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後編

「ニア、ごめんね」

 彼は私の髪を弄びながら、甘く囁く。彼の声は耳に心地よく響いて身体の隅々に届いて溶ける。

「神話の時代、双頭の大蛇が大河となり、枯れた大地に豊穣をもたらし守護神となった。その感謝のために、かの神に捧げられた娘の名前がニアリュアなんだよね」

 ――あ、そうだったんだ、知らなかった。へ、へえー……。緊張とドキドキでガチガチになり、彼にされるがまま、返事もできない。


「そんな大事な名前を捨てさせてしまって、私はね本当に悪いと思っているんだ」

  髪から手を離すと、今度はテーブルの上の本に置いていた私の手を取り、滑らかで長く、でも男性らしく骨張った指で優しく撫で始める。王子様は何か触ってないと落ち着かないタイプなのかな?

「君だから触れたいんだよ」

 考え筒抜けな上に口説かれ、触れられた場所のゾクゾクした痺れに私は熱暴走しそうだった。そしてその一番熱い気持ち――ミレイへの優越感――で大学に入ったばかりの私は(くら)い悦びに震えていた。



 * * * * *



 結局私は入学から卒業までミレイには会えないままだった。手紙の一つすらない。サイ……サイコス王子とは彼がお忍びで訪問してくれて頻繁に二人きりで会っていた。


 王都での暮らしも二年経てば慣れるもので、大学では気の置けない友人もできた。ミレイとは違ってその時だけの付き合いではない。お互い高めあい、将来公私に渡り助け合っていく人達だ。彼、彼女らとは国のため、王のため、人々の暮らしのために何をすべきか論じる日々を大学では送っていた。


 知らないことを勉強して、志のある熱い語り合いが楽しいのとは逆に、私にとってかなりキツかったのは行儀作法。

 階級が上がった上、王族に仕えることが決定しているので、紐家(むすび)の労働階級とそう変わらない行儀作法では全く足りないため、イチからやり直し、でもミレイ……ううん、サイコス王子の側にいられるためなら辛くても頑張れた。上手くできるたびに彼から私の部屋で――そのうち寝室へと場所を移し――ご褒美が貰えた。その内容はどんどん過激になって一線を越えるのもわりとすぐだったけど後悔なんてしてない。

 どうせ彼より素晴らしい男性に遭えることはこの先きっとない。

 ミレイの相談役になればサイコス王子の仕事場に出向いてもおかしくない、今より堂々と会えると言われれば嬉しくて仕方なかった。

 ミレイとは実際結婚するために無理を重ねたために色々周りから言われ、それがきっかけで新婚なのに今はうまくいってないという話を彼から直接聞けたことも私を有頂天にさせた。


 過去、父と兄が言っていたような王の後継争いで国が荒れるという怪しげな噂が私の耳に入ることは全くなくて。むしろ、これからはサイコス王子の時代だと囁かれる声が大きく聞こえるくらいで、気を張っていた分拍子抜けしたくらい。

 家族とは縁を切るのが条件なので、手紙も出せない、顔を見るのもかなわない。だから遠く思うだけ、心で語りかけるだけ、私は幸せですよー!と。


 その幸せの絶頂で王城にやってきた。

 大学卒業すると同時、二年前と同じく養父母に感謝の挨拶もできないままあっという間に王城へと迎えられている。()()王子様は仕事が異常に早い。


 側仕えの動きやすさ重視とは違う、落ち着きのある淑女らしい服が用意されていた。それを女性の側仕えに手伝って貰いながら着替える。

 数人の側仕え達に連れられ、王城内の王族の居住する離宮へと足を踏み入れた。そこで彼らとは別れ、かなり神経質そうでピリッとした雰囲気の母よりは結構年齢上かな?と感じる女性に引き渡された。

