第12話 今、助けに行きます
「だから僕は言ったんだ、それなら、僕が邪魔なら出てくよって」
香草の香り。
魚の皮が油に弾ける音。
カトラリーの金属に反射する光。
「そっか。頑張ったんだ、テネーは」
イロイはしっかりとこちらに顔を向け、そう言った。
彼女は常に、私が話をしている時は食具を置いて耳を傾けてくれた。
お昼というには遅かったが、まだその店に客はまばらに居た。
私は無我夢中で食べ、そして無我夢中にたった5年の人生を語った。
不思議と口が止まらなかった。
「僕は、精人でも、武人でもないけど、でも、きっと強くなるよ、イロイ。そのために訓練も頑張るよ、どんな境遇だって、やっていけるんだって」
イロイが聞いてくれる。
それだけで私は年甲斐もなく、それは47歳の心で、話続けていた。
「テネーはすごいね、、、でもね、どうしようもない、本当に自分の力ではどうしようもない境遇の人もいるんだ。それはもっと生きていけば分かるようになるよ」
イロイがそんなようなことを言った。
それは過去に向けたような瞳の色だった。
私はイロイに否定されたような気がして、少しだけ心に影が刺す。
「そ、そうなのかな、、、」
そんなことはない。
と、私の心は声高に主張している。
全ては考え方、物の捉え方次第なんだ、と。
同じ事象であっても、見る角度が違ければ、良いようにも、悪いようにも見えるんだ。
だから、不幸な顔を自慢げに張り付けている人は、あまり好きではない。
だって、転生とはいえ、あんな家庭環境でも、私は心が折れていないんだから。
母のことも嫌いではないし、この境遇にも絶望していない。
でも、イロイのその目は、そんな反論を許さないような、強く、そして深く沈んだようなものに見えた。
私は魚をナイフで切り分けながら、もっとイロイのことを知りたいと、そう思った。
食事を終えて、イロイと一緒に外に出る。
そろそろ帰る時間かと、再び手を繋いだイロイの顔を見上げようとしたときだった。
食事をした店の、細く暗い脇道。
そこに何人かの子供がいるのが見えた。
座り混んで、何か木箱のようなものを漁っている。
その光景にはどこか見覚えがあった。
それは、繁華街のゴミ箱に集る猫や鼠の類のことだった。
「_________駄目」
その子供たちに心が向かいかけたとき、まっすぐ前を見たままのイロイがそう低い声で言った。
「でも、、、」
「駄目、行こうテネー」
「イロイ、でも、、、僕たちは、僕は一応、義賊、、、だよ?」
彼らのような存在を助けるのが義賊じゃないのか。
そういう意図を含んだ私の問いかけだったが、
「義賊団だってお金が無限にある訳じゃない。警護だったり、雑用みたいなことをして稼いでる。もちろん、悪い奴らから奪った物を売ったりもしているけど、いつもぎりぎりなんだ」
目立つなとは言われた。でも、それでも、私には良心がある。
「じゃぁなんで僕は、、、」
「人売りに攫われていたから、そして、精霊使いだから。運、だよ。今、この国は変化の途中だ。その最中で、ああいう子たちはそれこそ無限にいる。その全てを助けることはできない」
「そんな___」
私は言いかけた言葉を飲み込む。
私の手を握るイロイの力が、どんどん強く、そして震えていたから。
ふざけて握手をしたときのような、こちらの手を潰すほどの力で。
「どんな境遇でも前を向いて生きる、それ自体は良い考えだと思う。変わらないでいて欲しい。でもね、それを、あの子たちに言えるかって、ちょっとだけ考えてみて欲しい」
あまりにも細い身体。
汚れて、ほとんど意味をなしてない服。
残飯を求めて、周りのことなど見えていないように一心不乱なその手の動き。
彼らに希望を持てと、私はイロイが指摘したように、本当に面と向かって言えるだろうか。
全ては見方次第、でも、それは精神の働きによる。
その精神すら、空腹によって食い尽くされていたら?
