選択
俺も、それからたぶん、マイも、かなり疲れていた。
お互い何も喋ることも無く、ただ背中を合わせて休んでいる。
肉体的にはもちろん、精神的にも疲れた。
結局のところ、あの墓を作った人はいまだに分からない。
あの集落から墓までは、今の道の状態を基準として結構離れていたし、
あの人たちの探査はこちらまで進んでいない雰囲気だったから、わざわざそんなところに墓を建てるとも思えなかった。
ただ、生活の場から墓場を離すのは普通の考えだとも思う。
俺たちも死んだ知り合いを埋葬するのに、近くに埋葬していれば気が滅入るばかりだ。
埋葬を終えた後に移動したのかもしれない。
もはや、俺の中であの墓の件はどうでもよくなりつつあった。
作ったのが誰であれ、組織だった人間がしたことには変わりはない。
この世界は完璧には死んでいない。
でも、だからこそ、危険な事もあった。
まずはラジオを放送し続けているという一団。
それから、川の向こうの、俺とマイが取引をしようとした一団。
俺たちを夜に襲撃したグループも、もしかしたらどこかのグループなのかもしれない。
こういった極限状態になれば、人から奪うことも正当化しやすい心理になる。
俺たちのグループはかなり恵まれていた。
潤沢とはいえないけども、食料があり、水をある程度浄化できるほどの技術や道具もある。
それでも、食料は無限ではない。
水だけで生きていけるはずもない。
一番最初に俺がしなければならないのは、食料の確保だ。
それも、できるだけ大規模で恒久的な確保だ。
そうなると、選択肢は一つしかない。
農耕をするか、農耕地を確保するかだ。
農耕を今から開始するのは現実的では無いように思えた。
知識も資材も無い。
いい土を作るのには、すごい手間がかかるとも聞いた。
そういった基礎が、農耕地ならあるだろう。
運が良ければ資材も残ってるかもしれない。
それに、ふつう農耕地の周囲は建物が少なく、崩壊の度合いは軽微かもしれない。
このあたりは都市部だから、瓦礫が飛散することによる衝撃が大きかったのだと思う。
これほど大規模な破壊が起きていながら、まだ学校は完全に崩壊していたのではないことを思うと、
この地域にかかった力というのは、いまだかつて人類が歴史の中で経験しなかったほどの力ではないという事だ。
いつかテレビで見た津波の被害のほうが、はるかに大きい。
そして、ラジオ波を出すぐらいの電力や、それを扱う仕組みも死んではいない。
おそらくは、ラジオの発信設備よりさらに小さい、暴力を振るうための道具も、生き残ったままだ……
警察の拳銃、警察保管の押収品や登録銃、自衛隊や在日米軍の装備。
高校生の俺が想像するだけで、これだけの銃器が銃社会でない日本にもある。
アメリカなんかはどうなっているのだろうか。
国土が大きい分、この国より被害が大きいのだろうか。それとも、小さいのだろうか。
「マイ、俺は集団のことを話す。それから……食料のことで話をしたいと思う」
「私に聞かなくても。ヒロがリーダーでしょ」
突き放した言葉でも、茶化すような雰囲気で言ったそれは、気遣いなのだろう。
「でも、まだ動けない」
「私も」
そういって、笑おうとしても口角さえ動かない。
その後何か、色々言ったような気がする。
いつしか俺の意識は遠のいて、そのまま眠りの世界に突入した。
寝る前と起きた時の時間の隔たりをほとんど感じなかった。
ただ眼をつむり、開けたら朝になっていた。
昨日よりも体が痛かったのは、筋肉痛のせいだろうか。
俺の体はいつのまにか横たえられ、毛布に包まれていた。
たぶん、マイがやってくれたのだろう。
マイはいまだに眠っていた。
疲労しているというのが、見ているだけで伝わってきた。
俺たちはこの生活がはじまってから、ロクなものも食べず、ちゃんとした場所で眠ってもいない。
じきに夏が来るだろう。
食べ物は腐敗が進み、直射日光が体を焼くだろう。
そして秋が来て、寝ているだけで死にそうな冬が来る。
建物が少なく、温暖な気候が続き、一年中食料が自給できるような国は、被害は少なかったかもしれない。
いわゆる「先進国」が「後進国」と位置付けていたような国だ。