サイコス(第二王子)殿下とミレイ様のお住まいになっている暁の離宮でございます。こちらにニア様のお部屋もご用意することとなりました」

 そして自分は離宮側仕えの中でも妃付きの女性達をまとめる女側使長(じょかんちょう)だと私に言った。

「ミレイ様付き相談役とのことですが、第二王子殿下からは()()()()もある、と伺っております。ただし煩わしい諸々の事柄は殿下もお厭いですので、お部屋は暁の端となります。ご容赦ください。端にあるとは申しましてもお部屋はこの暁でいっとう広うございますし、お庭も付いてございます。お心安くお住まいになれるよう殿下の心が砕かれたものと思ってお過ごしくださいませ」

 口調は馬鹿丁寧だが、心が全く込もっていないことが蔑むような目からも丸わかりで、内心苦笑を漏らしつつ彼女に簡単な礼を取る。


 私は王子妃付き相談役という側仕えの一人、けれども養子とはいえ藍君(あいくん)という上級家で階級としては女側使長(じょかんちょう)より上。しかも新婚のはずの王子様の愛妾だ。側仕えなのに妃の敵か、何もできないのに階級は自分より上か養子の癖に、という気持ちになっても不思議ではない……よね。まあこういう視線や態度は養家となった藍君(あいくん)でも経験あるから、まあうん。


 妃付きという立場だから、彼女はミレイの味方なのだろう。あの子は妖精のように可愛い、誰からも愛される性格でもある。本性はそれと違う匂いはあっても、それと知らせない強かさも多分にあり、気付く人は私を含めほんのわずか。これは彼も言っていたことだ。ミレイの性格は天真爛漫に見せかけているのは間違いない。


 彼がミレイをそうと知ったのは結婚後。まあ結婚前に周囲から色々言われていたミレイは鬱憤がたまっていたのだろう、王子と喧嘩は日常茶飯事。そのうちまるで見せつけるようにいろんな男性を下僕(しもべ)のように扱い、物色し始めたのだと言う。

 ――きっと私なぞ遊びの足掛かりの一つなのだよ。でも強引にミレイを妃にしたせいで私の味方は少ないんだ。だから私はたくさん傷ついてしまったのにそれを見せることはかなわない。ニアにしかね。私の傷はきっと君にしか癒せない、ニアに悪いようにはしないから私のお願いを聞いて――

 優しい彼の酷く辛くて今にも泣きそうな声が私の耳を胸を心を刺す。彼を癒すためなら私はこの身を心を全てを差し出そう。双頭の大蛇に捧げられたという(ニアリュア)のように。

 ミレイが彼のためにできないことは私がする。

 ……たった二年で私は彼色に塗り潰されていてそれがとてつもなく幸せだ。


 と、案内された本当にだだっ広い豪華な部屋で、庭を眺めながら一人悦に入っていたけれど、この後ミレイに会わねばならない。会いたくない。

 彼女は私が彼と通じているのは知らないだろう。周りから聞くかもしれないけど、女側使長(じょかんちょう)は王子直々に私達がいがみ合って面倒を起こさせないように、と釘も刺されているわけで、ミレイに『王子の愛妾はあなたの相談役ですよ』とはわざわざ伝えないはず。


 例え上手くいっていない夫婦でも、自分(ミレイ)は遊び相手と寝台で遊んでいても。好きで押し通して夫婦に、しかも彼女はいずれ王妃になると言って王子妃になったんだ。それをみすみす手放すとは思えない。仮に嫌気がさしていても、妃なんて飽きた!やめる!とは簡単に言えないよねえ。

 好きに男達と遊べるのはその立場のおかげもあるのだし。ならば私は私が唯一と定めた人のために生きよう、――でもミレイは簡単に心変わりするのに、彼の隣に公然と立ち続けられるんだ。そう思った瞬間、私の中にこれまで以上に粘ついてひりつく嫉妬が渦を巻いて生まれた。


 けれどそれを私は表に絶対出してはいけない、必死に飲み込んだ。


 女側使長(じょかんちょう)から聞いたサイの言葉は私に対しても有効なのだと、それを全く気付いてもおらず浮かれてばかりの女だから蔑まれたのかと、釘の刺さった心から見えない血を流しながらその時やっと理解した。



