1[改稿版]
2016/1/5 改稿
身体を風が包む。空がどんどん遠くなる。
私が最後に見た空は、紫色の雲が泳ぐ緋色だった。
珠城唄、享年16歳。
死因は、背中から突き落とされたことによって頭を強く打った上、尖った岩などによって貫かれた後の出血死。らしい。
** VENGEANCE:00 **
ことの始まりは、私が通っていた学校に転入してきた女子生徒だった。
彼女は360度どこを見ても校則破りの格好―― つまりは派手な髪色に、派手な化粧、スカートは膝丈10㎝以上はあっただろうし、両耳にピアス、両手に指輪、そして何故か首元のタイが大きなリボンだった。
案内をした先生はどこか疲れた様子で、私と目が合うとどうしようもないんだと言いたげに首を振った。
「悪いんだが学級委員、そう、珠城。こいつの案内頼むな」
そして申し訳なさそうにそう私に言って、先生は転入生に着席を進めた。
彼女はずっとニコニコと、正確な表現をするとどこか不気味にひきつった顔で笑ったまま教室を見渡した。
スポーツ特化、芸術特化の全寮制名門校が増えてきた中、その2つに加えて学生のもっともな本分、つまり勉強特化の3つを兼ね備えた全寮制の名門校。それが私の通う学校だった。
広大な敷地に建つ3つの校舎。ひとつは勉強特化、進学クラスが学業や研究に勤しむ第1校舎。
この第1校舎を真ん中に、左隣にはスポーツ特化の生徒たちが授業や練習をしている第2校舎。
右隣にあって、2つの校舎から少し離れた場所にあるのが芸術特化生が活動している第3校舎だ。
この3つの校舎と外廊下でつながっているのが、総合学習校舎とも呼ばれる第4校舎で、いま私たちがいる場所になる。
一応名門校であるから、校則はもちろん厳しい。驚愕の全寮制ということもあって特に風紀に厳しく、男女ともに制服に関する規制は多いのだ。
女子ならスカート丈、髪の長さ、化粧、メガネの色にアクセサリーの有無、インナーに至るまで細かく規制され、男子はタイの締め方にベルト、靴下の色、髪の毛は耳が必ず見えるような髪型でなくてはいけないなどこちらも細かい取り決めがある。
もちろん、それに反発する生徒もいる。いくら何でも厳しくないかと。でもそんな生徒は半数だし、そういう生徒が現れることも考え、そういった決まりは校舎のみに適応されているのだ。
つまり、私たち生徒が寝起きし、ただいまとおかえりを繰り返す場所、学生寮でならどんな服装も許可されている。
我慢するのは校舎の中にいるときだけ。最初反発していた生徒も、学生寮と校舎内でのサイクルに慣れてしまえばそれっきり、黙ってしまうものだった。
ほかにも、校舎内で自由な服装を認められている生徒はいる。勉強、スポーツ、芸術などの面で優れた成績を残したものには、ご褒美という形である程度の自由が許されることになっているのだ。
それは服装もそうだけど、校舎内のさまざまな校則に反映され、頑張れば頑張った分だけ広がっていく。
生徒たちは自分たちの活動範囲や自由度を上げるために、学業、あるいはスポーツや芸術の活動に励み、努力したうえで課せられた校則のさまざまを乗り越えていくのだ。
それに最初にも言ったが、わが校は名門校である。面接の時点で厳しい校風にはどう考えてもなじめない、騒動を起こすだろうひとはふるい落とされているわけで、基本、この学校の生徒は校則を遵守し向上心のある生徒が多い。
そんな生徒たちは、この日突然やってきた転入生に対して驚愕の面と、そして言いしれない不快感を抱いていた。
当たり前だ。今まで自分たちが守ってきた校則を、そして礼儀を習慣を、彼女は一目見たその時点で破っている。
先生はもう何度も注意していたのだろう。あきらめ気味に明日には直してきなさい、と彼女にいうだけで、疲れたように息を吐いて背を向けた。
「ちょっとうたちゃん、ねえあの子」
「ああ、うん。注意するよ。校則のこと、来たばっかりだしたぶんよくわかってないんだよ」
「だからってさあ、転入早々あんな派手な格好する? ほかの学校だってさ、うちほどじゃないけどそういう校則くらいあるじゃない」
むすっとした、不機嫌そうな顔を隠しもせずそう私に言ってきたのは、黒いショートカットに少しきつめの目元が涼やかな女子生徒、スポーツ特化生の高橋さんだ。
