はじまり
色々な仕事をするようになって、もう二週間経つ。
その間、危惧していたことが二つ起きた。
一つは風邪だ。
最初、一人の女子生徒を発端として、みんな次々に感染し、結果半数は咳をする羽目になった。
高熱もあった。
作業も滞るが、それ以上に誰かが死んでしまうんじゃないかという危惧さえあった。
ただ、ここは元は文明社会だった。
一番感染者の少なかった太田のグループが、ドラッグストアを掘り当てた。
当然瓶入りで割れたものや期限の過ぎた薬もあったが、粉状の風邪薬やペットボトルのスポーツドリンクなど、無事なものもたくさんあった。
プロテイン、洗剤、腐った気配のない、おつまみ系のお菓子等々、埋まって手つかずだったこともあってか、かなりの量の収穫があったようだ。
ただ、これも長くは続かない。
昔は多くの人が風邪のような、「大したことない」病気で亡くなったと聞く。
これもいずれは課題になっていくだろう。
山菜収集も木の実まで手が伸び、農業も資料の通りに開始した。
肥料をホームセンターに取りに行こうとしたが、大柄な建物であったせいか、飛来物による打撃と埋没で手の付けようがなかった。
結局肥料は現在のところ、納屋に残されたものを使っている。
しかし、いつかは切れてしまうだろう。
生ごみなどを肥料にする方法を考えないといけないかもしれない。
雨も何回か降った。
そろそろ梅雨の季節だろう。
みんなシャワー代わりに、男女別で雨を浴びた。
ここでもドラッグストアで手に入れたものが役に立った。
ボディーソープやシャンプー、石鹸にブラシ類。
風呂はまだ移設できていなかったから、みんな久しぶりの「入浴」だ。
もし、放射能とか混じっていたらどうしようと思ったが、核兵器で世界が滅んだのであれば、もっと徹底的に周囲が破壊されているだろう。
そもそも、あんなきれいな空を拝めるとは思えない。
そう。
世界が滅んだ理由がなんとなくわかった。
衛星の飛来ではなく、隕石とその衝撃起きた地震、津波だ。
隕石が月を捉え、隕石自体は月が止めたものの、その破片が地球に散弾となって降り注いだ。
その接近の事実は、たぶん隠ぺいされ続けたのだろう。
アマチュアの天体観測家がそのことを予見していたという新聞記事を、拾ってしまった。
日付は、俺が眠ったあの授業の日の前日。
たぶん、観測は多数の地点で行われていただろう。
ネットやその他のコミュニティで噂は流れただろうし、きっと情報を先に手に入れた層の人間は、避難をしていただろう……
ただ、彼らがそうやって生き残った世界は、果たして自分たちの予想した世界だっただろうか?
こんなところでは元政治家や資産家なんて肩書はほとんど無用だ。
そういった類の人は、結局その下で働く人が居なければ、意味のないものなのだから。
そんな無茶苦茶な状態になっても、塵が空を覆っていないのが不思議だった。
核の冬なんて言葉もあったが、地球の環境というのは予想以上に強いものだったのだろうか。
大規模な地表の破壊があれば、大規模な粉塵の巻き上げがある。
それらは何かで読んだ事があった程度の知識でしかないが、時折吹く強い風や、雨がさらっていってしまったのだろうか。
何にしても想像でしかない。
俺が気を失っていた期間、何が起こっていたのかもわからない。
頬をつねるまでもなく、これは現実だ。
俺は眠りの状態からそのまま仮死状態に移ったため、現実感が随分長い事喪失していた。
腹が減り、痛みを感じ、襲撃を受けて……徐々に「目が覚めて」いった。
安定した生活と言うと冗談見たいだが、今は家もあるし、簡易シェルターも複数作ってみた。
今では個室も持てる勢いだ。
ただ、水は煮沸消毒してから使う関係上、無尽蔵というわけにもいかないし、食糧も考えて食べなければいけない。
文明の遺産はそう長くはもたない。
電気はバッテリーから供給する方法から、ガソリンの原動機から得る形に変わった。
ガソリンの方が多く軽く回収できるし、パワーも段違いだ。
少しの間だけしか使わないが、明かりがあるだけで、ずいぶん精神的に楽になった。
今は道の整備に取りかかろうとしている。
また、「中継地点」も計画中だ。
人数が多いので、全員が全員この場に常に居る必要もない。
しかしながら、俺が以前遭遇したような夜盗が居るかもしれないので、基本的に単独行動は厳禁だ。
予定では3グループほどに分け、それぞれにリーダーを設定して、物資の収集を担う。
具体的には水の班、掘り起しの班、農耕の班だ。