 * * * * *



「ニア久しぶりー!会いたかったあああ!」

 ミレイの部屋の一つ、応接室に通された。

 私の顔を見た途端、ミレイが大声で駆け寄って抱きついてくる。

 重そうなドレスなのに彼女の動きは軽やかで、王族の行儀作法を身につけたせいか、たくさんの男達に可愛がられたおかげなのかこの二年でその姿はすっかり垢抜けていた。


「サイに言っても中々会わせてくれないんだよね!手紙も出そうかなとは思ったんだけど、文通慣れてないから、手紙やり取りするのって結構めんどくさいし。同じ暁の宮なのに部屋を訪ねるのも手続きいるとか面倒面倒」

 私から離れると、ぼすん!とソファに音を立てて座って文句を垂れる。側仕えは誰も何も言わない、微笑ましくこちらを見ていた。女側使長(じょかんちょう)ですら何も言わない。言わないが、微笑んではいない。私を見ている時と同じ蔑みの浮かぶ凍てついた瞳で私達を見ている。

 ――女側使長(じょかんちょう)はミレイの味方じゃないってことかな……。私の味方にもならなさそうだけど。

 と、そこまで考えて、味方なんてサイ以外にいらないよねと苦笑した。


 テーブルに置かれたお茶の注がれた高そうなカップを美しい仕草で持ち上げ、ミレイはそれに口を付ける前に言う。

「でね、本題。私が前に言ってたこと覚えてる?この世界を改革するんだって。ニアには手伝ってもらいたいの。私と一緒にしてほしいことがある」

 ほう、とお茶を堪能したあとにため息を吐く。


 そしてミレイが側仕え達に手を払う仕草をすると、彼女達は軽く礼をして部屋から出ていった。二人きりになると、

「流石にさ、転生がどうとか言えないじゃない?頭おかしいと思われちゃうから」

 ふふっと笑って、ミレイはカップのお茶をくいっと傾け一気に飲み干した。


「作法だ何だってめんどくさいんだよねー。ニアもそう思うでしょ。あのね、私が転生前にいたニホンでは確かに敬意を払う相手、目上の人に対する時とかは言葉づかいもきちんとするんだけどここまでガッチガチじゃないんだよね」

 言うとテーブルに置いてあるポットで手ずからお茶をカップになみなみと注ぐ。


「あと階級っていう身分制度も。私の生まれる前は色々時代によってあったらしいよ。だけど私はそういうのない時代に生まれたわけ。もちろん金持ちと貧乏の差はあるよ。見えない差はあるけどあからさまな階級差別は表向きはないんだ。労働階級ってあるじゃない?ニホンは皆労働者なんだよね

「……じゃあ誰が国を治めるの?好き勝手にするでしょ、労働者のみの民なんて。誰かが上に立って導くからこそ生きていけるんだよね」

「あー、そっかあニア()そうなるよね。あのね、皆で選ぶの、上に立つ人を。良いと思わない?ニアも私もどちらかと言えば労働者側の気持ちがすごくわかるはず」

 ミレイは困ったように微笑んで言った。私も、ということは誰かが似たようなことを言ったのか。


()()が汗水垂らして働いて育てた野菜や肉でお腹を満たし、せっせと糸巻きしたり染めた布で作られたドレスや服を当たり前のように着て。このお茶もそう。茶葉を育てて摘んだ人がいる。カップを焼く人、泥から作る人、そういう()()()も報われる世界って良いと思うでしょ?ニアなら理解できるよね」

 カップの縁から溢れんばかりのお茶を、私の空になったカップにミレイのそれから半分注ぎ、真面目な顔でじっと私を見つめる。


 ――言い方や内容はともかく彼女はこんなことを言う人だった?頭の足りない、ちょっと抜けた女、転生してきたと言い出す前もその後も。


「私ね、贅沢したくて王妃(ヒロイン)を目指してるわけじゃないんだ。この世界を改革して、英雄(ヒーロー)になりたい」

「そう……。でも今ミレイの思う通り進んでるんじゃないの?突然転生しただのゲームがどうこう言ってたけど、結局言った通りになってるんだし」

 瞳をキラキラさせて理想を語るミレイは僻み込みでも美しい。熱い理想が彼女にあったことで私は少しだけ親友であることを認めてやろうと思った。階級をなくす、この世界を変える改革、それは何よりも崇高で素晴らしい理想だ。


 だって階級が低いために、上の人達から胡乱げな目でお前ごときがという態度で蔑まれる。そんなことはこれまで何度もあった。ついさっきもそうだ。

 本来なら私は礼を取らずとも良かった相手に対し譲歩した、嫌みまで言われて。それは書類上だけ階級が上がったからだ、元々階級の低い妃に請われて来た友人でしかも妾だから。

 ――だから蔑まれて当たり前?