第1ボタンのみをはずしてブレザーの前は開いた状態、でもタイはしっかりと締められている。彼女はスポーツで優秀な成績を収めているから、第1ボタンをはずしたりブレザーのボタンをしなくてもいい。それは彼女が勝ち得た権利だった。
確かに、彼女が言うことはもっともだった。
うちの学校ほどでないにしろ、ほかの学校だってそれなりの校則くらいあるだろう。
名門校であるわが校に途中から転入するだけの学力か、もしくはスポーツや芸術面で秀でたところがあるのだろうから、それを育てる中学校や高校から転入してきた、それは深く考えなくても真っ先に浮かぶ仮定だ。
そんな学校に、校則がないだなんてことはない、と思う。私は中学校からこの学校の中等部に通っているから、ほかの学校のことなんてよくわからないけど、でも、たぶんそうなんだと思う。
けれど、今日やってきた彼女の姿は初めに言った通り、どこをどう見てもそんな学校からやってきたようには見えないような、校則破りの姿なのだ。
姿だけなら、ああはっちゃけたんだなとか、ちょっと変わったところのある人なんだなで済む。天才と変人は紙一重だと考える生徒も多いからだ。
だけど彼女は、その姿でさえ私たちに衝撃を与えたのに、彼女の転入挨拶が私たちにさらなる衝撃、というよりは不快感をぶつけてきた。
「姫島愛美だよ! 今まで一人暮らしだったから家事全般大得意! 今度みんなにもお菓子もってくるねー! よろしく!」
口を開けてしまったのは仕方がないと思う。
あんまりにも礼儀に欠けていると感じたからだ。だって、そうでしょう。
同い年の子ばかりだから別にタメ口でもいいでしょう、と言いたいならそれもそうだと思う。
でも、初めの自己紹介くらいは敬語でやるよね? 小さな子供の様に、いや小さな子供でもしないような、片手を大きく上げて胸をそらした状態でのあいさつ。
私たちは高校生だったよな、と自分の学生手帳を開いて確かめてしまうほど、彼女の行動はその年齢にあっていないように思えた。
私に話しかけてきた高橋さんは普段温厚でフレンドリーなひとだけど、彼女の言動には思いっきり眉をしかめていたのが見て取れた。
クラスの8割以上は高橋さんと同じ反応で、残りは聞いていなかったり、あと何故か頬を染めたりしていた。
私は、一応このクラスの学級委員だ。クラスメイトのサポートをしたり、まとめ役をしたりしている。
先生の指名がなくても、たぶん私が転入生のサポート役をするんだろうっていうのはすぐにわかった。
今日転入生が来ると朝聞いたときから、私がやるんだろうなっていうのは気付いていたし、その気でもいたから。
でも、彼女を見て私がすぐに思ったのは、うわあ、いやだな。そういった感情だった。
「うたちゃん、よろしくね!」
「え、うん。えっと、よろしくね」
ぎゅう、なんてかわいらしい音ではなかった。
ググっと強く握られた右手は、少し赤い。うわあ、怪力だ。
先生に指さされた席に座った彼女は、隣の男子生徒に愛想を振りまいている。
あれ、あの男子生徒は、隣のクラスの子と付き合ってるんだったよな、なんて最近仕入れた情報を浮かび上がらせては、頬を染めた彼の様子を冷ややかに見つめる高橋さんを振り返った。
「うたちゃん、あの子、あたしあんまり好きじゃないなあ」
「まあまあ。きっと、緊張してるんだよ」
そんなことを言っておいて、私はちっともそうじゃないと思っていた。
あの子はきっと緊張していない。楽しさと、可笑しさと、まるで何かを知っているように有頂天だった。
高橋さんは心配そうな顔で、何かあったら手伝うからね、と私にささやく。うんありがとう、そう言えば彼女はにっこり笑ってうなずいた。
正直、私は彼女、転入生の姫島愛美がどうなろうといいとさえ思っている。
でも、そうなってはいけないから、私はこうして気にかけているのだ。
私はみんなが思うほどいいこちゃんではない。人間だれしも何かを秘密にしているように、私も醜い自分を隠している。
みんなのことをよく考えていつだって優しい学級委員長。私がそんな仮面をかぶるのは、高尚な理由があるわけでもなく、重苦しい家庭の事情があるわけでもなく、それこそ画面や紙の上に浮かぶ物語のようなエンターテイメント性もない。
