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公式企画

桜の下の君

作者: 夏月七葉

『――ごめんなさい!』


 あの時の衝撃を、俺は一生忘れないだろう。

 桜舞い散る、学校の中庭。それこそ雨のように降ってくる桜の花弁は美しくて、薄桃色の視界は〝青春〟という名にふさわしいだろう。


 卒業式が終わった後、俺はそこに彼女を呼び出して、一念発起の告白を成し遂げた。

 明日からは春休み。大学進学や就職など、各々が自分の道を進んでいく。彼女は四月から、アメリカに一年留学をすると聞いた。告白するなら今しかないと思ったのだ。


 だが、結果は玉砕。彼女は大きな声で謝って、逃げるように走っていってしまった。

 残された俺が暫く棒立ちになったのも、無理もない話だ。


 彼女とは三年間同じクラスで、よく会話もしていたから仲は悪くなかったはずだ。しかし恋愛感情を抱いていたのは自分だけだったのかと、喪失感と孤独感でどうにかなりそうだった。


 そこからどうやって帰宅したのかは覚えていない。自室に籠り、着替えもせずにベッドの上で仰向けになっていた時だ。

 スマホが鳴って画面に目を向けると、彼女からのメッセージがきていた。

 見た瞬間に心臓が跳ねて、期待と恐怖の狭間の中、メッセージを開く。

 送られてきたのは、一枚の写真だった。


 彼女の部屋だろうか。白い壁にシンプルな小さい机。その机の上に赤いリボンをしたクマのぬいぐるみが座っている。奥には本棚があって、八冊の本が並ぶ。本棚の隣の壁には色鮮やかなポスターが貼ってあり、〝ゆこりん〟こと(たつ)()結子(ゆうこ)という今を煌めくアイドルが華やかなドレスを纏ってポーズを作っていた。

 写真に添えられる言葉は何一つない。


 一体どういった意図で、彼女はこれを送ってきたのだろう。間違って送られてきた可能性もあるが、彼女がそんな過ちをするだろうか。


 真意を推し量ることはできず、かといって訊き返す勇気もなく、俺は再びベッドに倒れて枕を濡らしながら一夜を過ごした。


   *


 そんな苦い思い出から、一年。


 大学に進学した俺は、教卓で熱弁する教授の目を盗んで机の下に本を広げていた。

 この講義は必修ではないし、教授の雑談が始まると中々終わらないのだ。だからこの時間、俺はこうして読書をすることが多かった。


 あれから俺は、ゆこりんの楽曲を全て聴いた。彼女がゆこりんのファンであることはずっと知っていたが、俺自身がきちんと曲を聴いたことがなかったのだ。ポップなものからバラードまで、曲調は様々だったが、一貫して背中を押してくれるような歌詞には涙が出ることもあった。


 クマのぬいぐるみは、流石に男が買うには抵抗があって、雑貨屋で同じものを見ただけに留まる。彼女もここで買ったのだろうかと思ったら、少し苦しい思いがした。


 そして、本棚にあった八冊の本。これも、俺は端から順に読んでいた。

 詩集『一番星に祈る』から始まり、歴史書の『年号から見る歴史』、自己啓発本の『後の祭りにならない為に』、小説『桜舞う季節に』、図鑑『のりもの図鑑』、『木陰の花の妖精』は漫画で、『のやまのはる』に至っては絵本だった。

 大きさもジャンルもバラバラなそれ等は、しかし背表紙を並べて同じ本棚にあったのだ。


 俺は読書は嫌いではないが、読むのが遅いのであまり手に取らない。なのに彼女の部屋にあったからといって八冊も読むなんて、未練がましいと我ながら思う。

 嗤いたければ嗤えば良い。俺はどうしても、そうしたかったのだ。


 のろのろと読んでいるが故に、八冊を読むのに一年もかかってしまった。今開いている一冊が、最後である。

 読み終えてしまうのが何だか名残惜しく感じるが、これが終わったら彼女のことはすっぱり忘れると決めたのだ。


 最後の一冊は、エッセイだった。『下乃(しもの)の思うところ』は、作者の青春時代を綴ったものだ。中学から大学まで、友情や初恋などを経て大人になっていく様が描かれている。

