2.違和感
身支度を整えて階下に降りると、廊下を挟んですぐのところにキッチン兼ダイニングの部屋があった。アルがレンガのコンロのそばで火の様子を気にしている。
パチパチと薪が小さく爆ぜる音がする。少しだけこもった熱気を真白は肌で感じた。様々な食材の匂いと肉が焼ける香ばしい匂いが真白の鼻をくすぐる。日が差す南側の窓は半分ほど開けられていて、かすかに森の香りがした。
「来たね」
アルが物音に気が付いて真白に振り返り、そう言った。そして真白を見て固まってしまった。なんだか痛いほどの視線を感じて、真白は気まずい思いがした。
「……なに?」
しばしの沈黙の後、何とも言えない空気に耐え切れず、真白が先に言葉を発した。
「あぁ、いや。……久しぶりに生きた人間を見て、ちょっと、その。感動したというか……」
火のそばで作業しているせいか、アルの頬は紅潮しているように見えた。
「うん?」
生きた人間、という単語に真白は違和感を覚えた。
「うむうむ。わらわの服のチョイスに見とれるのはいたしかたなし。だがアルよ。色欲は心を穢す。穢れた心は力を狂わす。わらわとの契約を続けたいのならば、自重しなければ」
「わかってるよ……」
アセナの言葉にアルは拗ねたように返すと、窓の方を向いてしまった。
真白はアルの言葉とアセナの話の様子から、いやな推理が頭を駆け巡った。
「ねぇ、ちょっと待って。話が見えないんだけど、……あなた、人間、よね?」
光の奔流、生きた人間を見たのは久しぶり、契約。すべてを符合すると答えはひとつ。アセナは人間ではない、何か。
「おやおや、おぬしはわらわの姿を見たんじゃろう? だからこそ、あんなに怯えていた。怯えた姿も実にかわいかったぞぃ」
アセナがにんまりと上から覗き込んでくる。その表情に真白は背筋が寒くなった。
「……こいつは守護霊獣のアセナだよ。今は人間の姿をしているけど、本当の姿は違う」
アルがまたこちらに顔を向けて、こともなげにそう言った。
「守護霊獣?」
真白がそう聞き返すと、アルは心底驚いた様子でぽかんと口を開いた。
「え、守護霊獣を知らないのか?」
まるで知っていることが当然だ、と言わんばかりの声色だった。
「……えぇ、まぁ……」
一瞬の沈黙が流れたのちになんとか言葉を紡ぎだしたが、真白の声は少し震えていた。バカにされたように感じて、真白は少しイライラしていた。
「あ、いや、……知らないとは思わなかったから。……守護霊獣ってのは、エーテルで構成された、生物を超越した存在。簡単に言えば、エーテルの集合体かな。アセナのほかにも守護霊獣はいて、神格化して崇めているところもあるって話だ」
「え、なに? エーテル?」
アルが丁寧に説明してくれたが、やはりまた聞きなれない単語が気になって、真白はそう質問をした。
「エーテルも知らないのか……」
真白の言葉にアルは驚きと呆れの混じった声を出した。真白は何か言い返してやろうかと口を開いては見たものの、結局何も返すことができず口を閉じた。ものすごくバカにされている気がして真白は悔しかった。
「え、もしかして怒ってる? あぁ、いや、きちんとした教育を受けられていなくて気の毒だなぁって思っただけで、決してアンタをバカにしたわけでは……」
アルは少し慌てた様子でそう弁明した。
「アルよ。無自覚に女子をいじめるのは良くないぞぃ」
「あなたがそれを言いますか……」
アセナの言葉に真白はどの口が言うのかとすぐに反応する。
「あの、なんていうか、ごめんな。傷つけたか?」
少しの沈黙の後、アルがぽつりとそう言った。その声色に反省の色が見えた気がして真白は逆に申し訳ない気持ちになった。
「あの、気にしないで。こっちこそ過剰に反応しちゃってごめん。……それより、いろいろと説明をしてくれる?」
アルの素直な言葉に真白は首を振ってそう聞いた。
「あぁ、エーテルか。うーん、なんていうのかな。エーテルは自然エネルギーの一種で、常に俺たちの周りに存在しているんだ。生き物はエーテルを自然に取り込みながら生きている。そして生物が死ぬと生物の魂はエーテル化し亡骸は土へと還る。守護霊獣はそんな死んだ生き物たちのエーテルがひとところに集合して意思を持ったものなんだ。ちなみにエーテルは、魔法を使うときにも必要なんだ」
真白にわかりやすいようにと、アルはひとつひとつ噛み砕くように説明した。
「ま、ま、ま、魔法!?」
アルの口から当り前のように語られた単語に真白は興奮してそう聞いた。
「う、うん。たとえばこんな感じかな」
アルは人差し指をキッチンのシンクに向けた。
「来たれ、水の渦!」
するとみるみるうちにシンクに水が渦巻いて満たされた!
「……すごい!? お皿洗いに便利!」
真白は驚きすぎてそんな的外れな言葉を叫んでいた。真白の言葉にアルはプッと吹き出した。
「……初級魔法だけどな」
アルは少し照れたようにそう言った。
「あれ? でも、杖とか使わないの?」
「……杖?」
真白の言葉にアルは少しだけ怪訝そうな声を出した。
「あの、これ……」
真白は腰に差していたおじいさんの杖をアルに差し出して見せた。
「……魔法使いが使う杖は単なるエーテルの増幅装置みたいなもんだ。なくても魔法は扱えるけど、杖があった方が効率よくエーテルを集められる」
「そうなのね」
アルの説明に真白は感心したような声を出した。だがアルはヘルム越しに鋭い視線で真白を見た。その視線に気が付いて真白の体がこわばる。
「で? その杖はどこで手に入れたんだ? あぁ、あとそれから、その左目も」
「左目?」
「……その目は、プロビデンスの目だ。なぜアンタがその目を持ってる?」
プロビデンスの目。確か、アルと初めて会った夜にアルがそんなことを言っていた気がする。しかし真白にはそんなものに心当たりなどない。
「……なに? プロビデンスって……」
真白がそう聞くと、アルはふぅっとため息をついた。
「その目は真実を映す目。大賢者ワイズマン先生の目がまさにそれだった」
「大賢者ワイズマン先生……?」
聞きなれない単語ばかりで、真白はオウム返しに聞き返すことしかできなかった。
「俺の恩師だ。半年前に急にいなくなった」
アルは静かにそう言った。
「ど、どんな人だったか、一応聞いていい? 服装とか特徴とか……」
もしかしたら何か心当たりがあるかもしれない、と真白はアルにそう聞いた。
「よく着ていたのは、深緑色のローブに同じ色の帽子。帽子の真ん中には紅玉が埋め込まれていたよ」
アルの言葉を聞いて真白はハッとした。
「……私、つい最近、その人に会ったわ」
真白の言葉に今度はアルがポカンと口を開ける番だった。
真白は彼女がここに来た経緯を、時間をかけて二人に話した。その間二人は真白の話を時折相槌を打ちながら最後まで聞いてくれた。