視察 II ラッセルボック
まず、視察にやってきたのはラッセルボックという屋敷から一番近い場所だ。
ラッセルボックは教会の隣に支部があり、道を挟んで大きな孤児院がある。というか、孤児院しかない。
この大きな孤児院、というか私から見ればむしろ集合住宅に住んでいるものたちの村。
色々と確認したけど、このエマール領の人口密度はとても低い。都会暮らしの私の感覚なのかもしれないけれど、雑木林とか畑とかで面積を使っているから、意外と人口は少ないのだ。面積自体は小さい県くらいはあるような気がしているんだけどね。
孤児院の周りには畑がたくさんあって、このスペースは領主の研究内容によって牧場になったり畑になったり色々と変わるそうだ。その時点でかなり珍しい村であることがわかるが、それについて住民は当たり前のことと思っている節がある。
孤児院と呼ばれる建物と教会は明らかにこの時代の建物でない。
その証拠に支部との差が歴然としている。
教会は私のイメージの中のキリスト教の教会に似ていて、ステンドグラスとかもついていてとても芸術的。対して、孤児院は学校のようなイメージがある。3階建てで横にも広い。屋敷以外で3階建ての建物はここだけだと思われる。屋敷と違って装飾は少ないが、とても頑丈で壊れにくそうだ。
「お母さま、教会と孤児院の建物の点検や修理はどうなっているの?屋敷も含めこれらの建物が建てられたのはいつかわかる?」
近くにいたお母さまに聞いた。
「点検、修理??聞いたことがないわ。でも、定期的に魔石を入れる場所があってね、そうすると心なしか孤児院が綺麗になるのよ。」
魔法で状態を維持している......?
「教会やこの孤児院、屋敷が建てられたのがいつかは分からないわ。でも、初代エマール伯爵の頃にはもう建っていたそうでね、もう、分からないのよ。なんとなく察しているとは思うけど、私たちじゃ建て方も分からない。王宮や他の貴族の家のいくつかも同じよ。」
お母さまはそう答えた。
予想通りだ。
「そうか。ありがとう。」
私は孤児院を見上げる。
ロストテクノロジー、失われた技術がどれほどのものだったのか。
興味深い。
ノエルは計算をしていた。
屋敷からここまでの時間や距離からグラフに直線を書き入れているのだろう。
「姉さん、僕はここへ来るまでの道中、馬車から外を見てたのだけど、あとどのくらいで着くのかの目印がなくて困っていたんだ。何か良い案はないかな。僕の中ではメモリみたいに一定距離ごとに目印をつくったらいいと思うのだけど。」
ノエルは私にそう言った。
私には無かった視点だが、確かに高速道路にはキロポストが置かれているよな。
「確かにそうね。数字を入れた看板を建てたらどうかな。間隔は......ノエルの方がわかると思うんだけど。どう?」
「なら、1kmごとにしてみようかな。あとで頼んでみよう。」
「ノエル、その計画だけど......他に役割を持たせられないかな。どちらにしても、視察後になるだろうし、もうちょっと練ってみない?ノエルがやるのだから報告書含めノエルが書くのだろうけど、もっと効果的な使い方があるのなら、それに越したことはないと思う。」
キロポストの役割はそれだけでは無かった。
私のうろ覚えだが、ノエルならそれ以上に辿り着くと信じているし、この世界ならではの新しい何かに発展したら面白いしね。
「わかった。もう少し考えてみるよ。姉さんの意見が聞けてよかった。」
「ノエル、私からも一つ頼みが。」
いい機会だからとノエルに頼んでみることにした。
「なに?」
「これ、上から見たこの地域との差を教えてほしい。ノエルは浮けるから上からの景色が見れるのではないかと。」
私がノエルに手渡したノートには地図を描いていた。
私は地上からなんとなくで地図を描いてみたが、正直、方向音痴であることは自覚しているから、しっかり描けているか微妙なんだよね。
「わかった、確認してくる。」
ノエルはそう言って、そのノートを持って浮かんだ。
練習として屋敷の地図も描いたんだけど、正直無理だったね。
地図読めない人が描けるわけがなかったよね。
このためにコンパスを持ってきたのだけど、なんとなく北が山しか分からない。まぁ、一本道だから迷子にはならないだろう。
人間ってどこまで浮けるのかな。
気圧とか空気の薄さとか考えるとなかなか難しいところだよね。3階以上はまぁ余裕なんだろうけど。高層マンションくらいなら問題ないだろうね。
