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勿忘草の名のもとに  作者: ねこじゃ・じぇねこ
7章 機械の眠り

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2.眠ってしまうその前に

 真っ暗な収納スペースの中で、カヤはうつ伏せになったまま動かない。

 微かな翅の動きも、段々と分からなくなっていく。このまま眠りについてしまうのだろう。けれど、その前に、と、カヤはわたしに告げたのだった。


「わたしはもう一歩も動けません。ここで眠ることになるでしょう。あなたがどうするのかは、あなたの自由です」

「……本当に何もできないの?」


 問いかけると、カヤは黙り込んでしまった。


「ねえ、教えてよ、カヤ。何か方法はないの?」

「──あるにはあります」


 カヤは観念したようにそう言った。だが、わたしが問い質そうとするより先に、彼女は続けて言った。


「ですが、その前に聞いてください。ひょっとしたら、これがあなたとの最後の会話になるかもしれないのです」

「どういうこと?」

「眠りについた後、再び目覚めるまでには時間がかかります。その間に、もしも、緋桐様や博士に電源を弄られれば、わたしはしばらく眠ったままになるでしょう。燐火、あなたとは話せないまま、この屋敷を去る事になるかもしれないのです」

「そんなの嫌だ。ねえ、どうしたらいいのか教えて」


 縋りつくわたしの手を、カヤは宥めるように握ってくる。その力の弱さに、わたしは驚いてしまった。こうしている間にも、カヤは弱っていってしまう。


「燐火。どうか、お願いです。まずはわたしの話を聞いてください」


 暗闇で薄っすらと輝くカヤのガラス玉の目が、懇願するようにわたしを見つめてくる。その眼差しに冷静さを取り戻し、わたしは大人しく頷くことができた。


「……分かった。話して」


 すると、カヤは安心したように目を細め、そして言った。


「ありがとうございます、燐火」


 そして、まるで普段から呼吸をしているように、吐息のような音を漏らしてから、彼女は静かに語りだした。


「まずは、あなたに一つ、謝らねばならないことがあります。あなたと逃げている間に、わたしは一つ大きな嘘をついてしまいました」

「嘘?」

「はい……玄関へとたどり着いた時の事です。鍵は複雑で、簡単には開きません。その解錠の方法を、わたしは知らないとあなたに答えました。……本当は知っていたのです」

「え……?」

「知っていたのに、嘘をついてしまった。何故かはわかりません。こんな事は初めてでした。緋桐様にも、猫柳博士にも、正しくあれと教えられ、その通りに振舞ってきたのに」


 カヤは粛々と謝ってくる。申し訳ないという情動があるのだろう。ただ、それだけでなく、わたしにはカヤが困惑しているようにも感じた。自分自身の行為を不思議に思っているようだった。そんなカヤの様子を目の当たりにしたからだろう。不思議と怒りは湧かなかった。


「……そうだったんだね」


 そして、手を軽く握りしめると、カヤは続けた。


「怒らないのですか? あなたの目的を阻害してしまったのに」

「そうだね。普通なら怒るのかも。でも……何故だか怒る気になれないの。ねえ、カヤ。カヤはどうして嘘をついたの?」

「さて、どうしてでしょうね。機械人形として目覚める前に博士に教えられた倫理によれば、いかなる状況においても嘘をついてはならないはずでした。でも、あの状況下では、あなたが外に出れば不幸になるという恐れに駆られ、気づけば『知らない』と言っていたのです」


 そして、カヤは悲しそうな声色で続けた。


「やはりわたしは、緋桐様が判断された通りの失敗作なのでしょう。命を宿す機械人形はおろか、並みの機械人形としても過ちを犯してしまいました。もはやわたしは高品質な機械人形ですらなくなってしまった」

「そんなことないよ……カヤ」


 そっと顔を近づけて、わたしは彼女に言った。必死に頭を動かして、これまでに学んだ知識や、数少ない知見で構成された頭の中の本棚を漁りつくした。そして、ようやく絞りだした言葉を、わたしはカヤに投げかけたのだった。


