った様に笑いながら、燈下委員長を見つめた。

 当の委員長といえば、変わらず唖然とした表情で、だらしなく口を開いている。

 だけど流石イケメン。軽く口を開いていても、全然格好悪くない。

 また困った様に優子さんが口を開くと、燈下委員長はサッと立ち上がった。まだ呆けたままだけど、隣の譜兄さんがフンと鼻をならすと、燈下委員長も乾いた笑い声を漏らした。


「っはは、アンタ、なんつーか、いろいろ損してそーだな。……ほんと、損するぜ、その性格」

「そうですか? でも損したこと、あまりないですよ」

「あまりない、ってことァ、ちょっとはあるってことじゃねェか!」


 漫才みたいなやり取り。

 譜兄さんは呆れ気味に一鳴きして、私は可笑しくて一鳴き。

 そんな私に譜兄さんから鋭く一鳴き。意思疎通ができなくても、何が言いたいかは分かった。

 つまるところ、さっさと止めろ、だと思う。譜兄さんは苛立たし気に地面に尻尾を叩き付けると、私の方にきて首根っこを掴んだ。

 そして2度3度くるくると振り回したかと思ったら、そのまま優子さんと燈下委員長の方へと飛ばされる。

 ちょ、と反論をする前に投げられたから、そのまま風に包まれて宙を舞った。譜兄さんの目論み通りだったら、私は優子さんと燈下委員長のところに落ちるはずだけど、強風で身体が流される。

