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灰の中  作者: 文月一句
8/15

向こう側

腹が減る。

暗闇の中でも、それは変わりはしない。

食料が勿体ないから少し節約しようと提案してみたものの、

空腹のせいで俺もマイも寝付けなかった。

ついでに、同じ布団……マットレスの中にまた二人の体を納めなければいけない、という緊張感もあった。

前日寝た時はそんな緊張よりも眠気の方が勝っていたので、なんとかなったが、今は普通に痛みも空腹も疲労も感じる体だ。

昨日は神経が普通ではなかった。

「やっぱり、食べるか?」

「……うん」

マイがかいがいしく小さなライトをくるくるまわして俺の方を照らしてくれる。

俺は鞄の中から、缶詰を二つ取り出した。

しかし、四つしか入っていないとは中途半端な防災袋だ。

一日で助けがくることを想定したものだろうから、仕方が無いと言えば仕方が無い。

「マイ、握力戻った? 俺はまだ」

「うーん、私もそんなに……貸してみて」

疲労のせいか、俺の手は満足に動かない。

初日とは逆の立場だ。

俺はマイに缶詰を渡し、変わりにライトを回す。

それさえも結構辛かったが、空腹はそれに勝る。

ぱきっ、という音とともに管が開いた。

「はい、あーん」

などと、マイはふざけてみせた。

俺もそれに応じて、口を開ける。

特にいたずらされるわけでもなく、素直に俺の口の中にパンが入った。

「水もいる?」

俺は黙って頷いた。

マイの手の先を照らし、水を取り出すのを助ける。

これはさすがに開封したものを俺に手渡すだけだった。

「暗いと不便だね」

「せめて月明かりでも採光出来ればな……」

強い日の光ならばここの窓でも光が入るが、ここの窓の前には珍しく木が立っている。

街の木はほとんどなぎ倒され、壊滅状態だったが、この公民館はよほど幸運だったらしい。

誰もここに避難をしていなかったのが悔やまれる。

何か専門の知識を持った人が生き残っていれば、この先はもっと明るいはずだ。

そういった技能を持った人たちは、この街から働きに出ている。

いわゆるベッドタウンというやつだ。

家が心配で戻った人も居るかもしれないが、周りの破壊っぷりを見るに、生存は怪しい。

不真面目な、繁華街を根城にするような人間は助かり、真面目に働いていた人たちは死んだ。

なんとも理不尽な話だ。

死んだ、などと断定したが、特に破壊が酷いのはこの辺りだけなのかもしれない。

「そうだ、前言ってた栄養バランスも考えないと。このままパンだけ食べて生きられるとは思えないし……」

「でも、ここ川に囲まれてるんでしょ?」

「どこか浅い所があれば、向こう側に渡れる。あとは、簡単な渡し船を作るか……だけど」

橋や渡し船を作るということは、とても簡単な事の用に思えた。

しかし、いざ実行するとなるとかなり厳しいだろう。

浮く素材は、以前見た工場のパレットのようなものがある。

ドラム缶だってある。

ドラム缶を二つ並べて、それを何かでくくりつければ、簡易的な筏になるだろう。

ただ、それは一方通行で終わるかもしれない。

こちらに戻るには、また作る事になるかもしれない。

「向こう側は無事なんかな……」