ただただ、好きな人の好きなタイプが、いつだって誰にでも笑う、誰のことも大事に思える優等生だからだ。
そんな俗にまみれた理由だ。笑えるだろう。でも、私はそこにいるほかのどの女の子とも変わらない、ただ好きな人に振り向いてほしくて、こうしてる。たったそれだけ。
「姫島さん、あとで学校を案内するね」
「わあ、ありがとう、うたちゃん! ねね、わたし、食堂行きたいなあ」
「うん。それじゃあ、お昼休みに先にそっち行こうか。ほかは放課後、いいかな?」
「もちろん!」
さすが委員長、なんて声がどこからか聞こえる。
さすが、か。当たり前だよという顔で席に戻った。
隣の席に座る男子生徒、玉城歌唯くんが小声で心配そうに、大丈夫かと私に尋ねた。
無表情だけど、声には感情の乗るひとだ。私は首を縦に振って、大丈夫だよと力強く言った。
彼女を案内する中で、服装について注意もしよう。学校の案内パンフは読んでいるかな、学生寮の案内もして、それから立ち入ってはいけない場所も案内しなきゃ。
鳴り響くチャイムに反射的に背筋が伸びる。ほかのクラスメイトも、そのチャイムと同時に開いた扉に気付いて静かになっていく。
起立、礼。おなじみのあいさつを口にして、新しいクラスメイトを交えた学校生活が始まった。
彼女はトラブルを起こすかもしれない、という私の予想は見事にあたった。
まずその日のうちに、食堂で遭遇した生徒会の副会長に突っかかって注目を浴びた。突っかかった理由は、食堂までの道のりを案内していた時に話した服装の校則だった。
自由な服装が認められているのは、生徒会などの各部の優秀者たちだけなんだ、とやんわりと『だから君はほかの生徒と同じように制服を直そうね』と続けようとしたらそこに偶然にも副会長がきて、その副会長に対して「生徒会だけがそんな特権を持つなんておかしい!」と言い放ったのだ。
うん。別に生徒会だけの特権というわけでもないし、そしてこの権利は彼らが正当な理由から得たものだから、可笑しいも何もないのだ。
彼らのように自由な服装がしたいならそうなるように励めばいい。それがこの学校の生徒のなかにあるごく当たり前の結論だった。
けど彼女にはそう思えなかったらしい。そう言い放った彼女に、副会長は目を丸くして、そしてどこか冷めた表情で澄まして歩いて行った。
副会長の態度が気にくわなかったのか、彼女が彼を追いかけようとしたときは本当に肝が冷えた。あれは私たちを気遣ってくれたんだよ! これ以上あの場に彼がとどまっていたなら、その日のうちに彼女は孤立しただろう。
うちの学校にいじめなんてものはない。あったら即刻退学扱いだからだ。だから彼女に害をなそうなんて考える人はいなかったけど、でもやろうと思えば孤立させることくらいわけない。
これがほかの善良な転入生なら周りの幾人かは同情してくれるだろうが、彼女の態度は周りにあまりいい印象を与えていない。
私は彼女の腕をひっぱって、転入生だから知らなかっただろうけど、とか、転入生だから今日は吃驚したよね、と彼女が転入生であることをアピールした。
そうすれば、まわりの熱は少しは冷めると思ったからだ。無知な転入生に、少しは配慮してくれると思っての行動だった。
彼女は納得していないような顔で、まったく仕方ないんだから、相変わらず心を閉ざしたままだとか、そんなわけのわからないことを言っていた。
もしかして彼女と副会長は知古なのだろうか。そうだったら、まああの態度も、いやダメか。
親しき中にも礼儀あり。彼女はどこか、礼儀というものが欠けているように思えた。
食堂から戻って授業を受けている最中も、彼女は大変だった。何が大変かって、授業の先生、それも男の先生に必要以上に絡む。
わが校の教師は美形が多い。なぜだかわからない。生徒も整った見目の子が多いと思う。同年代だけでの暮らし、制限された中で互いの美を競っているからか? なんて考えてみたりしたけど、やっぱりよくわからない。
一番よくわからないのは、彼女の反応だったけれど。
それから一週間。彼女はトラブル体質らしいというのは、私の中ではくっきりと刻み付けられていた。
3年生の先輩が大事にしていた花壇に倒れこみ花を台無しに、生徒会の会計で芸術特化生の作品に無断で触り、果てには同じクラスの男子数名と授業をサボタージュ。
