1.初めての友達
機械人形。その存在について、わたしはある程度知っていた。温室に用意された書籍の中にも、機械人形をテーマにした内容のものはいくつかあったからだ。
人間たちの英知を伝えるものであったり、そこから着想を得て生み出された空想の物語であったり、ジャンルは様々であったが、一番印象深かったのは、人間になりたいと悩む機械人形のお話だった。
その本の挿絵に描かれていたその姿と、目の前にいるこの人形の姿は、まさしく同じ特徴がある。肌は滑らかではあるが、どう見ても作り物である。素材も恐らく頑丈で、その肌も弾力性はさほどないだろう。
「お怪我がないようで何よりです」
落ち着いた女性の声で、彼女はそう言った。
そのまま、彼女は膝を抱え、視線だけこちらに向けて、じっとしていた。きっと布のカバーが被せられていた時も、同じ体勢でじっとしていたのだろうか。そんな事を思いながら、わたしはハッと我に返り、彼女に声をかけた。
「あ、あの、驚かしちゃってごめんね。そっちこそ、怪我はしていない?」
すると、彼女は軽く首を傾げた。作り物の髪の毛が、静かに零れ落ちる。その色合いは、鏡でよく目にするわたしの髪の色とほぼ同じだった。
「怪我、ですか」
問い返され、わたしはおずおずと頷いた。
「うん。大丈夫だった?」
「平気です。わたしの体は、ルビーやサファイアのようなコランダムと同じ耐性をもって作られております」
「えっと……え?」
よく分からず、首を傾げるわたしを見つめ、彼女は付け加えるように言った。
「ちょっとやそっとじゃ、怪我をしないという意味です」
「な、なるほど」
きっと話を合わせてくれたのだろう。そう思うと同時に、気恥ずかしさを誤魔化したい一心で、わたしは話を変えた。
「ねえ、名前はあるの? わたしはね、燐火っていうの。亡くなった人の傍に現れる綺麗な炎のことなんだって。ちょっと不気味な名前かもしれないけれど、結構気に入っているんだ」
にこりと笑いかけてみると、人形の彼女は不思議そうに首を傾げた。
「燐火。鬼火や狐火のことですね。記録によれば、かつては墓地や湿地などで、目撃される事が多かったそうです」
「……そうなんだ」
素直に感心してしまったわたしを見つめ、彼女は冷静なまま続けた。
「わたしの名前をお知りになりたいのでしたね。わたしの名前はカヤです。藍晶石を意味するカヤナイトから採用された名前です」
「カヤ……カヤね。うん、覚えたよ、カヤ」
藍晶石も、カヤナイトも、わたしにはよく分からなかったけれど、今はどうだって良かった。同じ色合いの翅を持つ、同じ年頃に見える女性。そんな彼女と名乗り合うことが出来ただけで、わたしは何だか興奮してしまったのだ。
思い出すのは、やはり、かつて読んだ本の内容。妖精たちが当たり前にいた時代、当然ながら妖精同士で友人を作ることだってあったのだ。
今のわたしには、友達と言える存在はいない。緋桐は主人であるし、猫柳博士は生みの親だ。麦は親しく接してくれるけれど、飽く迄も仕事でわたしのお世話をしてくれるだけの事。友達とは言えないし、年も離れすぎている。
カヤを目の前にして、わたしは気づいたのだ。わたしは自分と似た存在が欲しかったのだと。言葉を交わせるお友達が、欲しかったのだ。
けれど、理解もしていた。友達というのは、一方が勝手に宣言してなれるものではないのだと。だから、わたしはカヤの表情を窺いながら、そっと訊ねたのだった。
「ねえ、カヤ。突然なんだけどさ、わたし達、お友達にならない?」
「おともだち?」
その単語を繰り返し、カヤはしばし考え込んだ。
「駄目、かな?」
少し怖くなって確認するように訊ねてみると、カヤは顔を上げて、無表情のままこう答えた。
「ともだち……あなたの言う友達というのは、心を許し合い、親しく接することができる存在の事でしょうか」
「たぶん、そうだと思う」
緊張しながら答えると、カヤは再び考え込んだ。作り物らしく輝く背中の翅を微かに揺らしながら答えを探しているようだった。
「……駄目?」
沈黙に耐え切れなくなって再び訊ねてみると、カヤはようやく顔を上げた。
「駄目ではありません。あなたと友情を育むことは恐らく可能です」
「じゃ、じゃあ、友達になってくれるってこと?」
「はい、あなたがそれを望むのでしたら。けれど、一つ断っておかねばならない事もあります」
そして、カヤは淡々とした様子でわたしに言った。