マイはつぶやいた。

「向こう側はもっと酷い状況だったらどうしよう?」

「それも、あり得る」

向こう岸というだけなら見たことがある。

あの、死体の浮いていた川の向こうは、こちらと同じような廃墟の群れだった。

こちらもあちらも、そう状況は変わらないだろう。

「でも、向こう側にはもっと大人が居る。もしかしたら、何か解決するために動き出してるかもしれない。

簡単な墓が建ってるのを見ただろ? きっと、向こう側には居るんだ。少なくとも、弔おうという気持ちを持った人が。それもたぶん、一人や二人じゃない」

希望的観測とも言えた。

墓の数は、俺が見ただけでも数十はあった。

とてもじゃないが、二週間で食料や水を確保しながら、一人が出来るとは思えない量だ。

そして、その人はこの世界が自浄出来るないほどのダメージを受けたことを知っている……

こうなった後の世界で生きて行くことを決意している。

だからこそ、簡易的にしろ墓を建てたのだ。

ただ震え、縮こまって救助を待っている人間がやったのではない。

「行くの?」

「……うん。マイは?」

「ヒロが行くんだったら……私も、ここの人あまり知らないし……」

「でも、あんな危ない目にまた会うかもしれない」

「……うん」

対面でお互い体育座りをしていたマイが、突然俺の横に座った。

「すごい、怖かった」

体を寄せる。

震えが伝わる。

他人を威嚇するような姿をしていたマイも、本当は生徒手帳の笑顔の素敵な子だったのだ。

壊れてしまう前の世界は、違う意味で壊れていた。

俺も抑圧は感じていた。

でも、それは軽い方だ。

進学校で成績の悪い生徒と、成績が良い生徒が待っているのは、孤独なのだ。

きっと、マイの友達はそんな孤独を癒してくれた。

もしかしたら一緒に馬鹿な事をやっていたのかもしれない。

いじめにも加担したことがあるのかもしれない。

そして自分に危害を加えられて、初めて震えているのかもしれない。

でも、だから、なんなのだろう。

報いは充分に受けたはずだ。

こんな死に溢れた、地獄のような世界で、昨日知り合った男に寄り添うしかない。

「マイ、寝よう」

「うん」

俺は、マイに女性としての意識を向けない事にした。

彼女は今、母親が居ない子犬なのだから。


夢を見ている。

リーダーになってくれと懇願された。

おそらくは、この中で谷村さんを除くと一番の年長者だからだろう。

俺に統率能力があると思っての任命ではない。

これも夢なのだろうか。

夢を見ている。

俺は狼で、群れを率いている。

今日、落伍者が生まれた。

皆で攻撃し、群れから追い出そう。

足を引っ張るものは、群れには要らないのだから。

夢を見ている。

明日の食料にも困窮し、水も無い。

俺は必死に水を探すが、自慢の鼻も耳もきかない。

もしかしたら、ここには何もないのかもしれない。

そして、羊の群れが居た。

夢を見ている。

歓喜だ。

歓喜だ。

俺たちは羊を貪り食い、散らかし、誇った。

さあ、これで明日も生きていける。

夢を、見ていた。


「ヒロ、ヒロ!」

俺は揺さぶり起こされた。

「地震!」

跳ね起きる。

すさまじい揺れだ。

この公民館も破壊されてしまうのだろうか?