 紙が水を吸うようにミレイの話を勢いよく飲み込み、真っ青になった私の顔を覗き込んで、ミレイは改めてよろしくね、と笑った。



 * * * * *



 ミレイはサイコス王子と共に急激な階級撤廃の改革を推し進めていく。反対派は当然だがかなり多い。王も第一王子も反対派だという。ただここまで来ても王が後継を決めないために、水面下で後継争いに端を発した派閥対立が激化していく。しかし私達は王の後継問題より、改革の方が大事なので派閥対立にはできるだけ触れないようにしていた。

 なぜなら『階級撤廃を旗印にした我々が階級を巡る争いなど笑止千万、まずは私達と君達の垣根を取り払い、君達に真っ当な待遇と生活を送らせることが先である』という遊説を王都以外の領地、しかも労働者の居住区に王子と王子妃が自ら出向いて行っていたから。これで後継争いに首突っ込んで実は王になりたいなんて言い出したら、階級撤廃は何のために言い出したのってことになる。味方は労働階級と紐家(むすび)に多いのに自分から味方を手放してどうするよって。


 この案を出した大学で知り合った友人達は運良く皆第二王子のサイコス派というか王子妃のミレイ派だった。

 とにかく毎日仲間内で集まっては議論し、どう動くかを皆で、時にはミレイや王子が混じりながら考えていた。

 そんな多忙な中でもサイコス王子は私の部屋を訪れ夜を明かすことが多い。どうも私の友人達は学生の時分からミレイと私的な付き合いがあったようで、部屋を追い出されるんだと苦笑しながら来ることもあった。

 サイコス王子、サイはミレイと改革における協力関係なだけで男女の愛は失せてしまった、といつだったか寂しげに語っていた。

 あの祭の日にやり直せるならニアを隣に選んだのに、と言われたことで泣いた。救われる気持ちになった。ミレイを見る度、行動する度、話す度にこんこんと涌き出て溢れる泉のような醜い嫉妬をその言葉だけで抑え込むことができる。


 ある日、私は体調を崩してしまった。なぜかは私が一番わかっている。だけど誰にも打ち明けることはできない。困ったと思いつつ、サイの相手は断らず、日中寝て過ごすことが多くなり、具合が良くないと仲間内の集まりも欠席が増えた。


 そんな落ち着かない日々が続く中、サイは私の部屋に体格の良い男性を一人伴って訪れた。

「彼はね私の代わりをしてもらうことになった、アテルマ黄君(おうくん)だ」

「代わり、ですか?えと、黄君(おうくん)ということは中継家(なかつぎ)の方なんですよね」

「そう、ちょっと上級家は味方が少ないから協力者を探すのは難しくて。ごめんねニア?」

 サイは困った顔で微笑む。この顔に弱い。だけど代わりとは?と私が聞く前に彼が言った。

「彼はね、中継家(なかつぎ)の四男でね、今は離宮や王城で私の護衛隊に入っているんだ。私はニアに助けてほしいことがあって。それで信頼できる彼に頼んだんだ」

「サイのためなら私は何でもします、任せて」

「ふふ、嬉しいよニア、ならばその腹にいる私の子供を産んでほしい」


 頬を染めて言う彼の言葉と、言わずとも妊娠に気付いてくれていた事に舞い上がってわんわん泣いた私は悪くない。

 サイの話によると、ミレイも同じく妊娠していると。だけど彼女の行動を考えると本当に自分の子供か怪しい。ならば同じ時期に妊娠した私の子供こそ自分の、確実に王族の血を持つ子供だと思った。

