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勿忘草の名のもとに  作者: ねこじゃ・じぇねこ
3章 人形は人形
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1.かつてあった光景

 そよ風の通り道に下げられた、複数の小さな釣り鐘が良い音を奏でている。

 優しい日差しの差し込む窓辺のちょっとしたテーブル席は、蛹化前の頃からわたしのお気に入りでもあった。

 そこに緋桐ひぎりと向かい合って座り、美味しい蜂蜜茶を口にする贅沢。これまでならば、それだけでわたしの一日は晴れやかだった。

 けれど、その日のわたしは違った。緋桐と共に過ごすだけではいけない。むしろ、彼女を前にしているからこそ、落ち着けない。

 蜂蜜茶の入ったカップを手に、わたしは頭の中ですっかり絡まってしまった思考を一つ一つ解こうと試みていた。その沈黙が不可解だったのだろう。緋桐はふと茶を飲む手を止めて、わたしに話しかけてきた。


「何か考え事?」


 耳がくすぐったくなるほど艶っぽい声で問われ、わたしはあたふたしながら答えた。


「そ、そうですね。大したことではありません……」


 本気で焦ってしまった事は、背中の翅の動きで分かっただろう。

 そんなわたしの様子を前に緋桐は微塵も動じず、一度、茶を口にしてから、そっと答えた。


「そう。それならいいのだけれど」


 そして、その深みのある濃褐色の目をこちらに向けながら言った。


むぎから聞いたの。最近の燐火りんかは、とても難しい事を考えるようになったのだって」

「む、難しいってほどでは」

「いいえ、確かに難しい事よ。それに素晴らしい事でもある。与えられた情報をただ記憶するだけでなく、その解釈を巡って悩み続ける。その話を聞いて、猫柳ねこやなぎ博士も言っていたわ。これは間違いなく良い傾向だって」

「そう……なのでしょうか」


 緋桐が喜ぶならば、それはわたしにとっても喜ばしい事ではある。だから、微笑むことは出来た。だが、その嬉しさがある一定の域を超えたところで、わたしの脳裏にはカヤの事が浮かんでしまう。

 すぐに笑みが引っ込んでしまったからだろう。緋桐は不思議そうにわたしの表情を見つめてきた。


「その悩み事は、私には話せること?」


 真っすぐそう問われてしまい、私はさらに慌ててしまった。

 全くのしがらみがないならば、訊ねたいのはカヤの事だ。カヤはどうしてあの場所にいるのか。これからどうなってしまうのか。訊ねたくて仕方がない。

 だが、訊ねる勇気なんてなかった。あの場所に入った事を告白するところから始まってしまう。内緒にしていたあの関係を、洗いざらい話すには多くの勇気がいる。だから、意気地なしのわたしは話せなかったのだ。

 代わりに何とか口にすべき話題を求め、そして思いついたのは、そこから微妙にずれた疑問だった。


「最近、少し気になるんです」


 高鳴る鼓動を感じながら、わたしは彼女に言った。


「どうして緋桐様はわたしの誕生をお望みになったのですか?」


 じっとその顔を見つめると、緋桐もまたわたしの顔を見つめてきた。相変わらず、さほど動じてはいない。ただ静かにわたしの表情をまじまじと見つめてから、落ち着いた様子で彼女は答えた。


「自分の生まれた意味。それが気になるお年頃ってわけね」


 そう言って、彼女は目を細めた。


「あなたを生み出した理由は、前にも言った気がするけれど」

「……はい、でも、深くは聞いておりません。何故、緋桐様は蝶の翅の妖精を復活させたいと思われたのですか?」

「ああ、なるほど。そういえばそうだったかもしれないわね。いいわ、教えてあげましょう。私があなた達を生み出した理由は、もう一度見たかったからよ」


 そう言って、緋桐はカップを置き、テーブルの上にそっと手を置いた。


「猫柳博士から、あなたの遺伝的母親の話は聞いたかしら?」

「はい。確か世界で最後の生き残りなのではないかと言われたという野生種だったって」

「ええ、そうよ。そして、彼女が確かにこの世にいた、その決して長くはない月日を私はこの目で知っているの。恐ろしいほどに綺麗だった。だから、子も残せず死んでしまって、多くの人が悲しみに暮れた。そして皆、先祖の犯した過ちを嘆いていたの。こうなってしまうまで、妖精たちを狩りつくし、住処を奪ってしまった過去を。私もその一人よ。だから、また見てみたいの。あなた達が森で繁栄しているところを」