それぐらいに思えた。

世界がぐらりぐらりとゆっくり動いている。

同じ部屋に入る誰かの声も、ざわりと聞こえる。

皆何を言っているのかわからないが、泣いているものがいるのは分かった。

「皆、落ち着いて!」

驚いた。

自分にこれほどの声が出せたのかという事と、自分が思っても居ない言葉が出た事、両方に。

「大丈夫だ! この公民館は、何回も地震に耐えてる。地震に強いんだ!」

本当かどうかは分からない。

それでも、すがるものが欲しい人たちにとっては、強力な言葉だった。

マイが俺の腕にしがみついている。

皆の顔はよく見えない。

まだ夜が明けていないらしい。

揺れは次第に小さくなっていった。

かなり長い地震だったが、揺れはそれほどでもなかったようだ。

「皆、居るか? 木山!」

「何?」

「ここ、何人だ?」

「……えっと、兄ちゃんら二人会わせて八人寝てた」

「皆真ん中に集まって。マイ、懐中電灯」

「うん」

じりじりとダイナモが回る音がして、電灯がついた。

中央に集結しつつある顔は確かに六人だ。

「この部屋は全員いるよ」

「ここの部屋、いくつある?」

「寝てる部屋は三つ。俺たちのとこと、女子二人のとこと、谷村さんとこのグループ。全部で十六人かな」

つまり、別の部屋で六人寝ている。

俺たちが来る前は、女子二人を除いて均等に六人ずつ居たようだ。

「他の所に案内してくれ」

「うん……あ、懐中電灯俺の分もある?」

「四つある。ここに皆集めよう」

「分かった。待ってて。リーダーはここでどっしり構えててくれよ」

木山が笑顔で言ったその言葉に、少しだけ場の緊張感がほぐれた気がした。

俺よりもリーダーに向いているんじゃないかと思うが、口にはしない。

それこそ、混乱を生むだけだ。

俺も含め、なんだかんだと言っても俺たちは子供だ。

半月ほど前には、危機的状況に出来る限り会わないように社会の中で囲われていたのだ。

それが今、大人たちと同じ条件のもと生きる事になった。

それも、以前とは比べ物にならないほど厳しい世界で、だ。

地震はなりをひそめ、今は沈黙がこの場の主だった。

俺たちは一言も発さず、ダイナモ発電によって得られた小さな光を見つめていた。

マイはその灯を切らさないように回し続けている。

「マイ、変わろうか?」

何も言わず、こくりと頷いた。

俺もぎりぎりとハンドルを回し、懐中電灯の光を灯した。

その光を見ているだけで、俺たちは落ち着いていく気がした。

その昔、火を囲っていた人たちも同じような感覚だったのだろうか。

ただ一点を見つめる。

何か、これから大切な儀式でも行うかのような雰囲気だった。

ある意味、そうなのかもしれない。


木山のおかげで、全員が同じ部屋に揃った。

元々広い部屋だった。

無理して詰めれば、三十人は眠れそうな部屋だ。

「全員、無事みたいだね」

最初に口を開いたのは、谷村さんだった。

「あれから何度か地震はあったが……その中でも、なかなか大きな地震だった。大きい、というべきか、長い、というべきか……」

「ええ、でも、みんな無事で何よりです……ところで谷村さん、今の時刻って、どのくらいか分かりますか?」

「ああ、少々狂ってるかもしれないが」

そう言って、谷村さんは左手の袖をまくり上げた。

眠るときも同じスーツ姿なようだ。

今は衣服でさえ大切な資源だった。

「四時、四時五分だね。今は五月五日。こどもの日だ。日の出はもうすぐだろう」

淡い光が谷村さんの左腕から発されていた。

蓄光塗料の光だ。

時計自体の動力は使い捨ての電池なのだろうか。

時間はあらゆる計画の根幹に有るという事を、この二日間で嫌という程痛感した。

何時間歩いただとか、何時間滞在したという事を知るのは、自分の身を守るという意味でとても重要だ。

暗くなったら帰ればいい、というわけではないのだ。

「皆で日の出まで起きていましょう」

俺がそう提案しなくとも、皆不安で一杯なのだ。

この場で眠れるほど、俺の肝も座ってはいない。

「それで、日の出と同時に外に出てください。今後の事で、重要な事があります」

「この場では言えない事なのかね?」

「ええ。外に出て話す事が、重要なんです」

俺の中で話すべき事は決まっているのに、この期に及んで迷っている。

ほとんど賭けのような事なのだ。


夜が明け、今まで見た事の無いような太陽の光が、地面を照らしている。

まるで光が拡大されているかのように感じたのは、周囲の風景が一変しているからだろう。

いきなり太陽が伸びたり縮んだりするとは思えない。

「それで、話とは?」

俺は、皆が揃っているのを確認した。

その間黙り込んでいたため、また一番最初に話したのは、谷村さんだった。

俺のリーダーぶりが心配で仕方が無いといった様子だ。

「少しだけ歩きます。こっちの方向へ」

俺が指差した先には、500mほど歩くと川が見える所がある。

向こう岸が見える所だ……

「あの向こう側に、俺と、後何人かで偵察に行こうかと思っています」

「偵察?」

「ええ、向こうには墓が建ってました。それは、そのままそれを建てた人が居る、という意味です」

「その人たちに会って、どうするんだね?」

「……社会を再生します。人から物を奪わなくていい社会に」

緊張の面持ちだった谷村さんの表情が、徐々に崩れていく。

私たちをどう導くのだろう? そう思っていたはずだ。

「君は、ここで政治をやるのかね?」

「そうとも言えるかもしれません」

「その、墓を建てた人たちが君に従うと?」

「それは分かりません……さあ、誰かついてくる人は?」

静まり帰った中、挙手をする人間は居ない。

あの木山でさえ、下を向いていた。

向こうに行くという事は、つまり、そういう事なのだ。

「俺たち二人で、向こうに行って、様子を見てきます。その間、谷村さん、ここを守っていてくれますか?」

「ああ、分かった。気をつけて行ってくれ。食料もいくらか渡そう。毛布も……でも、この食料が尽きる頃には戻ってくれよ。三日分だ」

笑っていた谷村さんの顔は、真剣な表情に戻っている。

三日間、俺とマイは野宿をすることになる。

それでも、俺は行かなければならない。


向こうには家族が居るかもしれないから。

それを確認するまで、俺の夢は終わらない。

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