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勿忘草の名のもとに  作者: ねこじゃ・じぇねこ
4章 二人ぼっちの世界
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4.記録の保管庫にて

 図書室があるのは、やはり屋敷の二階。やはり北西の一角だ。お役御免の寝床から裏階段を上ってすぐに、そこへ至る事が出来る。なので、あまり不用意にうろつく事はないのだけれど、それでも、図書室の中──書庫へと逃げ込んだわたしは、何度も呼吸を整えていた。

 まだまだこみ上げてくる恐怖心、それに緊張感を堪えているわたしの背──翅の付け根のあたりを、カヤが心配そうにさすってくる。ぎこちないけれど優しいその感触に、少しずつ気持ちを落ち着けていって、わたしはようやく落ち着くことが出来た。


 こうなったのには勿論、訳がある。此処へ逃げ込むより少し前に、廊下の向こうで目を赤く光らせた何者かを見かけてしまったのだ。不気味なその影は、何本もある足を動かし、周囲を見つめていた。大きな影に小さな影、それらが複数体。間違いなくあれは、蜘蛛だ。猫柳博士の蜘蛛型ロボだ。

 日頃、その姿を愛らしいとさえ思っていたのだけれど、今に限っては違う。これまでに読んだどのお話に出てきた怪物よりも、ずっと不気味で怖かった。

 その恐怖心の為だろうか。どうにか気づかれずに図書室へ逃げ込んだはいいが、途端に咳がこみ上げてきて、それで慌てて書庫へと逃げ込んだのだ。此処ならまだ、音が殺せるかもしれない。そうは思ったが、無理に堪えたことが祟って息が詰まり、わたしは涙目になりながら、しばらく這いつくばっていたのだ。


「大丈夫ですか、燐火」


 そっと声をかけられて、わたしは静かに頷いた。


「……大丈夫」


 しわがれた声に自分で笑い、そっとカヤの事を羨ましく思った。機械人形ならば、咳に困るような事もないだろう、と。だが、何となくその事は心にしまって、わたしは深呼吸をし、改めて逃げ込んだ先の書庫を眺めた。


「ここが、記録の保管庫っていう場所か」


 確か、温室にある小さな読書スペースは、この図書室や書庫から持ち出してきた本が置かれている。もう読まなくなった本の中にはこの書庫の中で眠っているものもあるそうだ。子供向けの作品もあれば、古くよりの英知が刻まれた貴重な書籍もたくさんある。それに、猫柳博士の過去の論文なんかも保管していると聞いたことがある。それゆえに、ここは記録の保管庫とも呼ばれるらしい。


「初めて立ち入りました。燐火はもう何度も?」


 カヤに問われ、わたしは首を横に振った。


「でも、どういう場所なのかは聞いたことがあるの」


 そして、わたしはそっと立ち上がった。咳のせいでまだダメージが残っていたのだろう。少しふらついてしまった。けれど、どうにか自力で歩き、並んだ本棚をざっと確認した。分類ごとに整理されている。その法則を何となく判断しながら探り、見つけ出したのは、子供向けの昆虫図鑑の一冊だった。厳密には、昆虫だけでなく蜘蛛や蠍といった昆虫以外の虫たちも載っている。手に取った時に馴染みがあるのは、幼い頃に読んでいたからだ。今の今まですっかり忘れていた図鑑だが、思い出すままに記憶にある頁を捲る。そこに紹介されているのは蜘蛛の仲間たちだった。

 カヤのもとに戻り、共にその頁を見つめながら、わたしは言った。


「さっきの警備ロボ。この蜘蛛たちを参考に作ったって博士は言っていた」


 すると、カヤは落ち着いた様子で頷いた。


「はい。彼らの情報はわたしの中にも記録されております。従来の番犬ロボは四つ足で動き、口に仕込まれた銃口でターゲットを狙撃することが出来るようになっております。タイプによっては火炎放射器となっている個体もありますが、いずれも、威力が高すぎる上、周囲にも危険が及ぶので一般家庭にはあまり向きません。ましてや、小さな子供やペットなどがいる家庭では、利用も厳しいものとなるでしょう。そこで、博士が考えたのがあの蜘蛛型ロボたちでした」


 図鑑を開いたまま、わたしは黙ってカヤの説明に耳を傾けた。


「八本の足は、四本の足よりも速く、そして器用に動くことが可能です。そして、前方についた二つの触肢と無数の目が、周囲の情報をいち早くキャッチし、ターゲットの位置を正確に捉えることが可能です。触肢には他にも便利な機能が複数あるそうですが、今は省きます。そして何よりも重要なことが、その攻撃方法です。従来の番犬ロボとは違い、彼らは生け捕りに特化しております。腹部の先──お尻にあたる部分から、勢いよく投網とあみを打って、ターゲットを捕まえてしまうのです」


