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灰の中  作者: 文月一句
5/15

体温

学校からそう遠く離れていないところに、彼らの拠点はあった。

とは言っても、彼らの中学校からは結構離れている位置にある。

おそらくは、逃げていく途中に立ち往生になり、頑丈そうな建物を見つけてそこを拠点としたのだろう。

この崩壊し続ける世界で、今いる場所は秩序だっている。

30メートル四方ほどの囲いの中の瓦礫はすべて取り除かれ、地面がむき出しになっていた。

そこは野球部が利用する道具で地面がならされていて、汚れさえ気にしなければそのままでも寝転べそうだ。

四方の「辺」の部分には、廃材を加工した杭が立てられ、その間を有刺鉄線やら、ロープやらネットやらでつなぎ合わせ、とにかく四角形を作っていた。

建造物は二つある。

ひとつは住居となるであろう、二階建ての公民館。

もうひとつは、かつて公園のものであっただろうトイレだ。

この二つが奇跡的に残されている。

公民館やトイレは背が低いのが幸いしたのだろうか。

トイレは単純に「的」が狭く、構造的に地震に強いから残ったのだろう。

今見ているトイレほど完璧ではないが、この拠点に来る最中も原型を留めたトイレはいくつかあった。

普段ならなかなか考えられない事だが、ああいう場所に住んでいる人たちも、もしかしたらいるかもしれない。


「やあ、よく生きていたね」

初老の、くたびれたスーツを着た男が笑顔で言った。

雰囲気からすると、彼らの教師だったのだろう。

スーツを着ているところを見ると、彼らの顧問ではなさそうだ。

彼ら野球チームは全員ユニフォームを着ていた。

二人居たマネージャーの女の子もジャージを着ていた。

皆何らかの作業をしながら、遠巻きに俺たちを見つめている。

「はい、何とか」

俺も笑い返そうと思ったが、その元気も尽きたようだった。

田中さんはただ無言でうつむいている。

「高校の近くにいました」

「高校の近く? あんなところに?」

「ええ、二週間学校の中で眠ってたそうです」

「へえ……それは奇跡みたいだ」

そう言ってまた、にこりと笑う。

二週間経っても、男には髭が生えていなかった。

それはつまり、そういった衛生用品もそろっているという事だろう。

彼らのユニフォームもあまり汚れていないところを見ると、

洗濯だって出来るのかもしれない。

「とにかく二人とも疲れただろう? 毛布程度のものしかないけど、横になりなさい」

「はい、ありがとうございます……田中さん、行こう?」

「……うん」


田中さんはかなり滅入っているようだった。

あの後、俺たちは崩壊した世界をさらに見物することになった。

俺たちが目指したの先のものとは別のものだったが、決壊した橋も実際に見た。

よどんだ川に浮いた、いくつかの人間の遺体も、その周りに誰かが簡易的に立てた墓も、全部見てきた。

川の遺体を見ても、なんだか人形みたいで現実味がない。

だいぶ形が残っていたから、自殺なのかな、なんて思ったりもした。

そういった出来事も、田中さんの体内には毒として蓄積されていたようだ。

俺は心が麻痺してしまったのだろうか。

本来なら、田中さんのように感情に流されるのが普通ではないのだろうか。

家族や、友達や、色々大切なものが、すべて引き裂かれ、もしかしたら破壊されている。

目の前に破壊の証拠を見せつけられたら、俺だって衝撃を受けるだろう。

立ち直れないかもしれない。

「良かったら水と食べ物もあるよ。カンパンと、ミネラルウォーターだけどね」

「ありがたく頂きます」

公民館の中の一室まで案内してくれた男は、二人分の缶詰入りカンパンとペットボトル入りの水をくれた。

とにかく今は何かしら食べて、飲んだ方がいい。

飢えや乾きは一向に収まらず、かといって疲労も眠気も無視出来ない。

色々な苦しみが俺の体を襲っている最中に、マットレスとはいえ柔らかい場所に座っていると、まるで体に根が生えたような錯覚に陥る。

俺は田中さんの分の水とカンパンのふたを先に開け、自分の分も開封した。

水は少しずつ飲み、カンパンも良く噛んで食べる。

いつかどこかで聞いたか、読んだかした事だ。

そうすれば満腹感も得られ、体にもいい。

自分だけ食べているのも何なので、沈んだ表情で座っている田中さんの前に、俺は先ほどの開封した二つを改めて差し出した。

「いい」

「食べなよ、今のうちに」

「いらない」

「ダイエットなんてしてたら、死ぬよ」

冗談で言ったはずの言葉は、笑いながら言えなかった。

「死にたい」

「何で?」

「死にたい」

そう言って、体育座りの格好で、顔を伏せて田中さんは泣き出した。

背中をさするのは本当にいい事なんだろうか。

こうする事で、生きる元気が無くなりはしないだろうか。

色々な事を考える。

死にたい?