ラッセルボックの観察に戻ろう。
孤児院の様子や人の様子を見ていると、どうやら屋敷の雰囲気に似ているようだと思った。
使用人は皆孤児院の出だと聞いているから似ていても不思議じゃないが、システムまで似せているのは、環境に慣れるためだったり、使用人の養成の面を担っているからなんだろうな。
例えば、マナーが厳しそうな雰囲気とか、他にも家事をまとめて行っていることとか。
集団生活をしているせいといえばそうなんだろうけど、屋敷の使用人の皆さんも寮みたいなところで集団生活だからな。
似ているからこそ孤児院からの採用なのか、それとも
「ねぇ、セシル。俺のこと忘れてない?」
急に声をかけられて驚くとそこにはレオンさんがいた。
「そんなに驚かれると傷つくな~。」
「それは、ごめんなさい。」
「冗談だから気にしないで。何か収穫はあった?」
レオンさん、私に対してよく話しかけてくれるよな。
返答うまくないと思うんだけど、いいのかな。変わっているな。
「そうですね。もうすぐノエルが帰ってくるのでそれからだと思います。」
と言っている間にノエルが帰ってきた。
「あ、レオンさんがいる。視察は大丈夫なんですか?」
「あぁ、俺は十分に見た。というか、父が見てるから問題ない。本当に自然に文字を扱っているんだな。」
レオンさんは感心したようだった。
「流石に僕たちは近づけませんから、そう見えたのなら授業の甲斐はあったってことでしょう。ね、姉さん。」
「えぇ。日常的に使うことが上達への近道ですから。で、ノエルはもうできたの?」
「うん。大まかには姉さんのであっていたから修正は少なかったよ。」
ノエルは私にノートを差し出した。
「これは??」
レオンさんが横から覗いて不思議に思っている。
「これは地図です。ここ周辺を上から見たもの。実際にノエルに上から見て確認してもらって修正した結果です。」
そんなに珍しいものだろうか。
確かに地図が家で見当たらなかったから今回の旅でつくることにしたのだが。
「上から見た図か......何故、上から見なかったセシルが描けたんだ?」
「想像です。だから実際間違っていたでしょう?縮尺もバラバラですし。」
「いや、十分だろう。」
そうだろうか?
空間把握能力が低いことくらい自覚しているぞ。
「次の村では挑戦してみますか?意外とできると思いますけど。」
別に特別な知識を必要とするようなことじゃない。
縮尺とかをきっちりとした図は測量士かなんかが作ればいいんだ。
「姉さんは自分ができるなら他もできるという考え方は控えた方がいいと思う。けど、これは楽しそうだから僕も挑戦してみるよ。自分で浮かんで答え合わせもできることだし。」
ノエルはそう言った。
自分ができるなら他もできるなんて考え方は当たり前だと思うけど。確かに、人によって個性は色々、能力もさまざまだけど、だからといって、そこまで傲慢な発言をしたつもりはないし、私には専攻という専攻が存在しない。ベースのみの人間なんだから、そこまで特殊なことではないのだけど。
「うん、そういうことも含めて話そうか。伯爵夫妻はまだ仕事が大量にあるそうだから、俺たちは支部で待つことになっている。そこで話そう。」
レオンさんは私とノエルの手を取って支部へ連れて行ってくれた。
支部の休憩室には公爵さまが待っていた。
「やあ、楽しむことができなようでなにより。」
「お互いの意見を交換しようか。」
公爵さま出迎えて椅子に座るよう促した後、私に意見を求めた。
「そうですね。気になったことを3つ取り上げるとするならば、一つは農業に魔法を活用しているものがいたこと。二つに孤児院のみの変わった村の環境は屋敷に似ていたこと。三つに建物を魔石で維持していること。その三つだと思います。」
「何故3つ取り上げた?」
公爵さまが気になったのは内容ではないらしい。
「3つが一番ちょうどいいかなと。全部言っても全てを覚えられるわけではありませんし、3つというのは印象に残りやすい数だと思っているからです。」
どっかで読んだんだよな。
プレゼンにおいて3という数字は特別であるだとか。なんとか。英文で読んだ気もするんだけど、忘れた。
「なるほどね。魔石で維持する建物はこの国じゃ珍しいものではない。平民に使わせる貴族というのは珍しいかもしれんよ。魔石は知っているかもしれないが、一週間以上使っていない魔力を教会で魔石に変換する。一週間以上使っていない魔力は魔法や魔道具に使えない魔力に変化してしまっているそうだからね。」
