3.みんなの本音
話すように静かに促されて、けれどわたしはそのまましばらく黙してしまった。
気持ちだけが焦る一方で、背中の翅が時折、小刻みに震えてしまう。だが、緋桐と博士は、そんなわたしを急かしたりしなかった。そのお陰もあってか、徐々に気持ちを落ち着けていくことが出来た。
そして、ようやくわたしは緋桐に言う事が出来た。
「まずは御免なさい」
真っ直ぐその目を見つめ、わたしは謝罪した。
「勝手に博士の部屋に忍び込んで、勝手にカヤと交流して、勝手にカヤを連れ出して……。いけない事だっていうのは分かっていました。それでも、好奇心にわたしは負けてしまったのです。カヤと会って話をして、仲良くなっていくことが楽しくて、気づけば、わたしの中でカヤの存在があまりに大きなものになっていたんです。だって、カヤは、わたしにとってこの世で唯一の仲間だから」
見つめた先の緋桐の表情は非常に冷静だった。緋桐だけではなく、カヤ自身が言ったように、皆、思っていることだろう。カヤは本当の仲間ではない。彼女は機械人形なのだと。わたしだって分かっている。それでも。
「姉妹なんて欲しくないって思っていました。緋桐様がいれば、それでいいって。全部ひとり占めできるもの。だから構わないって。だけど、カヤと仲良くなっていくうちに、わたし、思い出してしまったんです。こんなわたしだって、かつては姉妹が欲しかった。仲間が欲しかったって」
少なくとも羽化して以来、わたしは強がり続けていた。一人である事。それは、仕方のないことだ。どうしようもないこと。
だから、一人でいることのメリットをあれこれ考えて、思い続けてきた。その結果が、妹なんていらない、だったのだ。
でも、考えてみればそれは寂しさからの逃避であったし、それと同時に新たな出会いのきっかけにも繋がった。
忘れもしない。わたしは妹なんて作っていないだろうかと疑って、準備室に忍び込んだのだ。そして、カヤに出会った。出会ってしまった。
「わがままなのは分かっているんです。この世には恵まれない暮らしをしている人がいっぱいいるって緋桐様も博士も教えてくださいました。諦めなくてはいけない事もいっぱいあるのだって。だから、これは駄々っ子なのでしょう。それでも、わたしは、カヤのことを諦めきれないんです。だって、カヤじゃないといけないから。代わりなんていないんです。わたしはカヤの事を好きだから……緋桐様と同じくらい、愛してしまっているから」
思いの丈はこれで全部だろうか。
口にしても、口にしても、言いきれたとは思えない。それでも、いざという時にすらすらと気持ちを口にできるような語彙力に、残念ながらわたしは恵まれていないのだ。
あとは黙することしか出来なくて、じんわりと失意に包まれていると、緋桐は小さく溜息を吐き、ふと口を開いた。
「あなたはどうなの、カヤ」
その目は真っ直ぐわたしを向いている。いや、わたしを見ているのではない。カヤに視線を向けられずにいるのだ。直接その顔を見るのが怖いのだろうか。疑問に思っているうちに、カヤは緋桐に答えた。
「わたしは……」
戸惑いが声に現れている。いつものようなカヤとは少し違った。
「わたしは、ここにいたいです」
それは、紛れもないカヤの気持ちだった。
「緋桐様に全ての権限があることはよく理解しております。わたしには、あなたの指示に従う事しかできない。そうするように、博士に作られたからです。でも、何故でしょうね。それなら、燐火に連れ出されることすら許してはならなかったのです。準備室から出てはいけなかった。充電スタンドから立ってはいけなかった。それなのに、わたしは燐火に言われるままにあの部屋を出てしまった。あの時からわたしは少しおかしいのです」
カヤはそう言うと、作り物の翅を軽く動かした。
