4.どうして生まれてきたのか
博士が話し終わると、わたしは言葉よりも先に涙があふれてしまった。
堪えきれずに泣き出すわたしを気遣おうと、博士は身を乗り出す。だが、その善意ですら、今のわたしには素直に受け取ることが出来なかった。
「その日から……ずっと」
さりげなく距離を置くと、わたしは博士に言った。
「ずっと……カヤをここに置き去りにしたんですか……」
わたしの気持ちを汲んだのだろう。博士は静かに認め、言い訳をする子供のような眼差しをこちらに向けてきた。
「定期的に話しかけた。メンテナンスもした。これでも、私にとってカヤは娘のようなもの。それは本当だよ」
「じゃあ、なんで。なんで手放すんです」
「言っただろう。あの子は緋桐さんのもの。緋桐さんに権限があるのだ」
「だとしても……!」
言葉と涙が同時に溢れ、息が詰まってしまいそうだった。
心がずたずたになるのは、罪悪感がこみ上げてくるからだろう。だって、わたしのせいなのだ。わたしのせいでカヤは居場所をなくしたのだ。わたしが無事に羽化したばっかりに。
「わたしのせいで、カヤが……」
呟くわたしを前に、博士はオロオロしながら声をかけてきた。
「いや、君のせいじゃない。君のせいじゃないよ、燐火」
必死に慰めようとしてきたが、むしろその優しさが、わたしの心を逆撫でしてくる。
だって、分かっていたからだ。所詮、わたしだって、緋桐を喜ばせる道具でしかないのだと。それなのに、本当の父親のように振舞おうとする彼の事が、許せなくなってしまったのだ。
「わたしのせいじゃないですか!」
だから、わたしは博士に怒鳴った。感情のままに怒鳴ったのだ。こんな事は初めてだった。生まれてこの方、こんなことは記憶になかった。
ずっといい子であろうと、少なくとも優しい子であろうとしてきたはずなのに、今だけはどうしても出来なかった。
「だって、だって、わたしがいなかったら、今だってカヤは緋桐様と博士と一緒に幸せな日々を送っていたかもしれないのに。そんな日々をわたしはカヤから奪ってしまった」
それは、カヤに出会ってからずっと、気にしていた事でもあった。
あれほど幸せで満ち足りていた世界を、心から楽しむことが出来なくなってしまった。楽しむことに罪悪感を覚えるようになってしまった。
わたしの喜びの裏に、薄暗い場所で一人しゃがみ続けるカヤがいるのだと思うと、怖くて仕方がない。
そんな恐怖が頂点に達し、わたしはとうとう思ってしまったのだ。
「どうして……どうしてわたしを作ったんですか……」
生まれてこなければよかった、と。
止める事も出来ない涙がボロボロ零れ落ちていく。そんなわたしを前に、博士は狼狽え続けていた。
「燐火……ああ、燐火。どうか泣かないでおくれ」
触れる事すら怖いのだろう、手を構えたまま博士もまた震えていた。そのままの状態で、彼はわたしに言った。
「これは私の罪だ。緋桐さんと私、大人たちの罪だ。君の罪ではない。だから、そう自分を責めないでおくれ」
「じゃあ、博士……どうか、どうか教えてください。もしも、緋桐様がわたしをいらないなんて言ったら──」
「そんなことはあり得ない」
「もしも、いらないって言ったら、博士はわたしの事も」
「そんなことを言うはずがない」
「わたしの事も捨ててしまうのですか?」
言い切るわたしを前に、博士は恐れるように肩を震わせた。
「そんなことはあり得ない。緋桐さんがそんなことを言うはずがない。だって、君は命ある生き物なのだ。カヤとは違うのだよ」
必死になってそう言うが、博士もまた不安そうな表情を浮かべていた。
博士は、緋桐ではない。緋桐がどう思うか、どう振舞うかは、そのすべては博士には分からないはずだ。それでも断言してしまうのは、そう願っているからに他ならないだろう。
わたしだって緋桐を信じたい。彼女に陶酔しているのは今だって一緒なのだ。でも、だからこそ、失望したくないという気持ちが強く、同時に疑いの気持ちも強まってしまう。