 二人の合間をすり抜けて、その先へと飛ばされた。視界に茶色い物体、木が映った。

 ヤバい、と思って瞬間、視界の端にふたつの腕が伸びた。


「うたッ!」

「ッくしょう、ちび……!」


 ぼすん、と暖かい何かに包まれる。

 想像していた衝撃はなくて、茶色い木もなかった。あったのは、あったかい二つの腕と、優しい匂い。

 ぐぐっと顔をあげると、まっさきに見えたのは優子さんの顔だった。さっきと同じ、心配した顔。

 そんな優子さんを包んでいるのは、目を瞑ったままの燈下委員長だった。

 長い腕を私と、そして優子さんに伸ばして、抱きしめるようにつつんでいる。私の後ろ足は燈下委員長の膝に乗っていて、背中は優子さんの腹に押しつぶされている。

 私が二人の間に挟まっていなければ、密着していただろうくらいの距離で、燈下先輩の額は優子さんの頭に乗っていた。

 優子さんの後ろをみると、茶色い木が見えた。あと寸のところで、二人が腕を伸ばしてくれなきゃ危なかったことが、ゆっくりと見に沁みっていく。

 ああもう、なんだかもう、身体が震えてきた。だけど、二人のあったかい体温のおかげで、震えがじょじょに収まっていく。

 優子さんの頬をペロリと舐め上げた。優子さんは驚いたように一瞬だけ目を見開くと、安心したように、嬉しそうに笑った。

 ようやく目を開けた燈下委員長も、私と優子さんの様子を見るとゆるりと頬を緩ませた。

 そんな燈下委員長の頬をペロリと舐め上げる。燈下委員長はくすぐったそうに片目を閉じて、楽しそうな笑い声をあげた。

 それを聞いた優子さんも、すごく楽しそうな笑い声をあげた。遠くから、譜兄さんの小さく息を吐く声が聞こえる。

 ざわざわと気が揺れて、柔らかな風が吹いた。

 私も、掠れたような鳴き声をあげて、二人にすり寄りながらひとつ鳴いた。

 二人はそんな私を見てまた笑い、次の瞬間、ゆでだこみたいに沸騰した。


「ッわ、わわわわわ!?」

「わる、悪い!」


 真っ赤になった瞬間、二人は逆磁石みたいに離れた。二人が離れた瞬間に、その間にいた私はその場に尻餅をつくことになった。

 きゃん、と高い鳴き声を漏らして、その場にコロコロと転がる。思いっきり離れた二人も、私同様尻餅をついたらしくて、それぞれ痛いと言いながら腰をさすっていた。

 二人がそうなるのも無理はないと思う。だって、私が間に挟まっていたとはいえ、男女二人がみっちり密着していたんだから。

 優子さんは真っ赤になった頬を両手で押さえて、燈下委員長は片手で口を塞いでいる。

 ほんと、ゆでたこみたいだよ。


「グルルァ!」

「わんっ」


 私と譜兄さんの鳴き声が重なった。

 それに私と譜兄さんが顔を見合わせると、それが可笑しかったのか、二人がクスクスと笑い始めた。

 いや、くすくす、っていうか、ものすごい大笑いで。

 燈下委員長なんてお腹押さえてるし。

 そんな二人が、こっちが笑ってしまう。遠くにいる譜兄さんからも、掠れた鳴き声が聞こえた。


「ははっ、っはー。……ったく、可笑しいっちゃあありゃしねェぜ」

「っふふ、笑っちゃいましたね」

「ほんっと、こんなにまっすぐ笑ったの、久し振りだよコンチクショウ。ちびもだけど、アンタも相当面白れェや」

「え?」


 服についた草をはらいながら、燈下委員長が立ち上がった。

 そして前髪をかきあげると、優子さんの方を向いてニヤリと笑う。いつもの、燈下委員長の仕草だった。


「アンタはもういいって言ってたが、それでも俺は一度やった過ちをそう簡単には流せねェ。だから、アンタがなんと言おうと、俺なりのやり方で償わしてもらうぜ」

「え、ちょっ、先輩っ?」


 ズンズンと優子さんの方に近づくと、座り込んだ優子さんに目線を合わせると、優子さんの髪を軽く撫ぜた。

 優子さんは目を大きく開けて燈下委員長を見ていた。燈下委員長といえば、そんな優子さんの様子に可笑しそうに笑う。

 そして優子さんの耳元に唇を寄せると、何かを小さく囁いた。

 ぴしり、と固まった優子さんを横目に、燈下委員長は立ち上がって歩いていく。

 片手をあげて譜兄さんを呼ぶと、傍に譜兄さんを連れて歩きだした。フン、と鼻で息を吐いた譜兄さんの頭を撫でると、優子さんに向かってニカリと笑う。

 そして上げたままの片手をひらひらさせると、さっき来たばっかりの道を歩いて行った。

 そんな燈下委員長たちを見送って、私も優子さんの方へと歩きだす。別に頬のゆるみとか、そんなのない。

 別にさっきの言葉を聞いて喜んでるとか、そんなんでもない。別に、別に復讐成功! とか思ってない。


「わんっ」


 優子さん、私たちも帰ろう。

 そう機嫌よく優子さんに一鳴きした。

 優子さんはぴしりと固まったまま、だけど私の声に反応して一気に真っ赤になった。

 あわあわと視線をさまよわせると、迷子の子のように泣きそうになった。なんでだろう、と首を傾げる。

 だけど疑問に思う間もなく、優子さんが立ち上がったからその後ろについて行くことですっかり忘れてしまった。

 優子さんは真っ赤になった顔を隠すように、後ろについて歩いていた私を抱き上げた。

 そして毛並みに頬を摺り寄せると小さく、恥ずかしい、と呟いた。ああ、ニヤニヤが止まらない。


「つ、次あったらどうしよう……っ」


 優子さん、うん、先ずまえまえ!

 前見て前見て!


「いたいっ! つ、ついてない」


 額を押さえながら、だけど優子さんの頬をちょっとだけ赤くなっていた。




 ――― 俺が持てる全てを捧げてアンタに償う。どんな時でも、これからはアンタの味方だ。


 いやー、燈下委員長も、なかなかのタラシだよね。

 帰り際のあの時、燈下委員長の頬が真っ赤だったのか、きっと、ちょうど染まり始めた夕日の所為だと思う。たぶんね。



 ターゲット、燈下詩記、コンプリート!! だよね。


 タタタッと走る優子さんの腕のなか、ちょうどいいリズムに眠気が誘われる。

 優子さんの腕にすり寄りながら、ちょっとだけ、休んでいいかなって思って一鳴きした。

 空はちょうど夕焼け。だけどその夕焼けよりも、赤く染まり始めた紅葉の燃え盛るオレンジが印象的だったのは、きっと、優子さんも一緒だ。


 ニコニコしながら帰った私たちを待ち受けていたのは、鬼のように怒った学園長。と、耳をピンと立て、尻尾を膨らませている白狼父(おとうさん)でした。

 に、逃げよう、優子さん!

 学園長の怒鳴り声が学園中に響く、10月の最後だった。



 

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