閑話 : 密談
これはセシルが気絶している間のお話。
セシルが失神した瞬間、レオンが何とか受け止めた。
ノエルはセシルを心配して、すぐにセシルのもとに駆け寄った。
「姉さんは?」
「気を失っているみたいだ。原因に心当たりはあるか?」
ノエルはレオンの質問に少し考え込んだ。
(ここ数日は落ち着いて過ごしているから過労はあり得ないと思うんだが、タイミングと表情から察するに、姉さんの中で処理しきれなくなったんだろう。驚くとは思っていたけど、まさか、ここまでとはね。)
「いいや、分からないな。ここ数日は仕事もしていなかったから、過労ってことはないんだと思う。」
レオンはそう応じたノエルのことをじっと見つめた。
「なら、今はそれでいい。取り敢えずはベットとか、休める場所に移さないと。私は君ともちゃんと話がしたい。」
レオンの言葉にノエルは少し驚いたものの、すぐに表情を戻してこう言った。
「わかりました。僕が姉さんを部屋まで運びます。貴方も連れて行きますがいいですね?僕も貴方と話がしたい。」
ノエルはセシルに触れるとセシルが宙に浮いた。ノエル自らも浮いて、レオンに触れて彼も宙に浮かせた。
「これは??そうか、君が扱える魔法か?」
「多分そうだと思う。僕は恐らく生まれた頃からこの魔法を使っているから、原理とかは分からないし、説明もできないけれど、何故かこれだけは扱えるんです。」
ノエルはそのまま二人を伴ってセシルの部屋へ向かった。
「貴方の話があるなら先に聞きますよ?」
移動しながらノエルは言った。ノエルは人に会わない移動経路を選んでいたから、誰ともすれ違わないことも含めて伝えた。
「なら、単刀直入に聞こう。君はこの婚約に反対か?父から聞いたことだが、この婚約で最大の障害は君である可能性が高いと。」
レオンは尋ねた。
「僕は今の所、どちらでもありませんよ。僕は姉の結婚に対して余計な口出しをしたい訳ではないんです。僕が姉に抱いているのは家族としての愛であって、姉と結婚したいだとか、姉が誰かと結婚してほしくないだとか、そういうことは思ってはいません。ただ、姉を大事にしてくれるかどうか、姉を騙そうとしていないかどうか、姉は楽しく生きられるのか、姉が嫌がっていないのか、そういうことで、彼女が意図しない結婚を強要するならば、僕は許さない、それだけです。」
「まるで父親目線だな。」
「どう思われても構わない。あの通り、両親も姉も人の感情に疎いから、放って置けない。」
「随分と彼らと違うんだな、君は?」
「でないと、大事な人たちを守れないから。」
「そうか、ならば本人がそう願い、俺が彼女を大事にするならば君は文句はないと。」
レオンは一人称を変化させた。それに驚いたのかノエルは彼の方をチラリと見た。
「そうですね。当然、そこら辺はゆっくり観察させてもらいますけど。随分と本気なようで。」
ノエルはドアを開けてセシルの部屋に入り、セシルをベットの上に寝かせた。
「さてね。なら、もう一つ。彼女の失神について、君の心当たりを聞かせてもらえないか?」
「ない、と言いましたが信じていないので?」
「君は確かに君の家族よりは人の感情の機微に詳しいのかもしれないが、社交界からしたら君もまた疎い方だと思うよ。俺は、随分と人の表情を見てきたからね、君に心当たりがあることくらい、なんとなく分かるさ。とはいえ、経験なしでそれなら、かなり素質はいい方だろうと思うぞ?」
「流石は公爵家の子息、ということなのか。場数ね......。覚えておかないと。」
ノエルは椅子を2脚浮かせて、それぞれベッドの側に置いた。
「ずっと立っているのもアレでしょう、座ってください。」
「あぁ、ありがとう。」
「姉さんの失神は、恐らくはただ驚きすぎただけかと。今回の目的が見合いだということに恐らく思い至っていませんから。」
「?伝えていなかったのか?」
「いいえ、姉さんが聞いていなかっただけですよ。僕は分かっていましたし、最初からそのつもりで貴方をみていましたよ。貴方が突っ立っていた時は流石に気づけませんでしたが。」
「夢中になると周りが目に入らない所は似ているのだな。聞いていなかったと君は気づいていたのに敢えて知らせなかったのか?」
