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勿忘草の名のもとに  作者: ねこじゃ・じぇねこ
2章 完成品と失敗作
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4.生き物と機械

 いつものようにベッドに潜り、寝る前のシロップを入れたカップを持ったまま、わたしは口もつけずにぼんやりとしていた。

 さっさと飲んで眠らなくては。そう思うのだけれど、昼下がりに交わしたカヤとの会話が頭を過り、その度に気持ちがそわそわしてしまうのだ。

 頭が変に働き、眠りの世界から遠ざかってしまう。それもこれも、疑問が解消されないままであるからだ。


 わたしとカヤ。どちらも作られた存在であるのは変わらない。では、具体的に何が違うのだろう。緋桐にとって、カヤの何がいけなかったのだろう。

 気づけばそんな事ばかり考えてしまって、シロップに口もつけないまま何度も溜息を吐いてしまった。

 麦が部屋に来たのは、そんな時だった。シロップの入ったコップを回収するつもりだったのだろう。わたしがまだ起きている事に気づくと、麦は少し驚いたような顔をして、声をかけてきた。


「どうしたの、燐火。早く寝ましょう?」

「ご、ごめんなさい」


 慌ててシロップを口に入れ、ごくりと流し込む。だが、飲み終わったコップを渡した後も、すぐに横になる気になれない。どうしても見つからない答えを求めて、頭が働き続けてしまうのだ。そんなわたしの異変に気付いたのだろう。麦はじっとわたしの表情を覗き込むと、額に手を当ててきた。


「お熱はないようね。いったいどうしたの?」

「うん……ちょっと考え事をしていて」

「考え事? 何か嫌なことでもあったの?」


 心配そうに覗き込んでくる麦の優しい眼差しに、わたしは怖気づいてしまった。話したい。でも、何処からどこまで話せばいいだろう。何処まで正直に、何処まで嘘を交えて話すべきだろう。だいぶ迷いながらも、わたしはようやく彼女に言ったのだった。


「あのね、麦。機械人形について考えていたの」

「え……機械人形?」


 ぎょっとしたように訊ね返してくる彼女に、わたしは慌てて付け加えた。


「読んでいた本で出てきたからなの。……その、人の心を宿した機械人形が、伝統的な舞台に憧れて努力するっていうお話。でも機械だからって断られて、本物の人間になりたいって悩むお話」


 とっさに出てきたのは、カヤと初めて会った時にも思い出した、物語のことだった。温室に置かれている書籍の一つだが、とても有名な小説らしいから、麦も恐らく知っているはずだ。

 案の定、この説明である程度納得したようで、麦は「なるほどね」と、小さく肯いてから、わたしに訊ねてきた。


「何か気になったの?」

「うん……そもそもどうして、機械人形のままじゃ、駄目なんだろうって。生身の体とそんなにも違うものなのかなって」


 脳裏に浮かぶのは、今やすっかり見慣れてしまったカヤの姿である。このベッドで、蛹化前の頃からずっと一緒に眠っている人形とも全く違う。自分の意思で、自分の判断で動くことが出来て、自分の考えを述べる事すら出来る。そんなカヤを見ていると、怖くなってくる。

 どうして、緋桐や猫柳博士は、カヤに飽きてしまったのだろう。その不安の正体を探っているうちに、少し気づいたことがある。もしかしたら、この不安は、我が身の可愛さゆえに生まれたものなのかもしれない。すなわち、いつか、彼らがカヤに飽きてしまったように、わたしもまた彼らに飽きられてしまう時が来るのではないか、と。


「とても難しい事を考えていたのね」


 麦はそう言うと、柔らかな笑みを浮かべてわたしの肩にそっと手を当ててきた。


「そのお話、私も前に読んだことがあるわ。最後まで読んだ?」


 静かに頷いてみせると、麦は「そう」と小さく呟いてから続けた。


「主人公のお人形は、結局最後も人間になれないままだったかしらね」

「そう。だから、憧れの舞台には立てないままなの。だけど、主人公は新しい幸せを見つけるんだよね。機械人形としての別の幸せを……」

「その終わり方に、燐火は疑問を抱いたってわけね」


 麦にそう言われて、わたしは黙って頷いた。

 初めてその話を読んだ時は、特に疑問も思わなかった。きっと、物語上では、新しい幸せを見つけた主人公がとても満足していて、明るい印象を得たからだろう。だけど今、あの話を思い返して、それと同時に研究準備室の片隅に置き去りにされたカヤの事を思い出して照らし合わせてしまうと、そもそも、どうしてあの主人公は舞台に立たせてもらえなかったのかという事ばかり考えてしまう。


