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灰の中  作者: 文月一句
7/15

盗人

空気の色が変わって行く。

荒廃した世界で初めて見た夕景色は、今まで見たことがないほどに不思議な情景だった。

夕日が瓦礫の海を上っていく。

反射する光は割れたガラスやその他の金属だろう。

地面がきらきらと光っている。

不謹慎だとは思う。

けれども、きれいだな、と思う。

この美しさは、一度完成したものが破壊された後にだけ存在する。

地球の自然では創造できない破壊の美だった。

どこかのいかれた芸術家が、この美を作るために世界をめちゃくちゃにしたんじゃないだろうか。

そんな突拍子のない話でも、今では信じられる気がする。

臭いは相変わらずひどかった。

これからさらに夏にかけてひどくなるのだろうか。

それともその頃には、すべて土に還って無かったことになるのだろうか。

赤い光が俺たちの体を照らした頃には、マイは泣き止んでいた。

疲れ果てた表情のマイは、以前の絶望した顔とは違っている。

生命力を感じて、それから少し、ドキッとした。

たった一日で彼女はひどい経験を積んで、成長したのだ。

俺はどうなのだろう。

まだ異世界を漂っているような、画面の向こうの世界のような、不確かな感覚に陥っている。

その一つは、俺がまだ家族を見ていない事に起因しているような気がする。

高校では友達が居なかった。

小中学と公立に通っていた俺の友達も、同じような地域に住んでいる。

しかし、この川で孤立した島の中に彼らの家は無い。

それどころか避難所指定されているのは俺が今座っている学校だ。

この辺りに居たらまず死んでいると思って差し支えないような気がする。

使えない携帯電話をいつの間にか握りしめていた。

今はもう、時刻さえ確認出来ないプラスチックの固まりだ。

それでも、なかなか手放す気にはならなかった。

文明の名残だったから。

それを捨てると、もう二度とあの頃の世界に戻れない気がした。

「もう、どこもかしこもこんなになってるのかな」

マイが呟くように言った。

「隣町も、その隣町も。東京も神奈川も大阪も、名古屋も北海道も」

「どうだろう。道路が潰れて、救難が出来ないだけなのかも」

「ヘリや飛行機は? 一つも見えないよ」

「ちょっと前は飛んでたのかも。谷村さんに聞いてみよう」

「いいよ。別に。だって、今飛んでなかったら意味が無いでしょ」

疲れた声だが、疲れ果ててはいない。

今この状況で、その細かな違いは天と地ほどの差があった。

「夕方になっちまった。続きは明日にしよう」

「ううん、もうちょっと掘らせて。さっき、一つ見つけたから」

「うん」

俺も掘るのを手伝う。

せめて少しでも収穫があれば、気がまぎれるだろう。

マイの友達の遺体を横目に、俺たちは作業を再開した。

いつか弔ってあげようと言いたいが、今は言えない。

本当は今すぐにそうしたいはずだ。

でも、「夕方になるまえに帰ってくるように」という谷村さんの忠告が気になっていた。

もうすでにそれは実行出来ないわけなのだが。

ここに誰かが迎えにくるということは無いだろう。

すべて自己責任だ。

結局、夕日がまだ空に存在する間に、俺とマイはそれぞれ二つずつの袋を見つけた。

それとスコップを荷車に入れて、俺たちは帰る支度をする。

マイは校門から出る前、手を合わせて拝んでいた。

「今度、いや、明日、焼いてあげよう」

「うん」

遺体を焼くというのを、どうやってやるかは知らない。

谷村さんなら知っているかもしれない。

火葬をするということを、俺はおばあちゃんの葬式で知っていた。

色々な事を、特に健康の事を教えてもらったおばあちゃんだが、肝心の自分の体は病に蝕まれていたらしい。

「ヒロ、ありがとね」

「どういたしまして」

何に対しての礼なのか、特定は出来なかったが、

感謝をされているという事は分かる。


悪路を進むころ、日は完全に傾いて、ほとんど夜になっていた。

街灯が全く無い。

このままでは方向さえ定められない。

電灯の光になれた目では、月明かりや星明かりで進むのは無理な事のように思える。

夜の山の中をおじいちゃんに連れられて歩いた事があるが、おじいちゃんが持つ懐中電灯の光が無ければ、ほとんど何も見えなかったのを覚えている。

「そうだ、マイ、懐中電灯用意しといて。防災用具の中にあった、ラジオ付きのやつ」

「これ?」

「そう、それ」

手回し式の充電器のついた、ラジオ付き懐中電灯だ。

マイは試しにぐるぐると回してみる。

弱弱しい明かりがついた。

あれだけぐちゃぐちゃの所に放置されていて、壊れていないだけ儲けものだろう。


