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第13話

図書館の外に出ると、駅は祭りの後のような、余韻の空気に包まれていた


それは賑やかに橙色に騒いで、それでいてどこか寂しそうな冷たさもあって

まるで私達を待っていたかのように爽やかに全てを染め上げていた


「皆、本当にありがとうな 」


軽くなった両手を広い夜空にうーんと目一杯伸ばして、大仕事をこなした後の解放感にも似て、灯はくしゃりと笑った


白い歯を見せて、間抜けっぽい跳ねた癖っ毛を揺らした


世間の物差しで見れば、そこにどれほどの意味があったのかは分からない


たかが薄っぺらいノート一冊にロスタイムまで使って必死になって


今どき流行らないスポ根みたいに汗を流して、端から見たらとことん馬鹿馬鹿しくて


でもそれでも、私は清々しいまでに満足な疲労感と充実感を手にしていた


限界値を迎えた私達のリーダーのピンチを

今度は全員で紡いだ、その大事な大事な薄っぺらを築き上げられた


灯がこんな風にまた笑ってくれた事が

本当に来てよかったと、一緒になってほころんた


「さて皆の衆、帰りますかー 」


首筋を夜風に撫でられ、一区切りのあくびを噛んで


澄んだ八時の空の下、綺麗にポツリポツリと顔を覗かせる星を見上げて

幾分軽くなった足取りで五人はゆっくりと帰還していった


「なんだか今日はクタクタだよ 」


「早くシャワーを浴びたいですね 」


「おっ、だったらまたあの銭湯行こうぜー 」


「昨日行ったあの銭湯?? 」


「いいですね、ゆっくりとお湯に浸かりたい気分です 」


「いざ、れっつごーなのですっ 」


「……こくり…」


そんなわけで、まだ今夜は終わりそうにない

日だまり喫茶店に帰るその前に


頑張った一日分の汗を落とす為、明日に備える為に


まるで本当の合宿のように、一行は銭湯に行く事になったのだった



ウィッチの現場兼停電が起きた大通りを過ぎ、車道を行き交うヘッドライトを越え


街灯も少ない、そよ風に傾ぐ草と微かな鈴虫の音色だけが響く川沿いの散歩道を行く


遠くに見える橋の上には、車や電柱の赤や白、たまに青色がまるでビーズように綺麗に向こう岸まで並んでちりばめられている


「つい最近、一気に日が落ちるのも早くなりましたね 」


ひよりの声に有珠がにゃあと相づちを打ち、触りたいのか、頭をなびかせる猫じゃらしの群れに何度も視線を奪われていた


土手の草むらのほうでは、最後の夏の名残を味わうように、父とその子どもが虫アミ片手に掻き分けている


私達の前には、Tシャツと短パン姿の男の人が家路へ歩いていた

手にはコンビニ袋をぶら下げて、耳にはイヤホンをはめて、暗闇に気持ちよさそうに声のない発声で歌っていた


八時だというのに、小学生くらいの男の子二人組は茂るススキの草むらで遊び

捨てたられたママチャリを見つけたと声を放つ

半分壊れたような錆びきったその鉄屑を、まるで探検家が宝物を見つけたように夢中になってはしゃいでいた


(なんかいいなぁ、こういうのって )


