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勿忘草の名のもとに  作者: ねこじゃ・じぇねこ
6章 封印された思い出

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2.勿忘草という妖精

 最後の野生種。勿忘草。わたしの母。

 様々な情報が単語となって、わたしの頭をぐるぐる回る。

 思考がまとまらないまま、わたしはただただ肖像画に魅入られていた。カヤは隣でそんなわたしの様子を窺い、絵画とわたしとを見比べていた。


「気になりますか?」


 静かに訊ねられ、わたしはふと我に返った。こくり、と、ぎこちなく頷くと、カヤはさっそくわたしに教えてくれた。


「この絵が描かれたのは、今から四十年近く前のことです。描かれているのは、羽化して半年ほど経った頃の勿忘草です。依頼者は彼女の保護者であった青桐様でした」


 何かの原稿を読むように、カヤは諳んじた。その説明を記憶しながら、わたしは絵をまじまじと眺めていた。

 いつも鏡で確認する自分の姿にも似ているが、それ以上にカヤに似ている。髪の色や目の色といった特徴は少し違うものの、顔立ちの端々がそっくりなのだ。

 これを見て良く分かった。カヤの見た目は、勿忘草をモデルに作られたのだろう。

 と、その時ふと、わたしは額縁の端に何かが挟まっているのに気づいた。抜き取ってみれば、それは封筒で、中には数枚の写真が収められていた。


「写真……?」


 さっそく確認してみれば、この肖像画と同じ人物がそこには映っていた。彼女が勿忘草なのだろう。

 映っているのは彼女だけではない。緋桐に何処か似ている知らない男女と、白衣を着た知らない女性。そして、彼らと共に控え目な表情で写る人間の子供たちが三人。きっと、幼い頃の緋桐と猫柳博士、それにもう一人は恐らく博士の妹──つまり、麦の母なのだろう。

 猫柳博士は随分と変わってしまっているが、緋桐はほんの少しだけ面影を感じる。他の写真では、その子供たちと勿忘草が楽しそうに笑っていた。


「仲が……良かったのかな」


 写真を見つめながら呟くと、カヤもまた共に眺めながら口を開いた。


「わたしの中には、この写真の詳細は記録されておりません。ただ、ここに写っている子供たちは、緋桐様と猫柳博士、それに彼の妹で間違いないでしょう」


 やはり淡々と語るカヤを、わたしは真正面から見つめた。

 似ている。写真と比べてみれば、ますますそっくりだった。


「ねえ、カヤ。あなたは、この写真の勿忘草──つまり、わたしのお母さんをモデルに作られたんだね?」

「それは分かりません。博士はただ、わたしの事を蝶の翅の妖精をモデルにしたとだけおっしゃいました。しかし、確かに勿忘草の実際の姿は、わたしの姿によく似ているようですね」


 他人事のような彼女の言葉に思わず笑ってしまった。だが、すぐに笑みも引っ込み、後はただただ哀愁のようなものだけが残った。

 この写真と、この絵画が、ここにしまい込まれていた理由をわたしは知らない。カヤの中にだって、そんな情報は記録されていないだろう。だから、確かな事は言えないのだけれど、何となくわたしは、この絵と、この写真、そしてもうこの世にはいない勿忘草という妖精のことに、物寂しさを感じてしまったのだ。

 もしかしたらここには、緋桐が何となくカヤに冷たい気がする理由も隠れているのではないか。考えすぎかもしれないが、そんな事が頭を過った。


「ねえ、カヤ。勿忘草について、他にも何か知っている?」


 わたしが問いかけると、カヤはすぐに答えてくれた。


「はい。勿忘草が人々の前に現れたのは、希少な原生林で起こった土砂災害の調査をしている最中だったようです。そのチームにいたのが、原生林の生物たちを研究していた猫柳博士でした。我々の知る、あの博士の事ではなく、彼のお母様の事です。勿忘草はその当時、まだ蛹化を経ていない子供でした。恐らく孵化したばかりだったのでしょう。彼女の存在に、博士らは野生種の妖精たちがまだ残っていると期待したのですが、彼女以外に仲間は見当たらず、彼女を発見した場所も土砂災害の発生区域のすぐ傍であった事から、当時より仲間の生存は絶望的と判断されたそうです。事実、後の調査によれば、勿忘草が保護された場所から程近い区域にて、妖精たちのものと思しき複数体分の骨が見つかったそうです。人類が生きた野生種の妖精を確認したのは、勿忘草が最後であるとされています」