 そう語る緋桐の眼差しに、わたしの視線は釘付けになった。いつもはわたしを誰よりも見てくれているのに、今の緋桐は違うように感じられた。

 すぐそこにいるのに遠い。まるで何かに意識を攫われているかのよう。どこか、取り憑かれているような。


「幸い、彼女の遺したサンプルはたくさんあった。その一部を縁あって引き継げたことがきっかけでもあったの。勿論、猫柳博士という天才が傍にいたからこその話ですけれどね」

「そう……だったんですね」


 わたしはひとまず納得し、そしてごくりと息を飲んだ。ふと頭に浮かんだ疑問を口にすべきかどうか。悩みに悩んだ挙句、勇気を振り絞ってわたしは彼女に訊ねた。


「その……妖精の再現は……生体……でなければいけなかったのでしょうか。たとえば、その、機械人形とかは──」

「機械人形は駄目よ」


 返ってきたのは、妙に冷たい声だった。


「確かにモデルにはなるわ。動く模型のようなものね」


 模型。その言葉にわたしは内心震えてしまった。少なくとも、カヤは模型なんかではない。その反感のせいだろう。


「でも、猫柳博士が作る機械人形はとても評価されていたのだと聞きました」


 わたしは思わずそう言ってしまっていた。


「どこでそんな事を聞いたの?」


 鋭いその質問に、わたしは思わず俯いてしまった。


「ごめんなさい、それはよく覚えていないのですが……たしか、そうだと」


 上手く誤魔化せたかどうかは分からない。だが、緋桐はとりあえず納得したのか、溜息を吐いてから頷いた。


「ええ、確かにそうだったわね」


 そして、一度茶を飲んでから続けた。


「猫柳博士はそこに命を吹き込めないか真面目に研究なさっていたわ。確かに素晴らしい出来だった。でもね、何かが違うの。たくさんデータを集めるし、上手にそれを処理して受け答えも出来る。動きも滑らかだったし、表情も豊か。それでも、やっぱり生体とは違うの。何が足りないのか、何が欠けているのか、色々と分析して改善しようともしたわ。でも、駄目だった」

「具体的には、何が、足りなかったんですか?」

「……そうね。強いて言うならば、繊細な心の動きとでも言うべきかしらね。繊細な体の動きは再現できても、繊細な心の動きは再現不可能だった。性格を予め設定しておけば、その通りに動いてくれる。でも、それでは駄目なのよ。それだと再現にならない」


 心底がっかりしたように緋桐はそう言った。

 その眼差しはきっと、かつてカヤに向けられたものなのだろう。そう思うと何だかわたしは怖くなってしまった。今までは愛されて貰えたけれど、これからも同じように愛されるとは限らないのではないか。そんな不安が再び顔を覗かせてきたのだ。


「わたしは……」


 だから、わたしは彼女に訊ねたのだ。


「わたしは、どうですか? ちゃんと再現出来ているのでしょうか?」


 不安な気持ちが彼女にも伝わったのだろう。緋桐はわたしの顔を見つめると、穏やかな笑みを向けてきた。


「勿論よ。そこについては心配なんてしていないもの。心配があるとすれば、それは、あなたの健康面くらいのものね」

「では、わたしも……いつかは命を宿した卵を生むことに?」

「いいえ。その予定はないわ。あなたはあなたのままでいい。思うままに過ごしてちょうだい。それが、私を喜ばせる事になるはずだから」


 甘い言葉を囁かれ、わたしは思わず微笑んでしまった。

 素直に嬉しかったからだ。緋桐に愛されている事を感じられて。

 だが、時間が経つと、ふとそこに罪悪感が浮かんできた。自分だけ喜んでしまったことを、後ろめたく思ってしまったのだ。

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