そんな穏やかな街の匂いについ笑みをこぼして

当たり前の風景がたまらなく心地よく、そして幸せに感じた


てくてく聖蹟桜ヶ丘男子高校も通り過ぎ、横切り、密集した団地地区を歩いていく


団地特有の薄い光が落ちていて、その周りを蛾が飛び回っている


薄暗い景色を少し歩いて、昨日に来た

随分と年季の入った‘和み湯’と深緑色ののれんがかけられた銭湯に着いた



***


きっと自分達が生まれる前よりあったその中は、まさに古き良き雰囲気を漂わせていて

お年寄りや一人暮らしの学生なんかを向かい入れる優しい空気に包まれていた


銭湯なんて小学生以来に久しぶりに来たけれど、やっぱり何か大事な風景がここにはある気がした


時代は移り、庶民の足は遠のき、それでも変わらず佇み続けるそこに少しだけ寂しさも感じた


木で出来た小さな下駄箱にローファーをしまって、番台に座るおばあちゃんにお金を渡し、ぎこちなく挨拶をする


「おや、また来たんだねぇ」と、眠るように猫背だったおばあちゃんが丸い表情で会釈をする


「最近の子は可愛いねぇ」と続けて気さくな笑みを向けられ、少しだけ照れ臭く、私は小声でありがとうございますと頷いた


女湯と書かれたのれんを五人は潜り、脱衣場に入る


時間的にか、それとも普段からなのか、小さなそこに他の人の姿は見当たらなかった


………


「ゆりー? 昨日は灯さんスランプ中で出来なかったけど もう復活さよ 安心しろ」


「いや、むしろそのおかげで安心出来ないから そんな凝視されても見るものないからね 」


これまた木で出来たロッカーを開けて

ブラウスの第三ボタンに手をかけたまま、隣の視線に意識して動かす手を止めてしまう


恒例の如く、脱ぎかけた私の指先を灯がジーッと見つめていた


「ほにゃー ひよりおっきいのです! 」

と思えば、いきなり有珠の声が脱衣場全体に響き渡る


「?? 」

何かと思い奥に首を向けると


「いえいえ、普通ですよ 」


普段はカーディガンの下に隠れている、高一とは思えない大人びたスタイルが映り込んだ


(やっぱりひよりって地味にスタイルいいんだね )


眼鏡も外し、艶やかな黒髪とも相俟っていっそう美人に見えて、つい見とれてしまった


「全然普通じゃないのです、最低でも有珠はそんな身体になったことないのです  悔しいので今度身長と共にこっそりもらってしまうのですっ 」


「ふふっ、それは困ってしまいました 」


有珠はと言えば、見事に未発達のまな板だった


それでも、ひよりとはまた違った理由で見とれてしまうのだった


透き通るような真っ白い身体、柔らかな銀色の細い髪とビー玉みたく大きな青い瞳

幼い表情と共に日本人離れした、まるで北欧の絵本からそのまま出てきたような一切の汚れのない純白の少女の姿


有珠は人とは違う身なりの特徴を全く気にせず、無邪気にひよりと戯れていた


ただ唯一、ひよりは誰とも直に触れないように気をつけていた


(それにしても、色んな意味でも同い年とは思えないね )


そんなことをまじまじと思っていると


「なははっ、ひよりと有珠が並ぶと酷だなっ 」


「ちょっ!?、灯っ 」

思っても決して言ってはいけない言葉を、灯はけらけら高笑いしながらズバッと言った


「ほにゃーっ、それはどういう意味ですかっ 」


「なに、そのままの意味さ 」


「むーっ 」

有珠は頬っぺたをぷくーっと膨らませて、ハムスターのように愛嬌のある丸顔を作った

どうやらこれでも怒っているらしい


「はははー、見るがいい このグラマーさんな灯の身体をっ 」


調子図いた灯が脱衣場のど真ん中に立ち、大げさに制服をバッと脱ぎ捨ててドヤっとポーズを決める


まぁ、ただそんなわけでも


「普通… 」

「普通ですね 」

「普通にゃうっ 」


全員が声を揃えて、見たままにからっきし感情の入っていない感想を述べる


「がびごーんっ、やめてけろー それ! 普通って言葉が一番灯さんグサッとくるからっ 」


「じゃあ平均、または一般的 」


「むーっ、そんなこと言ってないでゆりも早く脱げー! ばか」


矛先が私に向いたかと思えば、いきなり後ろから抱きつき攻撃に徹してくる


「うわぁっ、わかったから!、自分で脱ぐから! だからセクハラやめてっ 」


なんとか暴走した灯の魔の手から脱出して、照れながら結局一番最後になって脱ぎ終わる


気がつけば、しんみりと寂しげだった脱衣場からは外まで響く程の賑やかな声で溢れていた


「? そういえば奏ちゃんの姿はどこでしょうか?? 」


「あれ、そういえば 」

小さな脱衣場をぐるりと見渡しても、その夜色の少女はどこにも見当たらない


(もしかして… )


それぞれ身体にタオルを巻いて、浴場に続く扉を開けると


「………じー」


大きな浴槽の真ん中にぽつんと、一人置物のように奏が無感情のジト目をこちらに向けて浸かっていた


「って! なんで先に入ってんさよっ! 」

まさかの灯のツッコミが炸裂する


「……ボクの素肌を見ると…君たちが石になるんだ…これはボクなりのせめてもの気遣いだ、ありがたく思え……」


意味不明の奏空間が間に流れ、四人とも半分開いた口と身体が一瞬固まる


「ぇ、ぇーと、ぶっちゃけ簡単に言うと素肌を見られたくなかったと? 」


「…ん…そう思いたければ…それでいい 」


(なぜに!?なんで上から目線?? )


