ニルンプカ周辺にて
ニルンプカは現在滞在するドワーフの街から最寄りのエマール伯爵領の地域であるカイダタ牧場周辺からすぐにある地域である。
エマール伯爵領の中でも特異なこの地域は、狩猟が盛んで、薬草に関する知識も豊富なんだとか。
ニルンプカがそのような特色を持つ地域である理由は、サエラさんや、楓・佐助の拠点があることだ。
エルフであるサエルウィラスことサエラさんは、薬草学に長けていて、気まぐれで人間を助けることもあったそうだ。そのときの繋がりから、簡単な薬草学を教え、地域として薬草の知識に長けることになったのだ。
楓や佐助は The★忍者 である。
狩猟、というか暗殺・諜報に長けていて、それらの技術の一部が人間に伝わり、狩猟に長ける集落となったらしい。
実際のところ、薬草学と暗殺術とはなかなかの組み合わせである。
狩猟など戦闘を行うならば、怪我は必須のこと、毒などにも注意しなければならない。
そこで、薬草学が重要になってくるのだ。
私は以前立ち寄った際に、サエラさんに人生相談をした恩がある。
それ以降も、佐助や楓に助けられている。
一度、直接感謝の言葉を伝えたいな、と思っていたのだ。
そう、一度会って話を…と思っていたのだ。
しかし、瑞稀に連れてこられてみれば、人間の集落もサエラさんの住居もスッとばして謎の集落にたどり着いた。
そう、どこか江戸時代に迷い込んだかのような風情を感じる集落。
瑞稀はズカズカと進んで一つの扉を叩く。
「<瑞稀じゃ。誰かおるかぁ?>」
超日本語、めっちゃ日本語。
雰囲気的には完全に日本語を使うべきなんだろうな…。
「<瑞稀さま? すみません、えぇと、佐助がそこら辺で遊んでいましたので、引きずってでも連れてきます。>」
女性の声が聞こえたと思ったら、何か物騒な物音が…。
ガタガタガタ
ヒュン
ストッ
ガシャーン
なにが何の物音か想像もつかない。
「<みっちゃん、急におはすとは、拙者も準備が…>」
「<あんたに準備なんてないでしょっ>」
気配なく屋根上にいた佐助が瑞稀にそう返すと、屋根から刃物が飛び出して、佐助は軽々と避ける。
「<息災じゃな。>」
「<御意。最近は、休みがっ、多くてっ、助かってる、でござる。セシルの、守護が外れて、よっ。>」
佐助は器用にも降り注ぐ矢を避けながら答える。
チョットイミワカンナイカナ。
私は既に死んだ魚のような目をしていた。
なんだ、この魔境。
理解が追いつかない。
「<セシル。>」
後ろから急に声がしたと思ったらツインテール和服美少女に抱きしめられた。
って、楓?
頭を隠していないから違和感を覚えたけど、楓だよね?
「<私がいれば攻撃されない。大丈夫、安心して?>」
耳元でコショコショ囁かれるのは心臓に悪い。
なんか変な気を起こしそう。
「<…帰ってきたばっかで、疲れてる。血、ちょーだい?>」
へ?