空は赤黒から青黒くなりつつあった。

作業が早く進んだと思ったのはどうやら錯覚で、

俺たちがただ時間も忘れて作業をしていただけのようだ。

昨日よりも肉体的な余裕があるという事でもあるだろう。

ただ、未だに体は感じた事の無い倦怠感で埋め尽くされている。

正直、自分がこれほどまで仕事が出来るとは思っても居なかった。

すべては風呂と洗濯されたジャージのおかげだろう。

食べ物もほとんど食べていない。

胃袋が小さくなっているのだろう。

ただ、何も食わなければそのうち動けなくなるのは目に見えている。

「マイ、何か食べるか? 缶詰しかないけど」

「向こうについてからね……だいぶ暗くなってきた」

瓦礫の山は二人で荷車をかかえて登らなければならない。

そうしないと今の体力ではたちまちバランスを失って台車を転倒させてしまうことになる。

俺たちが瓦礫の頂上に到達した時、ちょうど夜と言うべきものが到来した。

さすがにもう、前が見えない。

「なんとか一人で下ろすから、マイは光だしといてくれ」

「わかった」

かぼそい光が俺たちの前を照らす。

もう懐中電灯でさえ久しく見ていなかったが、昔見た電池式の光はもっと力強かったように思える。

とにかく緊急用の明かりなのだろう。

たいまつのようなもののほうが、おそらくは明るい。

「きゃっ!」

マイが短く悲鳴のような声をあげた。

がつん、と音がして懐中電灯を取り落とすのは、それとほぼ同時だ。

「ヒロ、ヒロ、石、石が飛んで来た!」

「なんだって!」

そのやりとりのすぐ後、三つの石が飛来する。

もしくはもっと多かったのかもしれない。

三つは台車に当たり、がんがんと音を立てていた。

結構な威力で投げられている。

台車がへこんでしまったかもしれない。

それよりもっと大事なのは、これが体に当たればただではすまないという事だ。

「置いてけえっ!」

甲高い男の声が、少し離れた所から聞こえた。

「それ置いてどこかへ行けっ!」

複数の男の声が聞こえる。

それだけでマイはすくみ上がってしまう。

俺は咄嗟に、台車を盾にするように、マイをかがませた。

「何、何なの、一体っ! 意味わかんない」

小さな声でマイは俺に問いかける。

俺も意味が分からない。

分からないようにしている。

これが、谷村さんが夕方までに帰ってくるように言った理由なのだろうか。

木山がバットやヘルメットで固めていた理由だったのだろうか。

「次は当てるぞ! 早く逃げろ!」

強盗だ。

強盗の割にはまだ理性的な方だ。

向こうも自分が取っ組み合いの喧嘩になればどうなるか分からないと思っているのだろう。

食料を奪おうとするぐらい切羽詰まっているのだ。

「オルぁ! コルぁ!」

太い、威嚇するような声で男が叫ぶ。

少なくとも四人は居そうだった。

俺たちを遠くから観察していたのだろう。

どのくらい遠くからなのかは分からないが、俺がぼうっと情景を眺めている間は居なかった気がする。

「逃げよう、ヒロ!」

「ああ、でも、どっちだ……どっちに逃げれば!」

「どっちでもいいよ、早く!」

俺は防災用具入れを二つ、荷車の上から素早く取り、マイに渡した。

「これで頭を」

「うん」

中にはヘルメットも入っていたが、装着している暇なんか無い。

背中に一つ、頭に一つの袋には、食料も水も詰まっている。

でも、荷車やスコップを失うのは痛手だ。

スコップは凶器にだってなるのだ……

俺はもう片方の手に、スコップを握った。

マイにはさすがに手渡せない。

「走れ、マイ!」

「うん!」

「待て、置いてけコルァ!!」

俺たちが逃げた事で相手は増長している。

それにしても、もう明かりが無いというのに良く目が見える事だ。

暗所に居て、ずっと目を慣らしていたのかもしれない。

そんな覚悟の相手と2対4で戦うほどの蛮勇は無い。

俺たちに向かっての投石が、2,3降り注いだ。

その全てを袋が受け止めてくれる。

マイは俺の前方を飛んでいる。

暗がりでもそれが見えるほどに、俺の目も慣れて来た。

瓦礫が邪魔をして、どうしても飛んで移動するような形になって、

なかなか思うように前進出来ないが、投擲から身を守るのには好都合だった。

あれから石が投げられた気配は無い。

あそこにある二つの袋には、各人一つずつの水と食料がある。

彼ら同士でひとまず争う事は無いだろう。

もし、争いなどが起きて手負いの人間が発生でもすれば、

今度こそなりふり構わずいきなり殺そうとしてくるに違いない。

それを今されなかったのは、彼らに少しだけでも理性が残っていたからだろうか。

あるいは、彼らの規律のようなものがあるのだろうか。

そのあたりは分からないが、とにかく命は助かった。


