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勿忘草の名のもとに  作者: ねこじゃ・じぇねこ
1章 作られた妖精
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4.隠し扉の先で

 緋桐も博士も出かけてしまった後、わたしは静かに温室の一角にあるハンモックに寝そべっていた。

 そよ風と柔らかな明かりの下で読むのは、緋桐が用意してくれた書籍の一つだ。そこには、今はもう過去のものとなってしまった妖精たちの世界のことが、挿絵や写真付きで解説されていた。


 本には人間と妖精の歴史的関係が赤裸々に記されている。よりよいパートナーであった時代もあれば、奴隷同然だった時代もあったらしい。今のわたしのように文字なんて教わる機会も与えられず、人里でネズミのように暮らしていたこともあれば、人の手の入らない森の奥にて独自の文明による王国を築き、誇り高く生きていた野生種もいたらしい。

 色々な妖精たちが世界にはいた。けれど、今はもういないのだと言われている。森が切り開かれ、わずかに残った区域で暮らしていた妖精も無秩序に乱獲されていき、野生種はだいぶ前から姿を消してしまった。

 それ以降も、人間たちに囚われ、飼いならされた妖精たちが血統書を用いた管理のもと暮らしていたそうだが、彼らもまた姿を消していった。妖精を取り巻く環境や、人々の意識が変わっていくにつれ、無計画に子を産ませるような事もなくなっていき、徐々にその数を減らしていったからだという。そして、気づいたら、妖精はいなくなっていた。


 けれど、人というものは夢見がちだ。可能性がゼロでなければ、なんだって夢を見る。何も世界中の森の端々を確認したわけではないわけだ。

 この世の何処かにはまだ、人間の魔の手から逃れた世界が遺されているはず。そこにはきっと、人間の手を逃れて暮らす野生種の妖精たちが生き残っているに違いない。そんな話は実しやかに語られ、実際に、妖精の隠れ里を探そうと行動に出る者も、今の時代でもいるという。


 わたしが読んでいたのは、ちょうどその頁だった。妖精の隠れ里について語り始めたというある学者が描いたという挿絵付きで、先人たちがいかにしてその夢を追いかけてきたのかが語られていた。

 勿論、隠れ里という夢を見たのは人間だけではない。一度は人間に飼いならされ、様々な事情から人の保護を離れ、野良犬や野良猫のように暮らしていた妖精たちの子孫もまた、その地を理想郷と信じていた。

 人間の世界から旅立ち、妖精だけの世界を目指すという話は童話にもなり、主に人間の子供たちの想像力を掻き立てる。きっと同じようにしてその存在を知った妖精たちが、そっと人間の世界を去っていったのだろう。その結果、妖精たちは数を減らし、人前から姿を消していったのだ

 遺されたのは細胞や遺伝子のサンプルと、それによって生まれたわたしくらいのもの。だが、言われてみれば確かに、妖精の隠れ里を目指して旅立ったという者たちが、そのまま子孫も残せずに死んでしまったとは限らない。


 もしかしたら本当に、この世の何処かには妖精たちが独自の文化で暮らしている世界があるのかもしれない。

 もし、本当に隠れ里があるとしたら、行ってみたいと思うだろうか。

 本を枕にうつ伏せになり、わたしはしばし考えてみた。興味がないなんて、とても言えない。同胞がいるかもしれないとなれば、やっぱり会ってみたいと思ってしまう。だけど、その為にこの屋敷を去るとなれば話は別だ。


 この本には人間の恐ろしさもたくさん書かれている。著者も人間のようだが、人間だからこそ、その恐ろしさに真正面から向き合えるのかもしれない。先祖だったかもしれない者たちが受けた仕打ちを文章や記録から察するのは心が痛む。

 それでも、わたしは断言できる。この本に出てくる人間たちと、この屋敷に暮らす人間たち──緋桐たちは全く違うのだと。

 そうでなければ、何故、わたしは幸せでいられるだろう。その有難みを噛みしめつつ、わたしは本を閉じた。


 ハンモックから降りて、別の書物を探す。壁沿いにずらりと並ぶ書物の背表紙を眺めながら、次なる本を選ぼうとしたその時、ふと、ある一角に視線を吸い寄せられてしまった。

 この場所は、時折、模様替えが行われる。本の入れ替えや、インテリアの入れ替えが行われるのだ。その際に、カーテンの位置やコルクボードの位置が変わる事があるのだが、まさしくその場所への違和感も、その模様替えによるものだった。