 けれども公には妾を持ったことにはしておらず、私達の関係をミレイにも打ち明けることはしたくない。自分を棚に上げる彼女のことだ、バレればニアに危害を加えてくるかもしれない。

 ならば相手を用意して偽装しよう、アテルマを恋人にして彼の子を妊娠したことにしよう、と。アテルマは自分(サイコス)の護衛の一人だから知り合って恋に落ちたという作り話にも無理はない。


 私はそれを聞いて納得する。前にミレイが『私のいた国は一夫一妻制で、浮気はダメ。お妾さんとかもやだなあ、ムリムリ』と言っていたことを思い出したから。

 しかし自分は浮気しても良くて相手はダメってどういう気持ちで言ってるんだろう?頭の片隅でそんなことを考えながら、アテルマにこれから恋人のフリよろしくお願いします、と礼をした。


 ミレイにアテルマと恋人になったと報告し、彼女に応援されたり、子供同士仲良くさせようね、もしかしたら結婚しちゃうかもね!などと言われているうちに産み月が来た。

 私の陣痛が始まる数日前にミレイは女の子を無事出産していた。お祝いとお見舞いを兼ねて訪ねると、赤ちゃんを見せてもらえた。

 ミレイによく似た栗色の髪と瞳を持った姫。

 彼女は出血が多かったせいでまだ寝込んでいて、子供に会うどころか目が覚めないかもしれないと周囲は右往左往しているそうだ。

 ミレイの顔は見せてもらえずそのまま自分の部屋に戻った。


 そしてサイは妃の命が消えるかもという今、我が子を産もうとする私に会いに来てくれていた。

 私も出産を控えていて同じ母親という立場になったからかもしれない。一人きりで死ぬかもしれないなんてミレイもかわいそうにという思いが湧き上がる。

 もしかしたら彼女の命を貰って我が子が無事に生まれるのかもしれないとまで考えて、それを払うように頭を振る。いくらなんでもそこまで考えてはいけない。


 サイはここまで、と繋いでいた手を離し別室に行ってしまった。途端に心細くなった。

 私のための産婆が呼ばれ、布の上に寝かされ、側仕え達に腕や足を押さえつけられる。

 これまで経験したことのない痛みが押し寄せてくる、耐える。お腹から何か丸いものが降りてくる感覚、痛み、息の仕方を間違えると気が遠くなり、それを産婆に叱られながらお産を進める。

「頭が見えた、よし、慌てないことですよ!しっかり息を吐いて、吸って、そう」

 産婆の言う通りに息をする。足を開いた中心に大きな違和感がある。早く出してしまいたい。でも言う通りにしないと怒られちゃう。そんなことを考えていると、急にお腹が楽になった。同時に響き渡る泣き声。

 産婆の「無事だ、立派な王家の男だ、万歳」そう言われて真っ赤な赤ん坊を見せられ、その頭髪に白銀と青の色があるのを確認すると、安心からか朦朧としてきた。なぜか産婆に母を重ねながらそこで私は気が遠くなる。

 完全に意識が落ちるという時、視界に産婆がよぎった。目でそれを追うと、部屋の入口に我が子を産婆に渡され抱いているサイとミレイが見えた気がした。満面の笑みの二人が。


 ――赤ちゃんを父さんと母さんに見せよう、きっと頑張ったよくやったって褒めてくれる。兄さんと姉さんは可愛いと言ってこの子の取り合いになるんだ――

 遠のく意識、ハッキリしない頭でなんとはなしにそう思い、暗くなる視界を閉ざすまぶたのせいで溜まっていた温かいものが溢れて零れるのがわかった。



 * * * * * 



『シャマス・オージュ・イステル』は階級改革の雷鳴、労働者の指導月と名高い第二王子(サイコス)第二王子妃(ミレイ)の第一子として王都で御披露目が成された。

 その年の各領地の新月祭はこれまで王族の生誕を共に祝うものの中でも国民の盛り上がりが過去随一だったと言う。


 そのめでたい報せの前には第一王子が病に伏し、床から起き上がれないという暗い話題が王都に影を落としていた。その後第二王子の腕に無事第一子が抱かれた報せが国中を巡る。まるで光のように国民の心を照らしていく。