「ねえ、カヤ。前にどこかで聞いたことがあるの。嘘をついてしまうのはね、生き物だからこそなんだよ。人間や妖精は、色んな状況で嘘を吐くんだって。身勝手な理由もあれば、そうでなくて優しさゆえの嘘もあるんだって。だから、その……」


 そっと彼女の手を握り、わたしは告げた。


「カヤは失敗作なんかじゃないよ。きっと、生き物らしさがあるんだよ」


 その思いが、どれだけカヤに伝わったのかは分からない。

 ひょっとしたら、分かり合えることなんてなくて、このままずっと平行線のままなのかもしれない。わたしだけが、心細さゆえに、カヤに縋りついているだけなのかもしれない。そんな恐れも頭をよぎった。


「……燐火」


 カヤはそっとわたしの手を握り返し、わたしに言った。


「あなたはとても優しいですね。きちんと言えなくなってしまう前に、これも伝えておかねばなりません。わたしは、あなたとお友達になれてよかった。あなたの言動は、時に、わたしにとっては刺激が強すぎました。教えられてきた常識が覆され、混乱することもありました。緋桐様のお決めになった事に逆らい、わたしを連れて逃げようとなさることも、困惑いたしました。でも、正直に言うならば……わたしはそれが嬉しかった」


 ぽつりと漏らすカヤのその言葉には、いつになく感情があるように思えてならなかった。


「葛藤がありました。非常におかしなことですが、わたしの中では迷いが生じていたのです。そして、今、気づいたのです。人間や妖精にあるという本音と建て前というのが、恐らくこれなのだと」


 カヤはそう言うと、小さく笑みを漏らした。


「けれど、燐火。どうか、気負わないでください。わたしのために、あなたがここまで必死になってくれた。それだけで、わたしは嬉しく思います。このまま、あなたが目的を果たせなくても、それでいいのです」


 諦めたようにそう呟く彼女に、わたしはそっと声をかけた。


「カヤ。あなたの想いは分かった。だけど、わたしはまだ頑張れるよ。だから、もう少しだけ希望をちょうだい。あなたが眠ってしまうその前に、最後の足掻きの手段を知りたいの。……お願い」


 そう懇願すると、カヤは体の姿勢を変えて手を伸ばし、わたしの頬に触れてきた。その感触は作り物であることが一瞬で分かるようなもの。それでも、その触れ方には、情を感じずにはいられなかった。

 カヤは言った。


「わたしがいつも座っていたあの場所に、予備のバッテリーが置かれております。それを一つ、わたしの翅の付け根に差し込んでください」

「予備のバッテリーだね。……どんな見た目なの?」

「黒くて、細長い筒状で、中央にプラグがついています。いくつかありますが、一つで十分でしょう」

「分かった。すぐに取ってくる。それを背中に差せばいいんだね?」


 わたしの言葉に、カヤはしっかりと頷いた。


「お願いします……燐火」


 その声はだいぶか細いものだった。

 一人で置いていくには忍びない。それでも、すぐに行かなければ。ここだって安全だとは限らないのだから。


「ごめんね、カヤ……すぐに戻るからね」


 何度も声をかけながら、カヤから離れると、わたしは収納扉をそっと開けた。

 外はしんとしている。蜘蛛型ロボの気配はない。人の気配もなさそうだ。その事を念入りに確認すると、最後にもう一度、カヤの手に振れ、お役御免の寝床の鍵をその手のひらに置いた。そして、そっと声をかけた。


「行ってくるね」


 必ず戻ってくるという思いを込めて、鍵をぎゅっと握らせる。すると、カヤもまた鍵を自ら握り、そして軽く口を動かした。声はよく聞こえなかった。けれど、わたしにはカヤが何と言ったのか、きちんと伝わった。


 ──行ってらっしゃい。


 彼女は間違いなくそう言ったのだ。

 離れる恐怖をどうにか堪えて手を離すと、わたしはそのまま収納スペースから這い出た。扉を慎重に閉じると、妙にひんやりとした廊下の空気がわたしの心細さを煽ってくる。一人ぼっちには広すぎるこの屋敷を、わたしはじっと見据えた。

 まず向かうべき場所は、温室。そして、カヤと出会ったあの場所へ。

 わたしは静かに歩みだした。

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