1.小さな物置の中で
暗がりの中、わたしは必死に耳を澄ましていた。図書室の書庫でも聞いたあの足音や、機械音、それに信号音が聞こえてきた。段々と鮮明になってくるその音に、身震いしてしまう。今度こそ見つかってしまうのではないかと怖くなった。
そんなわたしの隣で、カヤは冷静に座っていた。呼吸の必要がないからだろう。やけに静かに感じる。一方、わたしの方は違った。呼吸に、鼓動に、汗に、震え。生身の体だからこそ生じる反応に、劣等感を抱いてしまった。わたしも機械人形だったら、と、今だけは思ってしまう。
そんな中で、わたし達は無言でただひたすら耐えていた。
機械音や信号音は度々聞こえてくる。足音も頻りに強くなる。けれど、どうやら蜘蛛型ロボたちは廊下を行ったり来たりしているらしく、応接室の中までは入って来ていないようだった。
しかし、絶対に入ってこないとは限らない。その時にはこの場所も恐らく見つかってしまうと思うのだが、わたし達はどうすればいいだろう。こんな狭い中でどうやって切り抜ければいいのだろう。その方法が、全く思いつかなかった。
今のわたし達に出来ることは、ひたすら息を殺し、願うだけ。どうかここにやってこないようにと。そんな願いを嘲笑うように、時折、壁を通して伝わってくるのが怪しい振動だった。蜘蛛型ロボがわたし達を捜している物音なのだろうと思うと、生きた心地がしなかった。
もしも見つかったら、わたし達はどうなってしまうのだろう。悪いようにはされないと信じたいところだが、恐怖が極まると、考えない方がいいような事ばかり頭を過ってしまうもので、その最悪の予想をわたしは何度もしてしまった。
緋桐はきっと怒るだろうし、猫柳博士も怒るだろう。図書室と書庫で蜘蛛型ロボたちを無残に壊したのは、わたしなのだ。もしかしたら、その凶暴性を、彼らは深刻に捉えるかもしれない。そして、仮にわたしもカヤのように失敗と判定されたならば。
様々な不安が頭を過っていく。
機械人形のカヤは何処かへ譲られるというが、わたしはどうなるのだろう。少なくとも、これまでのような愛に満ちた世界はなくなるだろう。ならば、実験動物のように檻にでも入れられてしまうのだろうか。
考え込んでいると、カヤがふと瞬きをした。作り物の耳を傾けて、遠くの物音を探った後、彼女はわたしに囁いてきた。
「どうやら遠くへ行ったようです」
「本当に?」
「はい。ですが、しばらくはここにいましょう。また戻ってくるかもしれませんから」
「……分かった」
緊張は解けなかったが、それでも、だいぶ楽にはなった。
深呼吸をして、わたしはその場にしゃがみ込んだ。直後、周囲が急に明るくなった。どうやら、カヤが部屋の中でライトを見つけたらしい。外にあまり漏れない程度の微かな明かりに照らされて、この場所がどんな部屋なのかをようやく見ることが出来た。
「ここは……物置なのかな?」
「そのようですね」
決して広くはないそのスペースには、様々な物品が置かれていた。ケースに入っているものもあれば、埃避けの布で隠されているものもある。その一つ一つをさり気なく確認してみれば、いずれも応接室を飾っていた芸術品や勲章などであることが分かった。よく見れば、賞状などもかけられている。緋桐のものもあれば、初めて見る名前もある。
「青桐……?」
「青桐様は、緋桐様のお父様の名前ですね。ここはお父様の代に飾られていたものが保管されているのでしょう」
「……そうなんだ」
会った事もなければ、名前も知らなかった緋桐の父。緋桐の名前のついた賞状やトロフィーも、よく見れば学校の名前が一緒に記されていた。きっと子供の頃のものなのだろう。
「知らなかった」
軽く溜息を吐いて、わたしは小声で言った。
