第13話 イロイ、逃げます
イロイは首から流れる血もそのままに群衆の中を飛び出して駆けた。意識がぼぉっと遠のいていくのを感じる。
「___むぅ、これは治癒に時間がかかるぞ、、、」
天使のホワートが呻きながらも、イロイの首にその分厚く、大きい掌をかざす。彼が言うには、その傷は一時的なものではなく、永続的に刃が食い込んでくるようなものだと言う。
そもそも、風系の魔法は、基本的に広範囲への攻撃を主とする。その分、微細なコントロールは難しいはず。だが、あの男は、確実にこちらの、そして群衆1人1人の首に敵意を向けた。その技術の高さは素直に感嘆すべきものだ。
「女、これを治すとなると、軍の___」
「精霊行使制限_____構わない!上限までめい一杯治癒してっ!」
イロイは己の天使にそう叫ぶ。
師匠に直してもらうのが最適だろうが、そこにたどり着くまで自分が意識を保っていられるかは怪しい。
今は最短で義賊の拠点に戻るのが優先だ。
(___くそっくそっくそっ)
安全にテネーを拠点に返すこと。ただそれだけのことすらできなかった。
乗合馬車に乗った方が速かったかもしれない。だが、この血だらけの恰好でそういう訳にもいかず、ひたすらに駆ける。息があがるほど、首が痛む。でも、そんなことも言っていられなかった。
▲▽
「___フーフェル様っ!!師匠!!」
イロイは拠点に着くや否や、血が噴き出すのも構わず、そう叫んだ。
近くにいた義賊の男が、「大丈夫か!」と駆け寄って来るが、
「うちのことはいいっ!フーフェル様を呼んで__ぐっ、、、あ___くれ、、、頼む、、、!」
首を抑えて止血にもならない止血をしながら、イロイは懇願した。
天使のホワートの治療も継続されているが、魔法の根元を除去しない限り出血は止まらないようだった。
「おいっ!!どうしたイロイ!!」
すぐにフーフェルが駆け寄ってきて、イロイのことを抱える。
「ごめんなさい、、、テネーが、、、テネーが、、、イトゥーに、、、何も、、、できなかった___」
イロイの意識は、そこでぷつっと途切れた。
血を失いすぎたのかもしれない。
なんでうちはフーフェル様の体温を感じて、安心なんてしてしまっているんだろう。違うじゃないか、そんな場合じゃないのに、自分が助けに行かないといけないのに、なんでこんなにこの心は弱いのか。
テネーに雑魚と言った。
でも、それは、裏返しだ。
その言葉は、いつも自分に言い聞かせていたものだ。
『その歳で黎明の魔法を使えるようになったのか、天才だな』
『それに天使の精霊まで、、、』
『いずれは魔法の蘊奥、星辰まで到るかもしれないぞ』
うちを褒めそやす言葉は、どれも嫌味にしか聞こえなかった。
自分は、うちは、雑魚で無能だ。
安易な称賛なんてやめてくれ。
『僕は、精人でも、武人でもないけど、でも、きっと強くなるよ、イロイ。そのために訓練も頑張るよ、どんな境遇だって、やっていけるんだって』
その言葉は、うちの心に爪を立てた。
無理なんだ。どんなに才能があろうと、最も大事なものが、うちには欠けているから。テネーは、一番大事な前提を無視している。
そう、才能の器としての心、それに強さと弱さがあることを。
▲▽
イロイの目が覚めたとき、傍にはフーフェル、ノフラン、ドダイがいた。
「目が覚めたか、イロイ」
フーフェル様が心配そうな眼差しで見下ろす。
「___フーフェル様、、、今、うちはどれくらい、、、いや、、、なんでここにいるんですかっ!!はやくテネーを!!」
イロイは上半身を起こそうとしたが、それをノフランがやんわりと静止する。
「師匠!!師匠も何やってるんですか?うちのことなんていいんですよっ!!」
だが、フーフェルとノフランはイロイの言葉に反応しない。
なぜ、なぜ、二人はここにいるんだ?