その男子数名の中には、隣のクラスの女子生徒と付き合っていた件の男子もいたらしく、ある日の朝その女子生徒が殴り込んできた。
ただしく、殴り込んできた。泣きながら彼女、姫島さんを殴ったのだ。平手ではなく、こぶしで。
最低、と叫んだ女子生徒の声は悲しみに染まり、本来ならその子を抱きしめて止めるはずの男子生徒は、しきりに姫島さんを気にしていた。
これはとんだ修羅場だ。頭を抱えた私にハーブティーを差し出してくれたのは、玉城くんだった。
「大丈夫か、珠城」
「うん。心配かけてごめんなさい。あの、学級委員の仕事」
「大丈夫だ。大きいものはないし、珠城はもっと休むといい」
普段は一言二言、もしくは視線だけの日もある玉城くんは、珍しく長い文章を、心配そうな声色にのせてくれた。
本当にそれにうなずいて休みたいところだ。残念なことに、姫島さんの部屋は私の右隣で、毎日がうるさくてろくに眠れない。
でもさっき、ほんのさっき、久しぶりに廊下ですれ違ったあのひとが、私に声をかけてくれた。頑張ってるようだなって、そういってくれた。
見てくれているんだ。そう思ったら、どんなにつらくても頑張らなきゃって思った。
言ったじゃないか。私はそこらへんの女の子と変わらない、好きな人の好きなタイプになりたい普通の女子なんだって。
何がなんでも、姫島さんを、私のサポートがなくても周りとうまくやっていけるようにしなきゃ。
そう強く決意した。たとえ姫島さんが、スマートフォンを空中に掲げて『攻略対象がまだこんなに』とか『好感度が足りない』とか言っていても、『あんたサポート役なんだから攻略方法教えなさいと』と叫ばれたとしても、私は頑張らなくてはいけない。
彼女がひとりで平気になったら、あの人に会いに行こう。いいお茶が入ったから御馳走すると、あの人は言ってくれたから。
つぎの定期考査までになんとかしよう。今回も主席になれるように頑張ろう。
そう思って、私に手を振る姫島さんのところに歩み寄った。
それから定期考査まで毎日、彼女のトラブルをそばで見る日々。
イケメンなんて嫌い、と言いながらも、彼女は生徒会の役員たちに興味津々なのがわかった。
でも彼らは各部の優秀者で、そう簡単にはお目にかかれない。彼女は日に日にいらだって行った。
そしてあの日。彼女のイライラが最高潮だった、あの日の夕暮れ。
風紀委員長が第3校舎付近の森にいると聞いた彼女は、疲れ切った私の腕を引いてその場所に向かった。
「何よ! どこにもいないじゃない!」
「もしかしたら入れ違いになったのかも――」
「あんた、もしかしてわざと合わせないようにしてるんじゃないの」
「え?」
彼女の声が一瞬だけ低くなって、ぐしゃぐしゃにかき混ぜられた髪の毛から覗く目はキッとつりあがっていた。
一歩だけ、後ずさった。
彼女から妙な空気を感じて、足が勝手に動いた。
「神様が言ってたのよ。何か贄を差し出せば、すべて思い通りに行くって」
「姫島さん?」
「贄ってなにって思ってたけど、そうよ。あんたを贄にすればいいんだ」
「ねえ、どうしたの――」
「しね――ッ!!」
思いっきり突き落とされた。
この学校は、少しだけ小高い丘の上にあって、でもほかより高い場所があった。
そこは危険だから立ち入り禁止になっていて、転落防止のフェンスもあったはずなのだ。
私はそのフェンスにぶつかって、だから落ちないはずなのに。
赤く染まった空に、紫色の雲が浮かんでいた。遠くに月が見えた。
まだ薄らぼんやりとしていて、姿のはっきり見えない月だった。
太陽はどこにあるだろう。私の後ろかな。
空がどんどん遠くなっていく。身体は風に包まれて、手は無意識に伸ばされた。
でもそれをつかんでほしい人はそこにはいなくて、私のはるか頭上からは笑い声が聞こえた気がした。
「ああわが子よ、目覚めよ。わが末の子よ」
「――うぅ」
「おお目覚めたか。よいこだ。強い子だ。お前に優しい名前をあげよう」
やわらかい声が聞こえた。
重圧感があるような、そのくせ甘さがにじんでいる。
その声の持ち主は私の体をそっと撫でて、しっかりした声で言った。
「うた。お前の名はうただ」
私はうた。真っ白い毛並みに、高い知能。
ひとりでは生きて行けず、だけど誰とでも歩けるわけじゃない。
私の意識はそっと持ち上がり、再び世界に色がついた。