 つまり、勿忘草の故郷は災害で滅んでしまったという事だろう。

 静かに耳を傾けていると、カヤは続けた。


「かのようにして、勿忘草は猫柳博士らに保護される形で研究施設に戻りました。そのニュースを聞いて、連絡をしてきたのが、かねがね妖精たちの生態を調査し、繁殖と放流活動に挑んでいた青桐様でした。青桐様は猫柳博士を支援するかたちで勿忘草の保護者に収まり、共同で勿忘草を育て、ゆくゆくは野生に返すことを目指したのです」


 封筒に残されていた写真のうちの数枚は、その頃のものだろう。

 勿忘草の背中にまだ翅が生えていないものもある。表情はまちまちだが、いずれも悲しげなものではない。それなりに幸せそうにさえ思えた。


「ですが、青桐様の活動は前途多難でした。放流した妖精たちのその後を調査してみても、うまく適応できておらず、いずれも定着はしなかったようです。長い時間をかけて、自分たちで暮らせるように知識を授け、集団で放流してみても、森林の環境が彼らの暮らしを支えるほどに整っておらず、すぐに病や栄養失調などで命を落としてしまうのです。せっかく作った妖精のための集落も、すぐに住むべき者を失い、空っぽになってしまいました。また、卵を上手く産むことが出来ず、命を落とす妖精の女性も増えていきました。原因は分からず、対策もしようがない。まるで、世界が妖精の絶滅を願っているようだと青桐様は嘆かれたようです」


 ──世界が。


 ただの比喩だと分かっていても、心がざわついてしまう言葉だった。

 孤独を感じてきたわたしには、いささか刺激が強すぎる。


「やがて、青桐様のチームは、妖精たちの繁殖と放流活動を諦めました。そして、代わりに森林環境の調査を進めるとともに、勿忘草を保護し続け、成長の記録をとることにしたのです。いつか、この世界の何処かで、彼女の仲間が見つかるかもしれない。その時が来ると信じて、共に待ち続けたのです」


 けれど、その時は来なかった。

 そして勿忘草は──。


「彼女の死後、青桐様と猫柳博士らは、森林について多くの発見をいたしました。水質や地質……平たく言えば、森の環境そのものが、かつて妖精たちがたくさん暮らしていた頃とは大きく変わっており、彼らを養うのに相応しい蜜花の育成を阻害していること、彼らの命を蝕みかねない病原菌が多く生息していたことなどが判明したのです。その後、青桐様たちは、この環境に適応した妖精たちが見つかるかもしれないと夢見ながらも、森林環境をなるべく前の状態に戻せないか、生涯研究を続けたのです」


 その研究を、娘である緋桐や、息子である猫柳博士は引き継いでいない。それぞれ違う事を始め、違う目的のために協力し始め、そして、わたしやカヤが生まれたわけだ。

 親世代のやり残しを、彼らは続けているということだろうか。

 それにしては、何かが引っかかった。肖像画を見ていると、絵画を見ていると、単にそれだけではないような気がしたのだ。

 この物寂しさの正体は何だろう。こんなにも大事な人、大事な記憶のはずなのに、肖像画も写真も、どうしてこんな寂しい場所に封印されていたのだろう。


 わたしは膝を抱え、考え込んだ。見つめるのは握りしめた写真の一つだ。集合写真に、子供達だけの写真。そして、もう一つ、勿忘草と緋桐のツーショット。そこに映る幼い頃の緋桐の表情をじっと眺めながら、その瞳の奥に隠されていただろう彼女の心情を必死に探ろうとしていた。

 緋桐はこの時、どんな事を思っていたのだろう。そして今、彼女にとってこの頃の事は、どういったものとして記憶されているのだろう。

 それらの事が非常に気になった。

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