「えぇ、心労で倒れられたら困りますから。せっかく、この件を理由にして休暇を勝ち取ったので、その前の仕事中も、その後の休暇も、姉さんの負担を増やしたくはありませんから。」
「ここまでの話や先の行動を見ていて思ったが、彼女は危ういな。報告書を見たときは違和感でしかなかったが、今は確信に変わった。彼女は完璧ではなく、むしろかなり抜けているのではないか?推測だが、仕事をしすぎてそのまま倒れたり、誰にも頼らずに抱え込んだり、集中したら他のことを忘れたりするのではないか?これではいつ倒れてもおかしくはなかった。」
「ええ、概ね正解です。僕は姉さんを何度も止めていますから、まだ深刻な事態には陥ってはいませんが、一度泣き出してしまったことはあります。彼女が悲しい訳でもなく、ただ涙がでていたことが。その当時は僕もできる仕事がまだ少なくて、悔しい思いをしました。」
「だから、俺には無理矢理にでも彼女を止めるなり、休ませるなり、頼らせて、支えてほしいと。君は、それができる人間かを見ていたのではないか?」
「はぁ、そうです。僕は姉さんをしっかり支えてくれるような人でないとダメだと思っていました。結婚となれば僕もずっと側にはいられないでしょう。将来的にも、僕は伯爵家のために働かなければならない。その時に、側で姉さんを支えてくれる人であってほしかった。看破されてしまってはアレですが。姉さんは凄いけど、完璧な人じゃないんです、全然。」
「そうか......。なら、彼女を支える上で一番大事なのは彼女をよく見ることだな。」
レオンは寝ているセシルの顔をよく見ていた。
「話は変わるが、君は2歳で間違い無いよね?で、彼女が4歳と...。」
「ふぅ、ノエルでいいですよ。僕たちの年齢に間違いありませんが、それが何か?」
「ならこれからは、ノエルと呼ばせてもらおう。俺のこともレオンで構わない。歳を尋ねたのは年齢にそぐわないにも程があると思ってな。」
「年齢にそぐわない、とは、僕は姉さん以外の子どもとの接点がなかったので他の子どもと比べてどうかもわかりませんよ。」
「少なくとも、俺が2歳の時はノエルほどしっかりしていなかった。文字の読み書きがやっとできて、魔法や剣術の練習、マナー練習をしていた頃だ。これでも、子どもらしくないと陰口を叩かれていたのだが。」
少し困ったように言った。
「うちでは、子どもらしくないからと何か言われることはありませんけど、そうですか。それだけで悪評がたつと。」
「自分が理解できないものは気味が悪いんだと。」
「なら、姉さんは絶好の的ですね。本人が気にするかは兎も角。」
「あぁ。ノエル、君も含めてだ。貴族の社交界では誹謗中傷は当たり前、エマール伯爵家では気にしている者もいなかったし、気づいている者の方が少なかった。むしろ、使用人たちの方が気づいて憤っていることが多いと聞いている。俺もまだ"年初めの夜会"に出られる年齢ではないから、エマール伯爵家という家について人から伝え聞くのみだったが、彼女を見て納得した。彼女のような人間がたくさんいる家なら、社交界でああなるのも頷ける話だ。父などのエマール伯爵家を知る者たちからは君たちの良い点と心配になってしまう点を聞いたが、それ以外からはいい話を聞かなかった。気分を悪くしたならすまないが、それだけ異質なんだ。俺はそれを悪いとは思っていない。父から聞く話の方を信じていたからな。でも、彼らがそう言う理由も分かったし、エマール伯爵家がそれを収めようとしていなかったことも理解したから。」
「お気遣いどうも。貴方が理解したというのは、貴族社会の特質を考えた上でということでしょう。僕たちに対する悪意は感じませんでした。僕もいつぞやのエマール伯爵が遺した本を読みました。恐らくは、伯爵家のものは皆読んでいるでしょう。もちろん、姉さんも。それを読んで、大きく共感してしまうのが、姉さん他大多数のエマールの者です。僕は賛成した部分もありますが、それ以上に著者がヤバいやつだなと思いました。」
「ちなみにその本は?」
「書籍『エマール伯爵家』というもので、未来の子孫へ宛てたようなモノなのですが、暗黙の了解で、門外不出となっています。もし、レオンさんが興味あるなら、僕は見せてもいいと思っていますが。」
「門外不出は大丈夫なのか?」
