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勿忘草の名のもとに  作者: ねこじゃ・じぇねこ
3章 人形は人形
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4.お役御免の寝床で

 確か、泥棒対策だと言っていただろうか。

 生まれ育ったこの屋敷は、非常に複雑な構造をしている。

 初めて来た人ならば、まず間違いなく道に迷うだろう。案内なしに勝手にうろついた者が、正しい場所に再び戻って来られるのは奇跡というほかない。

 そのような屋敷であるのだけれど、わたしは迷ったりしなかった。


 幼い頃、蛹化すらしていない青虫時代、小さなわたしにとって、この屋敷は果てしなく大きな世界だった。優しい緋桐を始めとした人間たちの庇護下で、そんな世界を冒険してまわる事もまた、はてしない冒険だったのだ。それでも、飽きずに探索した甲斐あって、蛹化する頃にはわたしもすっかりこの屋敷の事を知り尽くしていた。

 そして羽化を経た今も、その時の学びは変わらない。あの頃に比べて、意味もなく屋敷の中を探索することなんてすっかりなくなってしまったけれど、屋敷の内装が変わらぬ限り、忘れてしまう事は決してない。

 そのお陰で、今、わたしはカヤを連れて逃げ惑うことが出来ていた。


 探していたのは隠れる場所だ。

 思い出すのは、やはり蛹化前の無邪気な時代。ちょっとしたことでへそを曲げては、その当時から世話係を引き受けていた麦を困らせたものだった。

 その悪戯の一つがかくれんぼで、苦い薬やお勉強など、ちょっと嫌なことが待ち受けている事が事前に分かると、わたしはその度にこの屋敷の何処かに隠れていた。

 最初の頃は簡単に見つけられてしまったけれど、回を増すごとに隠れる場所はどんどん複雑になっていった。最終的には屋敷で働くお手伝いさんは勿論、緋桐や猫柳博士にまで話がいって、あとで散々叱られたものだった。


 けれど、あの経験もまた今に活きている。屋敷の中でカヤを連れて誰にも見つからないように彷徨っている間も、何処に隠れるべきかという候補が複数頭に浮かんでいた。

 そのまましばらく彷徨ってから、ようやく私が決めたのは、屋敷の北西の一角だった。そこにある階段は、裏階段と呼ばれ、屋敷の中心や北東にある他二つの階段に比べ、あまり使われてはいない。

 さらにその裏階段から至れる半地下にある倉庫もまた、忘れ去られたモノたちが放り込まれていた。

 通称、お役御免の寝床。

 いつ、粗大ごみとして出されてもおかしくはない古い家具たちが詰め込まれている。その隙間を通って、ちょうどよく二人分座れるスペースを見つけてカヤと共にそこに座ると、半地下らしい小さな窓から差し込んでくる月光を眺めながら、わたしはしばらく息を整えていた。

 そんなわたしを心配そうに見つめてくるのがカヤだった。息を整える必要がない分、実に静かだった。


 息が次第に整ってくると、それを待っていたかのようにカヤはわたしに訊ねてきた。


「ここは……何処ですか?」

「裏階段下の倉庫だよ。お役御免の寝床っていう場所。前に麦が言っていたの。ここは、お役御免になった家具たちがしばらく身体を休める場所なんだってさ」


 自分で言ってみて、少しゾッとしてしまった。あまりいい場所ではない。特に今の状況では、不吉な場所とも言える。

 だが、どうやらカヤは違う部分に引っ掛かりを感じたらしい。


「家具が身体を休める場所……妙ですね。家具ならば休む必要はないはずです」


 ある意味、カヤらしい反応だ。そんな事を思って少し笑い、わたしは小さく肯いた。


「確かにそうだね」


 それ以上は何も言わず、わたしは耳を澄ませた。

 せっかく落ち着いては来たけれど、いつまでも此処でじっとしているのは危険かもしれない。いずれ、わたし達の事は気づかれてしまうはずだ。いつまで経っても部屋に戻ってこないわたしと、いつの間にか準備室から消えているカヤ。緋桐も、猫柳博士も、慌てて捜し始めるに違いない。