公爵さまは説明した。
「村の環境が屋敷に似ていたことは恐らく貴方の中の推測で間違いないだろうな。どちらが先かは分からないが、それだけのことをしていないと貴族社会の近くである使用人なんて無理だろう。以前、初めて視察に来たときに納得したよ。」
そうなんだね。公爵さまは初めてじゃなかったんだ。
それだけ貴族社会は特殊であり、たった年に1度夜会に出席するだけでもある程度の知識は必要だということか。
「農業に魔法は、必要なとこだけパトリスかその前の伯爵が教えたんだろう。貴族くらいだからな魔法を扱えるのは。そして、魔法を扱えたとして、その活用先が農業になることはまずない。魔法自体はきっと誰でも使えるのだろうけどな。」
そうなんだ。
知識の独占とかに興味なさそうだからなうちの両親。
「では、ノエル、貴方が得たものはなんだ?」
公爵さまは次にノエルに話を振った。
話の振り上手いな。
「姉さんと同様に3つ取り上げることにします。一つに屋敷からここまでかかった時間と馬車が一定のスピードで進んでいたと仮定した時の速度。二つに教会のガラスの装飾、三つにどうやって物資の流通を計画しているか疑問に思ったこと、ですかね。正直、計画的に物資を流通させるなら、もっと計算技術が必要に思うのですが。」
ノエル、さすがだな。
そこ、全然みてなかったわ。にしても、そうだよね。大量の流通を行うなら計算は超重要。なのに、足し算もまともにできないときたら、困るに決まっている。
「俺としては三つ目が気になるな。どうしてそこまで計算技術が必要だと思うのかが分からない。」
レオンさんはこう言っているけど、計算できずになぜ流通できるかがむしろ疑問。
「流通に限らずとも、収穫したものをどのくらい食べてどれくらい蓄えるのか、どのくらいなら外に輸出していいのか、年によって収穫は違うはずですから、そこからどのくらい税として徴収するのか、それらを考えるにあたって、最低限の四則演算ができなければ問題でしょう。」
そうだ、ノエルのいう通りだ。
「私も同じように思います。両親の仕事内容を聞いたことがない私にも非がありますが、あまりに杜撰かと。どの時期にどれくらい食べていいのかも計算して算出するのが理想的だと思います。」
私もノエルに追従した。
「なるほどね。貴方たちの計算の腕は正直分からないし、足し算や引き算以外にも計算が存在することくらいはなんとなく察しているよ。我が領地での税の徴収は税務官に頼んでいる。女神様からの洗礼で受け取ることができる能力の一つだ。税務官は収穫量と私が提示した一度の食事の量をもとに税を徴収してくれる。収穫が少なかった年は少なめにしてほしいと頼むとそのように徴収してくれるぞ。エマール領でも同様の役割が存在すると思うのだが。そしてそれを活用すれば、エマール領で行っているようなことも可能だと思うよ。」
はぁ。これも女神さまの能力に頼りきりか。
これでは不正した時にわかりにくいし、たくさん収穫できたときも彼らの取り分が一定で税だけが増えてしまう。
「公爵の領では流通はどうなっているのですか。」
ノエルは公爵さまに尋ねた。
「私の領では基本的に流通は行っていないよ。行商人がいるからね。彼らが動き回って作物や物と交換しているようだ。そこに過度に干渉しないようにしている。尚、行商人からは税はとっていない。」
「小さな政府、ということ......。行商人から税を徴収しないのなら、行商人になろうという人が増えてしまい、税収が減少してしまわないのですか。」
私はふと口に出していた。
「小さな政府というのは分からないが、行商人は基本的に女神様の洗礼で"目利き"を得た人のみがなれるものでね。そうでない人がやろうとすれば、信用がなく商売にならないよ。女神様の"目利き"や"税務官"という能力は一度でも悪用すると消滅するそうだからね。実際その例があるのだよ。よって彼らは信用に足ると判断されるんだ。」
なるほどね。
意外と女神様の詐欺防止対策は効いているのかもしれないが、女神様に依存しすぎてはいないか。
「納得しました。」
「それはよかった。私としても、この説明で理解してもらえて嬉しいよ。」
??
この年齢の子供には理解されにくい説明だったということか?
