第19話
それから、私がケース入りのアンプを抱えて上った
幸いにも灯が言う屋上は楽器屋のある五階の二つ上、つまりは七階の上にあった
七階のフロアは飲食のお店が数店あるだけで、下ほどの賑わいはない
わざわざご飯を食べた後に七階からエスカレーターもエレベーターも使わずに階段で下りるお客などいるはずもなく
しんと薄暗い階段にスパイは足音を鳴らし、誰ともすれ違う事なくてっぺんを目指していった
***
「はぁ…はぁ… 」
一歩上がるにつれ、最初はなんて事なかった重みも蓄積し、柔らかい手の平にのしかかった
固くてザラザラした肌触りに、支える皮膚は逃げ場もなくジンジンやピリリと赤みを増やしていく
膝小僧にかかる負担も大きい
「…はぁ、はぁ…っ 」
「大丈夫?、少し休む…?、てか代わろうか? 」
「いや… 」
けれども、今日ばかりはそいつらにも私の底を突かせる事は出来そうにない
「ううん…大丈夫、行こう 」
それどころか、この泥臭い汗や筋肉痛を約束した疲労が
気を抜いたら笑みを漏らしてしまいそうなほど気持ちいいくらいだ
(あと…もう少し )
痛いよ…二の腕が震える程に
でももう、自分が目的の為に努力出来ている実感に、これほどまでの生き甲斐を感じていたから
やりたい事を全力でやれている、飾りっ気ゼロの‘熱気’
それがこんなにも生きてるって、身体中を潤う刺激で満たしていた
(一ヶ月前じゃ、きっと絶対、こんな気持ちにはなれなかったんだろうな )
結局、私は最後まで、アンプを地べたに下ろする事はなかった
………
そして、ついに駅ビルの屋上へ続く分厚い鉄扉の境界線に立つ
灯の手に冷たいドアノブがグッと握られる
(ドクンッ… )
不思議だ、ドア一枚開けるか開けないかで、ホントに人ってこんな興奮出来るものなんだね
「ほんじゃ、行きますか 」
そしていざ、万を持して最後の舞台の一端が
「せーのっ! 」
――勢いよく開け放たれる!
(――ッ!! )
***
その瞬間、待ってましたとばかりに高所の風圧が私達を吸い出した
薄暗く冷たかった空気はどこへやら
フライング気味に飛び出した前髪はパタパタと揺れ、腕捲り二回半のブラウスに新鮮な風が流れ込む
水分をたらふく含んだタオルであおがれてる爽快感だ
(こんなところに、本当に屋上があったんだ )
普段利用している人も、知っている割合はどれくらいだろう
普段からお客に開放しているそこは、ビル内に比べるとかなりに小さく
ベンチ一つもない、平面が広がるだけの殺風景な空間
まるでここだけが街とは別に時間が止まったように思えた
「やっぱり屋上はいいね 」
それでも、女子高生二人には申し分ない豪華さだ
痛快だ、何もなく取っ払ったそこには――‘空’だけがあった
見上げれば、澄み渡る夕闇空がすぐそこまで迫っていた
今にも吸い寄せられそうな感覚、天空に自分が立っている快感すら覚えた
手ぶらの両手を泳がせて、雲さえ掴めそうな気分になる
(最高の、最後にふさわしい舞台なんじゃないかな )
多分それは、イヤホンで耳を塞ぎ腐りながらエレベーターのボタン一つでは見れなかった景色で
多分それは、努力をした先に思い描いた、特別な空気と空だったんだと思った
そして、ここが起死回生、一夜限りとなる私達の戦地だ
「さて、ちゃっちゃと終わらせるのさ 」
汗を涼ませる心地いい空気の中で、灯はしゃきっと言った
それはどこか楽しげな、嬉しそうな仕草も混じっていた
………
「誰も、いないのかな?、いないよね? 」
何度も気にしてぐるりと見渡せば、好都合にも私達の他に人の気配はない、貸し切り状態だった
そして、リーダーは平静を保ったまま、静かにスイッチを切り替える
臨戦態勢の如く洞察力を研ぎ澄ませた
左右へと、じろりと鋭い眼差しが向く
作戦をするに当たって必ず用心しなければならない‘それ’を、事前に確認する為だった
入り口から見えるだけで二つ
そう、何どきも私達を拒み続ける大きな障害‘監視カメラ’
一つ目は今まさに入ってきた扉の真ん前に待ち構えていた
これだけで侵入者の顔はばっちりだ