「ふふっ、えぇ。ご存知の通り、エマール伯爵家は研究した成果を誇示したり、独占したりするような人間の集まりではありません。だからこそ、門外不出というのは特別であるのには違いありません。ですが、本来であれば門外不出にすべきなのは研究結果で、そちらこそ公開しても問題ないものと僕は思いますから。」
「門外不出とする理由に心当たりがあるのか?」
「えぇ、心当たりしかありません。笑えるような理由ですけど。これまで読んだ人たちが門外不出にしてきたのは、しきたりがあった訳でもなく、ただ、これを見られたら自分が不都合になるからというだけです。懇意にしてくださる家々に関することで本音が爆発していたり、どうすれば怒られないかについて書かれていたりして、見つかったら貴族名鑑の勉強をさせられるんじゃないかと慄いているだけですから。子どものやることです。」
「彼らは勉強がしたくないと?」
「勉強というか、自分が好きでないことはやりたくないというか?実際にはできることを、"できないっ!もう無理!!これが全力!!"ってふりをするためってことです。例えば、エマール伯爵家だけの話ですが、"年初めの夜会"の前に挨拶の礼ができなければ、何度もやり直しさせられるでしょう。」
「当然だな。」
「えぇ。ですが、ダンスが踊れない程度では咎められません。」
「"年初めの夜会"にはダンスがないからか......。というか、踊れないのか。」
「そういうことです。ダンスは頑張ってもできません!!ってふりをして、最低限の挨拶だけをサラッとやるんです。そうして、面倒な部分を極力避けたい。あの本にはそういう、ギリギリを攻めた結果が書かれているんですよ。」
ノエルが呆れたようにいうと、レオンは唖然としていた。
「.........。まさか、父の言っていた、エマール伯爵家の者は家の数と懇意にしている貴族家の名前以外はどうやっても覚えないとは、そういうことか!?もう、代々、苦手なんだろうと諦めていると言っていたがそういうことか?」
「そういうことです。まぁ、見せてもいいですが、僕が見せたということだけ黙っていてください。」
「なんて頭脳の無駄遣いなんだ。」
「僕もそう思いますよ。姉さんは"これこそ頭脳の有効な活用方法!!こういうことのために頭を鍛えるんだ!"と言っていましたが。」
「なるほど......。」
レオンは言葉を失っていた。
それを書いた人はそれを責める前に覚えてしまった方が早かったのではないか......と。
ノエルとレオンは、すやすやと気持ちよさそうに寝ているセシルを見た。
「ノエル。聞くのを忘れていたが、彼女はドレスを着ない主義なのか?今日の服も彼女に似合っていたし、特別問題という訳ではないが、少し気になって。」
「僕が物心ついたときは既に毎日このような服を着ていたから、いつからなのかは分からないけれど、一度聞いてみたことがあったんです。何故、母さんのような服を着ないのか、と。」
「それで?」
「『性別で着る服を決めてしまうなんてもったいないよ!ノエルも着たい服を着ていいと思う。私がこういう服を着ているのは単純に動きやすいからだよ。走り回ったりはしないけど、本を探すために梯子に登ったり、教材作成のための試作する時だってドレスはきっと邪魔だと思う。あとは、こっちの方が似合うし、好みなんだよね。正式な場では、一応ドレスを着るけれど、ドレスって私には似合っていないと思うの。ドレスって素敵だと思うけど、可愛すぎるし、私との違和感がすごい。本当だったら、髪もノエルくらいに切ってしまいたいんだけど、流石に式典とかでマズイだろうから、この長さでキープし、量を減らして、一つに束ねるに留めている。あー髪切りたいなー。』ということらしいですよ。」
「本人の意思は兎も角、俺は彼女がドレスを着たら似合うと思うんだがなぁ。」
「僕もそう思います。勿論、デザインによっては合わないかもしれませんが、それは誰しもあることでしょう。普段の服は僕も好きに着ればいいと思うのですが、姉さんにドレスが似合わないなんてことはないと思っています。姉さんなら、きっと素敵に着こなしてくれるに違いありません。」
ノエルとレオンはすっかり意気投合して話し込んでいた。
セシルが目覚めるのを待つばかりだ。