 網での生け捕り。勿論それは、銃で撃ったり、燃やしてしまったりするよりも、ずっと優しい方法に違いない。だが、手元の図鑑の端に紹介された、蜘蛛の巣のリアルな絵柄が視界の端に映り込み、わたしは複雑な気持ちになった。そこで例として描かれているのは、今にも食べられてしまいそうな小さなモンキチョウなのだ。

 この絵の事はよく覚えている。初めて見た時は怖くなってしまって、眠りにつけるまで麦に傍にいて欲しいとお願いしたのだった。その事をふと思い出してしまい、わたしはぱたりと図鑑を閉じた。


「カヤは何でも知っているのね」


 そう言うと、カヤは小さく首を振った。


「たまたまですよ。たまたま、博士がわたしの中にこの記録を入れていたからです」

「でも、一度覚えたら、なかなか忘れないのでしょう。羨ましいな」


 ほんのちょっとの嫉妬を覚えながら、わたしは立ち上がり、図鑑をもとの棚に戻した。そしてその流れで視線を動かし、見つけ出したのは全く違う本だった。

 実のところ、同じものが温室にもある。そちらのものよりも、ここにあるのはだいぶ傷んでしまっていた。それもそのはず、幼い頃のわたしが、その挿絵見たさに何度も読んでいたからだ。小さい子が読むには少し難しいその本。妖精たちの歴史と記録が赤裸々に語られた、お気に入りの一冊だった。その本をカヤのもとまで持ってくると、わたしは彼女に訊ねた。


「この本の事は知っている?」


 すると、カヤは首を横に振った。その事にささやかな優越感を抱き、わたしは表紙を捲ったのだった。捜したのは以前から心惹かれてきた挿絵の一つ。そこに書かれた説明を正しく理解できるようになるより前から、わたしはこの頁が大好きだった。


「世界の何処かには、今も妖精の隠れ里があって、そこには生き残りの妖精たちが暮らしているんだって。わたしやカヤの仲間も、もしかしたらそこにいるのかも」

「ですが、燐火。それは恐らく人々の夢が生み出した空想の物語です。この世界の最後の野生種は、勿忘草わすれなぐさという名前を付けられ、保護されてからはこの国の研究所で過ごしました。ですが、羽化して数年後──二十歳を迎えるより少し前に、卵詰まりにより逝去したのです」

「それが、わたしの遺伝的お母さんなんだったね。でもさ、カヤ。それって本当なのかな。本当の、本当に、そのひとが最後の野生種だったと思う? 誰が確かめたのだろう。世界の端から端まで見る事だって困難らしいのに」

「……わたしには分かりません。しかし、野生種の妖精たちが生き残っているという可能性は低いと言えるでしょう。先程も言いましたが、この世界の森は、もう妖精たちの暮らせる場所ではなくなってしまったのです。食べ物も、水も、清浄な空気も、何もかも変わってしまいました。生き残っているのは生命力あふれる動植物のみ。その中に妖精は含まれていないのです」

「でも、カヤ。あなたはそれを、その目で確かめたの?」


 わたしが真っすぐ問いかけると、カヤはそっと唇を閉じた。


「その知識も、博士が教えてくれたものなんだよね。だから、自分の目で見たわけじゃないんだよね。だから、全く無いとは限らないんじゃない?」

「はい、その通りです」


 カヤは言った。


「そしてそれは、燐火も同じです。燐火も見たことはないはずです。森がどうなっているのか。その本に描かれた挿絵でしか知らないはずです。だから、有るとは限らない」

「それは……そうだけど」


 有るとは限らないし、無いとも限らない。要は、どちらに賭けるかだ。

 わたしは溜息交じりに本を閉じた。壊れないようにそっと持って、再び本棚にしまう。どうやらカヤは信じてくれない。わたしの憧れに、共感してくれないみたいだ。その事に、がっかりしてしまった。

 だが、落ち込んでいた矢先、書庫の向こうから妙な物音が響いて、それどころではなくなった。息を殺してそっと扉に駆け寄ってみる。扉に耳を押し当ててみれば、向こう側から何者かが移動する音が聞こえてきた。軽い足音が複数。重たい足音が複数。それが何なのか、分からないはずもない。そもそも、わたし達は目撃したのだ。廊下の向こうをうろつく蜘蛛型ロボたちを。


 ──来てしまったんだ。


 途端に恐怖心がこみ上げてきた。

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