4.たった一人の仲間
一緒にいたい。
その気持ちをはっきりと告げた後、居たたまれなくなるような静寂が、応接間に広がった。カヤの翅が微かに揺れている。同じ色をしたわたしの翅も、恐らく微かに揺れているだろう。
やがて、カヤはそっと口を開いた。
「……何故ですか。偽物と分かっていて、何故、わたしに拘るのです」
小さく問いかけてくるその言葉に、わたしは一呼吸おいてから答えた。
「それは……嬉しかったからだよ。カヤと話せるのが」
思い出すのは、幼い頃のことだ。眠る時刻になっても、自分の小さな体を包み込む暗がりが突然恐ろしいものに思えてしまって、どうしても眠れなくなってしまうことが、しばしばあった。
少しずつその恐怖心が膨らんでいき、ついに無力な自分では抱えきれないほど大きくなった時に、わたしは夜泣きをした。そうすると程なくして、隣室で寝ていた麦が様子を見に来て、優しく問いかけてくれたものだった。
彼女は必ず、眠れない理由を聞いて、その不安を共有してくれたのだ。そして、わたしが再び眠りの精の魔法にかかるまでの間、子守唄を歌ってくれたのだった。
そうした記憶のうちの一つが、頭の中で鮮明に蘇った。
たしかその日、わたしは人間の子供たちの事を絵本で学び、その実際がどうなのか、緋桐や猫柳博士に訊ねたのだった。二人共、わたしが勉強熱心であることに感心したのか、あらゆることを教えてくれた。二人がまだ幼かった頃の話から、わたしと同世代の子供たちがどのように過ごしているかという話だった。
どうやら人間の子供たちは、学校という場所で勉強をするらしい。そして、学校に通う少し前までもまた、日が昇っているうちの大半と同年齢の友達同士で過ごすのだとか。
二人の話は非常に勉強になった。絵本のみならず、その後に触れるアニメ作品や映画やドラマ、漫画までも、理解するのに役立った。けれど、その代償として、わたしはどうしようもないほど、人間の子供たちを羨む羽目になったのだ。
──わたしも、お友達が欲しかった。
それは、長い間、忘れかけていた、幼いわたしの願望だった。
しかしそれは叶わぬ願望。だからこそ、いつしかわたしは、あの葡萄は酸っぱいのだと決めつけて、強がり始めていた。
緋桐がいればそれでいい。学校に通う必要もなければ、妹なんてものもいらない。
仮に学校に通えたとして、そう上手くいくとは限らないことも今では理解している。現実世界は幼い頃のわたしが思い描いていたように、夢と希望だけで出来ているわけではない。
子供の無邪気さというものの中には、無邪気であるがゆえの残酷さもあるもので、それらがたくさん集まる事で、大きな悪意に転じることもあるのだという事を、わたしは後々、あらゆる書籍で学ぶこととなった。それらの問題は「いじめ」と呼ばれ、時に人が命を失ってしまう事もあるという。そして、時折、そのきっかけとなるのが、異質さを嫌う人々の繊細さであった。
人間は繊細な生き物だ。その繊細さが、自分たちとは違う妖精たちを排除していく歴史に繋がった。この屋敷を出入りする人間たちに、わたしの事を悪く言う人なんていない。それでも、かつて妖精がたくさんいた頃は、世の中には妖精嫌いの人間もいて、今だってその子孫たちが暮らしている。その事を考えてしまうと、通いたいと憧れることすら出来なくなっていった。
繊細なのは何も人間だけではない。妖精たちだって繊細だった。妖精たちの歴史について記された書籍によれば、わたしの先祖たちは、様々な種族の妖精たちと戦っていたらしい。たとえ同じ妖精でも違う種族の者たちは、それが蜜をくれる花の妖精でもない限り、必ず警戒されたという。
酷い時は、碌に理由も聞かぬまま処刑を命じた女王もいたらしい。妖精たちの世界にだって「いじめ」はあったらしい。似たようなものが集まる集団においては、些細な違いが排除のきっかけとなるようだ。
だが、孤独であればあるほど、話は違ってくる。
周囲に仲間が多ければ、その中から自分に合う者を吟味することも出来るけれど、そうでなければ、わずかな共通点ですら、信じられないほどの親近感に繋がるものなのだ。
わたしがカヤに拘るのは、きっとこの為なのだろう。
彼女は、蝶の翅を持つ妖精を模して作られた。わたしと同じように、本物を目指して作られた。ただの操り人形ではなく、自らの意思で動くことが出来るとなれば、やはり親近感を抱かずにはいられない。