 そしてその民からの支持を重く見た王はすぐに第二王子を後継として正式指名した。ちなみに後継となった瞬間サイコス王子は第二王子とは公式に呼ばれないようになる。

 サイコス王子が後継と発表されたことで、各領内の労働階級と賛同する紐家(むすび)がますます階級撤廃への期待と熱を持って各地で動きを起こし、それが国中に大きなうねりを作り出すことになった。


 勿論、労働階級に近いと言われる紐家(むすび)でも階級撤廃に反対を唱える家は少なくない。本来その領地を治める中継家(なかつぎ)や上級家の意向を汲んで動くため、上が第一王子派であれば下もそうなる。

 そういう家は消える、粛清されたのだろう、と噂された。


 現に、紫君(しくん)に養子に入った――事実をあえて伏せていない――王子妃の出身地であるモーイ領内で農家をまとめる紐家(むすび)は第一王子派で改革反対派に与したと見られ、ただ単に領地を国に返し市井に(くだ)る階級奪取ではなく、国への反逆罪有りとして一家処刑の上取り潰しとなった。

 その家の持っていたものを引き継いだのは王子妃の実家と、アテルマ黄君(おうくん)という王城護衛隊出身の男であったが、彼は腕っぷしばかりでなく商才もあり、強面で腕自慢の領地で腕を振るえず燻っていた労働階級から人を選り抜き抜擢して商会を作った。

 彼はその王子妃の名が冠の商会を速やかに大きくして国内に名を轟かせていった。彼の商会は金銭の貸借が主だと言う。


 ただ領内では消えた紐家(むすび)は反逆などしていない、あれは見せしめの粛清では、と密やかに囁かれている。労働階級と近い、いわゆる自分達に善い家だったのだ彼ら家族は。

 あの家のまだ若い当主、前当主とその奥方は処刑場に引き摺り出されながらずっと叫んでいた。妹を娘を、ニアを返せ、と。どこに連れて行ったのだと。声を嗄らした当主は『自分の代で家族を作らなくて良かった』と最期吐き捨てるように言って首をはねられた。

 見せしめの粛清を見せられたこの地の労働階級と紐家(むすび)中継家(なかつぎ)は果たして本当に階級撤廃改革というものは行われるのか、もしや今より酷いことになるのではという一抹の不安を苦くその胸にそれぞれ飲み込んだのだった。


