怠・たけのこ体操
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
はっ、おお、いかんいかん、寝入っていたみたいだ。
どうも、昼飯食ったあとは、眠気が襲ってきていかん。腹の皮がつっぱれば、目の皮がたるむとか、昔はいわれていたな。
だが近年はこれ、血糖値スパイクなる、血糖値の急上昇が引き起こす現象のひとつとされている。ゆくゆくは糖尿病を引き起こす恐れをはらみ、よくない傾向のひとつとされるらしい。気を配っていかないとな。
人生全体で見ても、食事と運動はいつもついて回る問題だ。
育ち盛りのときは、よく食べ、よく動いてを実践すれば、身体は大きくなりやすいし、おおむね健康でもいられる。
だが、なまじ若いうちにこの経験をするものだから、年をとっても妙な自信に基づいて動いてしまいがちだ。
若いころの感覚のまま、ばくばく食べてしまって体重を増やし、ばりばり動いてしまってケガをしたり疲れを残したり。手痛い目にあって、ようやく自分の衰えを悟るわけだ。
斜陽、という言葉もある。人生もずっと真っ昼間ではいられない。
いつかは陽が傾き、暗さを増して、真っ暗へ向かってしまう。そのときどきに応じた振る舞いをしないと、思わぬ事故を招きかねない。
そして、大多数の流れにあてはまらないイレギュラーも世には存在するもんだ。
実は俺も、イレギュラーのひとつを課せられたことがあってな。その時のはなし、聞いてみないか?
子供時代の夏休み、といったらラジオ体操をイメージする人、多いんじゃないか?
朝の6時くらいに近所の公園とかに集まってよ、ラジオ体操の歌を聞いてから、第一の運動を始めるんだ。
俺たちの周りだと、第一までしかやらなかったんだが、他の場所はどうなのかね?
大人になってからするようになった第二の方が、よっぽどしんどいぞ。あれこそ、子供のころから慣れといて、損はないと思うがな。
話がそれたかね。まあ、そう第一を終えて、ラジオ体操カードにはんこをもらい、家路につくんだが、即食事とはならない。
家に戻ると、親から教えられたオリジナル体操が待っている。こいつは雨などでラジオ体操ができない時でも、やらされていた。
親の言葉を借りるなら、「たけのこ体操」というべきか。
かがんだ状態から顔の前で合掌。ゆっくりと膝を伸ばしていく過程で、合わせた手のひらを左右に細かく、くねくねと動かしながら、上へ登らせていく。この際、上体も手のひらの動きに合わせて、横にうねらせていくとなおよし。
立ち上がりきったところで、腕はぴんと頭上いっぱいまで伸ばし、かかとも上げて、思い切り背伸びをする。これを5秒ほど継続。
この一連の動作を1回とし、最低10回はこなしてから、ようやく朝ごはんにありつける。
親の前では厳命されていたからな。俺も小さいころは行うことに、なんの抵抗もなかった。
それが修学旅行とか、子供だけで宿泊機会がある時に、友達に見られて大笑いされたことがある。
実際、はたで見ていると、幼稚園のお遊戯を思わせる動きだからな。初見で笑うなってのは、ムリがあるとは思う。
幼心に、この反応がかなりこたえた俺は、親に相談したよ。たけのこ体操をやめたい、とさ。
少し考えてから、母親はいう。
成人するまでは続けてほしいこと。そして朝の6時から8時を過ぎるまでに、一度は体操をしてほしいということを。
成人してからは、もうやらなくてもいい。それを支えに、俺は屈辱の時間を耐えていった。
年を経て、身体が大きくなっていくたび、ますます恥ずかしい動作となっていく「たけのこ体操」。こいつをどうにか、人の目に触れないよう終えられないか、俺は気を張り詰めていた。
日をまたぐときもちらほら出てきて、眠ったら絶対に起きられそうにない時は、6時まで起き続け、体操を終えたら即布団に入った。
だが、厳格な縛りは一回でも破ると、もはや力を失っちまう。
高校の卒業旅行で、友達と泊りがけで出かけた俺は、つい羽目を外しすぎて、爆睡。未明に意識を失って、はっと目覚めた時には午前9時を回っていた。ケータイにも、親からの着信が幾度かある。
やっちまったと、当初は頭を抱えたものの、身体には特に異常なし。
親に発信してみると、いの一番にたけのこ体操の件を尋ねてきたから、ちゃんとやったと嘘をついちまった。多少、いらついた声音をわざと交えながらな。
親としても、息子が反抗期ぎみなのは重々承知。これ以上は強く踏み込んではこず、適当に二、三の言葉を話して、通話を切っちまったよ。
それは俺の中に勝手なルールができた瞬間でもある。すなわち「たけのこ体操、さぼっても問題なし」というルールがな。
大学生になって、俺は大学が遠いことを理由に、一人暮らしを申し出る。
親としては実家に引き留めたい様子だった。件のたけのこ体操の監視も兼ねてだろう。
それを見越している俺は、あえて体操のことには触れず、あくまで理詰めで説得。ついに一人暮らしの権利を勝ち取り、堂々とたけのこ体操をさぼっていった。
さすがの親も、毎日のように俺の部屋を訪ねることはない。だが「体操しっかりやれよ」といわんばかりのモーニングコールは欠かさない。
それに対し、ときにおとなしく、ときにうっとおしさをあらわにして、「やってるよ!」と嘘を返していく俺。
どちらかに偏ると、不自然だと思われかねないからな。テンションの浮き沈みを演技するのには、苦労したよ。
そうしておろそかにし続けて訪れた、大学一年生の夏。
友達の車、複数台でキャンプに出掛けた俺は、その日のテント泊で奇妙な体験をした。
夢かと最初は思った。
俺の目の前に、一面の明け方の空が広がっている。うっすら東が白んで見えるも、心なしか連なる山々のてっぺんが、昼間に見たものより小さい気がしたんだ。
「おかしいな?」と、足を踏み出したとたん、かすかな痛みを感じるとともに、転がるような金属音がやたらと響き渡り……。
はっと目覚めたとき、俺は自分の寝ていたテントがはがれているのを見た。
いや、厳密にはちぎれて外れていたんだ。てっぺんには見事な大穴が開き、先ほども見た明るくなりかけの空が見える。
だが、外を出てすぐ異変に気付いたよ。
俺のテントのそばへ停めていた、友達の車二台。その両方が、十メートル以上向こうで横転していたんだ。移動したようなわだちはなく、車体はいずれもあちらこちらに泥をくっつけている。
それこそ、何か大きいものに蹴飛ばされたかのようなありさまだったのさ。