 最終章は、作者が上京を決めて旅立つまでの話のようだ。


 俺は文字を目で追い、最後のページを捲った。


『待ってるから』


 最後の一文。十年来の幼馴染が放った台詞。

 その一言が、厭に俺の心に引っかかる。


 読んできた内容で、何か忘れていることがあるのだろうか――いや、そうじゃない。きっともっと別の――。

 ふと思い至って、俺はスマホのメッセージを開いた。彼女とのやり取りの最後、あの写真を見る。


 俺はじっとそれを眺めて、一も二もなく立ち上がった。


「すいません。お腹痛いので早退します」


 驚く教授にそう言い置いて、俺は講義室を飛び出した。


   *


 息を切らせて校門を潜る。懐かしい景色を駆け抜けて、俺は目的の場所に辿り着いた。

 足を止め、膝に手を添えて息を整える。意を決して顔を上げると、そこには薄桃色が広がっていた。


 舞い落ちる桜――それはまるで雨のようで、〝青春〟の名にふさわしい。

 傘もささずにそこに立つ姿は一年前とそれほど変わらなくて、俺は泣きそうになった。

 桜の花弁を髪につけた彼女は驚いた表情をしていたが、すぐに笑みを作った。


「解ったんだ」

「――うん」


 俺は頷いてみせたが、つい先ほど気がついたことは恰好悪いので言わないことにした。


『一番星に祈る』

『年号から見る歴史』

『後の祭りにならない為に』

『桜舞う季節に』

『のりもの図鑑』

『木陰の花の妖精』

『のやまのはる』

『下乃の思うところ』


 あの八冊の本のタイトルの頭文字を右から順に読むと「一年後 桜の木の下」。

 二人の間で桜の木といったら、高校の中庭しかない。


「帰ってたんだ」

「昨日の夜に、ね」


 それだけ言葉を交わして、二人とも黙り込んでしまう。何か言わなければと思いを巡らせるが、何も言葉が出てこない。

 気まずいながらも動けないでいると、先に彼女が口を開いた。


「一年前、逃げてしまって、ごめんなさい」


 頭を下げた彼女が、そのまま続ける。


「いきなりでびっくりして……その、思わず」

「いや、こっちこそごめん。気のない男に告白されて、折角の卒業式の思い出を台無しに――」

「違うの!」


 突然の大声に、言葉と息が止まる。

 顔を上げた彼女は、桜に負けないくらい頬を染めていた。


「その、嬉しかったの――私も、同じ気持ちだったから」

「え?」


 時が止まったかと思った。停止した思考が言葉の意味を考えようとして、けれどどうにも上手くいかない。


「でも、一年留学に行っちゃうし、どうしたら良いか判らなくなって、あんなこと。直接言うのは恥ずかしくて、でもどうにか繋ぎ止めたくて、慌てて家の本を集めてきて写真を撮って――それで、その……」


 彼女の大きな瞳が俺を見る。


「今でも、私のこと、好き?」


 風が吹く。彼女の長い髪が風に流れて、春の化身のように美しく見えた。


 気づけて良かった。ここに来て良かった。

 もう一度、彼女と会えて良かった。


 俺は顔が熱くなるのを感じながら、破顔した。


「――勿論」

このお話のアナザーストーリーもありますので、よろしければ併せてお楽しみください。

「空の上の後悔( https://ncode.syosetu.com/n6622hp/)」

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― 新着の感想 ―
[良い点] こんなまどろっこしい「1年後の約束」なんて人類史上誰もやらないよなあ、と思いつつも、奇麗な青春物語として楽しませて貰いました。好きな人からの最後のメッセージって何度でも見直してしまいそうで…
[良い点] ギリギリのタイミングで気づけたのがすごいですね。 二人が幸せになることを祈ります。
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