俺は、死にたく無い。

絶対に、死にたく無い。

まだ家族の事も、いつか出来た友人の事も知らないのだ。

俺は奇跡を越えて生きている。

田中さんだってそうなのだ。

死ぬなんて贅沢じゃないか。

死ぬなんて贅沢じゃないか。

俺も泣きたかった。

でも、泣けないんだ。

「死なないよ、田中さんは」

「何で、何でよ……一杯、一杯人が死んで、こんなのしか飲んだり、食べたり出来なくて、満足に生活出来ないじゃない……ずっとあるの? こんな食べ物も、水も。お風呂だって入れない、友達だって、お母さんだって、お父さんだって、死んだかもしれない」

「死んだって決めつけるなよ」

「ごめん……ごめんなさい」

完全に弱気になっている田中さんに、俺はいつの間にか強い口調で言っていた。

それ以上の事は言えなかった。

俺が薄々思っていた事を、田中さんは代わりに言っただけなのだ。

友達と一緒にゲームしたり、漫画を読んだり、勉強をして優越感に浸ったり、そんな事は、もう二度と無いだろう。

二週間、救助も何も来ないなんて考えられない。

本気を出せば一週間以内に世界を一周する事だって出来るというのに。

何千という人工衛星がすべて墜落したというのなら、色々な障害が発生しているだろう。

船も飛行機もまともに飛ばないかもしれない。

食料自給率の低い日本が孤立したならば、破壊による直接的な打撃が無かったとしても、

多くの人間が餓死する。

「水ぐらい飲めよ」

「……うん」

案外、あっさりと言う事を聞いてくれた。

本当は田中さんだって飢えているし、乾いている。

何度か背中を撫でていると、小さな声でありがと、と言った気がした。

カンパンも手渡しすると、その分だけは食べたけれども、

自分から進んで食べる事も無い。

気を使ってくれているのだろうか。

半日前、出会ったばかりの田中さんでは考えられない反応だった。

それだけ、色々な情報は彼女を消耗させたのだろう。

あるいは、いつも被っている仮面を外した、正直な彼女の心なんだろうか。

じっと見つめているのを気付かれたのか、田中さんは顔を伏せた。

「あんまり、見ないで。眉毛無くなってるし……気失ってる間は生えなかったんかね」

田中さんが鏡を見た様子は無かった。

それでも、眉毛が無い感覚は分かるものなのだろうか。

眉毛を剃った事が無いから、イマイチ分からない。

「髪の長さもあんまり変わってない。だから、生きてるんだ」

そう言って、彼女は大きなあくびをした。

体中汚れだらけで、俺も人の事は言えないが、そのあくびを見て、俺も眠気に襲われた。

二つ並べられたマットレスを、二つとも使うのに気が引けて、俺は、自然と彼女と背中合わせに寝る事にした。

まだ意識のある彼女は、少しだけ抵抗をしようと動いたが、その動きもすぐに止まる。

「誰もいないから、いっか」

そう言ったきり、俺も田中さんも沈み込むように眠った。


朝日がちょうど差し込む角度に、窓はあった。

こうやってまともに寝て、まともに起きたのがとても懐かしく思う。

昨日一日が、まるで一ヶ月の出来事のようだった。

あまりに不可解な情報を処理出来なかったのか、それとも疲れ過ぎていたせいか、

俺は夢を見る事さえ無かった。

空腹を感じて、のどの渇きも感じて、現実であることを確認する。

それが、俺なりの確認方法だった。

田中さんはまだ眠っている。

隣のマットレスは少し前まで誰かが寝転んでいたのか、毛布がかまくらのようになっていた。

俺たちの上にも毛布がかけられている。

きっと、親切な誰かがかけてくれたのだろう。

彼女の体温を、背中伝いにずっと感じていたかったが、変態扱いされると困るので早々に毛布から飛び出した。

他の皆がどこで寝ているのかは分からないが、色々な声が聞こえるから、皆すでに起きているのだろう。

ただ、笑い声だけは聞こえなかった。

俺は出来る限り田中さんを起こさないように、ゆっくりとマットレスから離れた。

死んでいた嗅覚が働き出し、自分の体臭に気付く。

とても生々しい臭いで、おそらくはどこかで死臭も染み付いてしまったのだろう。

俺は寝室となっていた一室から廊下へと出た。


「良く眠れたようだね?」

廊下に出てすぐに、昨日の黒のスーツ姿のまま男は立っていた。

きっと、何度か様子を見に来てくれていたのだろう。

「え、ええ、どうも、ありがとうございました。あの、お返しとかが出来なくて……」

「それは大変だ、どうやって支払ってもらおう」

そう言って、初老の男は笑う。

この人だけは笑う心の余裕があるようだ。

「え、ええ……」

「嘘だよ嘘、さあ、洗濯するからこのジャージに着替えて。お風呂にも入るといい」

「お風呂があるんですか?」

「ドラム缶だけどね。川の水は無尽蔵にある。蒸留したり、濾過したりして使ってる。風呂と洗濯の水は簡易的な濾過で充分だから、大量に作れるんだよ。飲み水はそうはいかないけどね」