農耕が基点となって、水の班は川と基点の半ばぐらい、掘り起しは都度変わるだろうが、農耕チームの場所から一時間以内に到着できる範囲にとどめる。
まだリーダーは決まっていないが、おのずと決まってくるだろう。
こんな世の中になっても、現実感を失ってしまわない子たちが出ない事が、幸運だった。
絶望は確実に伝染する。
一人の気持ちが落ち込めば、この距離間の近い団体は必ず恐慌に陥る。
それだけは直感が働いていた。
だから、それを忘れられる労働や娯楽というものは、第一に確保する必要があった。
中継地の完成は一つの希望になるだろう。
作物の収穫もそうだ。
これは、電気の明かりを張り巡らせた時に感じた事だった。
明らかに、あのころから皆の士気が上がった。
俺の気持ちも随分楽になったものだ。
中継地の完成のためには、周囲から場所を秘匿でき、収容できるスペースがあり、
倒壊の危険が無いところを探す必要があった。
特に掘り起しの中継地点は、盗みを警戒する必要がある。
ここの町にいるのは俺たちだけじゃないし、誰も盗みを働かないというわけではないのだから。
武装は考えていない。
今のところは。
ただ、武装すれば必ず心は疲弊していく。
暴力を考え、あるいは集団に暴力が持ち込まれる。
これも直観でしかない。
しかし、俺はずっと以前見た夢を恐れていた。
オオカミの集団の夢だ。
誰かを団結して排除するということは、外だけではなく内側にも働く。
誰かを排除出来たという経験は、必ず活かされる事になるだろう。
チームを分けるという事に不安もある。
これからもし、夏も冬も迎えるなら、団結は必ず必要だ。
夏になれば、今とは比べ物にならないぐらいの水が要る。
あと、塩分もだ。
箱ごと無事だったスポーツドリンクもいくつかあったものの、
冷蔵もできないし一生飲めるわけじゃない。
今、味がついているものは麻薬のような効果がある。
風邪の時、スポーツドリンクを久しぶりに飲んだ人たちは、
時折何かを夢想するような、ぼうっとした表情をすることがあった。
俺は計画を実行に移すべく、みんなを招集した。
「みんな、これからのことを話したい。今大切なのは、いわゆる衣食住だ。
これから夏が来るし、そのうち冬も来る。そうなると、今までのような生活は出来なくなる」
あたりは完全に静まり返っていた。
虫の音さえ聞こえないほぼ完ぺきな静寂で、時折強風が起こす風なりの音、どこかで何かが倒壊する音、
そういったものがよく聞こえた。
晴れで、やや雲がある。
そろそろ直射日光が熱くなってくる季節だ。
「三つのうち、一番大切なのは食べ物だ。その次に住居、それから着るもの。あと、医薬品が居るが贅沢は言わない。医者が今いない以上、使えるものが限られる。これらを得る行動をしたいと思う。反対の人は?」
誰も手を上げない。
まあ、そうだろう。生きていく上では当然のことで、まだ誰にも不利な話などしていないのだから。
「以前話していた道の整備、谷村さん、どの程度進んでいるかわかりますか?」
「今日整備をしてくる子たちに、どこに道を作るのか話したところだよ」
集団の真ん中あたりにいた谷村さんが、やや声を張ってそういった。
整備にかかわる人間は、合計で20人にも上る。
「どのくらいで出来そうかわかりますか?」
「最初に手を付けるところは今まで水汲みに整備してた道だからね。たぶん……一週間といったところでしょうね」
「ありがとうございます。そのあとに、またやってほしいことがあります。川までの道の中間地点に、拠点を作って欲しいんです」
「拠点?」
谷村さんが首をかしげる。
「ええ、拠点です。処理前処理後の水を置き、人も配置します。そこには川で作業する人のための食べ物と、荷車の部品、それに休憩所を作ります。具体的には、三日ほど滞在できる地点を作ります」
「そこに、三日間も居るのかい?」
少しざわついた。
皆、この農場となった拠点が一番安全だという気持ちがある。
俺だってそうだ。
人が居る。屋根のある部屋がある。寝床があり、火や水も絶えず、食料もある。
そして電気だ。
「いずれは、そうですね。三日居れる人は、居ることになるでしょう」
俺のその声に、またざわつく。さっきよりも大きい。
「立候補する人は居ないと思うよ……お言葉だけどね」
「滞在する人には給料が出ます」
「給料……? お金?」
「違います。俺が見たことがある集落で、経済学者の人がそれぞれの物品の価値を流動的に決めている集落がありました……うちの集落では、水を基軸とします。1リットルに対して、これは何個、という具合にです。そして塩と野菜を給料として出します」
