2.亡き者の再現を目指して
その昔、大切な存在との永久の別れに苦しみ、喪失感から解放されたい一心で、再会を目指そうと挑んだ人々がいた。
深い悲しみと純粋な願いが合わさって生み出された英知は、積み重なって人々の暮らしに役立たれるようになっていく。彼らの挑戦は決して無駄にはならなかった。それでも、彼らの願いが果たされたとは限らなかった。
機械であれ、医学であれ、願いと努力によって生まれ、積み重なっていった知識は継承されていき、後に天才と呼ばれる一人の少年に影響を与えた。
それが、後の猫柳博士である。
母親が研究者であり、滅びゆく妖精たちの保護と復活を目指し、生命を生み出すための実験を繰り返し、それを間近で見てきたからこそ、彼はおのずと妖精たちへの興味を深めていったという。
「私の母は、気を抜くと自分が生き物であることを忘れてしまうような研究者だった。幼かった私や妹の子守りどころか自分の世話もままならない人でね、そんな彼女にとって私の父は良いパートナーだったらしい。だが、父が病で死んでからは、母のそうした気質はますます酷くなったそうだ。幸い、その頃には緋桐さんのお父さんである青桐さんと付き合いが生まれ、私たち兄妹も寂しい思いはせずに済んだのだがね」
猫柳博士はそう言うと、懐かしそうに空を見つめた。
「あの頃の母を思い出すと、少しだけ気持ちを察することが出来る。母は父にもう一度会いたかったのだろうね。だから、生命の研究を続けていたのだろう。その対象は妖精だけだったが、本当は人間を作りたかったんじゃないか。今だからそう思うよ」
とはいえ、猫柳博士の母は、そうした私情を一切口にせず、緋桐の父である青桐と共に妖精のいる森を目指し、妖精たちの保護活動と、繁殖のための研究を続けていったという。自然繁殖は勿論のこと、人工的な繁殖にも取り組んだ。さらには古い細胞組織から生命を生み出すための実験を繰り返し、それを成功させたりもした。
しかし、彼らの活動はうまく行かないまま終わってしまった。せっかく増やした妖精たちが無事に暮らせるような森林が、もうこの世界にはなかったからだ。
「母や青桐さんの活動を見ていたからこそ、私は当初、機械人形に夢を託そうとした。生き物では夢を見ることなどできない。ならば、機械はどうだろうと」
「滅んだ妖精の代わりに、機械人形の妖精たちを森へ?」
とっさに疑問を抱いてしまったのは、きっとわたしもまた心のどこかで機械と生き物は違うという思いがあったからなのだろう。
その気づきに居たたまれなさを感じていると、博士は静かに首を振った。
「いいや。実のところ、そうじゃないんだ。私が妖精を模した機械人形を作り始めたのはね、そんな崇高な目的の為ではないんだ」
「では……どうして?」
「緋桐さんのためだよ」
博士は言った。
それは、猫柳博士の母親と、緋桐の父親が、共に夢破れるより少し前のことだ。猫柳博士と緋桐が今よりもずっと若く、大人と子供の境をさまよう多感な時期の少年少女であったその頃、一人の妖精がその生涯を終えた。
勿忘草。墓標に刻まれたその名前は、関わった人々の心にも残り続けたという。
「それは私も同じだ」
猫柳博士はそう言った。
「彼女と過ごした月日は、大人になってから振り返れば驚くほど短い。だが、そうはいっても子供の頃の数年間はあまりに長すぎた。たった数年、されど数年だ。その間に、緋桐さんと彼女との間には深い絆が生まれていたのだよ」
肖像画と、そして写真と、それぞれが頭に浮かぶ。
カヤによく似たその人。わたしの遺伝的母親だというその人。彼女と緋桐の関係が具体的にどのようなものであったかまでは、どうしたって想像することしかできない。
だが、その事を語る博士の表情を見ていれば何となく伝わってくる。緋桐にとって、勿忘草の喪失は、あまりにも大きすぎたのだろう。