案内された先にあったのは、洗濯室だった。

洗濯室には、何と洗濯機があり、ごうんごうんと音を立てて回っていた。

洗濯機の電力は車のバッテリーで供給されているようだった。

「驚いたかい? 車のバッテリーは腐るほどあるからね。こんな地面じゃ車は乗れないし、ガソリンが入ってた車はだいたい炎上してる。一部大丈夫なものがあったけど、ガソリンは燃料として色々有用だ。走れるかどうかわからない車のためには使えないよ」

そう言って、洗濯室の隅にあった金属缶を指差した。

あの中には、ガソリンが入っているのだろう。

「電気、詳しいんですね」

「いやあ、趣味でね。日曜大工がこんな時に役に立つとは。はっはっは」

日曜大工という言葉に違和感を感じつつも、動く洗濯機を見て酷く安心してしまった。

冷蔵庫や電子レンジや蛍光灯ではなくて、洗濯するのに機械と電気を使っている。

無駄とも思えるそれは、安心をさせるための装置なのだろう。

いつかまた、あの日の生活に戻ることが出来る。

そんな事を少しだけ考えさせてくれる。

「風呂に入るときは、ちゃんと板を敷くんだよ。じゃないと、足を火傷することになる。板は壁に立てかけてあるから」

「あ、はい、何から何までありがとうございます」

風呂場には、石けんと体を擦るためのタオル、洗面器と見慣れた面々の中に、半分焼けたドラム缶が鎮座していた。

タイル張りのような作りの建物ではなく、床は地面で、それこそ日曜大工の技だった。

囲いは廃材を利用して建てられているのだ。

公民館にはもちろん洗濯室や風呂なんて設備は無い。

洗濯室だってコンクリート張りの一室で、下にすのこがひいていたぐらいだ。

もちろん、水を抜くための穴も開いていた。

一方、こっちは下が地面だからか、排水のための設備は無い。

こちらの床にも一部すのこが引いてあって、燃料は外から追加するようになっているようだった。

さすがに廃材を利用した隙間だらけの部屋とはいえ、こんな室内で火を焚いたらまずいのだろう。

ガソリンと木材を利用した火は、結構勢いが強いようで、すぐに湯気のたったお湯が出来上がった。

外からこんこん、と叩く音がする。

「オッケー、もう入れるよ」

木山の声だった。

「おお、ありがとう。今度俺も色々手伝うよ」

「当たり前じゃん」

かすかに笑う声が聞こえる。

木山も笑う事の出来る一人だ。


初めてのドラム缶風呂に悪戦苦闘しつつも、終わってみれば体が生まれ変わったかのような感覚だ。

石けんのおかげで臭いも無く、洗濯室にあった鏡を見たら汚れも消え失せていた。

案の定痩せていたが、顔色もそう悪くは見えなかった。

体には未だに筋肉痛のような痛みが残っているけれども、動けないほどではない。

風呂と睡眠でだいぶ回復したようだった。

「さっぱりしたね」

洗濯室で洗濯機の動きを見ていた男が、そう言った。

「はい、ありがとうございました……あ、あの、名乗り遅れましたけど……」

「串本くん、だろ? もう一人の子は田中くん。さ、彼女の所に行って。風呂があるって聞いたら、飛んで喜んでたから」

それを聞いて、なんて現金な奴なんだと思った。

昨日死にたいと言っていた人間の行動とは思えない。

そう思いつつも、俺の顔はにやけている。

「はい……それで、先生の名前を」

「私は、先生ではないよ。名前は谷村茂たにむらしげる。年金を君らの少し上の世代から吸い上げていた、おじいちゃんだ」

「そうだったんですか……てっきり、先生かと」

「昔はね。あの日は学校に居た」

あの日、というのは災害の発生した日の事だろう。

谷村さんはあくまでも明るい調子で言っていたけれども、その事については聞きづらかった。

「早く、彼女が待ってるよ。奇麗な姿を見たいだろ?」

彼女、という言葉に何か違う意味が込められている気がしたが、

苦笑で返して洗濯室を後にする。


この暖かくなった体は、現実の世界に生きている。

俺は、空腹や疲労以外に、意識をつなぎ止めるものを手に入れたのだ。

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