 ここが危なくなったら、何処に逃げよう。そんな事を考えていると、ふとカヤがわたしの手を握ってきた。人形らしいその感触──だが、力加減は緋桐たちのような人間たちとさほど変わらなかった。驚くわたしの目を見つめ、カヤは訊ねてきた。


「そろそろ教えてください。どうして、わたしを此処へ?」


 じっと見ればカメラがあるのが分かるその瞳に見つめられ、わたしは少しずつ冷静になっていった。そう言えば、まだわたしはカヤに何も説明していないのだ。

 ふうと大きく息を吐いてから、改めてわたしはカヤの両手を握りしめた。


「あのね、カヤ。よく聞いて欲しいの。緋桐様があなたを手放そうとしている」

「緋桐様が……」

「さっき、猫柳博士と話し合っているのを聞いてしまったの」

「盗み聞きされたのですか?」


 信じられない、と言った様子でカヤはわたしを覗き込んできた。その眼差しを受け止めきれず、わたしは目を伏せたまま頷き、そのまま言い訳をするように小声で付け加えた。


「たまたま通りかかったら、扉が開いていて、ね。でも、聞いてしまった事を後悔なんてしていないわ」


 そして、もう一度、自分を奮い立たせると、今度はカヤを真っすぐ見つめながら訴えた。


「あのね、このままだとカヤは、この屋敷を追い出されてしまうみたいなの。博物館か、研究所か、はたまた人形愛好家のもとか……。いずれにしても、ここを去っていく事になってしまうわ。その前に何とかしないと」


 博物館や研究所はともかく、人形愛好家がどういうものなのかについては、実のところわたしにはよく分かっていなかった。わたしにとって重要なのはそこが何処なのかではなく、カヤがここを追い出されてしまうという事にあった。

 うまく連れ出せたはいいが、さて、これからどうするべきだろう。このまま逃げ隠れし続けたって解決はしない。何処かにカヤを隠してしまおうか。ならば、何処にすればいいだろう。様々な思いを巡らせていると、カヤは再びわたしに訊ねてきた。


「それで……燐火は何故、わたしをここへ連れ出したのですか?」

「──え?」


 それは、思わぬ問いだった。驚いてカヤの顔を見つめると、ガラス玉の無機質な目と視線がぶつかり合う。じっと見られているうちに、わたしは段々と孤独感にさいなまれていった。それが何故なのか、よく分からない。

 わたしは間違いなくカヤと一緒にいるはずなのに、どうしてだろう。どうして心細いのだろう。不安に思いつつ、少しずつ心を落ち着かせ、わたしはおずおずとしながら彼女の問いに答えた。


「それは……嫌だから……だよ」


 自分自身に確認するように頷いて、今度は自信を持って答えた。


「うん、そう。嫌だから。カヤがここから追い出されるなんて嫌。わたしはもっと一緒にいたい。カヤはそうじゃないの? わたしともっと一緒にいたくない?」


 嫌だと言って欲しい。その一心でわたしはカヤに訊ねた。カヤは表情の薄い顔でわたしを見つめると、こくりと頷いて見せた。


「そうですね。燐火と一緒にいられなくなるのは、残念、です」

「でしょう……だから」


 パッと視界が明るくなるのを感じ、わたしはカヤと手を繋いだ。しかし、そんなわたしに対して、カヤは続けて言ったのだった。


「でも、それが緋桐様のお考えなら、わたしは従わねばなりません」

「……え」


 サッと血の気が引いていくのをわたしは感じてしまった。

 カヤは全く動じていない。この事態を大変な事だと思っていないのだ。それに今更気づいてしまい、わたしは狼狽えた。

 カヤの手を握りしめたまま、何と言えばいいか分からず挙動不審になってしまう。やがて、どうにか混乱が解けて、わたしはようやくカヤに訊ねる事が出来た。


「ど、どうして?」


 すると、カヤはこう言った。


「緋桐様のお考えだからです」


 それはわたしにとって、およそ答えになっていない回答だった。

 ショックのあまり、わたしは思わずカヤを睨んでしまった。それでも、カヤは睨み返してこない。きょとんとしている。

 わたしがどうしてショックを受けているのか、どうして突然睨んできたのかも、分かっていないようだった。

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