スリリングな夜
真治は時計ばかり気にしていた。
任務のことは病院の人達にも伝えるわけにはいかないので、消灯時間後にこっそり抜け出さなければならない。
病院は24時間体制だが、夜は主要な場所以外は消灯する。夜勤の職員以外は職員用の宿舎に帰る。
どこから抜け出すかはすぐに決まった。明るいうちに下見も済ませた。問題は病院を抜け出した後だ。
病院以外の場所は全く土地勘がない。迷って目的の場所にすら着けませんでした。なんて報告をするのは流石に格好悪すぎる。
地図はもらったけどそれを持って歩いてバレたなんて展開は間抜けもいいとこだし…頭の中で色々な不安要素が次から次へと湧いてきて最早体から不安が漏れ出しているかもしれない。
時計の針が8時を指す少し前に当番の職員に声を掛けた。元々病院の消灯作業を手伝うこともあったので、今日も手伝うことにしたのだ。
施錠の確認をして自分でそれを破ることに罪悪感はあったが、消灯作業を早く終わらせたかった。作業を終え職員に「おやすみなさい」と言って部屋に戻ると、食後に着替えた部屋着からまた着替えた。
幸いなことに自分の部屋は病棟の端なので、抜けること自体はそこまで大変ではない。
もう何度も見たけど、もう一度地図を見ておこう。
真治は病院をを出た後の道順を小さく声に出してシミュレーションする。そして大きく一回深呼吸をしてから計画を行動に移した。
月がすごく明るい。足元が見えやすいのは助かるけど、自分の姿も見えやすいってことだよな。夜の島ってこんなに静かなんだ。壁の向こう側から波の音が聞こえるだけ。この世に自分しかいないみたいだ。
頭の中の地図を頼りに目的地へと向かう。道なき道を進むイメージでいたが、舗装されていないだけで、道はできていた。目的のポイントが近づくにつれ足取りが重くなっていく。
どんな顔して近付くのが正解なのかわからない。
正解が出ないまま目的のポイントに着いてしまった。話に聞いていた通り、洞窟のような場所だ。
洞窟は真っ直ぐ延びているわけではないらしく、入口付近から中はわからない。しばらく入口が見える位置から観察してみる。すると薄っすらとだが灯りが揺れているのが確認できた。
間違いない。この洞窟だ。
「そこで何をしている。」
真治は生きてきた中で一番のびっくりを体験すると同時に、背中がぞくぞくする恐怖を感じた。ゆっくりと振り向くとそこには雨合羽のような黒いフードのある服を着た人影があった。足音が全然聞こえなかった。
「いや、あの…あれ、えーと、すみません!」
フードの人物は一瞬間をおいてから
「何をしているのか聞いているんだ。」
ともう一度聞いてきた。表情はまるで見えないが、先程よりは気持ち穏やかな口調に感じた。
「えっと…夜の島を見てみたくて抜け出してきたんですけど…その…灯りが見えた気がしたので気になって…」
これは松本隊長と考えた設定だ。あんまりしっかりした動機よりも軽い気持ちで夜抜け出してみた、ぐらいのほうが怪しまれないで済むんじゃないかと。ちなみに考えたのはこれだけで後は全部アドリブで!と美しい笑顔で言われた。
フードの人物は少し考えているようだった。フードと逆行で顔は全く見えないけどそんな雰囲気だ。声は落ち着いてるけど大人ではなさそうだな。
「お互い規律違反という立場は同じだ。ここで会ったことは忘れるということでどうだろうか?」
洞窟の中には触れて欲しくない…という事か。食い下がって怪しまれては調査ができないし、過激な人だったら自分の身が危険でもある。
「すごく賢明な判断だと思うよ。うん。でもその…俺は君に興味がでてきてしまって…その…変な意味じゃないんだけど、同じ規律違反同士だし話が合うんじゃないかと思ったんだけど…」
言い終えるかどうかぐらいで洞窟の奥から足音が近づいてくる気配がした。それとほぼ同時にフードの人物は影から影へと移動し気が付いた時には後ろにまわりこまれていた。
「悪いが今君と話すことはできない。そのまま振り返らずに立ち去ってくれたら助かる。そうしてもらえないのであればそれなりの手段にでなければならない。」
一瞬のうちに色々な考えが駆け巡ったが、今は“敵”と認定されるわけにはいかない。
「わかった。言うとおりにするよ。」
「ありがとう」
そう言うとフードの人物は洞窟の方へ、真治は来た道をまた戻るよう歩き出した。真治はしばらく歩いて月影に入ったところでバレないようにチラッとだけ振り返ってみたが、やはり顔は見えなかった。フードの背中から殺気のようなものを放っていて早く立ち去らなければそれなりの手段とやらをとられそうだ…なるべく音をたてないよう歩いていく。
「サン!遅いから来ないかと思った!」
背後から女の子の明るい声がしたのでつい振り返って見てしまった。フードの人物はそれを見逃さずこちらを見た。
眼光鋭いその瞳と目が合った瞬間何かに射抜かれたように衝撃が走ったような気がした。動悸がする胸を押さえながら音をたてないようなるべく早足で去ろうとしながらも、耳だけが研ぎ澄まされていた。
「サン、どうかしたの?」
「いや、何でもない。」
少女とフードの人物の声が聞こえる。
充分に距離をとったであろう場所まで来たところで、真治は歩調を緩めて深呼吸した。一連のやりとりが頭の中でぐるぐるしていて目がまわりそうだ。早く帰ってベッドで寝たい。
病院に戻った真治は部屋着に着替えてベッドに勢いよくもぐりこむ。
あれほど早くベッドに入りたいと思っていたのに、ベッドに入っても脳みそが興奮しているのか全然眠れない。
考えてみれば初めてのことばかりだ。病院を抜け出すのも、夜の島を歩くのも、初対面の人とあんなスリリングな会話をするのも…
おそらく「サン」というのはあのフードの人のことだろう。名前ではなくあだ名とか呼び名のようなものかもしれない。
収穫が少なすぎて何て報告しようかとずっと頭の中で考えていた。そうこうしているうちに朝日が昇り始めたので、眠るのは諦めてベッドから出て支給された報告用の端末を開く。とりあえず「報告書」と打ち込んだ。