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灰の中  作者: 文月一句
2/15

プレハブの残骸の中で蠢くものは、片腕を頼りに這い出ようとしていた。

不気味なほどに弱々しい動きだった。

あの手の上にかぶさっている、波板と石が強力な障害になっているようだ。

腕は肩まで出ているというのに、それ以上はなかなか進まなかった。

体の他の部分が、どこかに挟まってしまっているのだろうか。

袖が汚れ、破れていてすぐには分からなかったが、

あの服はうちの学校の女子の冬服だった。

助けるかどうか、少しだけ迷ったが、俺の境遇を思い出し、よろけながらも走り出す。

こんな状態だ。

誰か、一人でも一緒に行動できる人間が増えるなら、どれだけ心強いか。

そうは思いつつも、俺の胸の中には心配もあった。

手は相変わらずの土気色で、生気というものが全く感じられない。

俺の手も最初は似たような色だったが、今はある程度の血色を取り戻している。

あの、傷だらけの手を引っ張った拍子に、体から腐って抜けるのではないだろうか。

とんでもない想像をして、その事を後悔する。

度々襲いかかってくる頭痛やめまいと格闘しながらも、

俺は周囲の状況を確認しながら近づいた。

校門と呼べるものはあたりには無く、塀も何もかも、同じくがれきになっていた。

一体どれほどの地震が起きればこうなってしまうのだろう。

そもそも、地震なのだろうか。

舞った埃でよく見えないが、遠くの方では何かが焼けこげているのか、煙がちらちらと見えていた。


プレハブの残骸の頂点に、腕はあった。

俺と同じ状態だったならば、おそらく声もでないはずだ。

無事助け出せたとして、怪我でもしていればまず治療は出来そうになかった。

被災してからどれほどの時間が経ったかもわからない。

少なくとも、救助のヘリや自動車の音は聞こえない。

もちろん、救急車など出動するはずもないだろう。

連絡する手段だってない。

返事は無かったとしても、声は聞こえるかもしれない。

「今助けるからな」

聞こえるなら勇気づけようと思って出した声は、自分でも耳を疑うほどかすれていた。

口が乾き、まともに喋る事さえ出来ない。

それからは喉よりも足と腕を動かし、周りのがれきを少しずつ除去していく。

一番邪魔で一番大きな波板は、薄い鉄板のようなものだった。

異様に重く、俺の手では動かない。

仕方が無いから、山の下の方から崩して行くことにした。

幸いプレハブは木製で、金属が飛び出しているような事は無かったが、

窓にはもちろんガラスがはめられ、サッシはアルミ製だっただろう。

軍手も無い状態で作業をしなければならない。

あくまでも慎重にやる。

波板がこちらにずれて落ちて来たら俺の胴体はタダではすまないだろう。

そんな困難な作業の中でも、腕の周りの穴は徐々に広がり、体の全容が見え始める。

最悪、とは言えない。

下半身はまだ見えないが、少なくとも上半身は無事そうだった。

出血はしていないように見える。

足は完全に挟まれてしまっているのだろうか。

出ている腕とは逆の手には、二つの紐が握られていた。

意識はあるようには見えない。

先ほどはたまたま動いたのだろうか……?

呼吸は……出来ているようだ。

かすかだけども、この無音の中では良く聞こえる。

顔の血色はやはり良く無い。

しかし、腕ほどではなかった。

やはり末端部だからだろうか。

俺には医療の専門知識などないし、良くわからない。

とにかく、残骸に挟まったままで容態が好転するとは思えなかった。

俺は、もう片方に握られている紐を放すよう、手の指を開いた。

その後、脇の下を持って引きずり出す。

もう彼女は腰から下だけが埋まっている状態だった。

幸い、足もそれほどきつく挟まっていなかったようだ。

靴は脱げてしまったようだが、手の届く位置に入っていたから、

それもついでに取り出してやる。

足は折り畳まれた状態で挟まっていたにも関わらず、

奇跡的に圧迫はされていない。

俺以上に幸運な空間が出来ていたようだ。

彼女が握りしめていた紐は、どうやら防災用具入れのものだったようだ。

しかも、二人分だった。

もしかしたら、誰かと逃げようとして二人分の道具を確保し、その最中に被害にあったのかもしれない。

引きずり出した時に半分脱げかけた、セーラー服のスカートのポケットから、ちょうど生徒手帳が飛び出していた。

なんとも都合のいい。

ちゃんと携帯しているところを見ると、真面目な人間なようだ。

髪は茶色に染めている。

校則違反をしたいのか、それともしたく無いのか。

素敵な黒髪の少女の笑顔の写真を眺める事も無く、俺は学年と名前を確認した。

同期のようだ。

名前は田中舞子。

なんだか前時代的な名前にも感じる。

それからすぐに、手帳を元に戻した。

色々と誤解されても面倒だ。


銀色の防災用具入れの中身は、3本の500mlの水入りペットボトル、パンの缶詰とカンパンの缶詰が二つずつ、手回し発電が出来る懐中電灯付きラジオ、ヘルメット、発煙筒だった。

