第2話
-9月27日-(土)- 停学終了日
決断の選択が迫った当日
少しだけ蒸し暑い朝だった
昨日まで降っていた重い雨は小降りになって
午後にもなればすっかり晴れた月明かりが見れそうな、そんな天気だった
(……? )
むくりと起きると、鍵のかかった部屋の向こうから料理をする音と油の匂いがしていた
おにぃが鼻歌交じりに朝ごはんを作っていた
だらしないあくびを一回して、もぞもぞと身体を伸ばして充電器に刺しっぱなしの携帯を開く
(…やっぱり )
予想通り、受信も着信の表示もない
リアクションもなく、起きたばかりの布団に顔を突っ伏せる
その数分後だった、意識もはっきりしだした頃だろうか
そんな穏やかな朝のヒトコマを
――トゥルルルルッ!!
唐突に、一本の電話がつんざいた
一階の家の固定電話からだった
不安がよぎり、それはことごとく的中した
おにぃが多磨中央警察署に呼ばれたのだった
理由は他ならない、私の犯した責任と謝罪、尻拭いの為だった
おにぃは二階に上がり、一事二事扉越しに話し
何もとやかく言う事なく、せっかくの休日を潰して出向いていった
(……… )
すぐに罪悪感が胸を覆い、扉を開けることも返事さえもすることも気まずくて出来なかった
………
ガチャリと家のドアが閉まる音が響き、私も部屋の扉から俯きながら出た
頭だけを怯えるように出し、探るように辺りを見渡してから部屋の外に出る
トイレに行った後、ため息交じりに電気の点いたままのリビングに向かうと
「……ぁ 」
玉子焼きとウィンナーが乗ったお皿が、テーブルの上にラップを被せて並べられていた
その横には、小さなメモが添えられていた
「ご飯は炊飯器の中に炊いてあるから、朝はそれ食べて
遅くても夜ご飯には帰ってくるから 」
ボールペンの柔らかい字で、そう書かれていた
包まれていたラップを剥がし、私はお茶碗にご飯をよそう
「…いただきます 」
誰もいない食卓の中心で、私は手を合わせて朝ごはんを食べた
玉子焼きは甘口で、ウィンナーは少し焼きすぎていた
温かくて、とっても美味しかった
そしてとてつもなく……申し訳なかった
***
(もう夕方…… )
夕方過ぎ、すっかり空も夜の表情に変わっていた
電気も点けずに、小さな呼吸のリズムが響く部屋の片隅に私は相変わらずいた
その中には唯一携帯の四角い光だけが揺れている
アルバムをめくるように、私はハルとのメールを読み返していた
たった数通交わしただけのメールにも、何度も読み返すと、この数日で育んだ色んなことが思い出せた
携帯を拾ったとき
ハルと弟の関係を知ったとき
ハルにハルと呼んでほしい言われたとき
それと同時に、その隅で脳裏に焼きついたハンバーグを泣きながら食べていた姿が巡っていた
桐島さんの気持ちも言い分も分かっていた
でも、私はやっぱりハルを助けてあげたかった
同じ体温を持った境遇の持ち主を、他人事には思えなかったカルマから
一度は成し遂げられなかった‘殺さない’という選択にだけでも導いてあげたかった
けれどもそれをすれば、ライブに行く事はきった叶わない
以前のように街を敵に回し、全てをなくす結果になるかもしれない
それほどの代償と犠牲を生む覚悟は
悔しいけど、……今の私にはない
私だって、所詮自分が一番大事なんだ
ただの平均以下の一人の高校生なんだ
‘どれか一つを手にすれば どれか一つを必ず壊す’それがこの街の現状
(……… )
悔しいほど実感した
でも、そんなものを絶対に認めたくない
出会った一人の人生が潰れる瞬間を、指をくわえて、ライブ会場で笑いながら感じていたくなんかない
ハルは犯罪者になるような人じゃないんだ
私達と同じように、人の痛みがわかるとっても優しい高校生なんだよ
形は違くても‘同類なんだよ’
(ハルを助けたい… )
晴れて皆とライブに行きたい…ッ
でもどちらか一方しか選べない
………
「ぅ…っ、ヒクッ… もう…どうしたら…いいのっ 」
気がつくと、どうしようもなく泣いていた
心の形を剥き出しにして、ひどく唇を震わせていた
雨音に混じってぽたりぽたりと両目からこぼれ落ちていた
「ぐすっ…っ わがままなのかな…ッ やっぱり… 」
結果が出た後に後悔だけはしたくない、もっと頑張ってればなんて絶対思いたくない
こんな結末 夢にまで見たものじゃない、まだきっと栄光の夢への途中なんだ
終わりなんかじゃないんだ
じたばた努力すれば、もう一度本気を出せば、もっと変われるかもしれない
(戦いたい…もう一度戦いたいよ…ッ皆 )
受信のない、二週間分の汗と涙が染み込んだ携帯電話に水滴を落とす
――ガチャッ
そのときだった、家のドアが開く音がした
私の不始末を終えたおにぃが帰ってきたのだった
(……… )
一瞬で、現実に引き戻された
現在地を突きつけられた
今でさえ迷惑をかけてるのに、これ以上また懲りもせず周りの人に迷惑をかけるのか?