 そこは以前から、写真のついたコルクボードが立てかけられていた場所であった。その位置が若干ズレてしまったらしい。お陰で、長きに渡り気づかなかったその壁の事実に、わたしはこの度気づくこととなったのだ。


「ここ……もしかして……扉?」


 そう、壁には小さな扉があったのだ。小窓と言うべきだろうか。ただの壁だと思っていた場所が、向こう側と繋がっているらしい。


「壁の向こうって……確か……」


 準備室。その位置関係が頭に浮かんだ途端、わたしはよからぬ好奇心にかられてしまった。

 いつも遮光カーテンで仕切られている向こう側。わたしの遺伝情報なんかも資料として保管されているらしい場所。この屋敷で数少ない、立ち入った事のない場所であるためだろうか。無性に覗きたくなってしまったのだ。

 少しだけ悩み、そしてわたしは温室の内部を見渡した。誰もいない。その事を確認すると、コルクボードをどかして、扉にそっと触れてみた。しっかりと閉まっていれば、その時点でわたしの冒険は終わりだった。けれど、幸か不幸か、扉がガタっと音を立てて、開いてしまったのだった。


 急に冷たい風を感じ、わたしは息を飲んだ。

 温室が明るいせいだろう。準備室はやけに暗く感じる。それでも、開いてしまったからには、もう止まれなかった。好奇心で一杯になった心に体が引っ張られていく。

 背中の翅をぺたりと広げ、映像で見たことのある猫のように身を屈め、その小さな扉をくぐっていき、わたしはとうとう禁断の部屋へと侵入したのだった。


 ──入ってしまった。


 勿論、悪さをするつもりなんて毛頭ない。何があるか好きなだけ目にしたら、すぐに帰るつもりだ。だが、恐ろしい事に、準備室は好奇心をくすぐるものばかりが置かれていた。

 蛍光色に光る液体に培養された謎の物体だったり、カラフルな液体と共に瓶詰にされた生き物や細胞の塊だったり、呪文のような言葉の記されたラベル付きの薬品だったり、様々だ。

 その中でもわたしの名前の付いたサンプルはすぐに見つかった。決して触れないように気を付けながら、一つ一つ確認する。博士が言っていた通りの代物だった。鱗粉であったり、卵の殻だったり、蛹の殻だったり、無精卵であったり。

 見たところ、やっぱりただ単に保管しているだけのようだった。


 ──妹や娘なんてものは作っていないようね。


 少しでも疑ってしまった事に罪悪感を覚えながら、わたしはそっと後退りをした。あまり長居してはいけないだろう。

 そう思って帰ろうと身を翻したその時、わたしはふと準備室の隅っこに視線を奪われた。布のカバーがかけられたその場所で、人の足のようなものがはみ出ていたのだ。

 目の錯覚などではない。ぎょっと驚きつつも、やはりどうしようもない好奇心につられ、近づいてみた。そして、布のカバーを勢いよく捲ってみて、そのまま驚愕してしまった。


 ──妖精だ……。


 いや、違う。厳密には生きた妖精ではない。妖精を模した人形がそこに置かれていたのだ。

 すぐに作り物だと気づき、ため息交じりにわたしはしゃがんでみた。目を合わせてみれば、その美しさ、精巧さに驚いてしまった。

 ガラス玉の目も、背中の翅も、作り物とすぐに分かるが、それはそれで美しい。そして何よりも心惹かれたのは、生きた肌のようにも見える、愛らしい顔だった。

 その頬に思わず触れそうになったその時、驚くべき事は起こった。急にその人形が顔を上げ、わたしの手を掴んできたのだ。


「わっ……」


 思ってもみなかったことに、心臓もまた悲鳴を上げる。焦りから立ち直れないまま、翅をばたつかせて逃れようとするも、人形の力は強すぎて抜け出せなかった。


「お、お願い、離して」


 必死になって懇願してみれば、人形は不思議そうにわたしの顔を見つめ、そして、意外なことにあっさりと手を放してくれた。


「きゃっ!」


 勢いのあまり転んでしまったわたしへ、人形はそっと身を乗り出して窺ってくる。


「あの……大丈夫……ですか?」


 間違いなく声をかけられ、わたしは茫然としてしまった。人形に敵意はない。異様に整ったその顔に、ただただ困惑の表情を浮かべている。その事を少しずつ理解していくと、わたしもようやく心を落ち着ける事が出来た。


「大丈夫……だよ」


 そう返答してみると、ちゃんと気持ちが伝わったのだろう。人形はガラス玉の目をわたしに向けて、朗らかに笑ったのだった。

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