袋自体も防水加工されているような質感だ。

防災の手引き、という本も入っているようだが、中身はかなりぐちゃぐちゃになっていた。

水は見る限り透明で、缶詰も異常は感じられなかった。

俺は、無言でパンの缶詰を開けてしまう。

気絶するの起こして、確認してから食べる、なんて悠長な事が出来るほど、

俺の胃と精神に余裕なんて無かった。

一体どれほどの時間俺は食べていなかったのだろう。

香りも今までの悪臭たちとは違い、いい香りだった。

味覚は死んでいない。

ただのパンがこれほど甘いなんて、思ってもいなかった。

パンを食べ、水で流し込むと、突然細胞が活性化するのを感じた。

体に体温が戻り、色々なものが巡って行く。

それが体感出来る。

あらゆるぼやけた感覚が、少しずつだがはっきりとする。

それと同時に、体が痛みだした。

今までは脳みそのほうが色々な情報を遮断していたのかもしれない。

今度はひどい筋肉痛のように、

体が動く事を拒んでいるようなものだった。

胃が小さくなっていたからか、水を500mlと、パンの缶詰一つで俺は満腹になった。


痛みが復活したように、思考も徐々に戻って来た。

凄まじい環境に、俺は放り込まれてしまったのだ。

時折どこかで崩落の音が聞こえるだけの無音の世界。

俺と同じ制服を着た誰かの頭が割れ、腐っている世界。

俺は、なんだかんだ言いつつも、今まで夢を見てるようだったのだ。

臭気も痛みも、俺を覚醒させるには至らなかった。

ただ、他の誰かの体温と、満腹感がリアルを感じさせた。

俺は生きて、ここに居る。

太陽は真上にあった。

今は正午ぐらいだろうか。

何度も携帯電話を見ようとしてしまうが、もちろん電源は入っていない。

傍らで眠るように気絶している田中舞子が起きるのはいつの事だろう。

このまま放っていても、大丈夫なのだろうか。

今更ながら、防災用具の袋を枕代わりに彼女の頭の下に敷いた。

中に入っているものは、ペットボトルを除き全部ごつごつしている。

最悪な枕だろうが、本当に俺は、何をしていい分からなかった。

彼女を放ってどこかへ行こうという気にもならなかった。

夜になったらどうすればいいんだろう?