ただ、寒冷地にあるような国は、仮に直接的な破壊が無かったとしても、だいぶ厳しいだろう。
その国を支えていた国が大きければ大きかったほど、被害も大きいはずだ。
陸地面積としてそれほどでもない日本で、この状況なのだ。
世界の情報など入ってくるはずもない。
あるいは、日本以外の国はぴんぴんしているのかもしれない。
しかし、日本はそういった危機的状態になったときに、一カ月も周辺国から手も差し伸べられないような国だっただろうか。
それは違うと信じたい反面、周辺国は無事でいてほしいという気持ちもある。
俺が何らかの方法でうまく当面の食料を確保できたとしても、一年も耐え続ける自信は無かった。
それこそ、社会の構築に自信のあるらしい「ラジオの集団」にでも助けてほしいぐらいだ。
なにはともあれ、皆に話さないうちから決断をする気は毛頭もない。
今日は風が強く感じた。
それに、日差しも強い。
きっと雲一つない快晴だろう。
すりガラスの向こうの空の色は、真っ青だった。
「マイ」
まだ寝ているマイを起こすのは気が引けたが、一応問いかけてみる。
それでもマイは、気を失っているかのように寝ていた。
ここ最近、落ち着いて寝ていないから仕方のない事かもしれない。
「ちょっと、皆のところに行ってくる」
聞こえるかどうかは分からないが、一応そう言って俺は部屋を出た。
皆はそれぞれ、施設周辺の瓦礫をどけたり、何か物資を探したり、水を運んだり洗濯したりと各々の仕事をこなしていた。
俺は、誰がどういった仕事をしているのかさえ把握していなかった。
集団のリーダーとしてはまず最悪の部類の人間に違いない。
ほとんど名前も知らず、お互いを知るより早くここを出て行ったのだから。
谷村さんはそんな集団の中央に居て、こちらを見ると、一瞬驚いたような顔をして、にこりと笑った。
たぶん、俺たちが逃げ出さないか不安だっただろう。
あるいは、心配していてくれたのかも。
「ずいぶん遠いところまで行ったんだね」
遠くから谷村さんが話しかけてくる。
谷村さんの方向へ歩きながら、返事をした。
「ええ、でもたぶん、地図上だと2キロ、3キロぐらいだと思います」
「迂回して、歩きだったら大した距離だよ……それで、何かあったかな?」
「その話は……ここでしますか?」
そう言った途端に、谷村さんの顔は笑顔から渋い顔となっていた。
いい知らせであれば、何も他人の目など気にする必要もないのだから、当然だろう。
「ちょっと中に行こうか。おーい、皆、木山くんの近くから離れないようになー。あまり遠くに行かないように」
はーい、とバラバラに返事が返ってくる。
やっぱり、谷村さんがリーダーで木山はサブリーダー。そういうほうがしっくりくる。
俺と谷村さんはそのまま、公民館の中でも一番小さい「会議室」という名札のついた部屋へと入っていった。
まさにうってつけの場所だ。
「田中さんは、大丈夫なのかな」
「ええ……ただ、すごい疲れてるみたいで」
「それは君もだろう。君の方は大丈夫かな?」
「はい、なんとか」
笑顔はひきつっていた。
体中が筋肉痛だ。
「ははは、まあ、無事だね。大丈夫とは言えないかもしれないけど」
「そうですね……それで、結果ですが」
唾を飲む音が聞こえた。
俺たちの今後がかかっている事だ。
「人の集団がいました。それも、ほとんど大人の」
「いましたか……どういった雰囲気でしたか?」
「ちょっとピリピリしていましたけど、秩序だっていましたね。いきなり殴られたりするようなことは無かったですし、それどころか僕と取引しようとする人もいました。水と服を交換してくれって。
今、水が向こうの人たちにとっては貴重なようです」
「そうだろうね。水は供給がなければ基本使っていくばっかりだ。川の水はまだ濁ってるし、そのままだとヘドロがひどい。とくに都市部のものはね。山はもっとましだろうが、今はあまり近づけない……」
「そうですね。その人たちも遺物の収集で生活してるようでした……でも、缶詰なんかは無限にあるわけじゃないですし、ペットボトルの水もそうでしょう……あ、でもポリタンクに水が入ってましたよ」