二つ目は駅前方向の柵を横から広範囲に撮っていた
約二メートル程の棒が等間隔に連なる柵の向こうは、業者が点検する為だろうか
人二人分程度が余裕で入れるコンクリートの踏み場があり
同時に、そこに立てば、まさに駅前を何の遮断もなしに広々と見渡せそうだった
そして柵の間に足をかけて上ってみよう者がいるならば、瞬く間に警備員がやってくるだろう
後はエレベーターが一つと、お店の裏側に貼り付けられた骨組みの非常階段が一つ
それは野外に剥き出しに‘Z’のような形で一階まで連なっていた
その非常階段から屋上に突き出した扉も、これまた小屋の仕切り扉のように安上がりだった
実際見れば、一メートル半にも満たない仕切り扉で、簡単に飛び越えられそうだ
いかにも人の歩いている形跡はなく、侵入するならまずここからだと真っ先に思った
灯の瞳もしっかりとそこを捉えていた
偵察の作業も終わり
夜風になびかれながら、次なる行動に移す為
私はつい先程まで両手で運んでいたアンプを、学生カバンのように無理に肩にかけた
重いアンプの紐は容赦なく肩に食い込んだ
それでも悟られないよう、私は作戦の為、出来るだけ平静に自然な高校生を演じ続けた
「……あそこだな 」
そして、リーダーは今回最大の目的
確率的にこの中で一番隠し通せる場所を即座に判断し、すぐに足をシフトさせた
監視カメラが向く駅前側の柵には近寄らず
その足は入り口近くに小高く立つ給水塔の方へと進んでいった
それはどこか、殺人犯が死体を隠蔽する姿にも似た足取りだった
私は足を引きずりながら、黙って後ろについていく
そして、給水塔の裏、隠すには打ってつけの場所に止まり、灯は小声で指差した
「ここだな、ここがいい 」
ダンゴ虫でもいそうなじめっとした日陰の隅、絶好の隠し場所だ
私は促されて、その端っこにゆっくりと慎重にアンプをおろした
解放された肩は、やけに軽く感じられた
灯はどこから持ってきたのか、カバンから出した黒い布に更に用心深く被せた
「よし、作業終了 」
所要時間数十秒、手荷物の違いなど判断も出来ない時間だ
万が一監視されていたとしても、きっとわざわざ屋上まで走ってきて調べるほどの事はしていない
何ら不自然じゃない、学校終わりの高校生が買い物ついでに屋上の景色を見に来ただけだ
そして、私達は最後のステージの下調べと準備を終えた
弱者は、まんまと街の内部にヒビを蓄える作業を成功させた
(…屋上にアンプ 、有珠)
そしてここまでやっていれば、いくら鈍感な私でも最後に灯が何を繰り出そうとしているのか薄々分かってきた
来たときとは一番逆の足音を階段に鳴らしながら、自分の固い頭を精一杯柔らかくさせて灯の作戦を一人考えていた
その手の平には、来た以前にはなかった僅かな腫れを覚えて
その肩には、一仕事をやり遂げた証拠をくっきりと残して
それらは労働を耐え抜いた達成感のように
ちょっぴりと誇らしげに、綺麗な形となって下りていくのだった
***
………
これは、駅ビルを出る直ぐ前の余談
私が二階のトイレに寄っている間に起きた事
気にかかる事でもないけれど、気にならないと言えば嘘になる
トイレ中、外で一人待っていた灯は、その僅かな時間
なんとちゃっかりと、私を差し置いて、雑貨屋さんに立ち寄って‘何か’を購入していたのだった
後になって追及しても、何度聞いても、秘密秘密の一点張りで「今夜のお楽しみ」とだけ意味深に付け加える
結局、その話題ははぐらかされて自然と消えた
灯の事だからと、私はまた少しだけ、含みを残した夜のサプライズとやらを楽しみにして納得した
恐らくそれも‘作戦の材料’に違いなかったから
そして、私達は何事もなかったかのように駅ビルを後にした
その屋上には、定価半額以下の最重要兵器が眠るなど、誰も知るよしもなく……
野外に出ると、空はすっかり夜の色に変わっていた
ガヤガヤと賑わいを増した街とは対照的に、ひんやりした空気が熱気をため込んだ頬を優しく覚ました
そして休む合間もなく
沸々とたぎる衝動が覚めやらぬうちに
私達はまた次なる‘明日への地’へと、自転車を掻き鳴らていくのだった