「勿忘草の悲報は世界中の妖精好きを悲しませた。だが、日も経てば悲しみは癒えるものだ。この世の中は生きている者、存在している者のための場所だからね。勿忘草の死をより身近に感じた大人たちも、次第に前を向いて歩むようになっていった。大人になったばかりの私も、そして緋桐さんもね。だが、私は気づいていたのだ。緋桐さんはあれからずっと勿忘草の面影に取り憑かれているのだと」
ある日、彼女は博士になる直前の幼馴染に、こっそり打ち明けたのだという。
どれほど死別の悲しみが深かろうと、時間の経過は心を癒す。日が経てば経つほど、共に過ごした日々は遠い昔のものとなっていき、その記憶が薄れるごとに苦しみからは解放されていく。子供から大人になりつつあったその頃の緋桐たちにとっては尚更のことだ。
「けれど、緋桐さんはそれが怖いと言ったんだ。忘れてしまうこと、絆が失われていくことが、あまりにも怖いと」
だから、彼は夢を抱いた。
「私は、緋桐さんを癒したかった。悲しみに暮れる彼女が不憫だった。しかし、私ではどうしようもない。私が寄り添ったところで、その傷は塞がらない。ならば、どうすればいいか。考えた末に、私は幼い頃に触れた過去の偉人たちのエピソードを思い出したのだ」
もう会えない誰かを留めたい。そんな願いを抱え、死の別れに挑んだ者たちがいた。いずれも上手くいったとは言えない結果だったと伝えられていたが、そんな結末も、猫柳博士の希望を陰らせたりはしなかった。
「私が最初に考えたのは、機械人形だった」
模型のようなものと緋桐は言ったが、猫柳博士は本気で機械による勿忘草の再現を目指したのだという。
「機械ならば死なないからね。故障はするが、直すことが出来る。人格を含むすべての記憶を定期的に外部へ保存しておけば、激しい損傷からも回復させることが出来るはず。そこに私は永遠を見出したのだ。機械人形ならば、私の母や青桐さんが直面した数々の悲しみとも無縁になるだろうと」
そんな彼の研究に、緋桐は興味を抱いた。生命の研究と並行して、生命体のような機械人形を生み出す彼の功績を認め、親世代がそうであったように、研究を援助するようになっていったという。
そして、二人で掴み取った夢の一つが、魂を宿す機械人形カヤの誕生だった。
「最初はね、勿忘草を蘇らせたつもりだった」
博士は言った。
「彼女を研究した当時の大人たちの証言や、私と緋桐さんの覚えている限りの記憶、そして、日記などを調べ尽くしてデータにし、世の中の膨大な知識と一緒に目覚める前の機械人形に打ち込んだ。しかし、いざ人格を形成しようとしたときになって、緋桐さんが言ったのだよ」
──やっぱり、別の妖精ということにしましょう。
見た目も、記憶も、無事に勿忘草を再現できるはずだった。しかし、博士にとって、この研究はどこまでも緋桐のためだった。
「だから、私は承諾し、勿忘草とは違う全く新しい人格を授けたのだ。背中の翅の色から藍晶石……カヤナイトを連想して、カヤ。その場で思いついた名前だったが、緋桐さんは気に入ってくれた」
そして、カヤは目覚めた。全く新しい妖精の人格を授けられて。
その目覚めは博士と緋桐だけでなく、機械人形に関心のある研究者たちや愛好家、さらには、かつて妖精を愛していた人々の関心まで引き寄せたという。
二人の夢は、カヤの目覚めとその発表によって、忘れ去られかけていた多くの人々の夢へと繋がっていった。そして、期待と希望の溢れる中で、緋桐と猫柳博士は、目覚めたカヤと接するようになっていったのだという。
その様子もまた、世間では注目されたという。カヤは高く評価された。日を追うごとに、妖精という存在を忘れつつある世界に、思い出させるための存在として。だが、そこにあったのは、ほんの小さな願いだったのだ。
願いは叶い、屋敷ではカヤと接して微笑む緋桐の姿があった。そんな彼女と並んで、カヤの出来と可能性を確かめる事は、猫柳博士にとっても退屈しない日常となっていた。
だが、そんな楽しい日々も長くは続かなかった。