 ニアの生家である紐家(むすび)の処刑完了の報せをサイコス王とミレイ王妃となった二人はイステル王家が所持する宮殿のひとつ、青の宮殿で聞いた。

 二人はこの場所をとても気に入っている。

 まるで湖のように深い大河の中ほどに建てられているこの宮殿。その壁には深い青の石が贅沢に使われている。河面が青い石に反射して輝くことから青の宮殿と呼ばれていた。

 二人は王城よりもこちらに滞在することを好み、夜会、舞踏会、果ては会議や公務までここで行うくらいにこの宮殿を耽溺している。



 * * * * *



 ミレイは自室に一人で下がると寝転がるためのソファに深々と腰かける。

 お茶を淹れようとする側仕えを払い、目配せをする。彼女が下がるとすぐに入れ替わるように男が入ってきた。

 夫であるサイコスではない。がっしりとした身体つきの良い男――アテルマ――だった。

「良かったのかよ、ニアの家潰して」

「やめてよ、ニアって呼ぶの。私以外の名前呼ばないでよね」

 言われてアテルマは頭をガシガシと掻いてミレイの隣に陣取った。濃い茶色の髪は腰まで伸ばされていて、それを無造作に一つに束ねている。

 ミレイがその髪を撫でると、ヒョイと彼の膝の上に座らされ、彼は彼女の首筋に顔を寄せる。

「悪かったよ。でもアイツそんな悪いヤツだったか?サイコスを好きでたまんねえってのは分かりやすかったがなあ」

 ミレイの白い首に額をぐいぐい押し付けながらアテルマは言う。聞いたミレイは苦い顔をした。

「――()()()()ねえ。本物はもう()()()のにね、サイコスかー、素敵な人だったよねえ」

「お前は本当に……」

 はああと大きくため息を吐いたアテルマの頭をよしよしとミレイは撫でてやる。


 ――ごめんね、ニア。悪いと思ってるんだよ。私だって死にたくないもん。せっかくゲームの世界に生まれ変わったのに、死ぬとか無理。だからちょっとだけ嘘吐いたんだよね。


 私が主役のスピンオフゲームだけど、ベースは元の小説。だから、ミレイにハッピーエンドは訪れない。キャッチコピーが『ざまぁを楽しむゲーム』という乙女真っ青な、どちらかというと謎解きみたいなゲームだったんだよね。

 だけどさ、ベースがゲームだの小説だのって言ってもこの世界で私は現実生きてて未来を知っている。未来にあるのは断罪からの死や不幸。そんなことで死にたくない。なら未来を変えるために動くよ。それで他人が不幸になってもね。

 私は善人でもない普通の女だし、ニアだって私のこと友達とすら思ってくれてなかったんだからいいでしょ?


 ほんとはねゲーム内でニアが私を庇って死ぬんじゃないんだ。サイコスの元婚約者からざまぁされ中の私は愛されず、代わりにそのルートで当て馬キャラのニアが、元婚約者と仲良くなって、更にサイコスに愛されて。でも子供産んで死んじゃうんだよね。そこだけはちゃんとトータルシナリオ通りなわけで。私が言うのも何だけど、好きな人から大事にされて、ヤッて子供まで産んでってわりと大きな幸せの部類じゃないかなあ?


 ニアが新月祭で会ったサイコスは()()の第二王子。

 その後ニアを落としたのはね、第一王子のウラブルなんだ。年子なのに双子みたいに二人とも顔とか見た目が良く似てる。しかも私達みたいに階級下だと王族なんて見る機会もないし、わかんないよね。


 第二王子(サイコス)は優しくていい人なんだけど気弱で病弱。守ってあげたくなる子犬タイプ。

 第一王子(ウラブル)は頭がキレるけど性格に難がありすぎる。冷静沈着腹黒ド変態策士タイプ。


 ゲームの知識でウラブルはしょっちゅう王都で遊んでる設定だと知ってたから、早々に会いに行って転生者だとバラして二人で計画を練ってきた。サイコスがそのままだと私断罪されるんだもん、日本みたいに住みやすい社会にする夢も実現したいのにヤダよ。ウラブルも異世界である日本の仕組みに面白そうだと乗ってくれたからこそ、ざまぁ回避に成功したんだし。


 第一王子という立場はあっても、ウラブルは自分の性格のせいで王から疎まれていることを小さい頃から分かってた。王位が回って来ないことも全部把握していて、生きること自体に退屈していた人。いつパッと死んでやろうか、国もろとも沈んでやろうかって常々考えていたヤンデルな人。王様は二人が入れ替わったことに途中から気付いていて、何か企んでいたのか中々後継を決めてくれなかったけれど。