「わたしは猫柳博士の手によって命を宿す機械人形として開発されました。けれど、目的は達成されず、わたしはこの場所で待機するように命じられている身分です。わたしの中に保存された記録によれば、友達というのは何処かへ出かけたり、遊んだりして、関係性を深めていくのが基本となるようですが、博士にここにいるよう命じられているわたしは、そのように動くことが出来ません」
「そうなんだ。じゃあ、わたしが会いに来たらいいってことかな?」
「わたしは構いません。あなたがここに立ち入ることを許されているのでしたら、いつでも会いに来ることが可能です」
カヤの言葉に、わたしはウッと口籠ってしまった。
勿論、許可なんて貰っていない。今からでも貰いに行くべきだろうか。そんな事も頭を過ったのだが、何となくダメと言われてしまう未来が頭を過ってしまった。
黙っていると、カヤは不思議そうに首を傾げてきた。
「どうしましたか、燐火?」
無垢な眼差しを受けて、わたしは慌てて答えた。
「な、何でもないよ! そっか、それなら、わたしがここに会いに来てお話するっていうことで決まりだね!」
焦りの為か、背中の翅が頻りに動いてしまう。その様子をガラス玉の目に映しつつも、カヤは落ち着いた様子で頷いた。
「はい、よろしくお願いいたします」
拒絶することもなく、カヤはそう言った。
それから、しばらくの間、わたしはカヤを相手に色々なことを質問した。いつからここにいるのかとか、普段は何をしているのかとか、何か食べたりするのかとか、思いつくまま訊ねていった。それら脈絡のない質問に対して、カヤは丁寧に答えてくれた。
だいたい三年くらいはこの場所で座り続けている事とか、普段は布のカバーの下でぼんやりしている事とか、経口摂取はせずに、背中の翅の根元にあるというプラグで充電するとか、そういった感じの返答だった。
逆にカヤからわたしへ質問することは、なかった。
どうやら、こちらからの働きかけに反応することしか出来ないらしい。機械人形だからだろうと思いたいところだが、わたしはちょっとだけ不安になった。
ひょっとして、わたしに興味がないからではないだろうか。そうでないなんていう証拠もない。だとしたらとても悲しいけれど、仕方がないとも言える。友達になろうと言ったのはわたしの方なのだ。これからの関係性で仲良くなって、向こうからわたしに興味が向くように仕向けるしかないだろう。
カヤとしばらく話していて、わたしは実感した。本に書かれていた機械人形は、もう少し無機質な印象があったものだった。けれど、カヤの場合は全く印象が違う。命を宿す機械人形を目指して作られただけの事はあるのだろう。少なくとも、ただのお人形ではない。わたしの部屋の上のベッドで眠っているお人形とは全く違った。
だからだろう。気づけばわたしは時間を忘れてカヤと話し続けていた。その事に気づいたのは、時計のアラーム音に気付いたからだった。薄暗い準備室を見渡し、わたしは時刻に気づいた。だいたい二、三時間は経っているだろうか。
「もうこんな時間……?」
「予定ではもう間もなく、猫柳博士が学会から戻られるはずですね」
「……い、いけない。温室に戻らなきゃ」
慌ててわたしは床に落ちていた布のカバーを手に取った。そして、元通りにカヤにかける直前、わたしは彼女に言ったのだった。
「ねえ、カヤ。わたしがここに来たこと、他の人には内緒にしてくれる?」
「分かりました。燐火がそれを望むのでしたら、他言は致しません」
「ありがとう。ごめんね、カヤ。また遊びに来るからね」
「はい。燐火と再び会う事を楽しみにしております」
カヤが話し終わると同時に、わたしは布のカバーをその上にふわりとかけた。直後、わたしはこそこそと入ってきた扉をくぐり、温室へと戻っていった。幸い、誰にも気づかれてはいないらしい。コルクボードで出入り口を隠すと、ハンモックの上に座って、小さくため息を吐いた。
──再び会う事を楽しみにしております。
カバーをかける前の、カヤの言葉を思い出し、わたしは思わずニヤニヤしてしまった。また会いに行こう。明日、明後日、いや、もっと先になるかもしれないけれど、機会を見つけて今日みたいにそっと忍び込もう。
そして、誰にも言えない秘密の楽しみを胸に抱えると、わたしはふと壁に並べられた本へと目を向けた。手に取ったのは、妖精が主役の物語だった。同じ種族の友人と共に美しい森で冒険をする話である。だいぶ前に一度読み終わったその作品を、わたしはまた最初から読み始めたのだった。