 機械と生身が一緒に踊るのは危険だから、というのは、作中でも主人公が言われていた事だ。だから、主人公が希望したのは、一人で歌って踊るソロステージだった。

 すると、次にあげられた理由は、機械の体はズルいからというものだった。確かに機械人形によっては、データを完璧に再現できることもあるだろう。そうなると、ミスも付き物の生身の人間からすれば、ズルいと思われるかもしれない。だから、主人公が希望したのは、元から存在する採点のない特別枠での参加だった。

 けれど、次にあげられた理由は、そもそも実力が足りていないという事だった。特別枠に出場できるのは、それだけ人々の心を掴む何かがある者。そうでなければ、特別枠であろうと参加は認められないと。だから、主人公は努力を重ねたのだ。人々の心を掴むため、地道な努力で歌と踊りをマスターして、機械人形でも出られるステージをコツコツとこなしてファンを集めていった。

 だが、最終的にその主人公をはじいたのは、機械人形だから、というシンプルな理由だった。ここは伝統の舞台。生身の人間しか参加してはいけないのだと。そして、主人公は星に祈り続けるのだ。自分を本物の人間にしてください、と。


 ──あんな舞台に拘る事なんてないさ。


 物語の終盤、主人公の友であるネズミはそう言った。伝統なんてものは、人が作るもの。何が素晴らしいか、何が正統なのかなんて、その時々に生きる人間に左右されるものでしかない。だから、これから新しい舞台、新しい世界の中で、人々を魅了していけばいいんだという励ましで、主人公は新しい幸せを見つけるのだ。

 わたしはこの言葉に納得した。このネズミの言葉が、主人公を勇気づけ、納得いく未来へと導くことが出来たからだ。

 でも、全てがスッキリしたわけではなかった。心にどうしても、割り切れないものが残ってしまっていた。現実は小説とは違う。あのネズミの心強い励ましが、常に正しい結果に結びつくとは限らない。あの話の主人公には、別の道が用意されていた。だから、あのように諦める事だって出来たのだ。


 でも、そうでなかったら?

 たった一つしか道がない状態で、諦めろと言われたら?

 あの主人公はどうなっていたのだろう。


「確かに、改めて聞かれてしまうと、私も分からなくなってしまうわね」


 麦は言った。


「燐火はどう思うの? あのお人形さんに、どうなって欲しかった?」

「わたしは……もっと認められて欲しかったかも。あのお人形を否定していた人たちにも、認めて欲しかったんだと思う」


 初めて読んだ時には思わなかった感想だ。けれど、カヤの事が重なってしまう今だからこそ抱いてしまう願いなのかもしれない。あのお話の人形はそうならなかった。

 機械人形は機械人形のまま、自分なりの新たな居場所を見つけて落ち着いた。しかし、カヤはまだ見つけていないようにしか思えない。あの後、どうなってしまうのだろう。その事が気がかりでならなかった。

 カヤは再び緋桐の役に立てる日を待っているようだけれど、その日は本当にやって来るのだろうか。救われてほしい。何故なら、彼女が救われる事で、わたしもきっと救われるから。作られた姉妹同士、堂々と仲良く過ごせたならば。

 様々な思いが巡る中、ふと麦の手がわたしの体をそっと押した。その力に素直に従って、わたしはベッドの上に横たわった。


「燐火は優しいわね。その優しさを忘れないで。あのお話は架空の物語だけれど、燐火が抱いた感想が活きる時は必ず来るはずよ。……でも、今はおやすみなさい。眠れなくても、体を横たえるだけでいいから」


 優しいその言葉に、わたしはふと我に返った。あまり付き合わせては麦にも悪い。彼女だってそろそろ眠りたかっただろうに。そう納得し、わたしは静かに頷いた。すると、麦は安心したように微笑み、わたしの体に毛布をかけると、そのまま部屋を出て行った。


「おやすみ、燐火」

「おやすみ、麦」


 直後、明かりを落とされ、わたしは闇の中で目を閉じた。しばらくは心がまだそわそわしていたけれど、闇の中に意識をうずめているうちに、微睡が近づいて来て、気づけばぐっすりと眠ってしまった。

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