「燐火の鱗粉のせいでしょうか。いいえ、そんなはずはありません。わたしの体にだって、鱗粉対策はきちんと施されているはずです。そんな事で、電脳が狂うはずはないのです。でしたら、何故。何故、わたしは燐火に従ったのでしょう。その明確な答えは今も分かりません。ただ、わたしはいけないと分かっていてもなお、燐火と共にささやかな抵抗をしてみたいと願ってしまったのです」
そしていま、と、カヤは真っ直ぐ緋桐を見つめた。
「わたしはここに居続けたいと強く願っている。燐火と離れたくないのです。でも、燐火だけではありません。猫柳博士とも、そして緋桐様、あなたとも、離れたくないのです」
強い訴えが恐ろしかったのだろうか、緋桐は軽く目を逸らした。だが、カヤはそこへ一歩踏み込み、強く呼びかけた。
「緋桐様、どうか、わたしを見てください。あなたの大事な人、勿忘草を模したわたしを。わたしは彼女ではないかもしれません。けれど、わたしの中にはあなた達の入力した勿忘草の記憶が宿っているのです。緋桐様、覚えていらっしゃいますか。勿忘草との約束を。これからもたびたび、笑いながら共に過ごしていきたい。そして、大人になったあなたと、昔の事を思い出してお茶を飲んだり、お酒を飲んだりしながら、共に語らって懐かしみたい。幼い頃、彼女とそんな約束をしたのですよね。わたしの望みも、彼女と同じです。お茶も、お酒も、この身体では飲めませんが、あなたと過ごして話をしたい気持ちは今も変わりません」
カヤの声は震えていた。
ガラス玉の目が潤んでいる。機械人形は普通、涙をこぼさない。そういうものだとわたしも何処かで学んでいた。
けれど、カヤは完璧な妖精の再現を目指して作られた機械人形だ。だからきっと、涙をこぼせるように出来ていたのだろう。
それでも、肩を震わせながら泣くカヤを見て、緋桐も、猫柳博士も、茫然としていた。
「カヤ……」
緋桐はその姿を見つめ、そして、沈痛な表情を浮かべていた。そんな中、猫柳博士も我に返ると、ふとその視線を緋桐へ向けた。
「緋桐さんや、どうやら、私たちは夢を一つ完成させていたようです。ごらんなさい、この子を。この子には機械人形としては不必要な機能が多数備わっております。その多くは思ったように作動することもなく、人形は所詮人形なのだという当たり前の事実を私たちに突き付けてきました。ですが、どうです、緋桐さん。今、この子は、泣いている。一人の妖精として、感情のまま涙を流しているのです。私達が設定したわけでもないのに」
恍惚とした様子で猫柳博士はそう言うと、呟くように続けた。
「緋桐さん、私は一つ、言っていなかったことがありましたね。この子を作った時の事です。私はあなた達に笑ってほしかった。少年時代に目にした、あなたと勿忘草の姿をもう一度この目で見たかったのです」
猫柳博士の淡々とした言葉を、緋桐は静かに聞いていた。何も感じていないということはないだろう。それは緋桐の様子を見ていれば分かる。
先程までの冷徹な彼女はもうそこにはいない。ただじっと口を閉ざし、そして、わたし達全ての視線から目を逸らした。
美しいその横顔が、誰もいない廊下の向こうへと向く。そちらを見つめたまま、緋桐は非常に小さな、ともすれば待機している蜘蛛型ロボたちの起動音で掻き消えてしまいかねないほど小さな声で呟いた。
「少し、昔の事を思い出した」
こちらを振り返ることなく、彼女は語る。
「いつだったかしら。とにかく私が小さい頃だった。勿忘草が羽化する前だったと思うのだけれど、私の父のもとに大きな研究施設を持つ企業の方々がいらしたの。高度な施設が揃うその場所なら、妖精たちをよりよく繁殖させることが出来ると。それなりの額を提示されたそうよ。それで、当時、保管していた妖精のサンプルと、人工的に繁殖した妖精たちがいくらかそちらに引き取られることになったのだけれど、その中に勿忘草もいたの。私は必死になって父に訴えたわ。私から勿忘草を奪わないで……って。それが原因かは分からないけれど、勿忘草はうちの施設に居続けることになったの」
その頬を、一筋の雫が垂れていく。
そのまま、緋桐はこちらを振り返ることなく、呟いた。
「あの時と同じね」