早く助けに行かないと、テネーは殺されてしまうのに。
そんな、、、まさか、、、。
「ははっ_____まさか、、、このまま、、、このままテネーを見殺しにする気、ですか?そんなわけ、、、ない、、、ですよね?」
自分の思い至った結論に、自分で笑ってしまった。
二人が、この二人が、そんな残酷な決断をするはずはない。
だって、この人たちは、うちを____。
「_____________」
イロイは、自分の唇が徐々に震えていくのを感じる。
フーフェルの顔を見れば、どんな感情もそこに映っていない、凪いだ水面のような顔をしたままだった。
「なに、、、黙ってんですか?」
「それがフーフェルの、そして私の答えということよ」
ノフランがフーフェルの代わりに答える。
「師匠には聞いてないっ!!あんたが、あんたが首領だろ、、、なに黙ってんだって言ってんだよっ!!」
イロイは立ち上がり、フーフェルの胸ぐらを掴む。
瞬間、立ちくらみのようにふらつくが、そんなことは構わない。
「イロイ、お前がこっちに来たのは、奴の精霊を治療するためではなかっただろう?」
そうだ。
ずっと前からこのアレトの街には来ていた。そしてザミヘル義賊団と連携して機を伺っていた。フーフェルがテネーを助けたときも、うちは協力者としてそこにいた。だが、その場にイトゥーはいなかったし、テネーも何も情報を持っていないようだった。
「優先順位を間違えるな、イロイ。子ども1人の命と、イトゥーを仕留めきれなかったときの被害、天秤にかけるまでもない」
万全の状態で挑む。
それは戦いの鉄則だ。そして、今はその時でないのも明白。
なぜなら、うちが戦える状態じゃないから。
「じゃぁ、、、なんで、、、あの時うちを助けたんですか、、、」
「______それは、、、」
フーフェルが初めて動揺を見せた。
服を掴むイロイから目を逸らす。
「そんなのおかしいだろうがっ!!軍にいた時より、義賊になった今の方が冷静だなんて!かっこ悪いなんてっ!!」
「軍とは違う!ここにいる義賊の仲間を、、、危険に晒すわけにはいかないんだ!あたしは首領だ、皆の命を預かっているんだ」
「おいおい、、、だったらさぁ、、、解散しちまえよっ!そんなだっせぇ仲間ならなァ!あいつも、、、テネーも、もうあんたの身内だろうが!」
「違う_______イロイ。お前こそどうかしている。まだ、会って1日2日だろう?同情も、憐憫も、あたしにはない」
イロイは目の角膜が弾けたかのように、世界が赤く染まった。
「あんた________」
そう咆哮しようとしたときだった、
「_____『白日の魔法』寂寞、ゆえに忽焉___』
「師匠、、、あんた、、、まで、、、許さ_____」
イロイは強制的に遮断されていく意識の中、ノフランの冷たさを煮詰めたような言葉を聞く。
「自分の弱さを棚に上げて吠える犬の声なんて、聞かなくていいんですよ、フーフェル。その優しさは不要なものです」
そうだ。
テネーを助けられなかったのはうちだ。フーフェルでも、師匠でもない。
彼女らは、合理的な判断をしているだけだ。
フーフェルを問い詰める権利は、うちにはない。
弱さ。
弱さ。
これがうちの_____弱さだ。
テネー。
フーフェルの言う通り、まだ数時間しか一緒にいなかった男の子。
でも、彼が人売りの牢屋から助け出される時、そして二度目の邂逅のとき、うちはその存在を心の底から恐ろしいと思ったのだ。だからつっかかった。
なんで彼は絶望していないんだろう。
なんで彼は自分の命よりも他の人のことを気にしているのだろう。
なんで彼は、いつもそう、前に進もうとするんだろう。
分からない。
分からない。
_______もっと、知りたい。