私は、そのことを、見て見ぬフリをしてきたのかもしれな_____。
「た、、、助けてっ!!!」
視線を向けていた料理屋の脇道からではなく、正面から何かが私の体にぶつかった。それは自分と同じくらいの歳の女の子だった。
ぼろぼろの布地に身を包んだ、金に近い明るい髪をした子。
イロイがその子に視線を合わせようとしてしゃがみ、
「どうしたの?お父さんとお母さんは?」
その質問には、首を振って答える。
「はぐれたの?」
それもまた違うらしかった。
「____誰かから逃げてるの?」
イロイが抑えた声でそう言うと、その少女は小さく頷いた。
この子は運が良いのかもしれない。
助けを求めた先は、奇跡的に、その力を持つ者だった。
イロイが私の顔を一瞬見て、私も頷く。
まずはここから離れて事情を聞かなければならない、と用心深く私とイロイが周囲の様子を見まわした、その時だった。
フーフェルの魔法とは違う、明らかに殺意が込められた力のうねりを確かに感じた。
「動くなっ!!!」
イロイが叫び、周囲の人が何事かと白い眼を向ける。
だが、私には分かった。
信じられないほど薄く研がれた刃のようなものが、喉元に突き付けられている。
「風系の___それもこの緻密な操作、、、番外魔法___」
イロイの顔に汗がばっと浮かぶのが目に見えた。
繋いだ手も湿っている。
『そうだ、そうだ!良く分かってんじゃねぇか!お前の言う通りだよ。動くなよ、女。いや、イロイ・バスタナちゃん?』
風に乗った、粘つくような不快な声が耳を刺す。
それはおそらく、私とイロイにしか聞こえていない。
『お前では私に勝てない、絶対に。だから余計なことはしないでくれよ、イ・ロ・イ・ちゃん』
なんとなく、その魔法の練度が尋常でないことが分かる。
それは精霊使いとしての直感なのだろうか。
決して抗えない力がこの身体を狙っている。
唾を飲みこむ。
時間が、ゆっくりと流れていく。
その時、
「分かりました___戻ります、イトゥー様」
助けを求めてきた少女が、そう呟いて、私の体から離れていく。
何もかもを、諦めたような目をして。
駄目だ____。
なんでそんな簡単に諦めるんだ。
悲観するな、何事もうまくいくはずだ、だから、そんな簡単に___。
「おいテネー!駄目だ!止まれ馬鹿っ!お前じゃ、、、お前じゃ無理だっ!!!」
少女が料理店の脇道の方に走っていく。
1人の男の影がうっすらとその暗がりの中に見える。
その男は、先ほどまで残飯を漁っていた子供たちを両腕で抱きかかえるようにしていた。
私は無意識に、イロイと強く繋いだ手を離し、その少女を追って駆けていた。
「このアホがっ!!___くそっ『黎明の魔法』天鼓、、、____がぁっ、、、、、」
イロイの魔法行使は成立しなかった。
その長く白い首が、一瞬で血に染まる。
「きゃ、、、きゃぁああああああああああ!!」
それに気づいた民衆が叫び、憶病な者は逃げ出し、勇敢な者は彼女の周りに徐々に集まった。
『動くなって、言ったよねぇっ!!いいかい、イロイちゃん、お前が動けば、ここら一帯の人間、みんな首が飛ぶよ、いいのかな?』
「____かっ___く、、、、くそが______」
イロイは血が流れ続ける首を抑えながら、その脇道を睨む。
人だかりがどんどん濃くなり、駆けていくテネーの姿が隠されていく。
手を伸ばしても、届かない。
男が、その男が最後にやりと笑ったように見える。
そして、視界は全て人で埋め尽くされた。
イロイの伸ばした腕、そのブレスレットが悲しく鳴る___。