2.戦いの果てに
ついに見つかってしまった。けたたましい警報音と共にまとわりつかれ、わたしは忽ちのうちにパニックに陥ってしまった。
どうにか脚立を手に取る間にも、他の場所を見回っていた小蜘蛛達が集まってくる。当然ながら入り口を陣取っていた大蜘蛛も、こちらの騒動に気づいて目を赤く光らせている。
まずい。
とっさにそう思った時、大蜘蛛がこちらに背を向け、話に聞いていた投網を打ってきた。しかし、その投網はぎりぎりの位置で届かなかった。わたしの足元に虚しく落ちるのを見て、大蜘蛛は振り返り、慌てふためいている。
恐らく、本棚を壊してこちらに来るなんて選択は出来ないと判断しているのだろう。小蜘蛛と一緒になって警報音を鳴らし始めた。
警報音に囲まれて、わたしは少しだけ途方に暮れた。
このままじっとしていれば、危害は加えられない。だが、確実に人が来る。では、此処を打開するにはどうすればいいのか。
考えがまとまるにつれ、脚立を握りしめる手に力が籠った。
「燐火……」
そっと声をかけられ、わたしはカヤに言った。
「カヤ……ちょっと離れていて」
脚立を持つわたしの表情と、その切羽詰まった言葉に、言わんとしている事をある程度理解してくれたのだろう。カヤはわたしからそっと離れていった。
彼女の位置をしっかり頭の中に入れると、ふうと息を吐くと、汗ばんできた手に力を込めて、まずは足元の小蜘蛛を攻撃する。
脚立で殴打すると、これまた耳を劈くような音が響いて、床を傷つける。同時に、一瞬にして小蜘蛛の一体が静かになった。
出来るだけ力を込めたのは確かだが、どうやら、脆いというのは本当らしい。壊れてしまった仲間の姿に、他の二体が呆然とする。その隙に、わたしはその二体も脚立で殴打した。片方はあっさりと潰れたが、もう片方は状況を察し、避けてしまった。
何度か避けられ、むきになって追いかけているうちに、なんとか追い詰めることが出来た。怯えているように見える小蜘蛛に少しだけ躊躇いを覚えたものの、鳴り響き続ける警報音にせっつかれ、わたしはそのまま脚立を振り下ろした。
ぐしゃり、と、音がして、部品らしきものが散らばった。
その様子をカヤが無表情で眺め、足元に転がってきたネジの一つを指でそっと突いた。
これで小蜘蛛は全部らしい。若干の疲労と興奮で呼吸が荒くなる中、わたしは書庫の入り口を睨みつけた。
「……残るは」
小蜘蛛達の末路に、大蜘蛛は動揺しているように感じた。きっと想定外の事だったのだろう。何度もこちらに背を向けては、届かぬことはもう分かっているはずなのに、投網を打ってきた。それらが床に散らばるのを見ていると、カヤが話しかけてきた。
「投網は無限ではありません」
「うん……それなら、やれるね」
カヤが教えてくれた通り、いつの間にか大蜘蛛の腹からは何も出て来なくなっていた。投網が尽きたのだろう。それなのに、同じ動作を何度も繰り返している。やるなら今だ。そう判断し、わたしは脚立を構えた。
戦う術なんて、わたしは知らない。
わたしが知っているのは、与えられた本に書いていた英雄譚の戦士たちの姿だけ。それ以外ならば、緋桐が気まぐれに見せてくれたアニメーション作品や、昨今のアクション映画なり、舞台の映像の登場人物の動きくらいだろう。
完全なる空想のアニメはともかく、人間の役者たちが見せるあの動きならば、少しは参考になるかもしれない。そう思ったのだが、あれもまた空想の産物。頭の中でイメージしているわたしの動きと、実際の体の動きはだいぶ違った。
それでも、わたしは立ち向かう事が出来た。すでに大蜘蛛からは投網が尽きて、大きな警報機と化している。見た目が大きくておっかないだけであれば、恐怖心にさえ打ち勝ってしまえば此方のもの。その勢いが、わたしの体を後押ししてくれた。
「道を開けて!」
思い切り脚立を振り下ろすと、大蜘蛛もまた防御しようと足を動かす。ガンっと強い音がして、思い切り弾かれた。背中の翅でバランスを取って転びそうになるのを堪えてみれば、相手もまた大きくのけぞりつつも体勢を立て直す。扉の向こうでは、他の大蜘蛛たちがこちらの様子を頻りに窺っていた。