硬直している間に首筋をペロッと舐められて、カプっと噛みつかれた。
舌はざらっとしていたな、なんて現実逃避をしていると、なんか体の力が抜けてくるような。
ホワホワした気持ちになってきた。
「<ん、このくらい?>」
楓は傷をペロっと舐めてそれを消した。
そこらへんからあまり記憶がない。
ふわふわしていて思考力を奪われているような気がした。
目の前で死闘が繰り広げられていようが、後ろでニコニコと抱きしめられていようが、セシルには気にならないことだった。
♦︎♢♦︎
なぜ、こんなところに来たのか、それについては少し時を遡る。
実は、図書館司書と同様に研究員にも運動が義務付けられていたと知ったことが発端だ。
勤務時間内で運動時間が設定されていて、それを報告しなければならなかったのだ。
研究員は一ヶ月単位で運動時間が定められていて、それを達成しないと減給になるのだ。
一般的に、研究員は併設されている運動場で運動をする。
スポーツジムのような場所で、カードを利用して運動をすると、それが自動的に申告され、さらに、機械に通すとノルマの達成状況まで見ることができるらしい。
非常勤で特別待遇の私にはそのような義務は課されていなかった。
しかし、特別待遇だからとあぐらをかくと関係を悪化させる恐れがあったし、何より、成長期である私は運動の必要性を感じていたからだ。
瑞稀に相談したところ、いい場所があると連れてこられたのがここだ。
移動時間は勤務時間に含めずにランニング(ウォーキングも混ぜた)。
これだけでかなりの運動になったと思う。
平坦な道だけでなく、自然の中の悪路が多かったものだから、普通に走る以上に疲れた。
そう、そしてここにたどり着いたのだ。
一ヶ月のノルマをいくつかに分割してここで運動をするというのだ。
詳しいことはなにも聞かされていない。
♦︎♢♦︎
目の前に正座する佐助と楓、それに保護者と思われるような空気を出す男の人。
正座する私の隣には偉そうな瑞稀。
何だろう、ここ。
この居心地の良いような悪いような空間は。
「<改めて、我は瑞稀。こちらがセシルじゃ。>」
「<はじめまして。>」
正座で礼をする。
畳の上では不思議とそうするのが当たり前のような気がするのは、やはり日本で育ったからなのだろう。
「<こちらこそ、お初にお目にかかる。わしは霧隠才蔵と申す。>」
貫禄がある人で、佐助や楓と違って年季が入っている。
佐助や楓を若手とするなら、彼はベテランだろう。
「<この佐助と楓は不祥、わしの弟子。ご迷惑をおかけした。>」
なんか、雰囲気のある人に謝罪されるって罰ゲームな気がしてしまうのは私だけだろうか。
「<いいえ、それ以上にお世話になっています。いつもありがとうございます。>」
本当に、台本通りというか、ありがちな台詞しか浮かばない。
「<そう言ってもらえると、こちらとしても有難いが、流石にこれだけでは釣り合わん。楓。>」
「<うん。セシルに知られる分には構わない。>」
霧隠才蔵どのは楓に確認を取ると私に向き直った。
「<楓は猫獣人と吸血鬼の混血、所謂ハーフだ。今回、あなたに噛み付いたのも食事の一環と言ってよいでしょう。>」
「<美味しかった。ゴチソウサマ。>」
楓は私をみてにっこりと笑った。
微笑みは妖艶で、同性であるにもかかわらず、ドキッとした。
「<調子に乗るな…。>」
「<師匠、…。>」
霧隠才蔵どのが低い声で注意をしても、上目遣いでみやるだけでなにも言わない。
「<謝罪はせんのか!>」
楓は完全に無視を決め込んでいた。
ピシッ
瑞稀が扇子を勢いよく閉じた音で皆が静まった。
「<さて、本題に入ろうか。此奴、セシルの運動の一環として一つ武器を使いたい。なにが最も適しているか、お主らの方が分かっておるじゃろう。>」
堂々とゆっくりとした言葉は迫力があって美しかった。
周りを美人に囲まれて、私はもう、身動きが取れませぬ。
「<…それは、実際に使う前提か。>」
霧隠才蔵がまた先ほどとは違ったトーンで問う。
「<戦闘をさせるつもりがあるかといえば否。じゃが、我としてはいざとなったときに自ら身を守れるくらいにはなってほしいがな。>」
そして、私は瑞稀の目的を悟った。
運動の一環として武術を習い、それでいざというときは身を守れということだ。
貴族なんてやっていたら、命が狙われる事態も当然想定できる。
戦争なんかでは戦闘に立って戦わねばならないかもしれない。
念のためでも一通りしっかりとした技術をつけておくべきだと私は考えた。
「<手始めに弓術だろうな。本来なら短剣も扱えて然るべきだが。>」
「<やはり、か。体力も身体能力も近接戦には足りぬか。>」
瑞稀は見立てに対して静かに同意する。
「<射程がある武器は確かに強いが、寄られると弱いのも確かだ。したがって、近接術もある程度磨かねばならない。そもそも、身体能力はなににおいても重要であるが。>」
「<お主に任せよう。扱いてくれて構わない。>」
「<はっ。>」
ん?
なんか、話が終了した?
私は気づいたら走らされ、木登りをして、飛び降りて、クタクタになるまで運動をしたのだった。