普通、ペットボトルの水を見つけたらそのまま開封せずに保管するはずだ。
わざわざ開けて保管する必要はないだろう。
「それと、家は瓦礫や廃材をより合わせた上で、補強されてました。鉄骨で……元大工の人が居たらしいです」
「ポリタンクに水が入ってたなら、もしかしたら浄化は出来るのかもしれないね。あとは、大工の人が居たなら水道管を直接取り除いたのかもしれない。単純に、生きてる水道をひねって回ったのかもしれないけどね……どちらにしろ、交流したらこちらから提供できるものはたくさんあると思う……どう思いますか」
俺は、「もう一つの集団」の話を今するかどうか迷った。
しかし、今も後も同じだろう。
いつかは話さなければいけないことだ。
「あっと……その人たちとは別に、もう一つ集団があるんです」
「……訓練塔の集団かな」
その言葉に、俺は興味をそそられた。
やはり、訓練塔にも何かしらの集団がいたのだ。
それを今まで言わなかったのは、おそらく悪い意味での理由があるのだろう。
「いいえ、違います。ラジオで誘導してる集団です……その人たちの居留地に近づくと、武装した人たちが襲い掛かってくるそうです。山の方に居ると……それで、たぶんその人たちに水に困ってる方の集団は目を付けられてます」
「なるほど……」
そう言って、谷村さんは大きくため息をついた。
「あの、訓練塔の人たちって、どんな感じの人たちなんですか?」
「ああ……彼らは、消防隊員だよ。自然と集まったんだろうね」
「知ってるんですか?」
「知ってるも何も、彼らは避難所に居た中で一番多かったね。装備も体力もある。知識も我々と段違いだ。生き残ろうと思えば、我々みたいな学生の集まりより簡単だよ」
そう言った谷村さんの表情は暗かった。
「つまるところ、彼らはこのあたりの覇者だ。災害状況の情報も持ってる。大半のまともな人たちはあそこを抜けてしまった。今残ってる彼らはならず者たちなんだ」
また想像力の働かない話だった。
社会の秩序というものが崩壊しているというのは、肌で感じていた。
襲撃を受けた時のことを思うと、いまだに体が震える。
大規模災害が海外で起きた時に、略奪行為があったというニュースを見たことがある。
ああいったことが日本でも起きたことが、まず一つ俺の世界観を麻痺させる出来事だった。
もしそれが、本来だれかを救助するという仕事をしている消防隊員だったらどうだろう?
俺は、多くは聞けなかった。
もしかしたら、俺が想像する以上にひどい目にあわされたのかもしれない。
たとえそれが実害を伴わない、恐怖させられたという事だけでも、それがどれだけ大きい事かは俺は身を持って知っている。
悲惨な状況に加えて、誰かが危害を加えてくるかもしれないと神経をとがらせるのは、すごい負担が大きい事だった。
リーダーの立場を放棄したかったのも頷ける。
「……それで、どうしたい、串本くん。このままでは、我々は食料を失うだけだ。無限に食料を得るなら、それなりの事をしないといけない。それも、できるだけ早く」
農耕、畜産、狩猟、漁業。
何をするにしたって、知識も資材も必要だ。
動物の気配さえしないこんな場所にとどまり続けるのは、死を待つだけのようにも思う。
水も食料も手に入る集団は、おそらく、現状とても強い地位を得る。
それがたとえ中学生や高校生の寄り集まった集団だったとしてもだ。
しかし、強い立場でいる必要はあるのだろうか?
秩序だった世界であれば、中学生はまだ義務教育中だ。
俺やマイは、働きに出ていても特におかしくはない年齢ではある。
そして谷村さんは庇護されるべき高齢者だ。
何かしっかりした組織に属せれば、共同生活を営めるかもしれない。
……しかし、そんな組織は存在するのだろうか。
俺は、少し前までに悩んでいたことよりも、もっと大きな悩みを抱えた。
今から下す選択は、俺が今までやってきた、どんな選択よりも重いものだ。
責任に押しつぶされそうになる。
それでも、何も選ばないという事は出来ない。
死ぬのか。
生き残るのか。
「皆でここから動きましょう。山の方に」
生き残るための、選択をしよう。
生き残るために。