「塩? 塩なんてそんな大量にないよ……それに、野菜も余分に配るほどないだろう」
谷村さんは渋い顔をした。当然だろう。
「谷村さんは近くに海があるのを知っていますか?」
「海があるからといって、塩がすぐに手に入るわけでは……」
「そうですよ。努力は必要です。それは、道を作るのも拠点を作るのも、畑を作るのも一緒です。そして、塩がなければ俺たちは間違いなく死にます」
俺の直球の言葉に、ざわめきは最高潮に達した。
「皆、静かにしてくれ……でも、俺の言葉は言い過ぎじゃない。夏が来て、塩が無けりゃまず死ぬ。熱中症でね……水だけじゃダメなんだ。野菜もたくさん作らなきゃならない。給料で支給しなけりゃいけないという目標があれば、どのくらい作ればいいかもわかりやすいでしょう。掘り起こし班も同じような拠点を作るけど、こっちは簡易的な、物流拠点みたいなものを作りたい。滞在はしない、でも給料は支給する」
「あの……その二つ、できない人はどうしますか? その、病気とか、ケガとかで動けない人は?」
記帳係の松井が言った。そう、彼女は記帳の仕事があるから、その二つの仕事には参加できないだろう。
「動けない人は別だよ。それから、別の仕事でも仕事だと認定されていれば給料は出す。」
「仕事を……しない人は? 体も動く、病気でもなく、ケガでもない、でも仕事をしない人は?」
今度の言葉はマイからだった。
俺から言いにくい言葉を引き出そうとしているのか、それとも別の考えがあるのだろうか。
「……出すよ」
思いのほか、誰も何も言わなかった。
想像通りだったのだろうか。
それとも、意外過ぎて言葉が出ないのか。
「なんで……? 働かない人にも出すの?」
「死ぬからだ」
俺の即答に、しん、と再び静まり返る。
当然思うことがあるだろう。
だったら、働かない方が楽ではないだろうか?
それは当然の意見だった。
だが、出さないということは考えられない。
給料と言いながらも、これは命に直結する事態なのだから。
何か仕事をし、対価をもらう。
文明社会では当然のことを、俺は取り戻したかった。
「当然、仕事によって多寡はある。拠点外の滞在はその中でも一番多いという風に考えてる。これも実際に仕事が始まれば変えるかもしれない」
「農業にかかわる人は一番少ないの? その、働かない人を除いて」
木山が質問を飛ばした。
「それはそうとも言えるし、違うとも言える。野菜自体の総生産量はその子たちにかかってるからね」
野菜の出来高は、間接的に水の価値に関わる。
これは逆もそうだ。
水が少なければ少ないほど、水の価値は高まり、野菜が多ければ多いほど、野菜の価値が下がる。
一見、お互いが仕事を抑制しそうな制度ではあるが、実際にはそうではないはずだ。
抑制して高値を維持するなんていうことは、余裕のある世界で起こる出来事だ。
まず、お互い最大限の仕事をしようとするだろう。
俺の話が終わったあとも、しばらく皆は話し合っていた。
それでも谷村さんが道の作業をする子たちを集め始めると、
ぱらぱらと仕事に戻っていく。
「マイ、俺は本当に、正しいことをしてるのかな?」
いつの間にか二人だけになった広場とも言えない、雑木林の中のちょっとした空間の中で、
ぽつりと言った。
「……私にもわからないよ。でも、本当の目的はさっきの難しい話じゃなくて、みんなに仕事をさせて、いやなことを忘れさせようとしたんでしょ?」
マイにはお見通しだったようだ。
「ヒロは出来るだけのことをやってるとは思うよ。誰だってこんな時にリーダーなんてできない、したくない」
そう言って、いつもより距離を詰めて話をする。
少しだけドキドキした。
最近忙しく、二人で会話することなんてなかったように思う。
「私も頑張る。ヒロに負けないようにね」
目を見つめる。マイも見つめ返す。
あたりには誰もいない。
時間が、止まったような気がした。
それでも、ちょっとした勇気が、俺にはなかった。
「……ごめん」
「何が?」
そういって、マイは笑った。
いくじなし、いたずらっぽくそう言って、マイは俺のそばを離れる。
俺は反省しながらも、「続き」をしなくてよかったと思った。
木山がこっそりとこちらを見ているのを見つけたからだ。
やべ、という声を合図に、2,3人の走る足音が聞こえた。
俺は、その姿を笑顔で見つめながら、仕事場である農場に戻る。
ここにあるすべてを守りたい。
そう思いながら。