信じたいからこそ、確かめたくなってしまう。
「もしも……の事です。もしも、そんなことがあったとしたら、博士はどうするんですか?」
「無論、手放したりはしない。君の肩を持ち続けるし、守り切れなければ、緋桐さんとの関係にも罅が入るだろう」
「だったら、カヤも守ってください」
強く訴えるわたしに、博士は頭を抱えた。
「燐火……ああ、燐火。何と言えばいいのだ。あの子は機械なのだよ。生き物である君とは違う存在なのだよ。仲間ではないのだ」
「いいえ、仲間です」
諭そうとしてくる彼に対し、わたしは一歩も引かなかった。
「少なくとも作られた者同士。偽物の妖精同士です」
「偽物……そんなことはない。君は本物の──」
「偽物なんです、わたしだって。だって、だって、わたしは森を知りません。博士たちの手で守られなければ、生きていくことすらできません。親も、兄弟姉妹もいません。友達だっていなかった。そんなわたしにとって、カヤは、初めてできた唯一の仲間なんです!」
流れる涙も鼻水も、かまっている余裕すらなかった。さぞかし、みっともない顔をしていただろう。それでも、いつものように育ちのいい妖精らしく振舞う事なんて全く出来なかった。
博士の服を掴み、縋りつき、わたしは訴え続けたのだ。
「お願い、博士。わたしからカヤを取らないで。せっかくできた仲間を……この世で唯一の仲間を奪わないで」
もう限界だった。上手い言葉はこれ以上出てこない。感情のままに泣くことしかできなかった。これでも予備バッテリーを貰えないならば、わたしはこの世界に絶望するしかないだろう。
カヤの事を思い出すたびに、生まれてきたくなかったと何度も泣く羽目になるだろう。そして、あれほど好きだった緋桐と博士のことを恨むだろう。
けれど、わたしにはもう出来る事はない。あとは、博士の反応を待つだけだった。
博士はわたしを前に呆然としていた。泣きじゃくるわたしに対し、どう接すればいいのか分からないのだろう。
わたしも分からなかった。これ以上、どうすればいいのか。この涙はどうすれば止まるのか。羽化したあとの大人らしい振舞いというものが、全く分からなくなっていた。
やがて、博士はわたしから目を逸らすと、天井を仰いだ。
「わたしもね、何が正解なのか分からなくなっているのだよ」
博士は言った。
「緋桐さんをどうすれば癒せるのか。彼女の言うままに従えばいいのか、それではいけないのか。ずっと迷い続けている」
ぽつりとそう言ったかと思えば、彼はわたしへと視線を戻した。
「予備のバッテリーだったね。分かった。君に託そう」
「……博士!」
「喜ぶ前に、どうか聞いておくれ。私は緋桐さんの心を癒したい。君がもし、カヤを連れてこの屋敷を去ってしまえば、それは叶わなくなる」
「では、どうしたら?」
「それを模索するために、どうかもう少し私と一緒にいてくれないか。緋桐さんを説得してみたいのだ」
その口調、その表情から、わたしは博士が本気なのだと理解した。途端、目の前がぱっと明るくなったような気がした。
あれほど止まらなかった涙が止まり、希望の光すら見えてくる。博士が味方になってくれるのなら、きっと。
「博士……わたし──」
と、すぐさま頷こうとしたその時だった。準備室の扉がノックされた。博士がすぐに応対してみれば、慌てふためいた様子の麦が入ってきた。
「麦……どうした?」
「伯父さん、すぐに来てください。緋桐様が探していた機械人形を見つけたらしくて」
見つかってしまった。
その言葉にわたしは慌てて立ち上がった。その物音に、麦が驚いた様子でわたしを見つめてきた。
「り、燐火。なんでこんなところに!」
声をかけてきた彼女へろくに返答もできないまま、わたしは走り出してしまった。博士と麦の間を割って入り、そのまま準備室を出ていった。
「待って、燐火!」
「燐火、戻ってきなさい!」
麦と博士の声が同時に響いたけれど、当然、止まる事なんて出来なかった。