長く孤独だったわたしにとっては、まさに理想の友人だった。たとえそれが、悲しい片思いなのだとしても、この気持ちはどうにも出来ない。
「わたしね、ずっと心細かったの。物心ついた頃から、同じ仲間は滅んでしまったって聞かされて、それでも青虫時代はまだ良かった。羽化して、背中に翅が生えた自分を見た時、ほんの少しだけど、どうしてわたしだけなんだろうって思ったの。どうして、緋桐様や猫柳博士、麦にはついていないんだろうって不安になったの。どうして、同じじゃないんだろうって。すぐに忘れようとしたんだよ。緋桐様は喜んでいたから。この姿を誇ろうとしてきたの。それでも、心の何処かに、この心細さは残っていたんだろうね。だから、カヤに出会って、こっそりとだけど、一緒に会話出来るようになって、わたしはすごく嬉しかったんだよ」
訴えるわたしをカヤは静かに見つめてきた。
その表情には哀れみのようなものが含まれている気がした。
「わたしには、燐火の苦しみが、よく理解できません」
彼女はそう言った。
「けれど、記録にはあります。孤独に弱い生き物もいるのだと。蝶の翅の妖精たちがそうであったかどうかを判断するにはデータが足りなすぎますが、燐火は恐らくそうなのでしょう。けれど、燐火。それならば、わたしでなくとも希望はあります」
淡々とカヤは言った。
「その素直な気持ちを緋桐様にお伝えください。恐れずとも緋桐様は聞いてくださいます。燐火が寂しく思っている。その事を知ったら、きっとあなたの本当の仲間を用意してくれるはずですよ」
「……本当の仲間」
「はい。あなたと同じようにして生まれた本物の妖精です。年齢差はありますが、わたしと違って本当の仲間です。きっと退屈はしないはずです」
そう語るカヤの姿には距離を感じてしまった。こんなにも傍にいるというのに、こんなにも通じ合えないなんて。
それでも、わたしはめげずに、彼女に伝え続けたのだった。
「違うの。それじゃ駄目なの」
「何が駄目なのですか?」
「緋桐様におねだりして、本当に仲間を作って貰えたとして、その子たちが賑やかなのは確かでしょう。退屈しないのも確かかもしれないね。だけどね、その子たちはあなたの代わりには絶対になれないんだよ」
「わたしの代わり?」
不思議そうに問い返すカヤに、わたしは強く頷いた。
「カヤだってそうじゃない? 緋桐様の代わりはいる? 猫柳博士の代わりは? ……わたしの代わりはいる?」
わたしの質問攻めに対し、カヤは冷静に答えた。
「いません。何故なら、そこには人格があるからです。何人たりとも、本当の意味で他人の代わりになる事は出来ない。生い立ち、個性、生まれ持った才能、磨かれたスキル……それらが完全に一致する者などいないはずです」
「そうでしょう。そしてそれは、カヤだって同じなの」
「わたし……ですか」
困惑したようにカヤは言った。
「わたしは機械です。機械に人格はありません。……けれど、確かに燐火の言う通り、わたしには博士の用意した記録以外にも、様々な記録が残されています。目覚めてから今日までの記録。燐火とこっそり交流した記録は、後に博士がわたしと全く同じ型の機械人形を作ったとしても、唯一無二の……」
と、言いかけたのだが、すぐにカヤは首を横に振った。
「いいえ、やはりわたしはあなた達とは違います。だって、わたしは機械なのですから」
頑なな彼女にどう接していいか分からなくなってしまう。それでも、困惑しつつ、言葉をかけようとしたその時、ふと外からの物音に気付いた。
蜘蛛型ロボたちの足音だ。まだ遠いが、こちらに近づいてきている。
わたしは慌ててカヤの手を握り、そっと引っ張った。無言で示すのは、応接間の中にある二つの扉のうちの一つだった。片方は隣接している客間に繋がっている。そこなら、逃げ道もあるだろう。そう思ってカヤの手を引き、扉の一つを開けてすぐに中へと飛び込んだ。
だが、入ってすぐに、真っ暗闇に包まれ、扉を間違えてしまった事に気づいた。
──しまった。ここじゃない。
慌てて引き返そうとしたその時、カヤが危険を察知して扉をそっと閉めた。どうやら、蜘蛛型ロボたちが応接室のすぐ傍まで近づいてきたらしい。