正直、私の年齢が実際どのくらいの理解能力を持つのか、一般の見解は分からないからな。
ノエルもレオンさんも例外だと思うし、私は前世の人生を加えたものが本当の年齢だし。
「ではノエル、その流通に関する計算はどのようにするつもりだったんだ?私には想像がつかんよ。」
公爵さまはノエルに尋ねた。
「そうですね......。まだ全然考えつかなくて、検討段階にも至っていませんが。税務官が出していることを計算で、誰にでも途中経過が見えるようにしてやるのがまずは第一段階ですね。税務官のやり方が最良というわけではないはずなので。あとは、僕が今考えているダイヤグラムも活用できるような気がします。」
ノエルは答えた。
私も未知の領域だし、計算やダイヤグラムが使えそうなのはわかるが、実際のところは分からない。
「道筋が立っているだけで十分だろう。教会のガラスはステンドグラスというそうだが、どこの教会にも似たようなものはある。今は作れない物だが、見るだけならばこれから先いくつか見れると思うよ。ではレオン、どう思った?」
次はレオンさんか。領外の意見は貴重だからな。きっちりとメモしておこう。
「なら俺も3つ。1つ目はセシルとノエルが描いていた地図というもの。2つ目は街中に魔道具が置いてあったり、魔法を使っている人がいたこと。3つ目は作物の名前が板に書かれて畑に刺さっていたこと。」
魔道具か。どれがそれに当たるのか分からなかったけど、これだけの世界だ、便利そうな動くものは大体魔道具なんだろう。
「うちの領でも生活を便利にするために魔道具を置いたりはするんだが、ここまでちゃんとしていないな。街灯は私も設置したが、水が出る魔道具を街中で見たのは初めてだ。それだけエマールは領民の生活を大事にしているのだろう。地図というものは?セシルとノエルが描いたと言っていたが。」
あれは井戸とかでなくて魔道具だったのか。温水は出るのかな。
街灯は見かけたな。
「俺も近くで見て驚いたのですが、上から俯瞰して見た周辺を描いたものです。正確性に欠けると本人らは言っていましたが、十分な物だと思います。」
レオンさんは私のノートの該当ページを公爵さまに見せた。
「これが...!!」
「はい。セシルが地上でなんとなく描いたものにノエルが上から実際に見て手を加えたそうです。」
私からしたら超不恰好だから恥ずかしいんだけど。
方向音痴だって自覚してるからさ。
「これがあったら色々なものが変わってくるだろうな。」
「俺もそう思います。」
まぁ、そうだね。
正確なものがあれば、戦争とかも変わるだろうさ。地形を活用した戦術とかね。まぁ、架空の知識だけど。
でも、この程度の迷子にならないためのものならどうでもいいさね。
「ふぅ。なら私だね。一つ、教会に置いてある本。二つ、会話内容。三つ、ノート。私は教会に置いてある絵本を読ませてもらった。とても分かりやすく明快で、文字も大きく、少なめ、絵がメインで文字が読めない人も気軽に楽しめそうだと感じた。最近は、まだペンを持つような年齢でない子供が読み聞かせを聞いているそうだ。」
あぁ、本を見ていたのね。
確かに、最近絵本も増えてきた。作家さんたちが頑張っているんだよね。
「他にも本が置いてあってレベルごとに分かれているから、読む本を探すのも容易だと思ったよ。」
英語の本の裏に書いてあったやつ、児童書の対象年齢をパクったのだが、どうやら良かったようだ。
「会話内容に耳を傾けてみると、会話の中に計算が出てくることが多いな。数字が生活の中に息づいている。そして、気づいたことなど、思ったことをノートに書いておくというのも定着していることが見えた。ここまで来れば、貴方の試みは成功といっても誰も文句はいえまい。」
そう言ってもらえると嬉しいかも。
「公爵はそういった細かいところを見ていたのですね。僕は少々観察が足りなかったようです。」
ノエルが言った。
「馬車の中でも言った通り、全員の視点が違う方が気づきが多い。私は最初からこの地での識字率の急激な上昇を確かめるためにここに来たんだ。初めて来た貴方たちが気づき驚くところに目がいかないのも当然だし、私がそこに目をつけるのも当然のことだ。」
公爵さまはノエルの言葉に静かに返した。
「次の村も楽しみだな。」
公爵さまは笑顔で言った。
Oxford Bookworms などの英語の本は英語学習者用にレベルに分かれています。
児童書には(小学校低学年向け)などの表記があるのは珍しくありません。
セシルは長さや語数の他、使われている言葉の難易度なども考慮してレベルを定義しました。