「緋桐様のお父様の名前って、青桐様っていうのね。それすら今初めて知ったの。カヤは知っていたのね。教えて貰ったの?」
そっと訊ねてみれば、カヤは首を傾げながら答えた。
「いいえ、どうやら最初からこの情報はわたしの中に保存されていたようです。恐らく猫柳博士が、目覚める前に知っておくべき知識の一つとして入れておいてくれたのでしょう」
「そっか……じゃあ、どんな人だったかも分かる?」
「絶滅しつつある妖精たちの保護と研究を支援されていた方と記録されております。長きに渡り、妖精たちの故郷の復活も目指しておられたようですが、肝心の森林環境が障壁となり、放流活動はいずれも失敗に終わりました。さらに人工繁殖も上手くいきませんでしたが、最後に保護された野生種の勿忘草が亡くなった後も、森林環境の改善を訴え、研究の支援を続けたそうです」
さっきもカヤが言っていたことに繋がる。この世界の森は本当に、わたしが夢見ているような場所じゃないのだろう。
「カヤは何でも知っているのね。わたしはどうして教えて貰えなかったんだろう」
大好きな緋桐の事にも繋がるのに。
拗ねた心をそっと隠していると、カヤは言った。
「恐らくそれは、すぐに教える必要はないと緋桐様たちが判断なさったからでしょう」
「どういうこと?」
「生き物が学ぶ速度は、我々のような機械人形が学ぶ速度とだいぶ違います。壊れない限り、寿命らしき寿命もないわたしとは違い、燐火はその限られた時間で、座学以外の事もたくさん学ばねばならないのです。わたしが有していて、燐火が有していない知識があるのも恐らくその為でしょう」
「けれど、わたし、緋桐様のお父様のことだったら、一度聞いただけで覚えられたと思うのにな……」
改めて考えてみれば、わたしは緋桐の事をあまり知らない。仕事のこと、子供の頃のこと、家族のこと。わたしと一緒にいない時の緋桐についてもよく知らない。だから、カヤの事を話す彼女の姿を見て、怖くなったのかもしれない。彼女のその表情、その声色が、わたしの知らないものだったから。
「わたし……緋桐様の事を、もっと知りたいのかもしれない」
「緋桐様の事ですか?」
取り留めもないその呟きに、カヤはとっさに応じてくれた。そんな彼女へさり気なく視線を向けたその時、ふとその隣に置かれていたモノが気になった。
絵画、だろうか。白い布をかけられていて、中は見えない。同じような絵画はいくつか立てかけられているが、それが一段と大きく、それでいて新しいように思えた。もしかしたら、緋桐が描いたものだったりして。そんな事が頭を過り、わたしはそっと布のカバーを捲ったのだった。
「燐火……」
カヤに咎められるように言われた直後、布のカバーが床に落ち、軽く埃が舞い散った。咳込みそうになるのを必死に堪えて、現れた絵画を涙目のまま確認する。そして、そのまま、惚けてしまった。
それは年若い女性の肖像画だった。シンプルながらも美しい。飾られていた頃は、さぞかし持て囃されただろうと想像できるほどの出来だった。ただし、モデルは緋桐ではなさそうだ。そもそも、恐らく人間でもないだろう。その証拠に、彼女の背中には翅がある。わたしやカヤにあるものと同じ、青白い蝶の翅だ。
緋桐の絵の才能については良く分からないが、恐らくこれはプロが描いたものだろう。では、いつ頃、描かれたものなのだろうか。見たところ、わたしやカヤがモデルではなさそうだ。
「これは……このひとは……」
絵画の中の少女と目が合い、そのまま意識を吸い込まれそうになる。
そんな中で、カヤが小さく呟いた。
「勿忘草」
ガラス玉の目をわたしに向けて、カヤは言った。
「あなたの遺伝的お母さんにあたる妖精ですね」
淡々としたその言葉に、わたしは言葉を詰まらせてしまった。




