女神の査定
洗礼の手順どおり、司祭から差し出された水晶に手を添えた。
そうすれば、翳された紙に文字が浮かぶはずだが…名前と番号しか浮かばない。
そう、固有能力名が一向に見えない。
天井が落ちるような衝撃が加えられた。
神々しい光が正面から私たちを照らす。
姿は眩しすぎて見えない、ただシルエットが浮かぶのみ。そのシルエットから推測するに女体。大きさは私たちの何倍だろうか。
あり得ない情報をつなぎ合わせて、なぜか、根拠のない推論が頭の中に浮かんだ。
これが…女神、なんだろうか。
人智を超えるというのはこういうことなのかもしれない。
魔法も人外も見たけれど、これはそのどれとも違う。
本当に強いていうならば、瑞樹に近いような…。
『あなたの推測はかなり真実に近しいです。』
頭の中に響き渡る声、周りを確認すれば、私以外の人も頭を抑えているようだ。
『はじめまして。たしか、セシリア、でしたね。私が洗礼というシステムを担う、まあ、あなたがたに合わせて女神とでも申しましょうか。』
…彼女の言葉から察するに、私の思考は筒抜けなんだろう。
「…はじめまして。ご存知のとおり、セシリア・フォン・エマールと申します。」
心が読まれているなら、意味はないかもしれないが、そう言ってみた。
『おもしろいですね。直接接触を図ることができる日を心待ちにしておりました。』
けど、この状況はあまり好ましくない。
こんなところで世間話をしていたら、この光とか色々な異常で誰かがこの教会に駆け込んでくるかもしれない。
見物客が多いところも問題といえるが、この場合はむしろ好都合だ。普段一般公開されている洗礼式が貴族たちが集まるからと貸し切られて、限られた貴族と司祭しかいない。口封じは簡単ではないが、他のケースと比べればずっと容易だ。ここにいる貴族はうちにどうやら親交があるらしいから。あとは司祭か…。
『お話を楽しむ前に…あなたの懸念について、先に解決しておきましょう。まず、この教会へ侵入者はありません。なぜならば、いまこの教会は現実世界と隔絶され、現実世界では時が流れていないからです。次に、司祭についてですが、司祭にはこちら側から守秘義務を守らせることができますから、ご安心ください。最後に、王侯貴族については、私からなにかすることはありません。どうやらある程度の算段もつきそうですし。』
「…安心、とまではいいませんが、助かりました。」
王侯貴族を黙らせる策を考えればいい、そう考えるならまだやりようはある。
今、彼らのためにしている事業のストップすらカードになるが、そもそも、私となにか敵対するつもりはないのだから、そんなことせずとも、黙秘くらいはしてくれるだろう。
『やっぱり、いいですね。この状況下で冷静に判断し思考しながら私と会話しているのはあなただけですよ。他の者たちは、言葉を発することも思考することも放棄してしまっています。ああ、失礼、思考できているものは数名いますね。』
断定する言葉に若干の違和感を覚える。
心を読むだけでそこまでわかるものか。
『さて、本題に入りましょう。あなたの今後に不利になるかもしれませんが、ここだけは譲れないので。…%&@##"$出てきなさい。』
途中、彼女がなにを言ったのか聞き取れなかったけれど、私の腕に巻き付いていた瑞樹がスルッと抜け出して人の姿に化けたところを見て、彼女が呼ばれたのだとわかった。
文字化けしたかのように意図的に聞こえなかったのは…
そう、前世に妖とか術とかそういう系統の本を読んでいたときに、真名、本当の名前は秘匿するものであると、複数作品で書かれていた。言霊、なのか。うろ覚えだが、その名前を知られると、行動も命さえも握られると。
『…勘がいい。』
女神の言葉から、なんとなくこの推測が当たっているとわかった。
『さて、今は瑞樹と呼ばれているのだった、彼女はこの世界の癌となり得ないと判断したのだな。』
「はい。」
『私も同意見だよ。…今回のは一応確認だ。』
私を測っている…?