肩まで湯に沈んだ奏と、強盗との交渉現場並みに絶妙に距離の離れた扉とで、なんとも変な会話を交わした後


中に入ると、もったいないほど広いタイルの浴場も貸し切り状態だった


炭酸泉もサウナも水風呂もない


昔ながらの仕切りのない一つの四角い浴槽と数個のシャワーが付いていた


………


その後、シャンプー中にいきなり灯に冷水をかけられて、仕返しをしたりして

避けた流れ玉が間違えてひよりの背中に直撃したりして


お詫びに髪を洗ってあげたり、横では有珠が鼻歌を歌っていたり


裸なんて気にせず、すっかり贅沢な遊び場になってしまった


灯の右手の油性の汚れも、埃の匂いも、集中した三時間分の疲労も


排水口に吸い込まれるお湯と共に綺麗さっぱり流れていった


………


「はぁ、気持ちいいね 」


五人並んで、たっぷりの湯船にざぶりと浸かり

うっすら頬を紅潮させて、肌を寄せる


高い天井に顔を上げて、ふぅと絶妙の湯加減に目を細める


「もう明後日ですね 」

たちのぼる湯煙に落ち着いて、ひよりの声がタイルに反射した


「これから先、例えこんな風に全員が会えなくなって、どんな困難が待ち構えてても、絶対有珠は最後まで頑張るのです 」


年を重ねても、汚れ一つなくピカピカに磨かれた壁に視線を向け、誰もいない広い浴場に、全員がこの叶いかけた夢をやり遂げると誓った


「大丈夫さよ!、叶えられるさ この皆となら出来ない気がしない きっと結末を覆せるッ 」


すくったお湯に前髪を濡らして、おでこを出した灯が期待に満ちたでっかい声を反響させた


「うん、そうだね 」


そうだ、私達に出来ないわけがない

きっと待ち望んだエンディングが待っている

戦意を団結させて、何も恐れずに私達は眩しいほどの笑い声を上げた



それから少し、いい匂いのする湯船に顔を映して、肌になじむ感触にうっとりした


「ねぇ、皆? 」


思わず、ぼーっと天井を見つめて、心の奥から出た本音を湯気と一緒に浮かべた


「はい?? 」


「これが一息ついて、全てが終わったら 」



‘また一緒に、こうやって銭湯にも来たいね’



***


外に出ると、湯上がりの火照った肌にひんやりと心地よい風が吸い付いた


「ったく、結局奏の裸を見れなかったぜ こいつは魔法使いか 」


「……うに… 」


後ろでは灯が澄まし顔の奏を悔しげにいじっている


湯船から出て、制服を羽織り、下駄箱からローファーを取り出そうとしたときだった


「いつぶりか、本当に久しぶりに、あんな賑やかな声を聞いたねぇ 」


あ、と声を漏らして見ると、番台に静かに座るおばあちゃんが口を開いていた


「あの、ごめんなさい、こんなにうるさくしてしまって… 」


迷惑だったと思い、私は瞬時に頭を下げた


すると、おばあちゃんからの返答は大きく違ったものだった


「お湯は、気持ちよかったかい? 」


その表情はにっこりと、見たこともない優しさに包まれていた


「ぁ、はい、それはとっても、全然家のお風呂とは比べ物にならないくらいで 」


「そうかい、それはよかった 」


見ると、シワを蓄えた固そうな肌が嬉しそうに緩み、ただ少しだけ寂しそうに頷き

そして見守るように、こちらに向けられていた


「またいつでも、ゆっくり、入りに来なさい」おばあちゃんは最後にそう言って、イチゴ味の小さな飴を私の手のひらにぽとりと落としてくれた


古びた人気のない銭湯は、お風呂より遠くて、漫喫とは違って何もなくて


時代の流れにぽつんと取り残されて、いつかはこの街からも消える運命にあるのかもしれない


それでも、きっと変わらず胸を包む大事なものが、此処には残っていると


和み湯ののれんを背に、また来ようと

夜中の団地の脇、まだ鼻に残る湯気の香りを吸い込んでみるのだった


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