その後、どうやってたどり着いたのかあまり覚えていない。

わずかな明かりで進んだ先に、突如瓦礫の無い空間が見えた。

あの公民館だ。

言いつけを守らなかった上、道具まで失ってしまった。

かなり戻りづらい状況だったが、俺たちはすぐに公民館へと逃げ込んだ。

こんな秩序も無い世界になって、はじめて強盗に出くわした。

俺の心臓はまだその緊張で脈打っていて、しばらくこの感覚を忘れられそうにない。

公民館は当たり前のように真っ暗だ。

火を使えば明かりも出せるだろうが、さっきのような連中を警戒してのことなのだろう。

俺たちが懐中電灯を使ってここまで来たのはまずかっただろうか。

それでも、日中ここを通りかかりでもすれば、ここに人がいるということはわかるはずだ。

昔の日本人ならば、あんな襲撃などせずに、頼み込んで食料や水を分けてもらうことを考えるはずだ。

俺の知らない二週間の間に、いったい何が起きたというのだろう。

「夕方までに帰れなかったようだね」

「あ……」

暗闇から突然、谷村さんが現れた。

俺たちの帰りを待ってくれていたのだろうか。

時間がどのくらいかわからないが、日が落ちてから一時間は経っていたと思う。

この暗闇の中、何もすることがなければ普通は寝てしまうだろう。

「すみません……」

「君らが生きてただけでも。私も言葉が足りなかったと反省している」

谷村さんの声は、相変わらず落ち着いていた。

「木山君を知ってるだろ?」

「あ、はい」

「彼、君たちを見つけたとき、何て言っていた?」

「たしか……友達を探してると」

「彼の言う……友達はね、殺されたんだ」

「……え?」

死んだ、ではなく、殺された。

それはつまり、怪我や、病気ではなく。

誰かが誰かに危害を加えたということ。

「殺されたんだよ。夕方前に帰られなかったんだ」

「誰に……そんな……」

「君らも、襲われたんだろう?」

「はい」

「何をされた?」

「石を投げられました。その、四人ぐらいから」

「じゃあ、それはまだ比較的マシなグループだね。

このあたりの食料を見つけるのが難しくなったのが一週間くらい前だよ。

コンビニやスーパーの食料品はあらかた腐るか、略奪された後だ。

ここらには野草も動物も、川に食べられそうな魚も居ない。

たぶん、みんな死んでしまったんだ」

そんな状態になってから一週間。

飢えで死んだ人間だっているかもしれない。

「四日前。木山くんの友達は殺された。

このあたりのそういった連中を統括してる奴に、見せしめにね」

「……見せしめ?」

「おとなしく食料や水を差し出せ、とね。うまくいってるのか、

彼らに本当に貢ぐ連中も居る。

変わりに庇護をもらっている、というわけだ」

冷静な声が、逆に怖かった。

「ここもそのうち危ない。彼らは今、数が数を呼んでいる状態だ。

ひとつの群れを形成している。

おそらく、強力なリーダーが居るのだろう。

昔、繁華街を根城にしていたような、半グレの連中だろう……」

半グレが何を指す言葉なのか、正確な意味がわからなかったが何となく伝わった。

暴力を振るい何かを解決させるような連中だ。

それはつまり、自分たちで食料を生産したりする能力は無いということだ。

「そこで、相談があるんだが」

「何ですか?」

「私たちの”群れ”のリーダーになってくれないか? 串本くん」

「俺が……? 新参なのに?」

「君は少なくとも、彼女を連れて帰ってきた。襲撃されたのにね。

それはつまり、そういった場面に立ち会っても動ける人間だということだ」

「そんな……俺より、谷村さんのほうがよっぽどうまくやれますよ」

「私はこの年だ。明日死んでしまうかもしれないんだよ? なんせ、この食糧事情だ……体力の無い人間から死んでいく。それで、私がリーダーになって、すぐに死ぬか、動けなくなったら? 君たちは、間違いなく混乱する」

今まで冷静に話をしていた谷村さんは、急に感情を露にした。

こんなにしっかりとしたような人でも、やっぱり怖いのだ。

この年、と言う谷村さんは、俺から見てもすぐにでも死にそうな風には見えなかった。

でも、俺は今思い出した。

日本人が長生きだったのは、高度な医療のおかげでもあった、ということを。

持病の一つでもあれば、それで今の時代生きてはいけない。

「わかりました、俺がやってみます」

「ありがとう……!」

谷村さんは俺の手を両手で握る。

その手が震えていたのは、恐怖なのだろうか。

唯一の大人であるという立場を投げ出してしまったという、罪悪感なのだろうか。

それとも、また別の感情からなのだろうか。


谷村さんの顔は、暗くてよく見えなかった。

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