そう感じるようなやりとり。
最初から、瑞樹が私と契約する前から、私を監視し観察する目的のもと瑞樹はここにいたのかもしれない。
『<セシリア、大まかな確認はすでに済んでいます。けど、いくつか確認しなければならないことがあります。あなたは前世の記憶をもつものですね。>』
その言葉に驚愕と神経が逆立つように感じたが、その言葉が日本語だったことに気づくと少し落ち着いた。
「<はい。その通りです、私はいわゆる転生者というものなのでしょう。>」
『<一応訂正しておきましょう。ほとんどの魂は転生を繰り返します。ゆえに、転生者という言葉はほとんどの生物に適用されます。前世の記憶をもつのが稀なだけで、転生自体は稀有なものではありません。>』
"転生者"という言葉は、どうやら不適切らしい。
「<そうなんですね。とても興味深いです。>」
『<そうですか。…これからあなたには固有能力を与えることになりますが、希望はありますか。>』
「<希望…そんなもの考慮してくれるんですね、意外です。ほしいもの、やりたいことは際限なくあります。正直、皆がチャットしているのにまざれないとか、なんのイジメですかって思いますし、固有能力というかそれらを使う土台は欲しいです。>」
『<……>』
「<けれど、それが他者に願うだけで達成されてしまうのは惜しいです。>」
面白くないもの。
うまくいかないことも含めて、実験であり、経験で、面白い。
全てが成功ならば、なにもする必要はない。
『<おもしろくない、ですか。>』
「<はい。たとえ今、世界のすべてを知ることができるとしても、それを選びません。おそらく私はそれを真に理解できないでしょうし、おもしろくない。>」
『なるほど、あなたの行動原理は大体理解できました。わかりました。当初の予定どおり固有能力を与えます。』
急に日本語からこちらの世界の言葉へ変更してそう言った。
『それと合わせて、アクセス権を与えます。気が向いたら返信しますから、もし私に用があるのならそうしてください。』
その言葉と合わせて、頭の中に何かが焼き付くように刻みつけられた。
まるで、なにかのIDかアドレスか。
『使い方を丁寧に説明したりはしません。理解できないのならそれまで、ということです。ちなみに他者に教えても動作しないのでご注意ください。』
「…なんとなくわかりました。ありがとうございます。」
『そこの……瑞樹にも一時的な権限を与えます。これは通例どおりです。』
瑞樹は軽く頷いた。
『…あなたにとって相性が良く、役立つ固有能力を与えます。けど、先に申し上げます。10進数に慣れ親しんでいるのは承知していますが、こちらの世界の数字もまた忘れないでください。これはあなたのような者には伝えていますが、こちらの世界の数字も発展を期待しています。』
「わかりました。善処します。」
『食えない返事ですね。今回伝えなければならないことは全て申し上げました。』
これで終わりか、そう思ってこれまでの内容を脳内でまとめはじめた。
『ですから、これは助言です。』
だから、少し慌てた。
『これからどのくらいかは分かりませんが、忙しくなるでしょう。そのとき、必ずそれと直接対話してください。…それがこちらにとっても、あなたにとっても都合がいいでしょう。それにはバグが憑いています。くれぐれも、よろしくお願いします。』
その言葉の後で、耳鳴りのような音がして、鼓動が動き始めた気がした。
外からは人々の声が聞こえ、司祭が持つ紙には私の固有能力名が印字されていた。
「エクセル…」
私がそれを呟いた瞬間、ハッと我にかえった司祭が儀式の様式のとおりに固有能力名を読み上げた。
それを何処か遠くで聞きながら、私はその固有能力を理解した。
推測通りの、私に似合った能力に笑みが溢れた。
…私が知るものとは少し違う、いわゆる「表計算ソフト」であった。
注意(補足)
固有能力名「エクセル」は某表計算ソフトEx●elとはアクセントが違います。