先ほどまで、自然に動いていた体が、急に動かなくなった。

胃にものが詰まって、気が抜けてしまった。

ふと、俺も寝ようかなと思ってしまう。

寝て、起きたら実は夢でした、という事にならないだろうか。


「ん……」

俺のと似た、すごく掠れた声だった。

気が付いたのだろうか。

俺は、五メートルほど離れた場所で座っていた。

校庭の砂地に制服で直接座ったのは、初めての経験かもしれない。

ただ、とにかく座りたかった。

その上で、彼女の近くにはあまり居れなかった。

何と言っても知らない人であったし、俺はそんなに女子と話すのが得意ではない。

どうも変に意識して、うまく言葉が出なかったりする。

さっきは緊急事態だったから、勢いで触ったが、妹以外にそんなに触れ合った事も無い。

「あ……ああ……うっ」

うめくようにそう言って、田中舞子は咳をした。

俺は、自分のものにしてしまった防災袋から一つ、新品の水を取り出し、彼女に近づく。

「……大丈夫?」

俺の声は、元に戻っていた。

まだやや声を出すのは苦しいものの、痛みが走るわけでもない。

だが、経験上分かるが、彼女の喉は今、うめくのでさえ痛いはずだ。

彼女は上半身を起こし、目を擦って俺を見た。

差し出すペットボトルは、キャップをつけたままにしておいた。

未開封だったら、警戒される事も無いだろう。

彼女は一度見開いた目で俺を見た後、無言で、その差し出した水を飲もうとするが、キャップさえ回せないらしい。

俺は勇気を出して彼女からペットボトルを取り上げ、キャップを回してあげた。

敵意を持たれたらどうしようと思ったが、どうやら大丈夫なようだ。今の所は。


ペットボトルを渡した途端、彼女はものすごい勢いで飲み始めた。

俺は、残っていたカンパンのほうの缶詰を開けて、それも彼女に渡した。

「ほら、食べて……たぶん、大丈夫だから。違う缶詰だけど、俺も食ってみた」

彼女は缶詰を受け取らず、開いた缶詰からひとつまみずつ取り出して食べていた。

遠慮しているのだろう。

「あ、あの、これ、俺のじゃなくて、君が握ってたやつだから……あ、これ、返す。ごめん、パンと水、勝手に……」

「あんた、誰?」

いきなり不躾な質問だと思った。

しかし、それはつまり意識が、自我がはっきりしている証拠だ。

彼女は痛む体をほぐすかのように、伸びをする。

そして、自分のスカートがかなりずれている事に気付いた。

下着が見える一歩手前ぐらいに。

さっとそれを整え、俺を睨みつける。

「触った?」

「いや……君をそこから引っぱり出す時に、ちょっと……でも、何か変な事しようとしたわけじゃ……」

彼女、田中さんは頭を抱え、目をつぶった。

俺も感じた強烈な頭痛が、彼女にも襲いかかって来たのだろう。

俺より回復が早く感じる彼女の傷だらけの手は、少しずつ健康な色を取り戻しつつあった。

「それで……? あんたも逃げ遅れたわけ? それとも探しに?」

「いや、俺は……最後に覚えてるのは教室で寝てて……」

「マジで? あんた、何にも知らないの? つっても、私も大して知ってないけど……いつつつ」

そこまで言って、田中さんは立ち上がろうとして逆に座り込んでしまう。

俺にも分かる。

今、血が急激に巡っているのだ。

めまいがしているのだろう。

「もう一人、女子は居なかった? 私の友達なんだけど」

「いや、ここには居なかったよ……その、死体もたぶん無い」

「……何で分かるの?」

「俺が目覚めた所は、腐った死体が大量にあったから」

田中さんはその言葉を聞いて、一瞬驚いた顔をしてみせた。

化粧が落ちた田中さんは、生徒手帳にあった純朴そうな顔ではあったが、

眉毛が薄かったから正直怖い。

プレハブの中、彼女は友達と一緒に居たのだろうか。

「避難場所、分かる?」

「公園、とか……? ごめん、分からない」

田中さんはため息をつく。

こんな状況だというのに、冷めているようにも見えた。

沈黙は、遠くで何かが倒壊する音で消された。

「何、アレ!?」

「たぶん、どっかで建物が崩れてる。俺も巻き込まれそうになった」

俺は自分が居た校舎だったものを指差した。

いくつか丈夫そうな柱だけを残して、ほとんど形を残していないそれは、

まるで映画のセットかのように鎮座している。

さすがにもう倒壊しようもないだろう。

「はぁぁぁ……マジで? ワケ分かんない……」

座ったままの田中さんは、

目を瞑って、それから泣きそうな顔をした。

泣かれると、すごく困る。

俺だって泣きたい。だけど、泣かない。

泣いたら二人で混乱が広がるだけだ。

田中さんは、思ったよりも意思の強い人だったらしい。

目の端に涙は溜まったけれども、なんとか泣くのをこらえている。

「そうだ、確か駅の近くのでかい公園、避難場所だったはずだ」

俺は唐突に思い出した。

というのも、無理矢理読もうとした防災のしおりに、駅の名前があったからだ。

他はにじんで読めないが、それだけははっきりと分かる。

ちょうど俺たちの近くの校門側の道が、駅へと続く道だ。

駅までは二階か三階建ての一軒家ばかりで、たしか高層建築は無かったはずだ。

向かう途中で崩落に見舞われる危険は無いだろう。

「……あんた、名前は?」

「あ……えっと、串本、串本弘樹。同学年の……」

「もしかして、めっちゃ頭いい奴?」

「テストの点なら……いいけど」

それで頭がいいとは限らない、なんて言えなかった。

ただのイヤミになってしまう。

「私は田中舞子。B組。成績はあんた……串本より百位ぐらい下」

こんな時に成績の話をするのが、少し滑稽に思えた。

だから、俺は微笑んでいたのだろう。

「何ニヤついてんの? キモチわるっ」

「ああ、こんな時に成績の話するとか思って無かったから。よろしく。田中さん」

俺は、自分を意識するという事をいつの間にかやめていた。

ごく自然に言葉が出て、ごく自然に握手を求める。

男女だなんて関係ない。

俺たちは、生き延びなくてはならない。

この国で一体何が起こったのだろうか。

俺や、田中さんの家族や友達は無事なんだろうか。

田中さんは俺の手を取ってくれた。

俺は引っぱりあげ、田中さんを立たせる。

「それ、貸してるだけだから。ミキが避難所に居たら、返してよ。それ」

手を握っているのとは逆に持った俺の防災用具を指差し、そう言った。

小さな声で、ちょっとの間だけど、よろしく、と返ってくる。

田中さんのほうが照れているという事実に、俺はまた、微笑んでしまう。

「キモ」

田中さんは手を振り払って、わざとらしく制服で手を拭く仕草をした。

俺の手も田中さんの制服も、これ以上ないぐらいに汚くなっていたのだが。


俺はそんな田中さんに背を向けると、駅に向かって歩き出した。

地獄の見物は、始まったばかりだ。

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