この一体を倒しても、外にはまだ彼らがいる。その事実に怯みそうにもなったが、すぐにわたしは目の前の一体のみに集中した。
「退かないなら、覚悟してよね」
そう言ってわたしは再び飛び掛かった。
古来、人間たちの手の入らなかった森林の奥にて妖精たちが独自の文明を築いて暮らしていたという時代、武装した妖精たちは、住まいや食料、時には捕食そのものを巡る攻防で争っていたこともあったらしい。
わたしの祖である蝶の翅の妖精たちもまた、独自の伝統武器を手に、食料として欠かせない花の妖精たちを捕えたり、集団で襲い掛かってくる肉食妖精たちとの攻防を繰り広げたりして、勇ましく戦ったという。
時には同じような姿の恐ろしい相手に立ち向かった者がいたかもしれない。
そんな事を思いながら、わたしは何度も大蜘蛛に挑み続けた。休みなく何度も殴打すると、大蜘蛛は前方の足でそれをブロックしようとする。だが、頑丈でないことが仇となったのだろう。叩いているうちに、腕の数本がぽろりと取れてしまい、やがて、その胴体に脚立が当たった。
ガシャン、ガシャンと音を立て、いつしか内部が剥き出しになる。そして、何度も攻撃しているうちに、大蜘蛛はとうとうプシュンと音を立てて倒れ伏してしまった。目の光が消えたのを見て、カヤがわたしに近寄ってきた。
「……もう大丈夫ですよ」
声をかけてきたその時、同じく様子を見ていた他の二体が激しく動き出した。
仲間が壊され混乱したのだろうか。同時に背中を向けると、書庫の中にいるわたし達に向かって、狂ったように何度も投網を打ってきた。
恐れるべきは、けたたましい警報音と、それによって人がやって来ること。だが、幸いなことに、誰かが近づいてくるような気配はなかった。
やがて、投網が尽きたのだろう。外の二体の大蜘蛛は、先程壊した一体のように、投網を打つ動作だけを虚しく繰り返すようになった。そうなれば、こちらのものだ。
「カヤは離れていて。巻き込まれないように」
そっと声をかけると、カヤは静かに頷いた。
扉へと近づいていくと、二体の大蜘蛛はすぐさま振り返り、後退りをした。そのまま脚立を引きずって外へ出ていくと、我に返ったのだろう。二体で一斉に飛び掛かってきた。蜘蛛型ロボのコンセプトは、確かターゲットを傷つけない事だっただろうか。しかし、仲間が壊されたせいもあるのだろう。二体の大蜘蛛達は、わたしを威嚇してきた。
思っても見なかった彼らの威嚇に、わたしは一瞬だけ怯んでしまった。だが、待てど暮らせど攻撃は来ない。それもそのはず、彼らは怪物などではない。飽く迄も警備ロボ。恐ろしい見た目ではあるが、かつてこの世に生息し、蝶の翅の妖精を襲って食べたのだという蜘蛛の妖精ともまた違う。
恐怖が引っ込むと代わりにこみ上げてきたのは闘志だった。脚立を手に、わたしは彼らを殴りつけた。その勢い、その衝撃に、躊躇いをなくして戦い続けること暫く。気づけば、二体の大蜘蛛たちは、どちらも無残な姿になって壊れていた。
「燐火……怪我はありませんか」
背後からそっとカヤに問われ、わたしはようやく興奮を抑えることが出来た。途端に体の力が抜けて、脚立を落としてしまった。
止んだ警報と、動かなくなった機械たちの姿から、周囲の安全が確認できた途端、あれほど感じなかった疲労が今になってどっと押し寄せてきたのだ。
がくがくと震えだす体を、カヤはそっと支えてくれた。労わるようなその感触に応じようとして、わたしはふと足元に散らばる大蜘蛛達の残骸に目を止めた。
──機械。
カヤも、彼らと同じような作りなのだ。そう思うと、途端に罪悪感がこみ上げてきた。まるで、初めて小さな虫を踏んで殺してしまった時のような。
機械は命ではない。そう思いたいところだったが、カヤが傍にいる中で、そのように思う事も難しかった。
だから。
「ここから逃げましょう、燐火」
と、カヤがそう言ってくれたことが、わたしには救いでもあった。
何度も頷き、わたしは逃れるように図書室の出入り口を目指した。
疲労でまだふらつくわたしに、カヤは肩を貸してくれた。その確かな支えを有難く思いながら、わたしは振り返らずにただ前へと進み続けた。