 ウラブルはならばと嬉々としてサイコスに毒を盛って口をきけなくしたり、身体を動かなくなるように色々して――アレはさすがに引いたな。


 時期的にニアの妊娠はシナリオより早かったんだけど、もうシナリオ通り進んでる事柄なんてほぼなかったからいっかーってことにした。もしかしたら死なないかもしれないし。

 うっかり私も妊娠していて、アテルマが踊り出すくらい大喜びしてくれたのは嬉しい誤算てやつ。

 んふふっと思い出し笑いをしたら、彼が無精髭を撫でながら思案顔になった。

「髭、くすぐったかったか?最近商会が忙しくて剃る暇ねえんだよなあ。やっぱ王様みたくこう、色男みたいなのがいいよな」

「やだ!私はたくましくて男らしいアテルマが好きなの!サイコス(ウラブル)は見た目優男だけど中身腹黒の異常性癖だし、絶対ムリ」


 ウラブルがニアに本性を見せずにずっと『サイコス』として優しく接してきたのは、ニアがサイコスを好きだからという、私にはさっぱり分からない心理。

 鬱積した弟への気持ちは歪んで育った。アレはああでもかなりのブラコンで、ニアがサイコスを利用する気だったなら彼女はとっくにこの世からいなくなってたろうなと思う。

 純粋にサイコスに恋していて、私への嫉妬も彼のためと頑張って隠して、彼のためと言って改革のために動いてくれて。

 ウラブルはだからこそニアに子供を授けることを(ウラブル)自身に許した。本当は子供なんて欲しくなくて、私とアテルマの間にできた王族の血統ではない子供を我が子として立てる気でいたんだよね。王家への復讐まで行かないけど、ご先祖様への嫌がらせのためなんだろーね。

 だけどニアとサイコスの愛の結晶(シャマス)が自分の手元にいる――事実ウラブルとの子供だけど表向きサイコスの子供という――っていう捻れた考えに恍惚としてたっけ。


 シャマスが産まれた時も、サイコスとの子を産み、そのまま命の灯を消したのだ、と股開きっぱなしのニアを目の前にうっとりしながら詩的な表現で褒め称えてた。本人もう死んでたのに。あの時のウラブルも頭おかしくて非常に気持ち悪かった。

 冗談じゃない!うえぇーっ!と、ゲンナリした私をアテルマは後ろからぎゅうぎゅうと抱き締める。

「俺にはお前だけだからな、お前も俺だけにしてくれよ」

「アテルマにはラウニがいるでしょ」

 ラウニは私達の娘。ウラブルがニアとの間に子供を作って、私も妊娠したと分かった時に、ニア以外の三人で話し合って取り替えを決めた。ニアが生きていても上手いこと取り上げるつもりだったけど、シナリオ通り退場したから良かった。


 娘はアテルマとニアの子供ということにしてあった。だからアテルマはシンパパってことになる。可愛がってくれているようだからあの子は歪まないで育ってほしい。たまに会うだけの母、娘から見れば知らないお姉さんていう関係だけどごめんねー、どうせ私が引き取っても乳母が育てるんだし、いてもいなくても変わんないでしょ。


 アテルマは私の浮気の心配から、まだ孕ませたいようで、ねだらせようとしたりデキるように裏工作までしてくる。私は全てに気を付けてる。もしわざと孕ませるようなら二度と会わないと言ってある。

 私の産後の肥立ちが悪くて死にそうは嘘だったものの、本当にあっさりそれで死んだニアを見たからもうこんな医療後進国では怖くて産みたくない。堕胎も命懸けとか嫌。

 ガチムチ系ヤンデレのアテルマは私の前世の推しだから言うこと聞いてあげたいけど、自分の命が一番大事。



 ――ねえ、ニアごめんね。まだ嘘ついてるんだ。

『贅沢したくて王妃を目指してるわけじゃない』って言ったけれど、あれ嘘。

 贅沢もしたいし、この立場なら遊び相手も選り取り見取りで断られもしないんだから、もっといろんな人と遊びたい。せっかく自信の持てる容姿に生まれたんだから。

 改革したいは本当、今に皆が仲良く満足する世界を作ってみせる。

 だからニアは心配しないで、家族と天国で幸せに暮らしてね、ニアの家族にも改革のお手伝いしてもらえて助かったよ。


 こんなに頑張ったニアなら、もしかしたら天国じゃなくて日本に転生できてるかもよ。

 そうだといいな、転生してるなら日本はいい所だから楽しんで生きてほしい。


 ニアは私を友達と思ってなくても私は親友だと思ってたよ。だから幸せを願ってあげるね――








☆評価・ブクマ・感想・イイネ・誤字脱字報告等ありがとうございます。嬉しいです。



たくさんある中から読んで頂きありがとうございました。

※オリジナルファンタジー世界設定のため、現実では存在しない造語があります


↓本編連載開始しました。

双月シリーズのリンク先にあります。宜しくお願いします。


©️桜江-2022

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