1.その不条理な異世界で
雲一つない星空の下で、さっきまで男だった肉塊が捕食者に食われていた。
男が持っていた松明は地面に投げ捨てられていた。今にも消えてしまいそうな松明の火は、暗闇の中でこの残酷な現実をゆらゆらと映し出していた。
右も左もわからない果てしなく続く森の中で、彼女はただただその光景を茫然と眺めていた。
――――どうして、こんなことになったの?
目の前で行われる残酷な殺人行為をぼんやりと眺めながら、彼女はそう自問していた。
――――これは、何? 本当に現実で起こっていることなの?
さっきまで彼女と話していた男はもう二度と声を発することはない。むわっとした湿気の中にむせかえるような血の臭いが混じる。
ぐちゃぐちゃという咀嚼音が静かな夜の森に響く。夜空に輝く星があたりを照らし目の前で繰り広げられる惨状をまざまざと映し出す。肉塊から白い光が立ち上り捕食者の喉の奥へと消えていく。
不快で気持ちが悪くて、彼女はひどい吐き気に身を震わせた。胃液が逆流して彼女の喉の奥がチリチリと痛んだ。
心臓の音がドクドクと耳の奥に響いて彼女の口の中がカラカラに乾く。
不意に静寂が訪れる。目の前で獲物を貪っていた捕食者がゆっくりとした動作で彼女に顔を向けた。その顔を見て彼女は戦慄した。
――――見た目は中肉中背の男の兵士。
だが血の気が失せた真っ白な顔は明らかに生者ではない。
くぼんだ眼窩から覗く目は無機質で何の光も映さない。血の臭いに混じって吐き気を催す腐敗臭が漂う。口元は真っ赤に染まり、歯も抜けかけている。腐敗した肌。薄汚れ壊れかけた鎧を身にまとったそれは、彼女が良く見ていたゾンビ映画に出てくるゾンビそのものだった。
何の光も映さない空虚な目がゆっくりと彼女に向いた。ゆっくりと首を傾けて肉塊を手放した。もうすでに生き物ではなくなった肉塊の落ちる、ドサッという音が静かな森の中にやけに響いた。
――――次は、私……?
途端に彼女の背中に悪寒が走った。
彼女の身が恐怖で竦む。頭が真っ白になり彼女の体がガタガタと震えだす。逃げなければと頭ではわかっていても、彼女の足はまったく動かない。
唇が震え、彼女の呼吸が早くなる。
――――いやだ、怖い、どうして? どうして私、ここにいるの?
蛇ににらまれた小動物のように彼女の体が固まる。今すぐに逃げなければ、あの男と同じ運命をたどることを彼女は頭の端で理解していた。だが体が、足が、動かない。
一歩、また一歩と捕食者は彼女に近づく。何の感情も映さない無機質な目が彼女を見据えていた。
――――あぁ、早く早く早く……!! ここから逃げないと……!!
ひゅっと目の前の捕食者の喉が鳴った。少しずつ彼女の呼吸が早くなる。
――――そもそも、どうして? どうして私はこんな目にあってるの……?
あまりにも理不尽なこの状況に、彼女――光兎真白は、初めてこの世界に来たあの時のことを思い出していた――――。