(……… )
……ここらが、潮時なのかもしれない
いい加減、夢見た子どもからは目覚めろって事なのかもしれない
他の大人のように、困難な現実からは目をつぶれということなのかもしれない
(頑張って、私もその大人の一員にならないといけないのかな… )
叶ったはずの未来はすっかり敗北感を滲ませていた
部屋中に生乾きのような湿気の臭いがまとわりつき、何もない萎れて干からびた日常と、ずっしりした空気が胸を冷たく圧迫していた
………
夜も更けた頃
まだ、小さな悲鳴にも似た涙声は響いていた
じっと息を押し殺して戦うように続いていた
からっぽの押し入れ
壁にかけられた制服
未だ何も表示されていない携帯の画面
胸が裂けるような痛みが貫き、膝を抱えて身体を軋むほど丸める
誤魔化して生きたくない
知らんぷりもしたくない
(……頑張りたいのにッ )
許されない、いけないこと、間違い
「…ぅっ…ぁッ 」
両手を爪が食い込むほど握り、歯を噛み込んだ
切れるほど唇を噛み、人には見せられないぐちゃぐちゃな顔をして泣いた
冷たい夜に、壁際に背を押しつけて……自分の中と戦っていた
――その瞬間だった
「ゆり、ちょっといいか 」
(!…ビクッ )
突然、おにぃが閉じ籠っていた私の部屋の前に立ち止まった
「ッ……ぐすっ 」
はっとして、泣き声を殺して私は黙り込んだ
「……… 」
足音が遠ざかることもなく、鍵のかかった扉を挟んで少しの間が生まれた
そして、おにぃは静かに口を開いた
息を飲むように、心を落ち着かせて言った
「ゆりが今何をやってるのか、何を追ってるのかは俺は分からないけど 」
「もしまだ仲間と一緒にやり終えてないことがあるなら、やり残したことがあるなら 俺や周りの人間のことなんか気にすんな 」
「……っ! 」
思わぬ言葉に詰まりきっていた気持ちが揺らいだ
「もしお前が最後までやりたいことがあるなら、いくらでも迷惑なんかかけろ 」
「…ぅっ……ひくっ 」
強かった、どの言葉も私を前へ立ち直らせた
「大人になった後の後悔や失敗は確かに恥だ けどな、若いころの後悔や失敗は宝だ 」
「何も知らず仲間と共にぶつかれる挑戦は、今のお前達のころにしかできない 」
黙り込む私へ向けて、頑丈な扉の向こうからおにぃは続けた
「今、いっぱい失敗しなさい、いっぱい悩んで、そして努力しなさい 」
「‘最後まで、やりなさい’」
「…!…ぅっ…ッ 」
思わず大粒の涙が溢れてきた、感動するほどたまらなく嬉しかった
泣いてることなんて始めから気づかれてるのに、胸が苦しくなるほど感謝に震える息を殺した
そして――
「…はぃッ…!! 」
感きわまったずるずるの鼻声で、これでもかと精一杯の大声で返事をした
おにぃは全てを見透かしていた、これほどの迷惑をかけたのに嬉しそうな吐息だった
家族として持てる全てを預けてくれた
背中を押してくれた
そして、おにぃは最後に付け加えたように
恐らく‘その為に’私に言った
大事な、本当に決定的な事を呟いた
「そういや……玄関の前で、お前の‘友達’が待ってるぞ 」
「――ぇッ!? 」
思わぬ言葉に耳を疑った
赤く腫れた瞳を見開いた
その瞬間、今自分が立っているシチュエーションを理解した
気がつくと思考より先に私は一心不乱に立ち上がっていた
今の今まで籠っていたのが嘘のように軽い身体で
身を乗り出して部屋の扉の前に立っていた
(…はぁ…はぁ )
――ドクンッ
ここを開ければ、もう二度と戻ることは出来ない
―ドクンッ!
ここを開ければ、世界はまた敵となり振り出しに戻る
――ドクンッ!!
ここを開ければ、世界はまた変わることが出来る
――開けるんだ! 変わるんだッ! 私達の夏へッ!
一度破れたこの街のカルマを今度こそ解消してみせるんだ
(戻ろう、私の主戦場へ )
そして、十日間引き籠っていた扉を
(行けぇええええッ!!―― )
胸を張って、私達の‘夏へと通じる扉’を勢いよく派手にぶち開けた
私は、答えを見つけた
ふと見た空は、このところ降り続いていた雨もすっかり綺麗にあがって
声援を送るように、澄みきった濃い空が月明かりを部屋を照らしていた
――新たな青春がはじまった